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講演会「陸前高田、大槌からの贈り物」に参加して

こんにちは。

昨日、
陸前高田市長 戸羽太さん、
大槌町 鍼灸師 佐々木賀奈子さんの講演を伺いました。

戸羽さんは、クリアに、ときに熱く、
陸前高田の現在と将来について語っておられました。
就任翌月の震災と津波、伴侶を亡くされた絶望。
手続きの壁、それを打破できない国の行政と政治に復興の速度を奪われながら、
それでも
「すべてをなくしたこの地に、いままで以上の、
ノーマライゼーションという言葉のいらないまちをつくりたい」
「一人でやろうと思わない、というかできない。
全国の友達から力を集めたい」
という言葉は響きました。

佐々木賀奈子さんの、津波、その後の避難所での体験談。
ご自身被災しながら、鍼灸師として、
目の前の人たちをどこまでもケアしてきたこと、
避難所でこの先どうしたらいいだろうと涙する高校生に、
将来をあきらめるな、手段はあると語り続けたこと。
「経験を語り、教訓を残すことが私にできること。
関東で大きな災害があったら、疎開・避難先として大槌にきてください」
という言葉にも打たれました。

陸前高田、大槌、それぞれ行政のスタンスも状況も違い、
実はひとくくりに「被災地」とはいえないのだと実感しました。
高齢化、過疎化、産業の空洞化、など震災前にもあり、
そして今日本のどの地域にもある課題を、
震災はのっぴきならないくらい直面させたのだと思いました。
誰かがいったことばを借りれば、
陸前高田や大槌の状況は
「日本の、アジアの、ヨーロッパの、最先端」なのだと。

そこで何ができるか。
支援する、されるという関係ではなく、同じ課題を持つどうし、
もっとハードルを低くした何か。
「何をしようか」と考えたり悩むことではなく
自分がまず身体ひとつもってって「自分にできること」をやる、
もっというと
「そこにいっしょにいる」ことではないか、と思いました。

旧態依然としたやりかたを超えて、経済をまわすやりかたは、
しくみとアイディア、案外、人力。
壁を崩す地道なコミュニケーション。
様々な人たちがこの現場で、新しい働き方をしています。
可能性を試されている私たちです。

長くなりました。
他にももっと書きたいけど、今日はここまでにします。

今日も皆さま、おすこやかに

こんにちは。

万年筆の話をします。

日頃、悪筆で、
自分の書いたメモを読めないこともある位なのを
3割増しに上手に整えてくれる、重宝な万年筆。
2001年に、他部署に異動になったときに
当時の同期に、餞別でいただきました。

すべての書き物をパソコンで済ませてきた私が
どうしても、の手書きの機会を厭わなくなり
ハガキや一筆箋に親しむようになったのは
この万年筆のおかげです。

仕事や日常生活というより
すこしあらたまった場面や
考えや気持ちを短くあらわすようなとき
日頃つかわない筋肉をつかうように
万年筆を使ってきました。


2004年に、今の部署に出戻り
仕事ではそれなりの紆余曲折で今に至ります。
送り出してくれた同期は異動や退職で今はいません。

はじめての異動の不安や張りを、
その後も気にかけてくれた同期たちのことを
万年筆をみると思い出します。
仕事ではないところで、
ささやかに支えてくれた宝物です。


今日も皆さま、おすこやかに。

7割で次にいく

おはようございます。

つくづく、
手を動かしてはじめて考えられる…

一ヶ月ほど、
あーでも、こーでも、といっていた課題を
試作品をまがりなりにも完成させ
これでいけるかも
ここからはもうわからん!
でもここまではできた
という、
およそ7割の出来で、会議を通し

わからん!部分を同僚にふり、
明確な意志をもって語り
じゃ、他メンバーとの日程調整…
という、次のステップにいくことに。

意志を持つと、進む。
手を動かすと、考えられる。

で、体験で学び、知識で補足する、と。

今日も皆さま、おすこやかに。

約30年ぶりの道で

おはようございます。

週末、友人宅を訪ねて、約30年ぶりに歩いた道。
念のため、地図をみながらゆきました。
最初、記憶とは、様子が違っていてとまどったけど
「坂上がって左」とか、
そういう記憶は、友人たちにもあるのですね。
小さな旅をするように、賑やかに歩きました。

記憶は、
動きのシブい引き出しのなかにあって
うまく出てこない、あるいは
何かのきっかけに突然出てきて溢れる

記憶は減る、なくなるんじゃなくて
出方や整理のしかたに不都合がでる、
ときいたことがあります。

記憶がとぶ、とか、出てこない、とか、
突然記憶が時空を超える、とか、
日常で起きて、怖いことがあります。
思い出して、楽しい記憶ならいいけれど。

ただ、何十年たっても、道はそこにあり、
一人のかけがえのなさはかわらないように思います。

成長する、年齢を経る、
それは、よくもわるくもなくて
どうあれ大切な人たちがそこにいるだけです。
自分もふくめて。

今日も皆さま、おすこやかに。

ともなっていかない

おはようございます。

こうなったらいいのに
という願望とイメージがあるのに
こうすればできる
が描けない
あちらをたてれば、こちらがたたない。

仕事の、とある領域で
1ヶ月ほど、こんなふうに行き詰まっているのに
ほかのことではやたら元気

元気なのは、見てみぬふりで、やり過ごすから。
実はそうやって、しのいできたし、今もそう。

そんな、たいしたことじゃない。
夜凹んでいても
朝は忘れてしまう。
繰り返す。

アタマを「タイヘンだ」で、いっぱいにしないで
実際的、今日の第一歩を。

今日も皆さま、おすこやかに。

チャラにしたい衝動

おはようございます。

唐突ですが、
最近
「この職歴と業務知識を一度チャラにしたい」
という衝動があり

「今やっていることと関係ない
今までやったことのない
今までは考えてもいなかった
でも必要だと思う職種につきたい」

と、思うようになり

衝動なのか、熟慮なのか、
落ち着いて考えようって。

営業とか、販売とか
小売業に勤めていながら経験がない。
そのことは、人生の不足なんじゃないか。
って、思いはじめて止まりません。

今日はここまで。

今日も皆さま、おすこやかに。

エネルギーにエネルギーをかけない

おはようございます。

電車のなかでは
首に巻く布は欠かせません。
この時期つらいのは首の冷えです。
こんなに冷やさなくてもよさそうなもの。

親子連れの集団で、たまに、
音も動きも大きいのは、実は親のほう、
だったりします。

暑さを、こえよう、
子どもを、おさえよう、
起きる、エネルギーの肥大。

でも、いいんだ。
かわしても、いなしても、
いくつかは、受け止める。
わたしはわたし、あなたはあなた。

暑さには、あったかいお茶もいいんだよね。
今日も皆さま、おすこやかに。

うたごころ 2011 を見る

こんにちは。

友達から紹介されて以来、ずっと見たかった
ドキュメンタリー映画
「うたごころ2001」
自主上映映画なので、行けるタイミングをねらっていました。
茅ヶ崎のイベントでの上映でした。

http://utagokoro.info/

2011年5月。
支援にむかったボーカリストたちが出会った
宮城県南三陸町で被災した高校生とその家族。
2011年夏。
彼女の所属する高校合唱部の、在学中最後のステージ。

そこで起きていることが、淡々と、映像と音で流れていきます。
そこで起きたことと、今も続くことは、あらためて想像を絶し
そこで話している人たちの、語る声と表情の普通さから
未曾有の体験をくぐった人の持つ強靱さをうけとりました。

あたりまえかもしれないけれど、人には
突き抜ける強さも、関わり合わない弱さもある。
圧倒的なつらさと一緒にいられる強さも、遠まきにする弱さもある。
両方同時にそこにある、ということを
映画からうけとりました。

映画のあと、監督の榛葉 健(しば たけし)さんは
ドキュメンタリーのよく使う
「音楽」「紙芝居のような字幕」「解説」を入れなかったことで
わかりづらかったかもしれませんが、と言っていました。

そんなことはなかった。
この映画は「わかりやすかった」。
それは、主人公の高校生のことばによるものだと私は思います。

14歳のとき
再婚した母親から呼ばれて、南三陸町にきた彼女は
日本語は片言の母親と、新しい日本人の父親をことばでつなぎ
関わる人たちとまっすぐに話し、悲しむ人の手に触れます。
「相手に伝える」という際に、一片の甘えもないその日本語に
彼女の真摯な努力を思い、私はいちばん打たれました。

そこに起きていることをありのままに見る。
そこに居る。遠ざけない。
対象や、環境が、どうあれ
そこで自分にできるベストをつくす。

そのことを映画から私は受け取りました。

「うたごころ」は監督の、業務外の活動であり、
撮影はまだ続いています。
「うたごころ2012」はすでに各地で上映が始まっており
引き続き、見たいと思います。

そして私は「2011」ももっと上映される必要がある、と思います。
それは、原点だから。
家をはじめ物的な財産と、地縁と、人によっては家族を失った
その圧倒的事実が、映像にはあるからです。

何度も何度も、映像で伝える機会があればと思います。


今日も皆さま、おすこやかに。

茅ヶ崎にて

海に近い場所は
風がうまく抜けて、気持ちがいいです。

茅ヶ崎は、断然、南口ですね。
こんな、ちょうどいい街と道、なかなかない。

引っ越したばかりの友人にダメモトで連絡とったら
会いに来てくれました。
久しぶりに会えて、嬉しかった。

面と向かってあえるのは
情報量も質感も伴っていて
ありがたいことです。
存在感を感じつつ
伝えたいことをちゃんと言えます。

お互い、真剣に、生きる。
そういうことをわけあった気がします。

会いたい人には会う。
見たいものは見る。
シンプルだけど、私には大切です。
その場にいって、わかることがあります。

茅ヶ崎では、
映画「うたごころ【2011】」をみました
この話は次に。

おやすみなさい、また明日。

パターンで流さず、願いを見つめる、行動を考える

おはようございます。

朝、始めた「テレビ体操」。
身体の可動域と呼吸をしっかり意識して
気持ちよく汗をかいたあとに

何を思ったか、ミニ缶のコーラを飲んで
しゅっ、と身体を冷やしてしまいました。
手足の先の冷たさに、後悔しきり。

ひとつひとつの行いには
そのきっかけに、どうあれ、願いの種がある。
初心か、そうか。

身体を整えて、すこやかでいたい。
そんな、粒のような、願いから始めたことを次の行動で
その願いの先を打ち消してしまう。
もったいないことです。


いま、
以前からの、こうしたい、ああしたいというあなたの願いは
じゃ、いまはどうなの?と、
組織から問われていて

同じことを書くのに気が引けて
わたしの願いを実現させるために
じゃ、わたしは何をしたの?って
何も具現化していないこと、残念で

毎日のことに、型にハマったやり方に
埋没して
どうやって仕事を拓いていこう、とか
誰を巻き込んでいこう、とか
こんなことがんばろう、とか
いろいろ正直、停滞している感じで。

…あ、こんな感じ。
この、コツッて壁、な感じについて
誰かのそれをひたすらきいて、その場にいたい
というのが私のやりたいことで
ユニークさとか、多様性とか
発見できる時間や機会をつくりたい。

じゃ、実際、それは
いまの自分に対してやるとしたら、どうなんだ?
これから、何のために、どうしたら?

小さな願いの、粒のような、種を
慣れたパターンでごまかさず、打ち消さず
ちゃんと見る。
ないか、あるか、どうしたいか、何が価値か。
よくみて考えてみる。

人のことじゃなくて
何かのことじゃなくて
自分のこと。

今日も皆さま、おすこやかに。

記憶の藪を自らはらう勇気

おはようございます。
やや、ご無沙汰しておりました。

唐突ですが
暮らしてきた歴史のなかでは
この人間関係は許せなかったとか
キツい思い出しかないとか
あると思うですよ。
私も、もちろんある、
で、極力、近寄らないようにしてるつもり。

でも、
「イヤだったな」という、
意識のしかたや、近寄りかたは
しているわけですよね。

もう忘れているな、という頃に
シブかった箪笥の引き出しの突然開くように
メールアドレスとか
記憶のはしっことか
でてくる。

これで、心身痛めている人は
どうか無理しないでほしいのですけれど。

最近、
自分自身の、なにかそういう「イヤさ」「キツさ」を、
手で払うがごとく、記憶の藪から現れてきて、
今のわたしに近づいてくれる友人たちがいて
こころから感謝しています。

その人の人生と、わたしの人生の交差するのを
あらためてありがたく思います。

わたし自身にも
その勇気なり、溶解がありますように。

今日も皆さま、おすこやかに。

メモ的に)私はエニアグラムを通じて何をお伝えしたいか

こんばんは。

メモ的に記します。

-私はエニアグラムを通じて何を伝えたいか-

私たちは
・今何をしていても
 (それがかつて想像していたことと違っていても)
・周囲がどんなに変わっても
 (それが自分にとってまったく想定外であっても)

(1)自分自身に
 ・とてもたくさんの側面、多様性 

 ・これは大切だと、こころの底から感じること
 「こころの根っこ」
があって

(2)周りの人たちにも、それぞれの「それ」(1)があって

(3)わたしとあなたの「それ」(1)は「変化しうる」

わたしとあなたの (1)から(3)について
つねに探求(興味をもって発見)し、お互いを認めあえれば、
私たちは、おちついていられますし、こころから喜びを感じられます。

ときに、こころの根っこ のあるがゆえに
その根っこにこだわって、あるいは
その根っこを信頼できなくて
苦しむこともあります。
でも、私たちは、その苦しみに翻弄されないで
ただ「見る」ことができます。

エニアグラムは上記のことに大きく貢献します。
私は、エニアグラムを知ったことでその恩恵を受けています。

あなたにとってそれは、エニアグラムからでなくても
すでに受け取っているものかもしれません。
あなたの、既に持っているちからで、受け取れるものだから。

ただ、私は、自分もふくめ、全力で
ひとりひとりかけがえのない、連続していて、変化しうる存在だと
そのように自分を知り、他人を知ることで、
いつでもいきいきと、あらゆる場で、新鮮に過ごせるのだと
そのことを「エニアグラムを通して」伝えたいのです。

・・・上記に至る「なぜ?」「具体的には?」を、
もうすこし具体的にするところです。

おやすみなさい、また明日。

さきの○○歳など、あてにはならない

こんばんは。

朝ドラをくいいるように見る、私の感情移入先は
同じ年で高校生の母親役の彼女以上に、
高校生の主役の彼女の
前のめりな片思いです。

そんな48歳を、
おそらく18歳のときの私は想像もしませんでした。
そんな48歳を、許容しなかったかもしれません。

自分の親や、親の世代の人たちの
愛しさや激しさ、どうしようもない引力など
みっともないとか、ありえないとか
思っていたかもしれません。

ひと一人の人生は、連続していて、かつ変化します。
わかいときに想像していた○○歳の像など
少しもあてになりません。
それは最近とくに実感します。

年齢も性別も関係なく
そこに、確かにある引力、
表現しようのないタイミング、
その人自身に訪れる、受け取る、つかみ取る変化は
予想も評価もできません。

もちろん、予想も、評価も、しがちでしょう。
それでも、
○○歳のワクにはまらない
それぞれ、かけがえのない私たちです。
それだけつかまえて
今日と明日をいきてゆきたいと思うこの頃です。

おやすみなさい、また明日。

朗読劇の魅力 -アローンシアター「センセイの鞄」-

こんにちは。

2013年6月1日に、朗読劇を見てきました。
アローンシアター 「センセイの鞄」

女優 谷英美さんの
恩師の灰地順さんとともに拡げていく世界に
目の離せない豊かな時間でした。

朗読劇というと、「音とことば」なのかな
と思っていたのですが、さにあらず。

俳優おふたりは、動きとしては
そこに座っている、いわば「静」なのですが、
その目線、声の震えやハリの感じ、間(ま)
全身すべてがそこに使われているのでした。

空のいろ、鮎の骨の細さと柔さ、夕暮れと闇の優しさ。
互いの距離感の繊細さ、かわいらしさとなまめかしさ。
確かにそこにあって、うそのつけない切なさ。

見ている側は
五感と、自分の内面
すべてを動かして、その場にいるような感覚でした。
朗読劇、おそるべし、でした。

女優、谷英美さんは私の同級生です。
高校のときに女優の道へ。
彼女の出た映画を、ドキドキしながら友達と見に行きました。

そのころから数十年経ち。

彼女は金子みすずをこよなく愛し、
自分の本当に伝えたい作品を
身心かけて読み、舞台でつたえ
その舞台を、福島や陸前高田でひらき
そしていつか沖縄で、と語る女優になっていました。
アローンシアターのブログ 「みすゞ色の徒然」
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~apro/bin/emi_blog/diary.cgi


そのころの友達と、
わたしたちの、数十年経った、なまみ。
わたしたちの、数十年経った、こころ。
それぞれをゆらしてそこにいられたことを
喜びに思いました。

おやすみなさい、また明日。

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