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大切なことを率直に触れる勇気

おはようございます。

人と関わっていても
何らかの対象と取り組んでいても
はっとするような
「これだ!」と思う瞬間はありませんか。

私は、あるんだけど

多くの場合
「いやいや」「そうかな」をかぶせて
やや、違った出し方をしがちです。

周囲の人や、肝心な相手に、だしてみると
ピンとこない反応に
「また、やっちまったか…」とシュンとする。

でも
最近思うのは
「出してみなければ、わからない」
ということ。

「これだ!」と掴んだ(ような気がする)キラっとした何かは
どういうこと・ものであれ、「ある」。

その「これだ!」に触れた一瞬こそ、
あなたに、わたしに、かけがえのない瞬間です。

かたちにするときの苛立ちや諦念や
ましてや周囲の評価に
くじけたらもったいない。

大切なものも
それに率直にふれる勇気も
すでにあるから
あとは、素直になるだけです。

自分にいいきかせるように。
目にしてくださった方に届くように。


今日も皆さま、おすこやかに。

知っていない・わかっていない から、また始まる

こんにちは。

この週末は
「C+F研究所 エニアグラム 月例ワークショップ」
エニア(9つの)グラム(図形)の9つのタイプ。
各タイプを自覚するご本人の語るのを
見て聴いて感じとる、贅沢な時間でした。

人の語る、問い・返すという一連の
その場にいることは
実に多くのものを受け取ります。

エニアグラムを学んで数年経ち、
知識も、文字にならない何かも
ずいぶん得てきたつもりで

でも毎回、リアルに、人から
あるいは、やりとりのなかでおきることには
新鮮な驚きがあります。

わかりたい、がすれ違います。
わかっている、がすれ違います。

同じ「言葉」でも、その伝わる少なさを
同じ「雰囲気」でも、そのわけのわからなさを
各タイプのことを「対象」と思うと
もどかしく思うこともあります。

でも、今日は
「知っていない・わかっていない」
ということの自由を感じました。

知りたい、と思えば、心奪われる。
知っている、と思えば、苦しい。
でも
「知っていない」「わかっていない」
それは可能性でもあって
そこからいつでも始められます。

自分のいままでだと
意外なもの、理不尽に思うこと
突然の感情の爆発、急に詰められる距離
いろんなものに動揺してきました
おそらくそれは今後もあるのでしょう。

知ることで・わかることで安心してきた
けど
知っていない・わかっていない 
それは自由。

今おきていることが、そのままで、
わかっていないから、問うし、こたえようとする。
「わかった」は
直後から「わかっていない」になる
瞬間の問い、こたえから次々わきあがる
その自由!

知っていない・わかっていないから
ことばやかたちにすることをあきらめられない
その重なりを「創造」というのかもしれません。

ひとつ、なにかをかたちにして、
なにか「象徴的」なものになっても
それが検証されたり、否定されても
また新しいものが生まれるからいい。
そこに、人の存在があるかぎり、です。

長くなりました。

層をぬけて

おはようございます。

最近読んだ本から。
ゲシュタルトセラピー関連だったけど
NLP(神経言語プログラミング)に詳しい人も書いてた。

人には
ご挨拶の層(おはようございます、いい天気ですね、など交わす)
役割の層(私は会社員で、主婦で、こんな仕事しています、など。
私って○○なんです、そうですか、を交わす)
とあって、
お互いだいたいこの層をまとって生活してる。

で、その奥に「死の層」があって
役割も取っぱらったところで一緒にいると
居心地がわるい、というか
「なんだかあなたのこといけ好かない」とか
逆に
「あなたのこと、気になる、好き」
というところに直面する。

その奥に、自分、相手の「核」がある、と。
そこまでいけると、自分自身に深くつながることができる、と。

ゲシュタルトセラピーは、
その「死の層」
の通り抜けたところに触れる、というので。

この話を読んだときの感覚を、
私は、ぞわぞわした感じで味わっています。

日頃、役割の層が相当厚くて
いろいろ手を出しては、
役割の層をさらに厚くしてんじゃないか、と
自分で思ってしまうからで


率直さ
をこころがけて
層をぬけていくように


かろやかに、うすくなりたい。
と願っています。


暑さより、
どうも湿度の高さと気温の変化と闘ってますが

今日も皆さま、おすこやかに。

会わない人

おはようございます。

ふと
そういえばこんなとき、どうしたんだっけ?

6年くらい前のことを思い出して

ずいぶん離れたような気がする
うまく、近く、思い出せない。

もう会わない人に
いつかひっかかったらどうだろう
と、
私はいまも網を投げているように思います。

かたちのずいぶん変わったように思える
そのころの思いの今を
こんな感じだけど、どうしていますか、と。

もう、たくさんの感情はなくて
網を投げるだけになっていても
はからずも、受け取ったギフトを胸に
会わない人の、すこやかさを祈ります。

もちろん、つながっている、大切な人たちにも
今日も皆さま、おすこやかに。

肉体はなくても

おはようございます。

何から書こうかと思うくらい、
いろんなことを見聞きしたり、
思ったりしています。

二回ほど講演をきいただけで
あとは周囲のかたの話をきくばかり
そんな方の、追悼イベントによらせてもらい

肉体がどうあれ
存在は関わってきた人たちの、こころや記憶にあるんだ
言霊って、あるんだ

と思うこの頃です。

今は、書籍を通じて、その方をしのぶのですが
しのぶ、という語感を超えて
リアルに迫る言葉の数々です。

伝えようとすることは伝わるし
存在そのものと、
言葉と
あらゆる何かを
受け取っては流していきたいです。

あつっ。

今日も皆さま、おすこやかに。

めがねをはずす

おはようございます。

めがねをはずす。

色眼鏡でみる、というのが
偏見、の比喩であるとして
めがねをはずす、を
そのままみる、という比喩であってもいいのですが、

もう少し物理的な話です。

私の視力は裸眼だと0.1にはるか及ばず、
日常、眼鏡は欠かせない
と思ってきました。
目の衰えとともに変動する視力、
それを矯正するのに、やや疲れ

友人の勧めで読んだ本に
「裸眼で過ごす」ことを奨励する章があり
自宅、慣れた通勤時
ふと、眼鏡をはずしてみました。

形の輪郭、「それが何であるか」の細かな情報はわからないけれど
色はそのままつたわってきて
視野だけはぐっと広がるのでした。

特に夜道は
全ての、光という光が、
花火のように美しいのです。


誰かの話をきくとき
表情を読みとろうとか
情報を多くして、自分の想像と区別がつかない混乱があったのですが

眼鏡を外すと
相手の表情ではなく、存在そのものを
目は私につたえてくれます。
声の感じ、エネルギー。
伝わってくるもので、充分な感覚です。


めがねをはずす

比喩的なようで物理的な、最近のお気に入りです。


今日も一日、新しい。
どうぞ皆さま、おすこやかに。

毎日、新しい

おはようございます。

唐突ですが

古い上着よ、さようなら
悲しい夢よ、さようなら
(「青い山脈」より)

「さようなら」ということばが
「それならば」という意味の
可能性を含むものだとして

この一節を
未来のためでなく、
今の、この瞬間の、自分のために歌います。

今、この瞬間の、新しいことを祝して。


今日も皆さま、おすこやかに。

小さく飛ぶのも、思いきり飛ぶのも

飛べたらどちらでもよい、でしょう。


おはようございます。

これはやろう!と約束したことの
できなかった、なぜか安堵感
これはできた、わずかな言い訳
100%ではないまでも、5%をどうみるか。

やらなきゃ
と思って、いつもと違う話をしたりする
できない
と思って、いつもの役割に戻る
やらなかった
という、安堵感と後悔を自覚し
これだけはできた、小さな、自己満足を

また、今日につなげる。

前も一回書いたけど
自分との約束がけっこう難しくて
でも、難しくしてるのも自分だし、
こうして書いていることが
自分、という「私のなかの別人格」を作って
そいつを裁いて、やった、わかった気になっている
慣れた言い訳で。

内心で、言い訳してるほうが楽。

小さくでも、思いきりよくでも
方法も気持ちも、「やる」の前には小さい。
「実際やっている」ことに注目して、
慣れたことだけでなく、やるように。
一歩ストレッチするように。


今日も皆さま、おすこやかに。

ひとつ、ひとつ、動かしながら続く

おはようございます。

仕事で
長らく停滞させていた課題を
7割くらいで前に進めることとして、
苦手なところは同僚に投げて
形にしたものを
職場の熟達者の意見をきいているところです。

7年前位に作った標準の形、
つかいづらく、いつの間にか廃れて
これまで、各部門の熟達者の工夫でやりくりしてきたものを
今回はその工夫のいいとこ取りをして
皆さんに使ってもらえるようにしたものです。

自分では、7年前の失敗をなんとなく気にしていて
今回、やっと前にすすめたこと、
熟達者の皆さんの知恵に感謝したいし、
自分も、あきらめないでよかったなと思います。

ただし。
昨日はそれだけでは終わらず。

昨日最後の、マネージャーとのミーティングでは
今回の案は
今までの案件には概ね対応できるけど
これから始まる案件には、もうひと工夫必要だ、とわかり
さらに、別の課題もきかせてもらい

イヤハヤ
「これから始まる案件」のための改善だったこともあり
まだまだだなぁ。

でも。
また、打破していこうと思います。
何か、いい案があるはず。

7割で、動かしながら。


暑いけど、ラジオ体操は欠かしません。

今日も皆さま、おすこやかに。

いつも以上に身体を整える

おはようございます。

昨日はびっくりするようなにわか雨が
一時間以上は続き
もはや、にわか雨とは呼ばないか。

気候の厳しいときは
身体が思いがけず、身構えますね。
気をつけていても、つかれやすいです。

あったかいものをとって
適度に汗をかき、適度に冷房をつけ
身体を緩める服装で
ストレッチや軽い体操で身体をほぐして
のびやかな感覚を取り戻しています。

それでも。
いくら部屋のなかにいても
あれだけの雷鳴とどろく中にいると
脳の、身体の、いつもと違うところを
叩かれ続けるような感覚で
なんとなく、仕事にならなかったなぁ。

張り切っちゃう人も、いるのかな?
人それぞれかもしれませんね。

いつもと違う感覚になったときは
いつもよりすこし、ゆっくり身体を整えて

呼吸もゆっくりして

錨(いかり)のように
そういう動作の一連を、もっておくと
いいかもしれません。

あつくなりたての、慣れない身体の頃は
けっこうしんどいものだそうで

どうぞみなさま、おすこやかに。

大切なことを身近な人に伝える

おはようございます。
お暑うございます。

少しご無沙汰しておりました。

このようなところで文章を書いたり
SNSで何らかの考えを書くのは
むしろ好きなほうですが

職場では、雑談などは苦手な
仕事してるほうがいい
むしろそうさせておいてください
という

ライフワークと思っている
探求のエニアグラムの話も
なんとなく、きっかけをつかめず
話す機会も作らず
よけい、ハードルを高くしているところがあります。

自分の大切にしていることが
特に身近な職務や役割と
そんなに結びついてないなぁ
と思うときほど
大切なことを後回しにしがちです。
私だけ、わかっていればいいか。的に。

でも、それは、
自分にとっても風通しのよくない
腐りやすい原因にもなるように思います。

どこでも、水を得た魚、のごとく
流れに任せるような、流れを作るような
そうあるには
やはり
自分のまわりからなので

水に晒すように
身近な他人に晒すことかな、と。

今日、身近な関係で
自分の大切にしていることを
何か話題に出せたら、
自分をほめてやろうかと。

果物酢でドリンクを作ってマイボトル。
せめてもの備えです。

どうか皆さま、おすこやかに。

どちらでもいいものならまずは動いてみる

おはようございます。

昨日
「三年後、五年後、なにをしたいですか」
の勤務先の問いに

(これは、社内キャリア開発の取り組みのひとつです)

「あと三年以内で今の仕事をこういう形にしたら、
なるべく早いうちに、消費者を顧客とする営業職につきたい」
と書いた、と書きました。

これは長い職歴で、初めて書く希望です。

これまでは
情報システム部門で専門的な、監査や標準化の仕事をしたい、とか
キャリアカウンセリングをしたい、とか
個人の過渡期を支える仕事がしたい、とか
そういうことを書いてきました。

いまでも
個人の過渡期を支えたい
あるいは
個人がお互いと自分を尊重し、探求し、すこやかでいられる場をつくりたい
という思いは、かわりません。

でも、それを
今、自分のできることで、やっていき、
他人にも認知してもらえて
はじめて、それは「職務」というか
「では、この人にやってもらおう」になるのでは
と考えるようになりました。

それと、
このまま今の組織で「個人の過渡期」を支えたいなら
私自身が、職歴の上で「過渡期」を経験する
いままでやったことはないけど
多くの人と触れる、話す、サービスを利用していただく
それを踏まえたなら、
違う視点で見えてくるものがあるのでは。

まずは私が、過渡期をどう迎えるか
実践すればいいのではないか

と思ったわけです。


書いたあと、居心地のわるさを感じるのは
他の理由もいくつもあって

人にいわれる前に自分で希望したってことにしたい、とか
(50歳超えて現場へ、という異動は増えている)
こういう希望を出す意外性をみせたい、とか
今の仕事を専任職として定着させる展望が見いだせない、
「こんないいことがあるよ!」と積極的に後任を求められない
(この数年、自分の就いた仕事は、後任がつかず、立ち消えてきたという思い込みもある)
とか

こういう、やや後ろ向きな動機もあるし

やりたいことやるのに、今の組織じゃなくてもいい

という考えもあります。

でも、
多くの人に触れる、会う、聴く、伝える機会を
いずれにしても、もちたい
という思いは、今はたしかにあるので
多少居心地わるくても、えいっ と出しました。


上司は驚きながら、ちゃんと受け止めてくれました。
で、
書いた後は、ふらつきが定まって、元気になりました。

今回思いついたことの背景に、
いろんな動機はあるけれど
それを全部見よう。
でてくる思い込みは、探求しよう、
そう思いました。

どんな仕事をしたいですか

何か遠い将来を、思い込みで想定するのでなく
今、何ができそうですか、
今、何を大事にしたいですか
を問うことだと思います。
その目線を、これまでの自分の来た道に向け
ふりかえりながら探ること。


で、やってみることだと。
動機にどのみち複数あるのなら
やってからわかることがあるんだ、と。

長くなりました。

今日も皆さま、おすこやかに。

三年後、五年後

おはようございます。

将来なにしたいですか。
三年後、五年後。

最近、偶然にも様々なところで
似たような問いにあい
夏休みの宿題のように
頭の端っこにおいて、うなっていました。
そのひとつには、
昨日、レポートを書きました。
職場で、今後の仕事、なにしたいですか。

今の仕事をかれこれの状態にしたあと
営業にいかせてください、と書きました。

理由はあるんだけど
書いたあとでも100%はしっくりこない。

今いるところで
望む状態に近づきたいとか、
まったく別の場で、とか
拮抗していたり

正直、五年後の見当をつけられない。

元気で前向きにはかわりないが、ちょっと居心地悪い感じです。

今日も皆さま、おすこやかに。

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