amazon

  • エニアグラム 自分のことが分かる本
  • エニアグラムあなたを知る9つのタイプ(基礎編)

twitter

リンク

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

久しぶりに

おはようございます。

最近、小説や映画に近年になく多く触れ
そっちのことばかり気がつくと考えていて
実際的なこと
あるいは
静かに探求することから
距離をおいています。

どれも私ですが

耽溺にすぎると
バランスをとらねば、とも思います。

よきもの、とか、静かなもの、に向かず
自責しながら楽をする、
サボっているな、と思いながら安住する。
ちょうどよく?体調もちょっと崩したり。

ハレバレ、すがすがしく、
もしくは、自責をはずして、そのまま居たいものです。

自分のなかに変化しないものが確固としてある、というのは幻想で
自分はわかっているなんていうのも幻想で、

自分は、世界は、変化していくし
わからないことばかりだし
蓄積の成果ともいえるし
可能性の塊ともいえます。

自分の思うよりずっと、
ひと一人の枠組みはゆるやかです。
だから、いつでも始められますし、
「思いどおりに」という枠以上のことを
可能にします。

サボっている、とおもったら
「何を」サボっている?ときいてみる。
案外、思っているだけだったり
または、はっきりすればまた次に向かえます

とりとめなくなったので、このへんで。

今日も皆さま、おすこやかに。

友達の絵を見せてもらいに

ご無沙汰しました。

週末に、友達の絵を見せてもらいに、
国立新美術館でひらいていた「一陽展」に伺いました。

毎年、テーマを深めて、
ハイクオリティな作品をきちんと出展し続けるのは
素晴らしい、のひとことに尽きます。

日頃こういう機会でもないと
絵画に深くふれることはなくて
発するエネルギーには圧倒されます。
そこにかけた力や時間、技や探求に、
ちょっと、クラクラします。

何かをずっと為し続ける。
結実した、なにか、かたちにする。

それが主たる仕事であれ
それが主たる生活であれ
それが並行するあらゆるくらしの一つであれ
いずれにせよ

その「為す」瞬間においての
集中力や、かけるエネルギーの尊さを思います。
見せてもらう側は、ただそれを受け取るだけで
もったいないというか、ありがたいことです。

絵画でも、舞台でも
エネルギーを一定かけたものを
かたちにするいさぎよさを
私は受け取っているように思います。


もしかしたら日常でも
探せばそんなことが、ちいさくてもあって
それはありがたいことなのかもしれないです。


今日も皆さま、おすこやかに。

エニアグラムの何を伝えたくて、ここにいるのかと

こんにちは。

エニアグラムに初めてふれてから6年たって
まだそれしか経ってなくても
いつも思うこと。

エニアグラムを通じて
エニアグラムの何を伝えたくて
私は学ぶのかということ。

慣れ親しんだ、今までうまくいってきた
それでも焦燥や不安のぬぐえないやり方を
認めて、抱きしめたうえで

自分をふくむ、関わるひとを愛おしいと思い
こころからつながれる、
限りない可能性を
まずは自分にみいだし

そして、誰かに伝えたいというところに
今います。

伝えたい、を
自分の前面にかかげてきて
ふと、9月からあと、ちょっとニュートラルになって
気がついたら10月になっていました。

探求のエニアグラムの、好きなところは
選ぶのでも、枠にはめるのでもなく
私のなかの「タイプn」をいくつも発見できることです。
かたく、つらい側面をゆるめる可能性があることです。

そして、
日常の、ささいなことに、足を取られる
自分を責める、自分から逃げる、そんな自分と
「探求」は、つねに地続きであることです。

自分の探求だけでも、もちろんよいのだけれど
それを、伝えたい、と思うようになったのは
日常からつかず離れず、含んで、
それでも、もっといきいきと、いききることが可能だと
いくつになっても、どこにいても

そういうことを伝えたいと思ったから。
誰でもその可能性があると伝えたいと思ったから。

ただ、
伝えるというより
そのように実際に生きることからかもしれないです。


おやすみなさい、また明日。

自分以外のものを助ける、本能とよぶならそれのこと

おはようございます。

ニュースで、踏切でとっさに人を助けて、亡くなった方のことを報じています。

これは、本能なのでしょうか。

基本、危険からは身を守る。
私は、
たとえ自分の子供が危険な目にあって「助けられなかった」としても
その人に責はない、と思います。
その人は自分を責め抜くかもしれないけど。

その場にいたら、私にはできない。
とも、思うのですが

一方で
私なのか、もう少し超えた何かが
その行動を起こすかもしれない。

動機というか、とっさ、というか、
その正体は何だろう。

自分の身を守るとか、ニーズを満たすとか
それを、他に完全に向けられる一瞬を
人は持てるということで

それを可能にする、正体は何だろう。

いずれにせよ
魂の永遠を祈ります。

自分には、できない、のではなく
おそらく、そのときがきたら、そのときのことです。

今日も皆さま、おすこやかに

多様性をどうとらえ、どう伝えるか

おはようございます。

人、ひとりひとりの多様性は
それこそほんとうに幅も深さもあり
ひとことではいい表せません。

でも
伝えあうとか、ききあうとか、
そんな中で
相手について、私の気づいたことを
丁寧に相手にかえしたい

そのようなときは
ことばはずいぶん選びます。
なるべくユニークな、その人から私の感じることを、率直に、と。

それでも、迷いがでると
うまくいきない感じがします。

もっともっと、
多くの人たちの、輝きがみたい。
私自身も、自分の輝きをみられるように。


多様性を多くのことばでかたろうとすると
かえってことばの枠にはまるような
でも、ことばももっと豊かかも。

制約と自由の両方をかかえて
これからも
個人の多様性に目を向けて
表現していけたらと思います。

今日から、10月。
また、新しい気持ちで。

今日も皆さま、おすこやかに。

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »