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朗読劇の魅力 -アローンシアター「センセイの鞄」-

こんにちは。

2013年6月1日に、朗読劇を見てきました。
アローンシアター 「センセイの鞄」

女優 谷英美さんの
恩師の灰地順さんとともに拡げていく世界に
目の離せない豊かな時間でした。

朗読劇というと、「音とことば」なのかな
と思っていたのですが、さにあらず。

俳優おふたりは、動きとしては
そこに座っている、いわば「静」なのですが、
その目線、声の震えやハリの感じ、間(ま)
全身すべてがそこに使われているのでした。

空のいろ、鮎の骨の細さと柔さ、夕暮れと闇の優しさ。
互いの距離感の繊細さ、かわいらしさとなまめかしさ。
確かにそこにあって、うそのつけない切なさ。

見ている側は
五感と、自分の内面
すべてを動かして、その場にいるような感覚でした。
朗読劇、おそるべし、でした。

女優、谷英美さんは私の同級生です。
高校のときに女優の道へ。
彼女の出た映画を、ドキドキしながら友達と見に行きました。

そのころから数十年経ち。

彼女は金子みすずをこよなく愛し、
自分の本当に伝えたい作品を
身心かけて読み、舞台でつたえ
その舞台を、福島や陸前高田でひらき
そしていつか沖縄で、と語る女優になっていました。
アローンシアターのブログ 「みすゞ色の徒然」
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~apro/bin/emi_blog/diary.cgi


そのころの友達と、
わたしたちの、数十年経った、なまみ。
わたしたちの、数十年経った、こころ。
それぞれをゆらしてそこにいられたことを
喜びに思いました。

おやすみなさい、また明日。

報道の意義

こんばんは。

最近はWebサイトやSNSから情報を得ることも多いし
マスコミの報道に疑問や不信を持つこともあります。

それでも、淡々と事実をつたえ
それでいて、必要十分に対象にスポットをあてた番組は
見てよかったと思います。

特に、東日本大震災関連の報道は
そこに、報道する人の、こころの糸のようなものが入ると
ずいぶん違ったものになるように思います。

もちろん、スポットを当てた対象の人たちの
他にたとえようのない経験や思い、湧き出るものの力はあります。

それをうけとめ、映像と音、
おそらく表情と肉声をのせる、その切り取り方ひとつで
ずいぶん変わるのではと思います。
感受性と、表現技術と、時間。

報道を受け取る私自身も、その器でいたいです。
その場に、実際行って、見る。
または想像力を行き渡らせたいです。

被災地の復興は
どこか遠いところのできごとではないです。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

喜んでもらえたら、それだけで

こんにちは。

あちこちで、人のあう機会をつくったり
会いに行ったり、関係をつないだり

それは、自分にも、他人にも
あらためて会い直す機会だと思っています。

たとえば昔の友達とは
昔の話に花を咲かせているようにみえて
「今の」お互いの興味深い部分や
活力溢れるところに、触れているように思います。

あるいはどういう場であれ
楽しい話ばかりではなくても
全力で励ましてくれたり
肯定や支えを受け取ることがあります。

もっといえば
「関心をもってきいて(みて)くれている」と感じるだけでも
楽になるように思います。

リアルでもバーチャルでも
そこで何か、気持ちがゆるやかになったり
喜んでもらえたら、それだけで嬉しいです。

どんなつながりであれ
それを広げるなり、深めるなり、できることをしようとする
その動機は、
私もふくめて、関わった人のゆるやかさ、すこやかさを
拓きたいということに尽きます。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

老いることにつながる

こんにちは。

最近、視力のおちたのをきっかけに
自分の老いることに、
明確に目を向けるようになりました。

いまでも少しずつ、
そうかな、そうかも、と思っていたのですが

「いままでどおり」のやりかたではいかない感覚を
明確に認めています。

たとえば、
ノリのがんばりやふんばりを前提に
仕事の段取りを考えられなくなったり
きちんと睡眠をとることを何より優先して
つかれをとるようになったり

いつまでも若々しく生き生きとしている
年上の方々に刺激をうける一方で
その方々の、ハタには見せない節制なり努力を
想像するようにもなりました。

いままでの道のりにこだわる無理も
これからの道のりをナナメにみる無策も
どちらもしたくはないもの。

老いは、おそらく理屈ではなく、それそのもの。

「元気でいる」ことの質が
変わってみえるのです。
健康である、というか、すこやかであることは
身体やこころのありようを自分でまるごと認められること
と思うようになり

では、老いはそれをどうさまたげ
あるいは、促進するのか。

というとりとめのないことを思ったりします。

人の老いを(たとえば親など)思ったことはあったけれど
自分の老いに直面する感じは新しいです。

皆さま、どうぞ、おすこやかに。

私的SNS論考

こんにちは。

そんなに堅い話ではないのですが。

mixiやfacebookやTwitterなど
いくつかのSNSで、知り合いができたり、昔の友達とあったり
情報を得たり、楽しんでいます。

夢中になってしまうときもあるから
時間は考えなくちゃ。

私は
mixiとブログに、少し長めの文章を書かせてもらい
facebookは写真と多少短めのコメント、友達との会話。
mixiのつぶやきは、それこそ、ぼそ。っと。
Twitterは最近、情報収集。

この使い分けは人によって違っていて
たとえば最近お目にかかった人は
Twitterを「家族や友人の安否報告」に使ってるけど
facebookはいまいっぽ、とか

フィード(ツィート)をぜんぶ連動させてる人もいますね。

会話したい、発信したい、読みたい、知りたい
いろいろな動機がありますね。

私はちょっと心がけていることがあって、
なるべく
「それぞれのSNSで、自分の一定のリズムを保つ」ということです。
多すぎず
(いや、1日ひとつ、何か言うだけでも、多いと思う人は多い)
パッタリとは切らず。

それぞれの方々のペースは違うだろう、を前提に
また、変化するだろう、を前提に
それでも、自分はある程度、一定にする。
(もちろん無理はしない)

そのことで、末永くおつきあいができるよう
心がけているというか。

カラリとした文章や
根を深く掘るような文章や
とにかく、文字や写真でそれぞれの世界と会い直す感じを
大切にしたいと思っています。

論考、なんてものではなかったな。

今日も皆さま、おすこやかに。

感謝して受け取る。受け入れなくても。

こんばんは。

いっこ、気づいたことがあって、

たいていのことは、私は
誰かに伝えたいというより
自分にいいきかせたい
ということだったりします。

これを学んだ!気がついた!ということも書くし
こうなったらいいのに、という理想的なことも書くし、
やや、ぐちっぽいことも書くし

それは、ここに書いて、
誰かに伝えたい、読んでほしい
という思いと同時に
自分に、いいたい、つたえたいのです。

誰かが私に何かいってくれるときも
そういう側面があるかもしれないのです。
つまり、その人が、
自分に言い聞かせたいことでもあるかもしれません。

誰かが助言をしてくれたとしたら
その人にとって大切なことばを
私に分けてくれたのです。
私はそれを、受け取ることで、きっといいのです。

そして、
「受け取った」あとに、それを離してもいいのです。
必ずしも「受け入れ」なくてもいいということ。

わたしにめぐってきた言葉を
今日も、感謝して、受け取ります。


おやすみなさい、また明日。

縁起のいい場所にいってみる

こんばんは。

今日は午前中、マンション全戸補修で家にいて
午後はいくつか縁起のいい場所に行って
いい雰囲気を浴びてきました。

新しい歌舞伎座の地下や前は
観光客や、芝居を楽しみにしていた人たちの
活気と熱気に溢れていました。

リニューアルした新宿伊勢丹で
歩きやすく、見やすくなった店内や
イベント感ワクワクの催し物会場をみてまわり

新宿の紀伊國屋書店で
今日から先行販売になった、
三谷宏治さんの著書『経営戦略全史』を購入して
              ↑面白いです。

東京は半日動くだけでとても刺激的。
いや、名古屋も大阪も、そうなんだろうけど、
たまに、こういうのもいい感じです。

おやすみなさい、また明日。

「カーネーション」と「純と愛」

こんにちは。

NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)を見るようになったのは「カーネーション」(2011/10~2012/03)からです。
そして最近まで見ていた「純と愛」(2012/10~2013/03)がこの週末に終わりました。

朝ドラはそのつど、それまでの「朝ドラ」のイメージを少し壊すような、実験的なとりくみをしています。
最近はヒロインの「清濁併せ持つ」キャラクター、爽やかならざるエピソードに賛否両論出るのが特徴です。
この二つのドラマについて、長くなりますが、思うところを書きます。

「カーネーション」は90年近くを描くゆえのテンポの早さ、スジを説明するセリフが一切ない、無駄のないドラマでした。
狭いコミュニティ(地域の商店街、家族)で、己の情熱を抱え、軋轢をどう超えるか、常に市井(しせい)につながった設定も特徴です。
世代交代(父→自分→娘)の渦中、突き上げる立場から、突き上げられる立場へ。老いを受けとめ、老いてなお自分の道をひらく姿も圧巻でした。

また特徴として、死に際する周囲や本人のありようの多様さがあります。
長い生涯と戦争のゆえに、登場人物の多くが亡くなるのですが
「感情も言葉もなく呆然とする」
「はっと気づいて激しく慟哭する」
「全てを呪って閉じこもる」
「しんどさをともに嘆く」
「(長く介護してきた人を看取って)ほっとする」
「自分はともかく、おいていく子供たちに辛い思いをさせていることが辛い」
「(自身の死に際して)恋をしているときのように全てがきれいにみえる」
あらゆる人のあらゆる感情表現を、日常の風景のなかで繊細に表わしていきます。

周りの人が亡くなっていくのをこれから一人で見送れるのか、という問いに、
ヒロインが
「失くす失くすて、何を失くすねん。
 うちは失くさへん。相手が死んだぐらいでなんも失くさへん。
 決めたもん勝ちや。
 ヘタレはヘタレて泣いとれ。うちは宝抱えて生きていくよって」
と淡々と答えるシーンは、かなり印象的でした。

一方の「純と愛」。
若い二人の数年を描くもので、そのキャラクターの濃さ、ストーリー展開のアップダウンの激しいドラマでした。
おそらく70年代後半のTBS『赤いシリーズ』などはこんな感じだったかも(古い)。
個人的には、説明的なセリフの多さ、やや冗長なシーンに、正直辟易することもありました。
ただこのドラマも途中から、死の看取り、病苦、家族の愛憎の軋轢を、老いも若きもどのように超えていくかをテーマに進んでいきました。

全26週の最後の2週で、ヒロインが「パートナーへの愛に溢れたホテルをオープンできる」直前に、パートナーが突然倒れ、もう二度と目覚めないかもしれない状況に陥ります。
パートナーが目覚めない限りホテルは開けない、と思い詰めるなか、認知症で自分の顔もわからなくなった母親の笑顔に触れて、「多くの笑顔のためにホテルを開く、愛する人が一生目覚めなくても、自分は自分でありつづける」と決めます。そして、パートナーにキスすると、パートナーの指と瞼がほんのわずか動く、それをただ見つめるヒロインのアップ。でエンドです。

多くの死と自分の老いをうけとめ生きていく(カーネーション)
愛する人の変化(認知できない、目覚めない)をうけとめ乗りこえる(純と愛)

両者の表し方は違うけれど、そこに至る荒れや葛藤があり、そのプロセスを真正面から描いて放映するところに、このふたつの「朝ドラ」の魅力を感じます。

ほんとうに個人的なことを言えば、私はやはり「カーネーション」のほうが好きです。
脚本のセリフ、キャラクター設定の自然さゆえの深み、役者さんの達者な安定感がとてもよかったからだと思います。
「純と愛」は、セリフとストーリーがどうしても鼻につくなか、俳優陣の本気さに打たれました。
ヒロインの顔つきとセリフまわしが、はじめとおわりでまるで変わっています。
また「あらすじ」で語られないようなシーンでの、俳優陣の表情や所作に繊細さを感じました。
俳優陣に支えられた奇跡だと思います。

長くなりました。
明日からの朝ドラ「あまちゃん」、脚本:宮藤官九郎はいままで個人的にハズレなし。
とても楽しみです。
最後までお読み取りくださりありがとうございました

もう一歩表現すること、あるいは思わず沈黙することも含めて

こんばんは。

今日ドラマをみていて、

相手に命をかけて頼まれたことを
「わかった。
・・・っていいたいけど、無理」
って断って、我慢していた気持ちのまま泣くひと

一方

その、泣く人に「あなたは許容しているの?」
ときかれ
「うん
・・・っていいたいけど」
と、何も許容できてない、隠していた本心を語って泣くひと

というシーンがありました。

おもわず正座して、見たのですが

表面的に、あるいは、「相手のために」と思って
自分の本心を一瞬隠すことは
少なくとも私には、よくあります。

でも、もう一歩、本気になって、本心のままに
そのまま振る舞えるかどうか、かもしれない。
それは自分のためにも、相手のためにも。
と思いました。


もうひとつ。

今、目撃した見たシーンで。

座談会スタイルで思いや経験のたくさんある人たち。
「これからどうしたらいいのか」言いあっています。
司会者本人にも、思いがあります。
で、最後にちかづき、

「どうまとめましょうか」。
司会者が本気で沈黙しました。
たぶん10秒位。
これ、テレビでは相当長く感じられる沈黙でした。

そのあと、参加者がそれをフォローするかごとく
真剣にコトバを重ね、

最後、司会者は、コトバを発してまとめることができました。


ドラマにしても、座談会の司会者にしても
私のうけとったのは、つまり「本気かどうか」です。
その本気を隠すことなくそこに出すことを
怖がらずにいられるか。
今、この瞬間にも。

まだまだかなぁ。

おやすみなさい、また明日。

同窓生との一日

こんにちは。

同窓生たちと、
昨年からSNSでつながりを持つようになって
もっとそこから話を深めようと
昼はスピーカーをお願いして、ひとつテーマで話してもらい
夜はおいしいもん食べて飲み会
というイベントをくみました。

今回のスピーカーには
東日本大震災後から継続してボランティアに参加してきた
動機や経験について話してもらいました。
実際その場に立って動いてきて
つながりをつくり継続性を追求してきた
ご本人のリアルな話をきけてよかったです。

1時間以上まとめて話してもらうと
その人自身の、何に惹かれ、実際どう動いたかを
ゆっくりきける。
きき手の側も何か動きます。

実際、私も今回話を伺えたことで
何かを継続する「手段」を焦れていたけど
自分の続ける意思しだいで何らか手段はついてくると思えました。

夜は友達のセレクトしてくれた美味しい炭火焼きとワインで
昔と今の話で相当もりあがりました。
それぞれの記憶を思い起こすこと、
様々な角度で再構成すること
つなげて、今のことも話すこと。
それはささいなことのようだけれど
意外にかけがえのないことなのかもしれません。

同じ日に届いた同窓会誌には
同級生の訃報が載っていました。
逝かれてしまうのは、しんどい。

ずいぶんお酒が進んだせいか
明けた今朝は久しぶりにしっかりとした二日酔い(うー)
午後になってやっと覚めてきました。

毎日のくらしは、かげがえのないことです。
それはどんな年になってもです。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

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