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存在感とハートと、シビれるそれ

こんばんは。

風の圧力をサッシの窓ガラスにうけて
大いなるものを身近に感じている今であります。

私の大好きなエニアグラム。

■身体の知性
■ハート(こころ、真実)の知性
■頭の知性
この3つのバランスをとることの大切さを説いています。

知性とは「頭のよさ」のように語られることが多いけれど

身体のゆるぎなさ、身体こそが持つ知恵、たとえば
けがなどの「物理的痛み」
ストレッチなど「可動領域を広げる」ことから受ける影響。
体感覚、今ここに根ざす
これが身体の知性です

ハート、こころの奥から発する、
真実の声を聴ける力量。
これがハートの知性です。

頭の知性は
知識というより、
ひらめきと静けさを、キャッチできる力量のこと
のように思います。

この3つの知性を
ひとりのなかでバランスのとれるのなら
その人にとってギフトです。
さらに
グループのなかでそれを補い合う動きがうまく機能できれば
幸いです。

ひとりでバランスをとろうとして大変であれば
誰かとともに協力しあうことは可能のように思います。

身体の知性は「存在(感)」に繋がっていて
ハートの知性は「ハート」に根ざしている。
頭の知性は「アタマ」で創造されている。

そして今日は、アタマがすっかりシビれているのでした

これ以上は、今日はもう書けない・・・。

たぶん本質は同じなのではないかと

こんばんは。

世界観がこんなにも違うものかと驚き
対象に対する距離がこんなに違うものかと驚き
とにかく「違う」ということに
ひとしきり感嘆したあとで

その先の、その本質に
つながるものをみます。

使うことばの違い、定義の違いは
たしかにその瞬間は
ひとのあいだを分断するかのような印象だけれど

お互いが生きることに必死であったり
ようやくそこで出会えた奇跡にふるえたり
つよい悲しみ、抗えないものに対して痛む

どういう学びを経過している人でも
どういう世界観を持っている人でも
そこは「同じ」なのでないかと、思います。

お互いをつなぐ何かの糸を発見したとき
それを「わかる」と呼ぶひとも
「感じる」と呼ぶ人も
「愛」と呼ぶ人もいる。
それぞれ、ことば単体だとよくわからなくなったとしても。

ことばを信じられなくなっても
なにかを分断するように感じられるときでも
ことばを発しあうひとの、胸のおくからつなぎあう「それ」を
わたしは信じています。

「それ」をことばにしたくて、
いつも、こうして文章に向かいます。

そして「それ」は「あってもなくてもどちらでもいい」のです。
わたしもあなたも、
どんなときもそのままで、そのままだからです。

~C+F研究所「エニアグラム月例ワークショップ」
フィーリングタイププレゼンから刺激された覚え書きです~


おやすみなさい、また明日。

出してみてからわかること

おはようございます。

仕事でも、ワークショップの準備でも、なのですが

骨子はできていて
あとは資料をこうしたらいいか、というときに
頭のなかでアイデアを浮かばせて
こんな感じ、あんな感じ
イメージはできてる。
…つもりになってる

でも作っている過程や
作り終えたものをみると
なんだかイメージと違い
なんか、こう、納得もいかず
うなってしまいます。

これらは頭のなかから出してみてからわかることです。
書き直しながら
成果物みて、うーん、と手が止まる。

うーん、うーん。

心がけているのは
毎日ちょっとずつでも手直しするのと
完璧を目指さず、一度、人目を通すこと。

今日もまた、励みます。

皆さま、どうぞおすこやかに。

誰かのため、自分のため

おはようございます。

暮らしているなかで
誰かのための時間と
自分のための時間と
あったときに

その割合がどちらかに偏るときでも、
両方を混ぜておくというか
どちらでもある、ということを
念頭においたほうがいいように思います。

誰かのために、というか
他に誰が
使う、触れる、関係する、影響をうける、か?

自分のために、というか
仮に私が
使う、触れる、関係する、影響をうけたら、
うれしいだろうか?

誰かのため、自分のため
それはどちらでもあり
どちらかしかない!
と強くおもったり
そんなの(どちらかに)決まってる!
と思ったら

それは何であっても
ほんとかな?
って思って深呼吸してみるといいと思います。

誰かのためでもあり
自分のためでもあり
そのどちらでもあります。

で、
そのどちらでも、ない
つまり
「ためにする」ものはない
というのもありますかね。

それはそれで。

空気の質感のここちよさを味わいます。

今日も皆さま、おすこやかに。

資源は有限

こんばんは。

最近、
資源は有限だな、と思うことがあります。

限りあるから、愛おしい毎日。
限りあるから、輝く一瞬。

大切な毎日を
大切に過ごしたいです。

おやすみなさい、また明日。

生きているだけで、なくなりはしない

おはようございます。

あっというまに9月の最終週です。
8月も含め、振り返ると
さまざま、ちゃんとあり、
無自覚に過ぎたのではない、
それはうれしいです。

大人になると
(トシをとると?)
月日の経つのをとても早く感じます。

それでも、
大切な一日ごとに何かあり、
何もなかったように思えたとしても
私やあなたが生活して関わっただけでも
あらゆるひとや関係は
そこから動いていたのです。

私やあなたが生きているかぎり
まわりも生きていて
なくなりはしない。

早く過ぎていると感じても
ひとつひとつの一日は
私とあなたの
かけがえない一日です。

今朝はそんなことを思いました。

空気がさえてきました。

今日も皆さま、おすこやかに。

私の学びたい所作と姿勢

おはようございます。

所作や姿勢を学ぶ機会は
人によりさまざまで
それこそ毎日その連続かもしれません。

私の学びたい所作や姿勢とは
なんらかの場を招集したとき
リラックスして集中できる環境を整え
そこで生まれるものを信頼する
そこに貫かれる所作と姿勢です。

それは
知であり、こころであり
技もあると思います。

あらゆる場は、学びです。

そして何より一番の学びは
自らその機会をひらき、
実践することにあるでしょう。

参加された方の動き
場の感じ
自分の、こころや身体の感じ
それらの統合された何かは
次の機会の可能性をさらにひらくでしょう。

小規模の、ワークショップやなんらかの場
一人ひとりの持つちからを活かしあう場は
地域や社会にこれから必要だと、私は思っていて

そういう場を増やし、根づかせるための所作や姿勢を
私は学び続けています。

まとまった雨降りに秋の訪れを感じます。

今日も皆さま、おすこやかに。

ものをめぐって

おはようございます。

この前、職場の買い物で小物のギフトを探しに
ロフトに行って

あれほど文房具が好き!
だったのに
いや、いまでもとても好きだけど
眺めているだけで充分になりました。

ものを増やすより
機能的なシンプルなものを
いつまでも使うほうがいい。

紙一枚、ペン一本あれば
世界は広がる。
それぞれの素材と機能が
書きやすさの価値を押し上げる
そんな逸品があれば充分。

あとは、コンパクトさ。

つまり、自分自身が身軽に動くために必要な大きさ。

ものを選ぶとは
自分のサイズを見つめることでもありますね。
身体、動き、生活習慣。


涼しい朝を迎えました。

今日も皆さま、おすこやかに。

ほしいものリスト

ほしくなったもの
・pomeraのハイグレードなやつ
・カバン
・チベタンベル

当分みおくるもの
・スマフォ

もうすこし、眺めておきます。
おやすみなさい。

いいたいことを、飲み込まずに、脇に置く

おはようございます。

相手にこうしてほしいと
望めて要求できるほうが
私にとっては健全です。

黙ってのみこんで
相手を見てみぬふり
相手の勝手にさせて、あとは自分でやる。
こうなった時の胸のうちは
穏やかではありません。

ただし
いいたいことを飲み込んだ、と思うか
いいたいことをいったん脇に置いた、と思うかは
違いがあります。

いいたいことを言わずにガマンした、と思えば
抑圧になります。
いいたいことはある、と認めて、
そのこと自体に興味を持てば
そこに評価を加えなければ
フラットになります。

いいたいことをすぐ伝えられる瞬発力はほしい。
ただ、
ほんとうにそれは、こころからいいたいことか?
は、一度吟味してもいい。

つい、言いたくなったことを
目の前に、ちょっとした棚をおき
棚上げするまで行かせずに
そこに少し置いて眺めるような。

日常の会話のなかで
そういうことができたらな
と思う朝です。

雨に潤う。

今日も皆さま、おすこやかに。

「べきだ」が話を重くする、と思ったとき

おはようございます。

昨日、仕事で問い合わせがあって
応じて書類調べたり人にきいたり
事実、何が起きているか整理しようとしました。

まず、問い合わせてきた人が、
「こうあるべきなのに、そうではないので」と
連綿と訴え

別の人に問い合わせると
「また、いつも困ったことを言う。
こうあるべきで、それは知らない」
になり

別の人に問い合わせると
「知らないなんて!
管理は○○がやるのがスジ」
になり

事実にたどり着かないまま
「べきだ」「スジだ」「めんどくさい」が加わり
話が重くなるように感じました。

問い合わせをうけた私も
「そもそも私の仕事じゃないのに」
と苛立ちはじめます。

こんなとき。

まず、「私が」話を重くしない、
というか
「私が」「何を」重く感じるかを探求します。

事実がクリアにならないこと
誰も手を出さないで誰かに何とかすべきだと「私に」いうこと。
そこで私自身が話を重く感じ、
さまざまな人を巻き込んで重くしていること

(問い合わせを受けたところで
「私は知りません」と言ってもよかったくらい)

それを認めて、
自分の姿勢や態度を軽くした上で

事実、何が起きていて
何が、どういう不具合で
何に基づいて解消するか。

をクリアにしていくことだと思います。
解決をいそぐと、
その対応から、また違う動きが二度手間をうみます

さらに
本来○○がやるべき
の部署なり人がいるのなら
そこができるように、支えることでしょう。

毎日のできごとは学び。

「私の仕事じゃない!」

「私の仕事」
とのバランスをとりながら
今日も一日励みます。

皆さま、どうぞおすこやかに。

過渡期を支える、とは

おはようございます。

つい最近
「過渡期の個人を支える仕事がしたい」と書きました。

個人とは誰か、を考えたとき
そのなかには、わたし自身もいます。

長期的に見れば
「ある一時期が過渡期だった」といえるかもしれないが
いまがそうだとか
明日からそうだとか
なかなかわかりづらい。

ある日突然、
環境の変化になげこまれる人もいるかもしれないけど
そうでなくても、あらゆる人は
昨日と明日の過渡期にいて
自分の変化の狭間にいます。

まっすぐ、話をきくこと
存在を感じてそばにいること。
閉ざした可能性に新鮮な空気を送り込めること。
その空間と機会をどれだけ増やせるか。

私もふくめて
それを増やしていきたいと
どれだけ伝えられるか。

ということを
今日はやってみようと思います。

暑さは実りへの恵み。

今日も皆さま、おすこやかに。

おちついて深呼吸のできるような環境を

こんばんは。

各自が
勢いだけに持っていかれず
または持っていかず

おちついて深呼吸のできるような
そういう環境にしたい。

相手を、自分を、クリアにみられる環境にしたい。
そういう人間関係、そういう職場、
そういうつながりを感じる環境にしたい。

ひとりでも深呼吸はできるけど
そういう間合いで誰かと見合うことができたら
それは幸せなことのように思います。

おちついたわたし
おちついたあなた
そのあいだにながれる何かを、大切にしたいです。

それは物理的で「対面」しなくても
一通のメールの行間にもながれるかもしれない。
いや、ながれてほしいのかもしれません。
ほとんどそれは、祈るように。

おやすみなさい、また明日。

キャリア考

こんばんは。

この時期、勤め先で
「3年後、どういう仕事をしたいですか」を書いて人事に送る
という行事があります。
自分のキャリア開発を考え、意志を表わす機会です

今年で書くの、3回目で、
つまり初めて書いてから2年経っています。
たぶんテーマとしては同じことをかきます。

もちろん、個人の希望の範囲で、
そのとおりになるか何の保証もないものだけど
具体的な進捗のないことにやや焦れています。
自分で道をひらいてない、努力や戦略が足りないように思う。

今やっている仕事と、直接関係のなさそうな仕事や部署。
そこにどう足をかけたらいいか、わからなくなってきた仕事。
それでも、やってみたい仕事。

私のような希望を持つ人に
「キャリアカウンセラーの私」ならどう問う?

「何をしていると、力が沸くように思う?
 何を大切にしてきた?何を大切にしている?
 自分の大切にしていること、今できることは
 勤め先のビジョン、大切にしたいこと、方針などと、
 どんなつながりがありそう?
 いっしょに働いている人とは、どう?
 無理につなげなくてもいいけど、どんな接点がありそう?
 一回、自由に話してみよう。
 いつでも語れるように、探求しておこう、
 いつでも言い続けよう、少しでも行動していこう」

かなぁ。

なんだか漠然としましたが

私は
過渡期をむかえる個人を
一律なプログラムによってではなく
その人個人に焦点をあてて話を伺い、
何を大切にしている(してきた)かを見いだすことで
その人のもともと持つ力を取り戻す仕事をしたい。

自分を知り、探求することの、
その結果として、他人との共通点やつながりを知ることの
おもしろさや深さ、開放感を伝えたい、分かち合いたい。

自分の希望は、今もそこにあります。

おやすみなさい、また明日。

うかない

こんばんは。

何があったということではなく
ちょっと、うかない。

身体は元気で
よく歩いて
間食も少なくなり(全くなしとはいえない)

それでも

仕事で
きまったことはしっかりできてるが
形をかえてもっとわかりやすくしたいのだが
と考えているoutputが
どうもうまく表現できず、煮詰まっている
という状況が二日間ほど。

何か話しだすと熱を帯びるが
資料つくりだすとと熱がこもらない
平板な感じ。

こないだ「仕事の醍醐味」とか言っていたのに(笑)
こまった、この浮き沈み
あ、沈んではいないですけどね。

周囲にまた異動があって、寂しい。
定年もあり、退職もあり、
そんなひとつひとつが、たまに寂しい。

今年はどうもこんなことをよく言っている
でも、そんな落ち込んでもいないですよ~
平板なの。それでこまってる

きりなし。おしまい。

おやすみなさい。また明日。

山登り

おはようございます。

昨日は奥武蔵の丸山に登ってきました。
昔いた部署の人たちのつながりで9人での山登り。

暑いなか、それでも山のなかは程よい木陰。
ちょっとヘロヘロっとしながら
森からエネルギーをもらって
山道を登って下りました。
森のなかに身をおくのは
なんとも気分がいいです。

私は何ももっていかなかったけど
皆さんいろいろ持ち寄って下さってて
お昼はステーキ、野菜、そうめん、アルコール。
優雅な長いお休みでした。

全身運動で、汗を相当かいたおかげで
肩こりがすっかり解消しています。
平地歩くのも、相当楽になったし。
筋肉痛は、これからだなー。

秋冬までにもう少し体重落として
登りを楽にしたいと思います。

身体は、機会あればしっかり動かしておきたいもの。

今日も皆さま、おすこやかに。

仕事の近況

おはようございます。

昨日、納期を変えてもらった仕事にようやく着手。
いくつか脱線しながら
データを集めてみて、整理して
形が見えてくると、ノッテきて
こういう構造なのか!と
ワクワク。

さて、どう見せるかなと工夫しようとして
…まずはあまり凝らずに
いちばんシンプルなアウトプットだけ
変更後納期の10日前に提出しておきました。

足りないところは
相手にきいてみようということ。
気を利かせようとしてハマる前に。

さて。
今日も別件でデータの調べもの。
なぜこういう結果になるのかを
前月との差の、いちばん大きなもの、
原因別に、もっとも大きな要因を見つけること。

地道な作業が苦手なのに
それをなんとか丹念に続けて
形の見えたところで勢いがつきます。

なんとも地味な、私の仕事の醍醐味です。

最近、気がつくと夕方がはやいですね。
今日も皆さま、おすこやかに。

一日、まずは一万歩ね

夕方の風がすこし涼しくなってきたので
夜はつとめて歩くようにしています。

歩数計を持っています。
一日一万歩、歩けると
自分の時間を保てた感じがします。

同じ道でも、
右側、左側、風景が違います。
味わって歩くと、夜道も楽しいです。

浮かんでは消える考えといっしょに
ゆるりと歩きます。

しばらく続けてみようと思います。

おやすみなさい、また明日。

足の裏を意識してみる

こんばんは。

気がそわそわしたり
何か焦っていたり
人の話を上の空できいているとか
相手に適当に合わせているとか

とにかくいろいろ
やっかいな状態になったとき

最近わたしは、
「足の裏が床についている」ということ
「足の裏」そのものを
まずは意識するようにしています。

文字通り
「地に足をつける」ということです。

すると
相手に意識を身体の正面から向けられるようになり
多少、ゆっくりと間をとれるようになります。
これで、ゆっくり一回、息を細く長く吐けると
だいぶ落ち着きます。


今日久しぶりに豪雨に足止めされました。
そのぶん、昔の仕事の先輩方と話ができて楽しかったです。

おやすみなさい、また明日。

まとまって、整理した形で、と思いつつ

こんばんは。

今日は
ここで1日!と思って夏休みをとりました。

たぶん1ヶ月前までは
月のなかでのこのタイミングでのお休みは
とらなかったと思います
いろいろ条件が重なったことはあるけど
お休みをとれたことを、ちゃんと認めようと思います。

さて。

今日は、文献やメモにあたりながら
自分のオリジナルな何かを
いれられない、いれねば、いれなくてもよい・・・
などと揺れながら、
直面できず、うたた寝したり、あいまにご飯つくったり
思ったよりも進みません。

まとまって整理した形で
自分のつくるもの、自分の書くものを出したい、
もっと目的意識をはっきり打ち出したものを
明確に表現したいものです。

自分がその対象から得たギフトや素晴らしさは
とても感じていながら
それをつたえるときの、もの足りなさに焦れます。

それでも、進めるけど。

おやすみなさい、また明日。

相手の、その先のひとたちを想像する

こんばんは。

昨日、友人と話していて

「たとえばコーチングなどをしていて
相手がかわることで、
その相手のさきの、関係するひとへ
どのような影響をあたえるかを想像してサポートする
という考え方がある」

と、ききました
なるほど、と思いました。

対面だと
相手をなんとかしようとしまいがちだけど
もちろんそんなことはできないけど
相手の「その先」を想像することは
テーマを俯瞰、
あるいはテーマに対する視野をひろげられます。

今日
エニアグラム関連の資料やメモを整理していたら
ラス・ハドソン氏のことばとして

「エニアグラムのワークショップでの成功は
自分のことが好きになる、
自分にやさしくなることで
そのひとが他の人にやさしくなること」

というメモをとってありました。

何を大切にしたいかは
自分の話すことを受け入れられようとすることや
自分の正しさを誰かに証明してもらうことではないです。
私は私をちゃんと愛する。

伝えることで、
相手が自分のことを好きになって
らくになって
周囲の人もうれしいように。

そういうことをイメージしていきます。

おやすみなさい、また明日。

魂をつないでいくこと(エニアグラム研究 ドン・リソ氏の訃報に接し)

いにしえの神秘である図形で
性格の光と影をあらわす「エニアグラム」
その精緻さは、知るほど、実感するほど感嘆します。

特に、
個人の内なる動機、くりかえす人生のテーマを発見できること、
究極に選択肢の狭まった状態から無限に解放された状態まで
ひとりの人間の成長の可能性をクリアにするところに
エニアグラムの大きな魅力を感じます。

つまり
「不健全な人」「健全な人」がいるのではなく
ある人の、不健全~健全な状態、という考え方です。

私にとってこの理論は
ひとは、私は、
過酷な状況にあるじぶん(誰か)と歩み、
よりよくかわってゆける、存在を信頼できる
という礎になっています。

「健全度の理論」を世に送り出したのをはじめ
エニアグラムの精緻さと明確さを生み出した第一人者
ドン・リソ氏の訃報に接しました。

長年、リソ氏、ハドソン氏を日本に迎え
エニアグラムの真髄をつたえてきた
C+F研究所 高岡よし子氏のブログ
http://ameblo.jp/yoshikotak/

ここに、
深くエニアグラムに触れてきた
多くの先達の思いの集約があり
とくに、リソ氏とともに研究と実践を究めてきた
ラス・ハドソン氏のメッセージもあり

これ以上何もいうことはなし。

リソさん
エニアグラムを、この世界に、
ありがとうございました。
本質につながり、成長の可能性を生きる
その魂にふれて、つないでいけますように。

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