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つい自分でやってしまおうとすること

つい。
自分で抱えてしまう仕事は
不得意だなんだといいながら
やりたい仕事。

やりたいっていうのは
やや表面的なレベル。
これをやっていれば
役割が果たせると思い込んでる仕事。

ひとりで熟達しても、変化対応は、しづらい。
他人の知恵を入れる余地がなければ
衰退します。

仕事を抱えるときは
私を守りたいときです。
目的のために、誰に任せたら早いか。
そのことに集中したいてす。

おやすみなさい、また明日。

バランスというより、ごった煮

こんばんは。

手帳には、
黒字で仕事の、青字でプライベートの
予定や実績をかいているのですが

青も黒も入り乱れていて
平日にも「青」が食い込んでいます。

バランスをとっているというより
手帳のなかで、ごった煮になっています。

この感じを私は好んでいます。

もちろん黒の予定や納期を落とさないように
手帳をながめながら
青の予定にも、ちゃんと重要な納期がある

それぞれが、それぞれの
息抜きのような、真剣なような
手帳のなかでいい具合に
飽きないおいしさの「ごった煮」になります。

どんどん、決めていきましょう。

おやすみなさい、また明日。

無理をしない

いくつか重なっている
なんだか、仕事の繁忙期っぽくなってきて
すでにto doがいっぱいで
思惑のはずれたのも、やれやれ。

でも。

極力、無理をしない。
極力、先送らない。

今日ほんとうにうららかな昼の日差しの下で

悩んでいる時間を少なくして
少しだけ前倒しで、できたら
私にはもっと幸せな時間が増える

そう思ったらもう少しやる気が出てきました。

おやすみなさい。また明日。

子の矜持

こんばんは。

娘の部活のチーム、
あと一歩で上位大会を逃した今日。
応援してた親たちのほうが
ずいぶん悔しがっていたものですが

凹んで帰ってくると思いきや
意外とサバサバ、DVDを見ていました。
軽口のひとつもたたきながら。

どこで泣いてきたのかなぁ。
親の前では弱みをみせない。
なんだか、こうやって大人になってしまうのね。

私も、こんなちょっとした矜持を
大切にしたいです。
ま、親馬鹿かもね。

おやすみなさい、また明日。

続ける

こんばんは。

月一回でも
何か続けていることがあると
それはひとつの礎になります。
今年はそれを特に感じます。

階段を上がるときは
平たいところにしっかり足を乗せる。

おやすみなさい、また明日。

どこにいても

善なるものや、やさしさに
ふれたり、それを表したり
ほんとうは、いつでもできるものです。
もっとそこは、各々の内なる何かを
信頼していいと思います

おやすみなさい。また明日。

暮らしはつづき、人はそこにいる

こんばんは。

10月19日から22日まで
「東京災害ボランティアネットワーク」主催の
宮城県南三陸町被災者支援
「仮設住宅でのふれあい喫茶」に
参加していました。

この活動は、2011年4月からの避難所でのとりくみから
この10月までは週単位で
このあと3月までは月単位で
継続しているものです。

仮設住宅の集会所でお茶と軽食を準備して、
午後の2時間ほど、喫茶できる場をひらきます。
あとは、お茶を出したり、そばにいるだけ。
場所によって、動きはいろいろですが
総じて「いらした方のそばにいる」ことが主な中身です。

仮設住宅は、2間にダイニングキッチン、
玄関には簡単な雪囲いがあります。
確かにそれは「仮」なのだけれど
すでに各々の皆さんの暮らしが根づいています。
あまりに定着が進んで、「仮」にはとても思えないほどです。

目を他へ転じれば、
「仮設」に入らねばならなかった皆さんの
かつての住まい、
家の土台や片付けられたコンクリートの塊の残る
ひろい平原があります。
その先には、信じられないくらい静かな海があります。

茫々とした平原のひろがりと
仮設住宅の暮らしやそこにいる皆さんの穏やかさは
にわかには結びつかず、少し混乱します。

それでも、そこに生きて暮らしつづけることの
なんと確かで、奇跡的なことか、と思います。

「喫茶」はそこに集う皆さんの
私たちとしては、ただそばにいるだけのひとときです。
それだけなのに、
それだけだからこそ
足を運んでくださる皆さんの
昔の思い出も、あの津波と直後のことも、
身内の方の亡くなったことも、いまの暮らしのことも
こぼれるごとく話にのぼるように思いました。

仮設住宅に昼に残っているのは
お年寄り、小さな子供、障がいを持つ人が多いです。
ゆっくりと、しっかりと、
ひとの存在のそばに居ることは
わたしにとって、豊かな時間でした。

普段、仕事や作業に没頭していると
そこに人がいても、実は関わりが薄くなります。
役割や機能で接することも多くなります。
そういうものを横において、
暮らしや人のそばにいられた4日間でした。

おやすみなさい、また明日。

それどころではない、なんてことはない

こんばんは。

週末に予定を入れて、
仕事は何とかなるだろうと思ったら
案外時間が足りなくなって
明日、いくつか納期。

あ、「休み」どころじゃないかも。
チラッと思って気がつきました。

たいていのことは
「それどころではない」なんてことはないのです。

さきに入れた予定。
あとから変わった状況。
双方の「大切度」をアタマで計りだして
焦ったり、逡巡するくらいなら
まだ、やってもいないことなのだから
順番に、実際に、やっていけばいい。
それどころではない、なんて
やらないうちからオトシめたら
「それ」に失礼です。

実際にやることで、ひらけたり、変化する。
それを怖れて、状況のせいにしたくなったら
「それどころではない」の叫びを
ゆったり受け止めてから、
「…てことはないから、まずそれを、やってみよう」
とゆっくり息を吐いてみます。

静かに休むことも、
もちろん「やってみる」ことのひとつです。

おやすみなさい、また明日。

みのる、そのとき

こんばんは。

友人の動向など、知らせてもらうにつけ

なにごとも「みのる」タイミングがあって
それは自分の思いをたくさんかけていることや
毎日何かしら積み重ねていることや
それに飽きて、あるいはつらくなって
しばらく忘れることや

そんなことすべて、ことこと煮込むようにして

ある日、おいしく、みのっていくのですね。

自分で気がつかないときは
そのまま立ち枯れたり、誰かにとられたり
あるかもしれないけれど
だからといって、独り占めしようとすると空しい。

みのる、そのときに
私は味わう、誰かも味わう。
みのるそれを分け合えたら、と思います。

今日も一生懸命の、友人たちにエールを。


おやすみなさい、また明日。

循環させたい

こんばんは。

あらためて不思議に思うのは

仕事でのひっかかりや行き詰まり感
人間関係での鬱積
そういうことをきっかけに
いろいろ学びはじめ

ともに学ぶ仲間ができ
学んだことを循環させようと思うようになり

ひっかかりも行き詰まりも
状況は変わっても、相変わらずやってきて
それでも、そのつど自分の姿勢は違っています

今の状況や心持ちを
少なくとも5年前の私は想像していなかった
と思います。

そのときのことは、そのときにはじめてわかるんだなぁ、と。

もしかしたら、もっと早く何かを為したり
行動もoutputもあってよかったのかもしれない。
過去は過去なので
今は今、やっていくのみ。

今の望みは、
学び、得てきたことを
どういう形であれ、循環させたいということです。
おいしい水をいきわたらせておいしい米を育てるような
イメージです。

おやすみなさい、また明日。

無条件に私を守る(と考える)ものへの無関心やうっとうしさや甘え

こんばんは。

今日はC+F研究所
「バイロンケイティワークアドバンス」へ。

くりかえし自分を苦しめる「考え」が
何度自分に浮かんできても
それを歓迎する心の余裕を育てるワークです。

テーマは
「仕事、キャリア、お金」だったのですが

いやー(汗)


これがないと生きていけない
これのことばかり言いつのるのは恥ずかしい
これのことは気にしない(家族にも気にさせない)
これのことで他人に迷惑をかけてはいけない
・・・とにかく
こんなふうに考える「対象」に対して

それは無条件に私を守るべきだとか
それにしては無関心(ちゃんと考えない)で
それについてうっとうしく思い
要は甘えている

そんな「私の考え」が潜んでいるなんて。

おそるべし、バイロンケイティワーク。

否!おそるべし、私の考え。

おやすみなさい、また明日。

そのまま

こんばんは。

今日は友人にかつて教わり
私の今の精神の横糸になっていることばを
ここに残します。

ゲシュタルトの祈り
http://www.ieji.org/archive/das-gestalt.html

おやすみなさい。

あらゆる感情は紙一重

こんばんは。

昔、学生の時に
「楽しさと喜びは違う」というテーマを皮切りに
1年間続いた、教育学の講義がありました。

残念ながら詳細をすでに覚えていないのですが
言葉の定義というより
「楽」「喜」をめぐって、人間の営みを考え続ける
講師のエネルギーに触れていたように思います。

今の私には、
「楽しさ」「喜び」「寂しさ」「悲しみ」
「怒り」「苛立ち」「恥ずかしさ」・・・
すべての感情は、常に紙一重に思えます。

何かの強い感情が同時に起こる。
わずかな時間のなかで変わる。

それは気まぐれや、感情の起伏の激しさ
ということではなく
ある一瞬に感じる自分の心には
本当に多様な何かがある、ということ。

ずっと同じ感情ではないし
ある場面に際して、常識的ではない感情もある。

つまりは、「○○だから===という感情」
というのではないということ。

自分の感情が平たく思えるときも
もしかしたらいろんな感情が渦巻きすぎて
混乱しているのかもしれない。

そのときに感じるそれを
そのまま受け取ることができれば、と思います。

おやすみなさい、また明日。

具体物を見よう、触れよう

こんばんは。

抽象化することも
比喩的表現でわかることも
構造化することも
理解の助けにはなるかもしれないです。
それは相手にとってもそうかもしれない。

ただし

たまには
それ、具体物そのものを
見て、聴いて、触れて
対象に肉迫するがごとく、接してみたいもの。
そのことで自分も、変化するかもしれない。

変化を怖れないで、
・・・いやいや、
変化を怖れる気持ちをかかえたまま
具体物に近づいてみたいもの。

それが何者であるかも
どこつながりであるかも
できれば一切、忘れてみる。

目の前の「それ」と私だけになって
対峙してみたいものです。

おやすみなさい、また明日。

歩ける身体

こんばんは。

もともと「歩く」ことは好きで
お遍路は、相当幸せなお休みの過ごし方です。

10月は
職場の健保主催のウォークラリーに登録して
ここのところ一日20000歩、
朝と夜にわけて歩いています。

やればできるもので、
もう少し距離をのばそうかな、とも思えます。

でも、飽きてしまうといやなので
ほどほどのところで止めたりしています。

歩ける身体は、
ものごとにとりくむときの「おっくうさ」を減らすように思います。
集中して、粘り強く、しかしあきらめもよくなる感じ。

それと夜はとても眠くなり
朝はさっと起きられます。
ビバ!からだ です。

おやすみなさい、また明日。

ひとつひとつ

休日4日を挟んで職場にでてみると
かなり動きはあるように思うけれど

とにかく
ひとつひとつうけとめて
手に負えないなら早めに相談して
風通しよく、根気よく、
進めていくより他はない、と思えます。

大きな流れは読みつつ
全部などとても読みきれないから
進みながら考えながらまた進む。

浮き足だってきたら、
文字通り「地に足をつけて」深く呼吸する。
おちついたところで
それぞれ先延ばしせずに一回決めてみる。
適当なタイミングで先に進む。

それを繰り返して進んでいきます。

話すこと、動くこと、考えること、きくこと。
すべてバランスよく
「しよう・やろう」と思わず、
「できている」と体感してみます。

おやすみなさい、また明日。

曼珠沙華の群生から、高句麗人渡来のゆかりを訪ねる

こんばんは。

今日は、曼珠沙華の群生を見に、
日高市 の「巾着田」へいってきました。
http://www.kinchakuda.com/

以前から興味はありつつ足を向けずにおりましたが
今年はご縁を感じ
気合いをいれて早朝から出向いてみました。

6時40分。
高麗駅着の電車からは
それでも通勤客並の人数で、人が降りていきます。

小道をしばらくいくと、高麗川沿いの林の下に
見事な群生が現われてきます
20121008071935

木漏れ日の差し具合は時に趣を変え
カメラと三脚を抱えた人たちが大勢で
あちこちでベストショットをねらっています。
私も浮き足だって、思わず携帯で連写。
たしかに、華の盛りにはとても惹きつけられます

ただ、
曼珠沙華はそのままの姿で色褪せ、立ち枯れます。
盛りの過ぎた、一部の群生には
少し目を向けたくない気持ちにもなります。
華は華のままなのに。

 斬首を待つがごとく垂る彼岸花

さて。
群生地を離れ、駅にあったハイキングマップにそって
うらうらと、高麗神社へ。

「高麗」というこのあたりの地名は
700年代、高句麗の滅亡で渡来した高句麗人を
朝廷がこの地に住まわせ「高麗郡」としたことに
由来するのだそうです。

高句麗の王であり開拓の長・若王を祀った高麗神社は
歴代の首相が任命前に参拝し、それぞれ役に就いたことから
立身出世の神様でもあるそうです。
朝鮮半島と日本の安寧を祈願してきました。

そしてすぐ近くには高麗山聖光院。
やはり、高句麗若王ゆかりの古刹で、
1300年代に真言宗に改宗、お大師様の像もありました。
高台にあるため、清々と見晴らしのよいお寺です。

最後は、日和田山中腹の、金比羅神社までひとのぼり。
それほど高くないせいか親子連れがたくさん登っていました。
人気の巾着田のはるか先に
東京の高層ビル群、スカイツリーなども望めました。

11時くらいには、
その山も、周辺も、ずいぶん人や車が増えて
高麗駅周辺は、原宿か巣鴨かという混雑ぶり。
この人たち全員、巾着田の狭い道になだれ込んでいくのか・・・

というわけで、巾着田に行くであれば
オススメは、できれば平日、できれば早朝です。
見頃はお彼岸のころを中心に毎年違うため、要確認。
夏に気温が高くて雨が少ないと、10月にずれ込みます。

秋の滋養たっぷりの4日間でした。

明日も皆さま、おすこやかに。

友達の絵を見に

友達の絵を見に
友達の絵を見に
こんばんは。

今日は友達の絵を見に、新国立美術館へ。
毎年秋に開く、歴史ある公募展「一陽展」に
友達は会友として出展しています。

昔からずっと描き続けて、
毎年、世界観のくっきりした創造的な絵を
私たちに見せてくれます。

中学生からの付き合いの友達数人と連れ立って
多くの絵画や彫刻にふれる
秋のイベントになっています。

絵画について、描いた本人から話を伺う機会は、そうはないもの。
絵について「語って」もらうのは野暮なことだけど
やはり、いろいろ、きいてしまうのでした。

多くの作品をみていると、
頭の芯のほうにたくさんの情報が入ってくる感じです。
近くで見ても、遠くでみても
それぞれの世界観が、ドッと発せられる感じ。

そして、友達の絵は
すっきりと鮮やかな、
虚無と希望の同居しているような絵です。
しばし、堪能。

ゆっくり作品をみたあとは
友達と美味しいもの食べて
よくしゃべって
実に滋養になる一日でした。

何かを生み出し、何かと関わる。
それぞれに、それぞれの毎日を
生きてきて、生きてゆくことは
あらためて、素敵なことです。

おやすみなさい、よい夢を。

エニアグラムのワークショップ

本日行いました。

来て下さった方、ありがとうございました。

この場、機会での探求は
そこに集う方の姿勢とまなざしのあってこそです。

そして、今日はお目にかからなかった方からも
これから、お目にかかる方からも
私はエネルギーをもらえているように思います。
協力下さる方々の支えあってこその道です。

はじめてふれるような
やわらかい、ゆっくりとした
自分を知る道を、これからも。

皆さま、どうぞ、おすこやかに。

「やりたいこと」「実現したいこと」を、今やろう

こんにちは。

この数日、様々なoutputを、仕事やその他でつくりました。
それぞれ、性質の違うものですが
それぞれ、わたしの大事なoutputです。

そのなかのひとつは
「職場で3年後、5年後、どこで働きたいですか、それはなぜですか」
を社の人事部に提出するものでした。

毎年1枚、これで3枚、
テーマとしては同じことを書いています。
「過渡期の個人を支える仕事に携わりたい」ということです。

社会や職場の環境の変化、自身の変化、
そういった「過渡期」に際し
それぞれが大切にしている価値観や意欲に気づき活かせるよう
個人に焦点をあて、支える仕事が必要です。
それを私にやらせてほしいです、と。

書き終えて
「これを読んだ人は、どう行動するだろう」と
思いました。

会社の資源(時間や道具)を使わせてもらって
自分のやりたいことを書く機会があるだけでもありがたい、
そんなことを今年は初めて思いました。

「ありがたい」だけでは、しくみをあてにしているだけでは、
変わらないです、この2年がそうだったように。

このしくみは、会社側がほしいひとを探すためにある。
会社側のニーズにあわなければ、特に何も起きません。

私の職歴は、部署はほぼシステム部門、
内実は、システムを「つくる」「動かす」「その他」でいうと
ほとんどの期間「その他」です。
システム部門内でも、人事部門でも
おそらく「何をしているか、できるか」かは、わかりづらいです。
さらに最近は「コスト集計」の仕事なので
「ひと」と近い仕事をしているとは、とても思われてなさそうです。

私の書いた「これ」を読んで、人事部やその他のひとたちの
ニーズは喚起されるだろうか。
・・・ないなぁ。どうもないなぁ。

書いたことは意思表明だけど、冷徹にみれば自己満足。

自分視点で考えたとき、やりたいことをやるだけなら
仕事は淡々とやって、それとは別にやってもいいのでは。
でも、私は仕事でやりたい。
自分という資源を、「やりたいこと」中心に使いたい

それは、「どこ」で、「何」だろう?
・・・考え始めたらぐるぐる、回りだしました。

で、それは、やりながら考えていこうと思います。

「足元のしっかりした個人を増やし、
この職場で働いてきてよかったと思える環境づくりに貢献させてください」
と、その紙に最後に書いただけど

それを何でもいいから、自分でやろう、と。

他人のしくみにのって、申告するだけではなくて
「やりたいこと」「実現したいことを」今やる、でいい。
既にやっていることも、ふくめてです。

やるね。

皆さま、今日もおすこやかに。

できそうだけど、無理せず

こんばんは。

いろいろあたまのなかをめぐっていたことを
実際書き出してみると
outputができそうで止まらなくなり

ハッ!と我にかえる。

夜中の勢いってこともありそうなので^^
無理せず、いったん寝てみます。

・・・そういえば、今朝
「うっかり忘れてしまって惜しいなぁ」
と思っていたことを
ふと思い出して、とても得した気分でした。

朝のクリアさを味方につけようっと。

おやすみなさい、また明日。

その人がその人のいちばんのスペシャリス

こんばんは。

誰かの苦しみや痛みを感じて
こんな大変なことに!
これは何かしなくては、と慌てたときはとくに
心しておこうと思ったこと。

その人がその人のいちばんのスペシャリストで、
その人は今日まで
その人にまつわる様々な困難を
乗りこえてきてきたのだ、ということ。

だからこそ、遠ざけず、近づきすぎない。
相手のこれまでを尊重する。
そしてその距離の適度さは、
静かにしていればこそ、わかるときがある、と。

おやすみなさい。また明日。

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