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「カーネーション」と「純と愛」

こんにちは。

NHKの朝ドラ(連続テレビ小説)を見るようになったのは「カーネーション」(2011/10~2012/03)からです。
そして最近まで見ていた「純と愛」(2012/10~2013/03)がこの週末に終わりました。

朝ドラはそのつど、それまでの「朝ドラ」のイメージを少し壊すような、実験的なとりくみをしています。
最近はヒロインの「清濁併せ持つ」キャラクター、爽やかならざるエピソードに賛否両論出るのが特徴です。
この二つのドラマについて、長くなりますが、思うところを書きます。

「カーネーション」は90年近くを描くゆえのテンポの早さ、スジを説明するセリフが一切ない、無駄のないドラマでした。
狭いコミュニティ(地域の商店街、家族)で、己の情熱を抱え、軋轢をどう超えるか、常に市井(しせい)につながった設定も特徴です。
世代交代(父→自分→娘)の渦中、突き上げる立場から、突き上げられる立場へ。老いを受けとめ、老いてなお自分の道をひらく姿も圧巻でした。

また特徴として、死に際する周囲や本人のありようの多様さがあります。
長い生涯と戦争のゆえに、登場人物の多くが亡くなるのですが
「感情も言葉もなく呆然とする」
「はっと気づいて激しく慟哭する」
「全てを呪って閉じこもる」
「しんどさをともに嘆く」
「(長く介護してきた人を看取って)ほっとする」
「自分はともかく、おいていく子供たちに辛い思いをさせていることが辛い」
「(自身の死に際して)恋をしているときのように全てがきれいにみえる」
あらゆる人のあらゆる感情表現を、日常の風景のなかで繊細に表わしていきます。

周りの人が亡くなっていくのをこれから一人で見送れるのか、という問いに、
ヒロインが
「失くす失くすて、何を失くすねん。
 うちは失くさへん。相手が死んだぐらいでなんも失くさへん。
 決めたもん勝ちや。
 ヘタレはヘタレて泣いとれ。うちは宝抱えて生きていくよって」
と淡々と答えるシーンは、かなり印象的でした。

一方の「純と愛」。
若い二人の数年を描くもので、そのキャラクターの濃さ、ストーリー展開のアップダウンの激しいドラマでした。
おそらく70年代後半のTBS『赤いシリーズ』などはこんな感じだったかも(古い)。
個人的には、説明的なセリフの多さ、やや冗長なシーンに、正直辟易することもありました。
ただこのドラマも途中から、死の看取り、病苦、家族の愛憎の軋轢を、老いも若きもどのように超えていくかをテーマに進んでいきました。

全26週の最後の2週で、ヒロインが「パートナーへの愛に溢れたホテルをオープンできる」直前に、パートナーが突然倒れ、もう二度と目覚めないかもしれない状況に陥ります。
パートナーが目覚めない限りホテルは開けない、と思い詰めるなか、認知症で自分の顔もわからなくなった母親の笑顔に触れて、「多くの笑顔のためにホテルを開く、愛する人が一生目覚めなくても、自分は自分でありつづける」と決めます。そして、パートナーにキスすると、パートナーの指と瞼がほんのわずか動く、それをただ見つめるヒロインのアップ。でエンドです。

多くの死と自分の老いをうけとめ生きていく(カーネーション)
愛する人の変化(認知できない、目覚めない)をうけとめ乗りこえる(純と愛)

両者の表し方は違うけれど、そこに至る荒れや葛藤があり、そのプロセスを真正面から描いて放映するところに、このふたつの「朝ドラ」の魅力を感じます。

ほんとうに個人的なことを言えば、私はやはり「カーネーション」のほうが好きです。
脚本のセリフ、キャラクター設定の自然さゆえの深み、役者さんの達者な安定感がとてもよかったからだと思います。
「純と愛」は、セリフとストーリーがどうしても鼻につくなか、俳優陣の本気さに打たれました。
ヒロインの顔つきとセリフまわしが、はじめとおわりでまるで変わっています。
また「あらすじ」で語られないようなシーンでの、俳優陣の表情や所作に繊細さを感じました。
俳優陣に支えられた奇跡だと思います。

長くなりました。
明日からの朝ドラ「あまちゃん」、脚本:宮藤官九郎はいままで個人的にハズレなし。
とても楽しみです。
最後までお読み取りくださりありがとうございました

変化を怖れる

おはようございます。

周囲の変化や、自身の変化を
ワクワクしたり、受け入れたり、受け止めたり、

その前に
少なくとも、私の場合、
「怖い」という感覚を、ちゃんとみとめると
おちつくように思います。

日常的には
「めんどくさいなー」
という独り言に代表されるような心の動きなのですが

めんどくさいのを、
なんとかしなくちゃと
前向きに解決しようとすると
めんどくさいことを、慣れ親しんだいつもの作業や感情で
頑張って、よけいめんどくさく、こなそうとする。

「めんどくさい」
をもう少し、止まって探ると
変化を怖れる、避ける
という、根っこがあって

あ、私の場合はですよ。

慣れ親しんだところに突っ込んでいくまえに
「変わるの、変えるの、怖い」
を一回、見ておくといいかも、と思います。
へんに、大きくしないで。


今日も皆さま、おすこやかに。

気づいた、と思ったとたん過去になる

こんばんは。

C+F研究所で探求のエニアグラムを学んでいます。
学び始めて年数も経つけれど
いまだに「あ、そこか!」という
ハッとすること多く。

ただ、最近、エニアグラムを伝えよう
という役割にはまっていて
もっと、正確に伝えなくちゃ、とか
もっと、素晴らしさを伝えなくちゃ、とか
そのためにはもっと自己成長を具現化していなくちゃ、とか
気づきの多い、冴えた感じがほしいとか

自分に何か課す一方で
誰かに伝えることで、
あるいは「何かしている」ことで
自己成長のレールに乗ったごとく
安心していたところがありました。

でも。
自己成長に、レールはなかった、そういえば。

気づいた!と思ったとたん、それはすぐ過去になり、
そこに固執すれば、いつものパターンとなり、
かえって狭まる。

もう、今この瞬間に
おきていることをそのまま、一回
受け取ることなんだと。

この感情も、考えも、変化も、
今。


おやすみなさい、また明日。

もう一歩表現すること、あるいは思わず沈黙することも含めて

こんばんは。

今日ドラマをみていて、

相手に命をかけて頼まれたことを
「わかった。
・・・っていいたいけど、無理」
って断って、我慢していた気持ちのまま泣くひと

一方

その、泣く人に「あなたは許容しているの?」
ときかれ
「うん
・・・っていいたいけど」
と、何も許容できてない、隠していた本心を語って泣くひと

というシーンがありました。

おもわず正座して、見たのですが

表面的に、あるいは、「相手のために」と思って
自分の本心を一瞬隠すことは
少なくとも私には、よくあります。

でも、もう一歩、本気になって、本心のままに
そのまま振る舞えるかどうか、かもしれない。
それは自分のためにも、相手のためにも。
と思いました。


もうひとつ。

今、目撃した見たシーンで。

座談会スタイルで思いや経験のたくさんある人たち。
「これからどうしたらいいのか」言いあっています。
司会者本人にも、思いがあります。
で、最後にちかづき、

「どうまとめましょうか」。
司会者が本気で沈黙しました。
たぶん10秒位。
これ、テレビでは相当長く感じられる沈黙でした。

そのあと、参加者がそれをフォローするかごとく
真剣にコトバを重ね、

最後、司会者は、コトバを発してまとめることができました。


ドラマにしても、座談会の司会者にしても
私のうけとったのは、つまり「本気かどうか」です。
その本気を隠すことなくそこに出すことを
怖がらずにいられるか。
今、この瞬間にも。

まだまだかなぁ。

おやすみなさい、また明日。

可能性のはなひらくとき

大好きな人たちが
新しい門出をむかえたり
あるいは
次のステージに向かっていたり

春はなんだか華やいできました。

花は急にひらくようにみえて
内在する輝きをいかして
まわりからの後押しを光合成して
葉を揺らし枝をそよがせている時期が
あるように思います。

ひとつひとつ、その毎日を
ちゃんと実らせていくのは
限りない、その人の力だと思います。

おめでとう!

桜のつぼみは可能性でもあり
たゆまぬ毎日の結実でもあります。
で、咲いてまた次の葉を繁らすきっかけでもあるね。

勝手にギフトを受け取りつつ


今日も皆さま、おすこやかに。

同窓生との一日

こんにちは。

同窓生たちと、
昨年からSNSでつながりを持つようになって
もっとそこから話を深めようと
昼はスピーカーをお願いして、ひとつテーマで話してもらい
夜はおいしいもん食べて飲み会
というイベントをくみました。

今回のスピーカーには
東日本大震災後から継続してボランティアに参加してきた
動機や経験について話してもらいました。
実際その場に立って動いてきて
つながりをつくり継続性を追求してきた
ご本人のリアルな話をきけてよかったです。

1時間以上まとめて話してもらうと
その人自身の、何に惹かれ、実際どう動いたかを
ゆっくりきける。
きき手の側も何か動きます。

実際、私も今回話を伺えたことで
何かを継続する「手段」を焦れていたけど
自分の続ける意思しだいで何らか手段はついてくると思えました。

夜は友達のセレクトしてくれた美味しい炭火焼きとワインで
昔と今の話で相当もりあがりました。
それぞれの記憶を思い起こすこと、
様々な角度で再構成すること
つなげて、今のことも話すこと。
それはささいなことのようだけれど
意外にかけがえのないことなのかもしれません。

同じ日に届いた同窓会誌には
同級生の訃報が載っていました。
逝かれてしまうのは、しんどい。

ずいぶんお酒が進んだせいか
明けた今朝は久しぶりにしっかりとした二日酔い(うー)
午後になってやっと覚めてきました。

毎日のくらしは、かげがえのないことです。
それはどんな年になってもです。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

「私は今」に立ち返る

おはようございます。

「だれそれは、なになにだ」
とか
「どこそこは、なんとかだ」
のような文章のトリコになるときは
あくまで私の場合ですが、
自分のやるべきことをしてません。

「私は今、こう思う」「私は今、これをする」
に立ち返って
仕事を始めます。

いずれにしても、春は躍動の芽吹き。

今日も皆さま、おすこやかに。

スペースを生む、距離をおく

おはようございます。

イライラやカリカリに
どうにもうんざりして
まずはひととおり書き出して

その後、アタマのなかに、
少しスペースができた感じがしました。

その状態で実際を見てみると
関係者の一生懸命さや、
何を実際しているかわかりました。

イライラやカリカリは
全く消えたわけではないけど
少し距離を置けました。

相手がどう思うかは究極わからない。
要は自分の思い、ひとつです。


気持ちの乱高下に比べたら
気温の乱高下などしれたもの。

今日も皆さま、おすこやかに。

書いて、解きほぐす

おはようございます。

それっておかしいとか
それって納得いかないとか
強い感情の伴う場合は
正当化から一回離れるのに、苦労します。

ただ、感情と論理のこんがらがったままでは
イガイガのついた栗を誰かに投げることになりそう。
なにより、自分が痛い。

ひとつひとつ、書いて、解きほぐす。
手厳しく、誰かを非難しつくす文章をありったけ書き出して
その文章に向きあいます。

少し
すきまのできる感覚を味わって
今朝はまずスタートです。

今日も皆さま、おすこやかに。

「わかりづらい」のはoutputより自分自身

こんばんは。

けっこう頑張って作った文書
それも、「なぜ頑張ったか」という背景がある文書を
シンプルに「わかりづらい、もっと言いたいことだけ書いて」
と言われると
私はけっこう反応します。

それを隠して(で、おそらく隠しきれておらず)
「では、このように書くとわかりよいですか」と
相手に逐一確認する展開になり
ますます、わかりづらいというか使えない人になる

というループに、今日はハマってダーク。

「(文章が)わかりづらい」っていわれるときは
私自身が
「他人にわかられないようにしてる」
ように思います。

誰かに何か言われて反論せずに飲み込んで
それでもどうにかしなくては、と思っているようなとき
つまり
そのこと自体ではなく、
そこに至る背景をわかってほしい
でもそのまま言ったって、愚痴や陰口になるから言わない。
いい大人なんだから。

そんなとき
自分の書く文章は「わかりづらく」なるように思います。

何をいちばん伝えたいか
というときに
感情を一切消そうとするとよけいウラにこもる。
多すぎる感情をそのまま出しても混乱する。

ちょうどよい加減、は
たくさんわき出ているわがままでヨコシマな私を
いったん全部認めると
結果としてそうなるもので
ちからいっぱいコンロトールしようとしても作れないですね。

日々是修行。

おやすみなさい、また明日。

どうすればいいのか

おはようございます。

二年経ち
復興にむかう速度の、地域ごとの著しい違い、
原発事故被害に対しては、それこそ見通しのない状況。
あちこち見聞きする機会多く、
どうにも焦れる週末でした。

そんなことは、
この一週間前、一ヶ月前、
何も変わらなかったわけですが。

二年を節目に、支援する団体の撤収は相次ぎ
立ち上げた仮設商店街は、人口流出に客足は鈍り
頑張ろうとか、絆だとか
そういうことでは何ともならない。

関東あたりで、人はまだあふれていて
身体動かせるひと
お茶のむだけでも一緒にいられるひと
居そうなのに。

間接的になってたり
だれかのせいにしてみたり
もう「次の災害」のこと考えてたり

否定はしませんが、焦れます。

何ができるんかなぁ。

今日も皆さま、おすこやかに。

職場の飲み会にて

こんにちは。

職場で小規模な飲み会がありました。

私の職場は様々なところからの出向者の集団で
自分の若い頃を知っている人と、知らない人が、混ざり合っています。

私はあまり、自分の昔の話をしません。
し出すと、止まらなくなるから。
なので、人に話をふっては、同じ出向元の人とつないだり
ちょっとこっちの出向元の話多くなったな、
と思ったら
別の出向元の人に話をふったり
なんとなくですが、バランスをとろうとします。

こんな仕事、あんな人、昔と今。
なんか、いきいきと話す元気な人を見てると、
あー、こういう元気を、うまく生かせたらなぁ
と思います。

偶発的に語る3時間で、
いろんなことがずいぶん出て、交わされる。
同じ場は二度とない。

話す場、きく場、交差する場を
これから環境が変わっても大事にしたいです。
そして、
場に埋まらず、とんがるユニークさも。

今日も皆さま、おすこやかに。

すれ違うだけで

こんにちは。

毎朝会う、小学校児童の交通安全指導員さん。
ごく古い言い方だと「緑のおばさん」。

だれかれとなく
「おはようございます。」と明るく声をかけ
すれ違う数秒のあいだに二言三言かわす見事さで
会うのが楽しみな人。

この方の前にいた方は
超厳しい人だったのだけど
ただ、挨拶は欠かさなかったし
数少ないけど実に印象深い思い出があります。

ただすれ違うだけでも
人は様々なつながりをもてるし
その人なりの熱心さは伝わりますね。

季節だけでなく、環境も変わる時期。
伝わりあうことを、信頼して。

今日も皆さま、おすこやかに。

力の抜けた感じを受け取る

おはようございます。

NHKの朝ドラを、よく見ます。
今のドラマは終盤です。

最初、ずいぶん力の入った感じを受けて
少し見づらかったところ
最近は落ち着いてきました。

主人公から、
少し押しつけがましいというか
やや極端なのではないか
こんなやつはいないぞ
という印象を受けていたのですが

自分のなかの必死な感じを
そのまま外に出したとしたら
案外このくらい、極端なのでは
と思うようになりました。

これでもかというくらい事件が起こるなかで、
主人公は他人にぶつかり、自分を見失うのですが
「誰かのためなんかじゃない
全部自分のためで、弱っちいやつなので
あなたが必要なんだ」
と面とむかって相手に伝えたあたりから

力が抜けてきたように受け取りました。

もし、敬遠してた方いましたら
興味深い雰囲気になってきましたので
よかったら、見てみてくださいまし。


南関東、絶妙な暖かさです。

今日も皆さま、おすこやかに。

誠実さや繊細さのそばにいること

おはようございます。

急にあったかい日は、
身体が少しついていかないけど
なんかうれしいですね。

たいていの場合
相手は誠実で繊細だ、と前提にしておくと
あまり間違いがないように思います。

そのとき、自分の誠実さと繊細さも
忘れずに勘定にいれておく、と。

それは誰でも100%そうではない。
いつでもどこでも、ではない。
ふるまいと根っこも、違うでしょう。

相手は繊細だから私が気をつかわなきゃとか
私は繊細だから相手になんとかしてほしいとか
そうなると無理が生じるけど

私も、あなたも
この件について、あるいは、今この瞬間において
誠実で繊細だ、と感じるだけで
あわてず、そこにじっとしていられるだけで
何か新しい展開になる気がします。

今日も皆さま、おすこやかに。

豊かさは混じり気の多さ

おはようございます。

最近、「倍音」という本を読みました。
日頃、入ってくる音には
実に豊かな音が重なっていて
文化に深く影響しているのだとか。

人工的な電子音が、どこからなっているかわからない
つまり、際立った違いのわからないのに対し

自然界は実に多くの「聞き取れない」倍音に満ちている。
とくに日本人は、自然界の音を、言語脳と同じ左脳できいて
風の音、虫の音から、意味や味わいを受け取りやすいんですと。

豊かさは、
うっかりすると見えない、聞こえないものの折り重なりを
感じ取っている連続から生まれるのかも。

で、それはもしかしたら
私達の生活全般にも通じていて、
もっと混ざり気があって
ざわざわ、そわそわ、のんびり、
いろいろあるといいのかもしれません。
忙しさも、静けさも、いろいろと。

季節の混ざり気を感じる今日この頃

今日も皆さま、おすこやかに。

2013年のこころがけのふりかえり(第9週、2月)

こんばんは。

正月に「2013年のこころがけ」を文章にして、振り返ることにしました。
早いなぁ、9週経ちました。

<毎日の点検>
1.5:00に起きて毎朝、大切なことに時間を使う
2.笑顔で挨拶をする
3.こころからかかわるために、相手の本音をきくために、間をおく。
4.バイロンケイティワークをする
5.掃除をする。
6.1万歩は歩く。できれば、走れる身体を目指す。
7.ラジオの英語講座をきく

今週は「毎日」編はダメダメでした。サボったなぁ。
かろうじて2はできたぐらい。来週立て直し!

<毎週の点検>
1.週1回は夕食をつくる。
2.「毎日やること」ができたか振り返る
3.「こうあってほしい」職場になっているかを振り返る
4.何を実現すると簡単で便利になるか、他の課からヒアリングする。
5.「べき」を排し、他部署も自部署も簡単で手数が減る提案をする。
6.職務を整理して可視化し、自分の仕事を3割、定時職員に渡す
7.チームで何をすれば価値が増えるか(役立てるか)を文章や図にする
8.「場の提供」のためのコンテンツづくりを進める。
  MLの文章をつくったり、何か仕込む。

今週は、4と5と6にちょっととっかかりができて、
特に4と5は計画前進。
8もできて、この「毎週の点検」でみるとけっこうよくやったほうかも。
だから、1ね。ほんと、1ね。

<毎月の点検(2月)>
1.習慣的日常を離れ豊かな日常に戻る場をひらくことは、2月にできたけど
2.キャリア、仕事、他、学びをブログにoutputするまではいかず
(講座に通ってその内容を書く、というのは私のオリジナルではないから
outputに含まない)
3.ただし実家には連絡できました、と。

総じて。
やることはやっているけど、毎日の自分への取り組みは不足。
それはそこはかとなく、不安の影になっています。
払拭するには、
静かな時間をもつことと、
まずはひとつひとつ、やることをやることですね。

いつでも、仕切り直し。

おやすみなさい、また明日。

「基本のき」受講を終えて(というかはじまり)

こんばんは。

1/13から全4回、鈴木安子さんの
 個性を活かしたプレゼンテーション
 はじめて人前で話す人のための話し方講座
 「基本の き」
に参加しました。
http://kihonnoki.jimdo.com/

去年から、
エニアグラムをお伝えする機会を得るようになり
もっと伝わるものにしたい、もっと磨きたいと思い

安子さんの
ひとりひとりにぴったりフィット、引き出しにネタ満載
というクチコミを伺っていて
受講できる機会をタンタンと狙っていたのでした。

3分間のプレゼンの、原稿は8回改訂。
その間ずっと問い続けていたのは
「場をひらいて、本当に伝えたいことは何か」でした。
そのために「何を」つたえたら「伝わる」のか。

伝えたい と 伝わる は違うのだけど
伝えたい と 伝わる は、ずれないほうが、それはいい。
なら、私から誰かに 「伝わる」 ことは 何か。
それを、練っては試し、映像を見ては試し、ました。

実際に身体を動かしてのワークには体感すること多く、
そして数回のプレゼンで
安子さんにいただいたメッセージは実に具体的でした。
メッセージは、参加者のぶん、存在し
そこからもたくさんのインスピレーションをもらいました。

8回目に書いた原稿を、
毎日通勤の途中でぶつぶつつぶやいて
そしてその原稿のプリントアウトは、
プレゼン当日の午前中に誤ってトイレで流してしまい
(↑本当です。トイレ詰まってたらどうしよう汗)

それでも、聴いてくださる方の、お一人お一人を見て
祈るように伝え、

1ヶ月前には「事柄」を伝えてた私ですが、
昨日は
「各々に、大切なこころの根っこがあって
そこにたどりつく楽しさや喜びを体験してもらいたい」
が伝わりました。

そして私にとってそれは、
最初の3分であり、はじまりです。

エニアグラムをはじめとして、
さまざまな取り組みを通じて
それは、仕事の場であれ、どこかでひらく場であれ
あなたの、わたしの、こころの根っこからの可能性をひらきたい
それが私の思いです。

おやすみなさい、また明日。

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