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報道の意義

こんばんは。

最近はWebサイトやSNSから情報を得ることも多いし
マスコミの報道に疑問や不信を持つこともあります。

それでも、淡々と事実をつたえ
それでいて、必要十分に対象にスポットをあてた番組は
見てよかったと思います。

特に、東日本大震災関連の報道は
そこに、報道する人の、こころの糸のようなものが入ると
ずいぶん違ったものになるように思います。

もちろん、スポットを当てた対象の人たちの
他にたとえようのない経験や思い、湧き出るものの力はあります。

それをうけとめ、映像と音、
おそらく表情と肉声をのせる、その切り取り方ひとつで
ずいぶん変わるのではと思います。
感受性と、表現技術と、時間。

報道を受け取る私自身も、その器でいたいです。
その場に、実際行って、見る。
または想像力を行き渡らせたいです。

被災地の復興は
どこか遠いところのできごとではないです。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

その場でつかむもの

こんばんは。

職場で課題があって
いつもと違う時間帯で打ち合せ開いて
上司や同僚としっかり話をする機会を持ちました。

それまでの経緯というか
無理な責任感や、逆にちょっとナナメにみる感じを
いったん置いて、
間を持って、みてみると

お互いに
「どうにかしなくちゃ」という
やや呼吸の浅い「案」の奥に、
こうあったらいいのに、のあることはわかりました。

何より、私自身、
「いつもこうなんだから」とか
「わかってないんだから」とか
そう思っていることに気づくだけでも
少し呼吸を深くすることができました。

それまでの背景は
わかっていたほうがいいときも
かえってそれで邪魔になることもあるのだと
今日は思いました。

お互いに踏み込むタイミングや
そこで把握しあう何かは、
おそらく、その場でつかむもの、です。

前提調査も練習も、もちろんあっていいのだけれど
その場でつかむ感受性や
その奥を確かめる率直さは
磨いておきたい、今日この頃です。

伝わったかどうかはともかく
「これは○○さんにいちばん大変なところを引き受けてもらっています
よろしくお願いします」
とは言えました。
それは実感でもありました。

先に相手に荷を下ろしてもらえる、空間と時間を空ける。
自分の、深呼吸で。

まだまだ修行です。

今日も皆さま、おすこやかに。

喜んでもらえたら、それだけで

こんにちは。

あちこちで、人のあう機会をつくったり
会いに行ったり、関係をつないだり

それは、自分にも、他人にも
あらためて会い直す機会だと思っています。

たとえば昔の友達とは
昔の話に花を咲かせているようにみえて
「今の」お互いの興味深い部分や
活力溢れるところに、触れているように思います。

あるいはどういう場であれ
楽しい話ばかりではなくても
全力で励ましてくれたり
肯定や支えを受け取ることがあります。

もっといえば
「関心をもってきいて(みて)くれている」と感じるだけでも
楽になるように思います。

リアルでもバーチャルでも
そこで何か、気持ちがゆるやかになったり
喜んでもらえたら、それだけで嬉しいです。

どんなつながりであれ
それを広げるなり、深めるなり、できることをしようとする
その動機は、
私もふくめて、関わった人のゆるやかさ、すこやかさを
拓きたいということに尽きます。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

エニアグラムのワークショップ

おはようございます。

昨日、エニアグラムのワークショップを開きました。
意欲的に参加くださる方々に支えられて
場を開けることをありがたく思います。

自分自身にダメ出しや無理強いをせず
その可能性をひらけるように。
こんな面も、あんな面もある、変わり続ける、唯一無二の多様性を
「わたし」自身の歴史、現在から発見できて、
今とこれからのちからになれば。

エニアグラムをお伝えすることであったり
いろんな場をひらくことであったり、の
そこは私の願いです。

今日も皆さま、おすこやかに。

老いることにつながる

こんにちは。

最近、視力のおちたのをきっかけに
自分の老いることに、
明確に目を向けるようになりました。

いまでも少しずつ、
そうかな、そうかも、と思っていたのですが

「いままでどおり」のやりかたではいかない感覚を
明確に認めています。

たとえば、
ノリのがんばりやふんばりを前提に
仕事の段取りを考えられなくなったり
きちんと睡眠をとることを何より優先して
つかれをとるようになったり

いつまでも若々しく生き生きとしている
年上の方々に刺激をうける一方で
その方々の、ハタには見せない節制なり努力を
想像するようにもなりました。

いままでの道のりにこだわる無理も
これからの道のりをナナメにみる無策も
どちらもしたくはないもの。

老いは、おそらく理屈ではなく、それそのもの。

「元気でいる」ことの質が
変わってみえるのです。
健康である、というか、すこやかであることは
身体やこころのありようを自分でまるごと認められること
と思うようになり

では、老いはそれをどうさまたげ
あるいは、促進するのか。

というとりとめのないことを思ったりします。

人の老いを(たとえば親など)思ったことはあったけれど
自分の老いに直面する感じは新しいです。

皆さま、どうぞ、おすこやかに。

私的SNS論考

こんにちは。

そんなに堅い話ではないのですが。

mixiやfacebookやTwitterなど
いくつかのSNSで、知り合いができたり、昔の友達とあったり
情報を得たり、楽しんでいます。

夢中になってしまうときもあるから
時間は考えなくちゃ。

私は
mixiとブログに、少し長めの文章を書かせてもらい
facebookは写真と多少短めのコメント、友達との会話。
mixiのつぶやきは、それこそ、ぼそ。っと。
Twitterは最近、情報収集。

この使い分けは人によって違っていて
たとえば最近お目にかかった人は
Twitterを「家族や友人の安否報告」に使ってるけど
facebookはいまいっぽ、とか

フィード(ツィート)をぜんぶ連動させてる人もいますね。

会話したい、発信したい、読みたい、知りたい
いろいろな動機がありますね。

私はちょっと心がけていることがあって、
なるべく
「それぞれのSNSで、自分の一定のリズムを保つ」ということです。
多すぎず
(いや、1日ひとつ、何か言うだけでも、多いと思う人は多い)
パッタリとは切らず。

それぞれの方々のペースは違うだろう、を前提に
また、変化するだろう、を前提に
それでも、自分はある程度、一定にする。
(もちろん無理はしない)

そのことで、末永くおつきあいができるよう
心がけているというか。

カラリとした文章や
根を深く掘るような文章や
とにかく、文字や写真でそれぞれの世界と会い直す感じを
大切にしたいと思っています。

論考、なんてものではなかったな。

今日も皆さま、おすこやかに。

目を休める

おはようございます。

健康診断にいったところ、
視力が相当落ちていて驚きました。
矯正後の視力が、落ちている。
これでは運転免許の更新ができない。
メガネを変えなくてはいけません。

最近、美容院でマッサージしてもらったときも
目につながっている筋肉だけ異様にコリがあったり。

思い当たるのは
モバイル(携帯端末)を
仕事の行き帰りに、電車の中で見ていること。
ほぼ、ずっと見ているのですが
動くもののなかで、細かい画面を見るのは
もう限界なのかなぁ・・・

スマホかタブレットにしようかなぁ
・・・の前に、使用制限ですな。
家でパソコンで見ればいいのだものね。

というわけで
目を休めることにしばらくつとめたいと思います。

気がつくとどこか力がはいっていたり
やりすぎていることはありませんか。

今日も皆さま、おすこやかに。

友達の日舞を見に行く

おはようございます。

おとといの土曜日、
昔からの友人の日舞を見に行きました。

小さい頃からお稽古に励み
若いときに名取になって
自分のライフスタイルの変化のなか
きちんと鍛錬を重ねてきたのでした。
本人の意志と、それを「折らない」工夫が
彼女をここまでにしてきたのだと思います。

演目は、歌舞伎・浄瑠璃での一場面を本格的に表現したもので
清楚な姫様が、相手を強く思い、
己の化身に驚きつつ、それくらい何のその、と
精霊に力を借り、武士を振り払って、思いを遂げるという
情のこもったもので

それを、あくまで美しく、所作のひとつひとつから湧き出るように
舞台に世界は広がっていくのでした。
鍛錬は、はからずもそこに、
形となって現れるものだと思いました。

胸をついたのは、
彼女自身の発した、途中の台詞でした。
彼女のふだんの声ではないのだけど、
声色の、もっと奥の、音の根元のほうに
彼女の芯のようなものを感じました。
これは貴重な体験でした。

「今日を元気に迎えられてよかった」と
終わったあと彼女は言っていました。

私たちは望む望まぬにかかわらず
年月を重ねます。
ただ、そこでしか見られない、
だからこそ見られるものが、
年月を経ることで、必ずあるのだと思います。

そのゆたかさを、多くのひとと、
今後もわけあえたらと思います。

今日も皆さま、おすこやかに。

日常にて、あらためて問う

おはようございます。

お遍路から戻り、ふだんの生活です。
朝起きて、お弁当つくり、仕事いき、仕事から帰り、寝る。
合間に友達に連絡とったり。

電車が絶え間なく来て
家が隙間なく立っている
そういうのも、普通になりました。

お遍路いく直前には
予定が時間単位になっていると
その予定ごとに自分を分割しているような
そのときそのときの顔やスタイルに
なっていたような気がしてたのですが、

今は
ぶつ切れにしないで
ひとつのつながった時間と身体になっている
それはありがたいことです。

それって、楽しいか。
それって、嬉しいか。
それって、スムーズか。
それって、こころからつながれるか。
それって、わたしもあなたも、すこやかでいられるか。

そんな問いを、
仕事であれ、なんであれ、
これからもかけていきます。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

境目の薄れるような

境目の薄れるような
おはようございます。

歩き遍路で一日中、人里や自然のなかを歩き
ひらけた場所から水平線をみるとき

深い林の、濃い緑のなかにいるとき

それらは何をも分けず
そこにいる・あると感じます。

自然と人、海と空。
それらはつながっていて、分かれておらず

境目の薄れていく感覚、
それは最初少し怖くもあり
そのうちなじんでここちよいものです。

今日も一日、皆さまおすこやかに。

人生の時間軸は多様で、その人に唯一であること

おはようございます。

今回のお遍路で出会った方のプロフィールをご紹介したく。

定年退職後のボランティアでなぜか頼られ
忙しいなかなんとかやりくりして
今年じゅうに八十八箇所まわろうともくろむ人。

定年退職後に歩き遍路をはじめて
今年は古寿で、今回7周目!の人。

初めて歩いたのは7年前、
やっと隙間をぬって予定を空けたという御年72歳、
再来年は改選だから来年からまた難しいかも、という市会議員さん。

喜寿の記念に始めて、
絵手紙やスケッチ描きながら歩き
趣味の絵を退職後に本格的に取り組んで
人にあげては喜ばれている人。

他にも、いろいろ。

48歳手前で、お遍路にいく自分は
なんだか生き急いでいるのではないか
と思うくらいです。

お身内やご友人を亡くされた方もいて
道の途中で、亡くなった方と話をしているようだ
とおっしゃる方もいました。

お遍路にでると
人生の時間軸は本当に多様であり、
その人唯一のものと感じます。
その人に一番ぴったりの、そのように進む
大切な軸があるように思います。

歩いていても。
歩かなくても。

皆さま、今日も一日、おすこやかに。

会う人は皆お大師さま

会う人は皆お大師さま
会う人は皆お大師さま
会う人は皆お大師さま
という札を、古い遍路道でみかけました。

お遍路さんのいく、きつい山道には、
木の枝に何か言葉の書いた札がかかっています。

いいこというなぁ!
と思って通り過ぎて
お札が続いて忘れてしまうのが難点。

今回はでも、これだけは
なんとなく覚えていて、

このお札をみかけたちょっと前に
偶然お目にかかった方と
(その方が道を間違ってなければお目にかかることはなかった)
そのまま3日間、一緒に歩かせてもらい

一人だとちょっと怖かったかもしれない
雨の古い隧道、
長いトンネル(私はやや閉所が苦手)、
昼ご飯もご馳走になったり、
実に興味深い道のりでした。

他にも
道の途中で出会った方が調べてくれて
思いがけず、あきらめていた四万十川の渡し船に乗れたり
潮騒の静かな里の道を歩けたり

今日はお寺で3日間歩いた方と再開でき
足摺岬を観光できて
浜で波と海と岩と水平線を見続けることができ
足湯にも浸かれ

夜は夜で
喜寿の記念に遍路を始めた(!)方の
お話をじっくり伺えた上に、
絵手紙をいただくお約束までして
(お遍路しながら絵手紙を描けるのである!)

これが
「会う人皆お大師(弘法大師)様」
でなくて、なんであろう?

そして、
もっと書き足りないくらい興味深い方たちに
その都度出会い、お話を伺う旅でした。

まだ明日があります。
明日、無事に帰ります。

5月8日から5月13日まで
四国遍路でした。

今日も皆さま、おすこやかに。

お遍路いってきます

こんばんは。

これから深夜バスで高知へ。
明朝から足摺岬を目指して歩き遍路に出ます。

特別でも、日常でもあるような数日間を味わってきます。

ネット関連、しばらく留守にします。
皆さま、どうぞおすこやかに。

誰かへの期待を自分にむける

おはようございます。

唐突ですが

誰かに不満をかかえるとき
私にはそこに期待があります。
それに気づかせてもらえるのは幸いです。

なぜなら
相手への不満のままであれば、相手のせいにして
自分の課題に気づかず、誰かに預けてるということ
つまり、自分を生きられないからです。

私は誰に何を期待しているか。
答えか、賞賛か、承認か、協力か、
本音か、親愛か、信頼か、率直さか。
そのどれも、私は期待し
そのどれも、誰からもらっても正直嬉しいけど
そのどれも、その誰かから無理にもらうことはできない。

私は、自分に対してこそ、それを手渡したいと思います。

他人に対する思いは、自分への思いです。
それは、自分ひとりでなんとかする、という閉じたあり方ではなく
まずは、自分をありのままみる、やわらかいあり方です。

今日も皆さま、おすこやかに

ゲシュタルトの祈り

おはようございます。

他にも好きな訳もあるのですが、
本日は、訳者の方に敬意と祈りをこめて、
こちらの訳を引用致ます。


ゲシュタルトの祈り

わたしはわたし。あなたはあなた。
わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。
わたしはあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけではない。
そして、あなたはわたしの期待に応えるためにこの世に生きているわけではない。
あなたはあなた。わたしはわたし。
偶然、ふたりが出会えば、それはすばらしいこと。
出会わなければ、いかんともしがたいこと。
以上、ゲシュタルトの祈り、でした。


この訳の前段で、訳者でありセラピストである吉福伸逸氏は次のように書いています。
これも孫引きで恐縮ですが記します。

「リアルになり、しっかりと立ち上がり、みずからのセンターを確立し、
実存主義の基本---バラはバラでありバラである---
を理解することを可能にするのは、
(中略)わたしはあるがままのわたしであり、
この瞬間、あるがままのわたし以外ではありえない。」

このゲシュタルトの祈りに触れたとき
私は深く人と関わるときの
相手にこうあってほしいと手を握りしめるような
強い思いのなかにありました。

その状態で、この「ゲシュタルトの祈り」を知って
私は、自分の作った鎖から解かれたように感じました。


あるがままにそこに立つこと
いまここにリアルにいること
そういられることが
人や自分や、何かと深く関わるからこそ感じる激しい何かとの対峙に
どれだけ自分を助けるか。

今、私は、吉福さんと深く関わってこられた方々から学んでいます。


今日も皆さま、おすこやかに

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