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  • エニアグラム 自分のことが分かる本
  • エニアグラムあなたを知る9つのタイプ(基礎編)

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エニアグラムの何を伝えたくて、ここにいるのかと

こんにちは。

エニアグラムに初めてふれてから6年たって
まだそれしか経ってなくても
いつも思うこと。

エニアグラムを通じて
エニアグラムの何を伝えたくて
私は学ぶのかということ。

慣れ親しんだ、今までうまくいってきた
それでも焦燥や不安のぬぐえないやり方を
認めて、抱きしめたうえで

自分をふくむ、関わるひとを愛おしいと思い
こころからつながれる、
限りない可能性を
まずは自分にみいだし

そして、誰かに伝えたいというところに
今います。

伝えたい、を
自分の前面にかかげてきて
ふと、9月からあと、ちょっとニュートラルになって
気がついたら10月になっていました。

探求のエニアグラムの、好きなところは
選ぶのでも、枠にはめるのでもなく
私のなかの「タイプn」をいくつも発見できることです。
かたく、つらい側面をゆるめる可能性があることです。

そして、
日常の、ささいなことに、足を取られる
自分を責める、自分から逃げる、そんな自分と
「探求」は、つねに地続きであることです。

自分の探求だけでも、もちろんよいのだけれど
それを、伝えたい、と思うようになったのは
日常からつかず離れず、含んで、
それでも、もっといきいきと、いききることが可能だと
いくつになっても、どこにいても

そういうことを伝えたいと思ったから。
誰でもその可能性があると伝えたいと思ったから。

ただ、
伝えるというより
そのように実際に生きることからかもしれないです。


おやすみなさい、また明日。

知っていない・わかっていない から、また始まる

こんにちは。

この週末は
「C+F研究所 エニアグラム 月例ワークショップ」
エニア(9つの)グラム(図形)の9つのタイプ。
各タイプを自覚するご本人の語るのを
見て聴いて感じとる、贅沢な時間でした。

人の語る、問い・返すという一連の
その場にいることは
実に多くのものを受け取ります。

エニアグラムを学んで数年経ち、
知識も、文字にならない何かも
ずいぶん得てきたつもりで

でも毎回、リアルに、人から
あるいは、やりとりのなかでおきることには
新鮮な驚きがあります。

わかりたい、がすれ違います。
わかっている、がすれ違います。

同じ「言葉」でも、その伝わる少なさを
同じ「雰囲気」でも、そのわけのわからなさを
各タイプのことを「対象」と思うと
もどかしく思うこともあります。

でも、今日は
「知っていない・わかっていない」
ということの自由を感じました。

知りたい、と思えば、心奪われる。
知っている、と思えば、苦しい。
でも
「知っていない」「わかっていない」
それは可能性でもあって
そこからいつでも始められます。

自分のいままでだと
意外なもの、理不尽に思うこと
突然の感情の爆発、急に詰められる距離
いろんなものに動揺してきました
おそらくそれは今後もあるのでしょう。

知ることで・わかることで安心してきた
けど
知っていない・わかっていない 
それは自由。

今おきていることが、そのままで、
わかっていないから、問うし、こたえようとする。
「わかった」は
直後から「わかっていない」になる
瞬間の問い、こたえから次々わきあがる
その自由!

知っていない・わかっていないから
ことばやかたちにすることをあきらめられない
その重なりを「創造」というのかもしれません。

ひとつ、なにかをかたちにして、
なにか「象徴的」なものになっても
それが検証されたり、否定されても
また新しいものが生まれるからいい。
そこに、人の存在があるかぎり、です。

長くなりました。

メモ的に)私はエニアグラムを通じて何をお伝えしたいか

こんばんは。

メモ的に記します。

-私はエニアグラムを通じて何を伝えたいか-

私たちは
・今何をしていても
 (それがかつて想像していたことと違っていても)
・周囲がどんなに変わっても
 (それが自分にとってまったく想定外であっても)

(1)自分自身に
 ・とてもたくさんの側面、多様性 

 ・これは大切だと、こころの底から感じること
 「こころの根っこ」
があって

(2)周りの人たちにも、それぞれの「それ」(1)があって

(3)わたしとあなたの「それ」(1)は「変化しうる」

わたしとあなたの (1)から(3)について
つねに探求(興味をもって発見)し、お互いを認めあえれば、
私たちは、おちついていられますし、こころから喜びを感じられます。

ときに、こころの根っこ のあるがゆえに
その根っこにこだわって、あるいは
その根っこを信頼できなくて
苦しむこともあります。
でも、私たちは、その苦しみに翻弄されないで
ただ「見る」ことができます。

エニアグラムは上記のことに大きく貢献します。
私は、エニアグラムを知ったことでその恩恵を受けています。

あなたにとってそれは、エニアグラムからでなくても
すでに受け取っているものかもしれません。
あなたの、既に持っているちからで、受け取れるものだから。

ただ、私は、自分もふくめ、全力で
ひとりひとりかけがえのない、連続していて、変化しうる存在だと
そのように自分を知り、他人を知ることで、
いつでもいきいきと、あらゆる場で、新鮮に過ごせるのだと
そのことを「エニアグラムを通して」伝えたいのです。

・・・上記に至る「なぜ?」「具体的には?」を、
もうすこし具体的にするところです。

おやすみなさい、また明日。

自分にかえってくる粒を集めて

こんばんは。

エニアグラムのワークショップをひらくべく
準備をしていると
コンテンツに自分で書いたことに
それはもう、自分の昨日で、さっきだよね
ということに驚きます。

さっきの電話、
さっきのメール
そのことにわたしはどう反応し、どう返したか。
それは一昨日はどうだったのか。

毎日の、ある瞬間に
反応的であったり、それにどのように相手が返したか
あるいはそれをわたしは見ないふりをしたか
うけとめてとりくんだか。
安心する瞬間、胸の痛む瞬間。

自分にかえってくるその瞬間の粒を集めて
場をひらくようなものです。

エニアグラムは自分を探求し、整えていくに
実に興味深い地図で
それは、ひとりひとり、ありきたりでない
かけがえのない人生だと
気づく道でもあります。

そしてそれは、毎日の、とくに何事もない、
それでも
「ああ、きょうもまたやってしまった・・・」
とうなだれたり
「清々とした、静かな朝!」
というくりかえしのなかにあり、

あらゆる瞬間はすべて地続きだと、
私は思っています。

おやすみなさい、また明日。

なくすのではなく、ともに生きる (エニアグラム ラス・ハドソン来日ワークショップ)

こんばんは。

エニアグラムの第一人者
ラス・ハドソン来日ワークショップに参加しました。
テーマは「性格から本質へのシフト」。

本質はすでにそれぞれが持っている素晴らしい資質。
性格はその資質とのつながりを見失ったとき
その代わりになるように本質を真似た「別物」です。
でも性格は、幼い私たちを守って、
一緒に育ってきた「よろい」です。

では、本質が良くて、性格が悪いか。
性格はなくすべきなのか、なくせるのか。
性格はなくせない、常に、ともにあるものです。

自分の素晴らしい資質とつながる。
自分のなかにある、いつもは見ないようにしている
でも確かにそこにある、光と闇に触れて
断ぜず、愛して、ともに生きられます。

エニアグラムの興味深さは
過去でもなく、未来でもなく、「今ここ」にいる
その感覚をとりもどすことで
自分にすでに備わっている素晴らしさに触れ
自分のこだわってきたひっかかりをも愛せる
誰にでもその可能性があると示すことにあります。

誰も、何も、なくさない。
なくすのではなく、ともに生きる。

この知恵を伝えてくれたあらゆる存在に深く感謝。

おやすみなさい、また明日。

存在感とハートと、シビれるそれ

こんばんは。

風の圧力をサッシの窓ガラスにうけて
大いなるものを身近に感じている今であります。

私の大好きなエニアグラム。

■身体の知性
■ハート(こころ、真実)の知性
■頭の知性
この3つのバランスをとることの大切さを説いています。

知性とは「頭のよさ」のように語られることが多いけれど

身体のゆるぎなさ、身体こそが持つ知恵、たとえば
けがなどの「物理的痛み」
ストレッチなど「可動領域を広げる」ことから受ける影響。
体感覚、今ここに根ざす
これが身体の知性です

ハート、こころの奥から発する、
真実の声を聴ける力量。
これがハートの知性です。

頭の知性は
知識というより、
ひらめきと静けさを、キャッチできる力量のこと
のように思います。

この3つの知性を
ひとりのなかでバランスのとれるのなら
その人にとってギフトです。
さらに
グループのなかでそれを補い合う動きがうまく機能できれば
幸いです。

ひとりでバランスをとろうとして大変であれば
誰かとともに協力しあうことは可能のように思います。

身体の知性は「存在(感)」に繋がっていて
ハートの知性は「ハート」に根ざしている。
頭の知性は「アタマ」で創造されている。

そして今日は、アタマがすっかりシビれているのでした

これ以上は、今日はもう書けない・・・。

たぶん本質は同じなのではないかと

こんばんは。

世界観がこんなにも違うものかと驚き
対象に対する距離がこんなに違うものかと驚き
とにかく「違う」ということに
ひとしきり感嘆したあとで

その先の、その本質に
つながるものをみます。

使うことばの違い、定義の違いは
たしかにその瞬間は
ひとのあいだを分断するかのような印象だけれど

お互いが生きることに必死であったり
ようやくそこで出会えた奇跡にふるえたり
つよい悲しみ、抗えないものに対して痛む

どういう学びを経過している人でも
どういう世界観を持っている人でも
そこは「同じ」なのでないかと、思います。

お互いをつなぐ何かの糸を発見したとき
それを「わかる」と呼ぶひとも
「感じる」と呼ぶ人も
「愛」と呼ぶ人もいる。
それぞれ、ことば単体だとよくわからなくなったとしても。

ことばを信じられなくなっても
なにかを分断するように感じられるときでも
ことばを発しあうひとの、胸のおくからつなぎあう「それ」を
わたしは信じています。

「それ」をことばにしたくて、
いつも、こうして文章に向かいます。

そして「それ」は「あってもなくてもどちらでもいい」のです。
わたしもあなたも、
どんなときもそのままで、そのままだからです。

~C+F研究所「エニアグラム月例ワークショップ」
フィーリングタイププレゼンから刺激された覚え書きです~


おやすみなさい、また明日。

魂をつないでいくこと(エニアグラム研究 ドン・リソ氏の訃報に接し)

いにしえの神秘である図形で
性格の光と影をあらわす「エニアグラム」
その精緻さは、知るほど、実感するほど感嘆します。

特に、
個人の内なる動機、くりかえす人生のテーマを発見できること、
究極に選択肢の狭まった状態から無限に解放された状態まで
ひとりの人間の成長の可能性をクリアにするところに
エニアグラムの大きな魅力を感じます。

つまり
「不健全な人」「健全な人」がいるのではなく
ある人の、不健全~健全な状態、という考え方です。

私にとってこの理論は
ひとは、私は、
過酷な状況にあるじぶん(誰か)と歩み、
よりよくかわってゆける、存在を信頼できる
という礎になっています。

「健全度の理論」を世に送り出したのをはじめ
エニアグラムの精緻さと明確さを生み出した第一人者
ドン・リソ氏の訃報に接しました。

長年、リソ氏、ハドソン氏を日本に迎え
エニアグラムの真髄をつたえてきた
C+F研究所 高岡よし子氏のブログ
http://ameblo.jp/yoshikotak/

ここに、
深くエニアグラムに触れてきた
多くの先達の思いの集約があり
とくに、リソ氏とともに研究と実践を究めてきた
ラス・ハドソン氏のメッセージもあり

これ以上何もいうことはなし。

リソさん
エニアグラムを、この世界に、
ありがとうございました。
本質につながり、成長の可能性を生きる
その魂にふれて、つないでいけますように。

出してから始まることがある

こんばんは。

どちらかというと
inputを好み、outputは気が引けて
自分のoutputに納得いかず
人のoutputに譲るタチ。

それでも最近は、バランスを整え
自分でoutputする力と機会を大事にしてきました。

最近のテーマ。

「探求のエニアグラムを広め、活かして
私と人を愛して
すこやかさを引き出す仕事をしたい」

私からoutputする~
そして何より、私自身のリラックス。
日々新しい、ということを思い出します。

身体とハートと思考のそれぞれを
リアルに感じていけますように。


おやすみなさい、また明日。

守ろうとする、から、生かされている へ(エニアグラム 3つの本能)

C+F研究所
エニアグラム特別ワークショップ ~3つの本能
に参加中です。
http://www.transpersonal.co.jp/p/s/enneagram/special/

・命や快適さを保つ、自己保存本能
・一対一、情熱、集中閃く、性的本能
・場や社会とつながる、社会的本能
3つの本能そのままであれば、
バランスのとれた、いきいきとしたありようのはずです。

性格からくる怖れで、考えや感情がパターン化し、
本能のバランスを崩します。

「自ずと優先させている本能はどれか」
これは人によって異なります。
そして「自分にとってあたりまえ」なので
必ずしも自覚できるとは限りません。
自分の優先しない本能を、人がうまく扱えている(優先している)と
イライラ、ムカムカ、違和感を持ちます。

何にイライラ、ムカムカするか。
これはナゾが解けるチャンスです。

本能で「守ろうとする」動きを
本音で語り、探求するひとときを、明日も。
本能に「生かされている」状態をこそ、この手に。

おやすみなさい、また明日。

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