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  • エニアグラムあなたを知る9つのタイプ(基礎編)

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荒れて、静まる

最近仕事場で、他者にどうもあたり気味で
会議の途中で集中がとぎれて話が見えなくなったり
イラっとする感じを応対に出してしまう。

それでもダッシュで、終業後は
アティテューディナル・ヒーリング(AH)グループへ。
http://www.ah-japan.com/locations.htm

聴く。
その静謐。
バランスがとれていく感覚。

おちつきました。

おやすみなさい、また明日。

忙しいとはこころをなくすと書く

のですよね。

いっぱいやらなきゃいけないことがでてくると
かえってショートしたみたいに手が動かなくなる。

おちついて、淡々と積み上げたいものです。

「あ、わかった、じゃ、それやっとくね」
「え、その時間、おでかけじゃないですか」
最近は同僚のほうが、
私の「外出予定」「会議予定」に詳しい(笑)

フォローに感謝して。

明日もみなさま。おすこやかに

エニアグラム)性格の衝動を慈しむ

おはようございます。

今朝はエニアグラムの話をします。

気質(もってうまれたもの、輝き)と
性格(身を守るために身につけてきたもの)。
気質は変えられないものの
性格は変化しうる。
成長の可能性がある。

性格は「変化しうる」だけで
性格そのものを消すとか
コントロールするとかではないと思っています。

衝動的につい「自分のパターン」で動くのを、気づく、止める、とはいうけど

衝動そのものは起きると思います。
衝動を「いつものように」かわしたり、なかったことにしていると
「いつものように」の先に現実(のようなもので、似て非なるもの)がこびりつき
狭い世界がてきるように思います。

また、衝動の封じ込めは、エネルギーを鬱屈させるとも思います。

性格で、ついやりすぎる、つい責めすぎる、
つい、やってしまうことを
まずは気づき、認める。

それだけでも、
自分と、同じくその衝動にゆれる他人を
慈しむことができる。

その可能性のゆたかさを
エニアグラムは教えてくれます。


南関東、梅雨寒です。
どうか皆さま、おすこやかに。

歩こう、歩こう

毎年、巣鴨のクリニックで健康診断をうけています。

今日はそこから
文京区千石、白山、小石川、関口とぬけて
新宿区早稲田、戸山、若松町をぬけ
新宿御苑をとおって
渋谷区千駄ヶ谷へ
シメは明治神宮。
15kmくらい歩いたかな。

途中、
コーヒーのんだり
御苑の芝生で寝転がったり
のんびりのんびりでした。

東京23区の文京、新宿、渋谷区あたりは
坂が多いです。
今日も様々な坂をのぼったりおりたり。
坂には名前がついていて
名前の由来の立て札をみて楽しんだり。

これは、やや年配の人の趣味ですわね。

旧家の構えがそのままのこる町並み、
町中にいくつもある深い林、
すっきりとまっすぐ貫く細い道、
急にひらける大通り。
色合いが様々で飽きません。

散歩、いいですよ。

おやすみなさい、また明日。

何に学び、判断するか

人によるとはおもうけど

そのときのその判断は
日頃の小さな決断の積み重ねで磨かれ

身近な人の立ち振る舞いに、
その決断の確かさや有り様を学びます。

磨いていきたいと思います。

おやすみなさい、また明日。

手当たり次第でやや散漫な一日

仕事で、少しずつ進んでいるようで、やや散漫。

簡単な仕事は先に進められている。
あちこち手当たり次第少しずつ。
本当に考えなくちゃ、やらなくちゃいけないことが
あとまわしになってる。

朝起きたときに
どーんと、寝足りない、進んでいない感じで
よどんでいたのを

弁当作って手を動かしていくうちに
少しずつかき回していきました。


ある程度枠組みを自分で決めて
この範囲だけ、まずしっかりやろう
って思えると進めます。

もっといいものないか、
と、あまり具体的なレベル設定無しに
焦って追い求めたり
「こうあらなくては」という役割を背負おうとすると
空回りして、悲しみや怒りがわきます。
相手の動きに不安をもったり
期待して落ち込んだりします。

ひとつずつ、消化。
ひとつずつ、積む。

おやすみなさい、また明日。

自分主語で動くとき

「私はこう思う」というのがあれば
「こう思う」で止めないで
「私はこう思います、あなたはどうですか」
と行動までいってほしいものだよ。

と、人に思うときは
自分もそうなんだろうな。

あるいは
「自分は(いやでも、面倒でも)そうしてるのに」
「自分はそうさせられているのに」
というのがあるな、きっと。

私には決められません

というふうに言えるのもひとつのあり方でしょう。

◎◎さん、きめていただけますか。

と言えるのもひとつの才能でしょう。

自分主語で動こう
というのも時と場合によるかもしれないが、

少なくとも
「そうさせられている」と思ってストレスためるくらいなら
だれか、きめてくれ~と言うしかないんだろう。

あるいは
「本当に、自分は、こう思う」
っていうところまで納得してから動くかです。

おやすみなさい、また明日。

同じような仕事してる人とがっつり交流したくなった件

こんにちは。

今日は研修に出させてもらいました。
4時間みっちり講義をきき
論点も整理されてて聞きやすく。

知識面の研修は、
異なる職務の文脈や背景を
短時間で集中して理解するのに役に立ちます。
仕事上の実務では矛盾も困難もあるけれど
それはそれで、またがんばろうと思うのでした。

さて。

IT投資の会計と税務
というピンポイントなテーマに
どんな職種の人が集まっていたのだろう?

こういうテーマに、前のめりでやってくる人は
例えば私どもの所属組織では500人にひとり、位だと思うし、
少なくとも「同じ仕事してる」人が周りにあまりいないと思います。

そんなんで、
今日集まってた人と、自己紹介して情報交換して…

…は、さすがにしなかった。
おとなしかった。
あー、でも、すればよかったか。
勿体なかったな。

私にとって、研修は、
どうも最近そちらの姿勢のほうがノーマルになってることに気づきました。

総論ぽくなるとつまんないけど
実務担当者はそれなりに苦労してるような
職務の境目あたりのテーマで
横断的にがっつり話す場は
つくらないと、ないもんね。

なんだか朝のラッシュより混んでる
台風待ちの池袋駅です。
そこかしこ、ご無事でしょうか。

どうぞ皆さま、おすこやかに。

物理に手をそめてみる

こんばんは。

職場の同僚にエニアグラムの本を貸したらば、
お返しに貸し出された
ブルーバックス二冊。

私は物理について
高校生活の最初の2ヶ月で閉店してました。

最近
「速さ」「速度」「加速度」の違いを
その同僚の説明で
実に30年を経てわかったので

こういう程度の私に面白そうな本を紹介して
といったらば

二冊。

数式に、くらっ、とするけど
読んでみます。

熱力学の本と
連分数の本です。

理系の皆さん、ワクワクしますか?
私はアドベンチャーな気分です。

おやすみなさい、また明日。

人の気持ちじゃない、自分の気持ちのほう

前の日記の続き、になるかな。

「相手の気持ちに気づいたけど」と書いたけど、
相手の気持ちを、私がどう受け取ったか
もう1回書くけど
「私がどう受け取ったか」が肝要だった。

相手の気持ちは多様で
簡単にはわからない。
確かめもせずに、思い込んでいることのほうが多い。

というより

私の気持ちのほうに
どれだけのたくさんのことがあったか
それを私自身がつかまず、受け取らず、認めていない
ということかもしれない。

人との間で、私にはたくさんの気持ちがおきます。
人に対して、自分に対して。
いちいち対応していると面倒なので
ある程度、気持ちの動きにふたをして、その場をかわす、
気持ちは密かに、相手や場からの全面撤退をきめこむ。

それで「相手の気持ちをうけとめよう」としたら
うまくいかない。

他人の気持ちじゃない、自分の気持ちのほうを
もっと多く、気づいて、認めたいものです。
充分それができて、はじめて
自分の気持ち、相手の気持ち
それぞれを分けられるってことかと。

それはもう、日々是精進です。

おやすみなさい、また明日。

うまく、いかないなー。

ほんとうは
事柄じゃないんだ。

みてほしい、
仲間として暖かくかかわってほしい、
尊重してほしい、

相手はそういってるんだって
気づきかけたのに

事柄のほうに、ノーと言われたことに
先に、しゃくに障ってしまった。


やれやれです。
気持ちを受け取る。
修行です。

おやすみなさい、よい夢を。

場と支え

今日、ふるくからの友人の主催する座談会に誘ってもらい
イスラム教について、お話を伺う機会を得ました。

ひとなみ
http://hitonami.net/

いままでまったくつながりなく
テレビでみる印象でしか知らなかったけど
今日、ぐっと近づいた感じがしました。

帰る道すがら、場と支えについて考えていました。

「場」も「支え」も
ひとがいて、ひとにできる、
必要なちからの基のように思います。
そこに宗教のはたす役割は
どの宗派でも、これまで続いてきた歴史のなかで
大きいように思いました。

いままで自分は「無宗教」だと、思っていたのだけれど
そういうわけではなくて
宗派に属していなかった、というだけで
なにか、本質につながるようなものや
思わず手を合わせるような出来事には
関わってきたなぁ。

おもしろかったです。

皆さま、明日もどうぞおすこやかに。

エニアグラム)「なぜそのタイプか」の問いに繊細に関わる

こんばんは。

唐突に「エニアグラム」の話を。

「エニアグラム」は
その人の持つ輝きと課題と成長の道標として、
なかなかに精緻です。

自分の動機を知る、探求するのは
私にとって興味深いことです。
同時に
「エニアグラム」に興味を持って下さった方と語るとき
より繊細に関わりたい、とあらためて思うところです。

自分の性格タイプを探求する、というのが、
エニアグラムに触れる、ひとつ大きな醍醐味です。
そこでは
「なぜ、そのタイプだと思うか」
という問いがあります。

本を読めば自分で問うし
他人と探求していれば人から問われることもあります。

この問いに対するこたえは
とても繊細なものです。
日頃、他人には見せない面に突き当たることもあれば
自分で自覚のなかったことに、こつん、とあたることもあります。

「なぜ、そう思うか」のなかに
崩れそうな、溢れそうな
何かがあるかもしれません。
もちろん、軽やかな、喜びに富んだ何かもあるかもしれない。

いずれにせよ
この問いについて
胸の奥のなにかに触れる繊細さを
自分に対して、関わる人に対して
忘れずにいようと思います。

私は、すこやかさを
新しい毎日を、興味深く、いきることのつみかさねによって
育てていけると思っています。

それは何より、自分自身と、関わる目の前の人と
繊細に関わるつみかさねです。

「なぜ、そのタイプだと思うか」の探求に
知識だけではなく、
気持ちや姿勢の新鮮さ、繊細さをもって
あたりたいと思います。

なんだか、決意表明に終始しました。

明日も皆さま、おすこやかに。

円い木漏れ日

こんばんは。

午後から雨が降るというので、
朝、川沿いの道を長くあるいて通勤しました。

途中ふと、眼鏡をはずしてみました。
矯正しないと視力は0.05くらいかと。

緑の多い、ソフトフォーカスな画像は
残念ながら写真には撮れないです。

今日の発見は
木漏れ日がすべて○になっていたことです。
まるで木々にイルミネーションのかかるがごとく。

こんなにも、すべて、円い。

情報量をあえて少なくすると
素敵なものが見えることもあるようです。

今日は本当に眠いので、もう休みます。

おやすみなさい、また明日。

工藤公康さんの手書きノートにシビれる

こんばんは。

今日、携帯を忘れたので
駅で「日経Associe」2012.07月号を購入
http://www.nikkeibp.co.jp/article/associe/20120607/311676/#toku1
「仕事に効くノート術」ということで
様々な人のノートや文房具、その使い方を見ていたら

いつもより、手元の「ほぼ日手帳」に
書き込み量の多くなる
すぐ影響されるタチにございます。

もともと文房具は大好きで、
「伊東屋」に放ったら、一日でも居てしまいます。
それでなおかつ「手書き好き」なので
もう、紙、ノート、ペンにはなかなか思い入れがあります。

まぁ、もちろん中身ですよ、ええ。

今回、「日経Associe」で
工藤投手のノートが紹介されていました。

ご本人は
「(現役時代)自分で身体で覚えていたころは
ノートをほとんど使ったことがない。
今はことばでつたえなくてはいけないから」
とおっしゃり、ノート術を教わるという特集。

ノートに手書きされている
思いが文字にあらわれているような筆跡や文章には
こころ動かされました。

何か方向転換をする(した)ときの
しなやかさも感じられて
知は、こういうところに宿るのではないかな
と思った次第。

ご興味あるかたは、どうぞご覧下さいまし。

それではみなさま、明日もどうぞおすこやかに。

ながい散歩

ながい散歩
こんばんは。

今日は午前中、行き先を決めない散歩を。

自宅から近いところでも
まったく通ったことのない道に
新鮮さを感じ

いつのまにか周回コースを選んでいたり
空に勢いを感じたり

おっと、うっかり、
日に焼けてしまった。

おやすみなさい、また明日。

経験と年月はあながちあなどれない

こんばんは。

今日は学生のときの友人と久しぶりに再会しました。
利害関係なく、様々な活動や側面を見て、ともにしてきた数年の後
それぞれ違うところで生活してきました。

あのころのそれぞれのありようのまま
今日、目の前にいて
ただ、話をきいていると
職業体験もその後の人間関係も違うなかで
積み重ねた経験と年月が
確かにそのひとの支えになっていると思いました。

ものの見方やとらえ方に
拡がりや落ち着き、
何か裏打ちされたものを感じました。

若い頃には得られなかったかもしれない
周囲からの信頼。
経験してきたことで得られるリスク対応力。
(「回避」も「受容」もある)

できなくなることを数えれば、それなりにあるけれど
もしかしたら「衰え」すらも、
私を含め、その人のちからだと思いました。

主観的には、そんなに割り切れるものではないかもしれない。
でも他人をみると、そう思います。

おやすみなさい、また明日。

もう少し、関心を

娘の部活のママ会。
今年になってお声がかかり、
4月に昼の部、今日は夜の部でした。

こないだ体育祭があり
私は平日だし行かなかったけど
なんだか皆さん行ってて
詳しかったです。

皆さんからきいて
まるでその場にいたかのように
おもしろかったけど

昔から、
ママ友に娘の日常を初めてきく
なんてことはよくあったのだけど

もう少し、関心をもつというか
いや、関心ないわけではないけど
もう少し、娘のリアルな現場に足を運んだほうがいいかな


笑顔の娘の写る
集合写真をもらって見ながら思いました。

これから大きな大会などのときに
協力しあう母たちなので
これからもっとなかよくなれたらいいと思います。

おやすみなさい、また明日。

歩くってすばらしい(らしい)

こんばんは。

よく、「健康保険組合」が主催して
webサイトつくって、
個人に万歩計ではかった歩数を
「一日ナンボ歩きました」って登録させて
東海道あるきましたとか世界あるきましたとか
ランキング公表したりすること
どうも、けっこうあるらしいですね。

この4月から5月で、私も職場で参加して
お遍路も行ったし、余裕かな、と思ったら

いやぁもうぜんっぜん。
ケタが違った。

47日間あって
私は途中参加で31日分で46万歩(平均16000歩)で。
遍路中は50,000歩とか歩いてるからそれはそれくらいいくとして
ただしこれは1354人中334位で、いわゆる「並」。

トップ30位の人たちは軒並み100万歩を越えていて
トップは230万歩、って、ねぇそれどうなってるの?
1日平均25000歩~30000歩ってどういうこと???

というわけで、今回、参加した人たちの飲み会によばれて
いってきました。

分かったことは
仕事してる日に20000歩とかあるく人は
・1日に1.5~2時間は「ちゃんと」歩いている。
・1日に細切れに、さらに1時間は歩いている。
・駅のホームを電車待ってる間にも歩く。
さらに休日に一日中あるく。

そうしているとね、歩けるらしいですよ、100万歩。
今日4人も会ったもの、身近で働く人たちで。

歩くっていいことづくめで
血圧もさがった、体重もへった、前向きになった、
もう、とても楽しそうなのですよ。
オトナたちが。

健康保険組合のwebサイトは期間を終えたのだけれど
これから、今日の飲み会の人たちと
excelファイルを共有して、続けることになりました。

あついし、つゆだし、まあ、ゆっくりと。

若輩モノ、がんばります。


おやすみなさい、よい夢を。

まだまだ足りない

仕事で。

誰かに何か伝えるときに
自分の分かっていることを全部「話そうと」する
これだと相手にとって情報量が多すぎます。

全体像をポイント絞ってつたえて
元々持っている相手のキャパシティを
充分拡げてから、詳細を伝えるようにする。

相手の様子を見て
どのようにメモをとってるか、どこを見ているか
どういう質問をするか、とか
状況を把握しながら伝えていく。

今日は、
そういうことがまだまだできてないと思った次第。


今日はもうひとつ
全然別の場面で。

相手が、行ってきた研修の話をとてもいきいきとしていて
その話は私もとても惹かれる話で
こっちも話したいけど、一方的になっちゃいけないと
控えめに相手の話を聞いていました。

で、相手の取り出している研修資料を見て
これだけ相手をいくらでもしゃべらせるくらい
確かに面白い研修なんだよなぁ・・・
私もこの研修をきっかけに、学びの道に踏み出したし。
で。
この徹底した「伝えっぷり」と比較したら
私はまだまだだ、と思いました。

とても大好きなことを伝えるのに
私はもちろんエネルギーを傾けられるけれど
コンテンツについては、やや控えめです。
ひとつのことをなるべく正確に極めるような
コンテンツのつくりかたをする。
でも、人を巻き込むような徹底した情報提供や
相手をみての伝え方の工夫は、まだまだ足りないと思いました。

足りないことを見るのは「のびしろ」の発見でもあります。

おやすみなさい、また明日。

できる と やりたい と できる? と やりたい?

昨日は「やらないことを決めよう」
といっていたソバから

「やれるチャンスだからやりたい、どうやったらできるか」
って考えたり動いたり説明する今日でした。

同時に「やれる?」ってツッコミも入れる。

何人も自分がいるような気分は、常に容易におとずれる。

つまり
できる と やりたい と できる? と やりたい?
が瞬時にくるくるアタマをめぐるという、
めんどくさいヤツよの。

明日、また冷静に。

おやすみなさい、よい夢を。

やるべきことより、やらないことをきめる(難しいけど)

仕事にて。

6月に入り、四半期の締めも目に入るようになりました。
ちゃんと締めて、次の四半期の準備・・・と
ざっと日程表と課題を見渡して
軌道修正というか、そろそろ
「これだけはやる!(でもこれはやらないか、誰かに渡す)」を
決めなくては、という局面です。

どうも、柔軟で「動ける」判断をしているつもりが
やや場当たり的になって
締めた(区切りがついた)課題がなく、やや焦っています。

動きを止めてないこと自体はよく頑張ってるとおもうけど
もっと焦点を絞ると、動きが有効になるのと
課題が周りと分け合いやすいかなと思います。

やや抽象的ですが、リリース。

明日も皆さま、おすこやかに。

ためていたことをゆっくりやる一日

自宅で
ダイニングテーブルに「これでもか」とためていた
書類やDMをかたづけて
袖机にためていた古い書類や小物を整理して
メールをだして、SNSで挨拶して
万年筆を掃除して

やってみたら結構長く気にしていたなと。
毎日少しずつでもやればいいのに。
こういうときは思います。

机をすっきりさせたので
積んでいた本もだいぶ読めて
相当眠くなったときには休んで
マイペース限りなし。

こういう一日は、私にはとても大切です。
明日からまたクリアな気持ちで臨めます。

おやすみなさい、また明日。

変わっていく親であり子であること

こんにちは。

いきつけの美容院を、実家のそばにしています。
娘もつれて、定期的に実家に寄ります。

最近父が、弟の娘(2歳)を公園に連れて行って遊ばせた
と、母。
「へぇ?! 実の子には、一生に一度あったかないか、じゃない?」

父親は月~土まで朝早くから夜遅くまで外にいて
日曜日はほとんど家で寝ていました。
3人いた子供の、たぶん運動会も行ったことないと思う。
そのことを当然だと思っていて、何の不満もないのですが
父の「孫へのフットワークの軽さ」は、私たちきょうだいには驚愕です。

母は
「それでも、(一番上の)あんた(私ね)までは行ってたのよ、公園に。
その次(妹と弟)からは行ったことないけどね」
あ・・・覚えていません。すみません。

そのあと妹がいうには
「私は1回だけ、おもちゃ屋さんにつれてってもらったよ。
今でもよく覚えてるし、そのぬいぐるみはなんとなく捨てられない」
実家にまだあるのだそうです。

弟は、「俺は何もない」っていうけど
「あんた生まれたとき、お父さんでんぐり返しして喜んだよ、
男の子だ~って。そういうの、私たちは、ないよねぇ」
姉である私と妹はすぐ言います。

子がそれぞれに
自分たちにとって大事な思い出をそれぞれ持っていて
でも、おそらく「それだけではなかったのだろう」けど
子供の側は別の場面を、覚えていないものです。

孫たちへの「かわりよう」と、子供の私たちには思えるけれど
孫たちはストレートで、寝ている父に
「遊んで」「オモチャ屋さんに連れてって」って手を引っ張るわけです。
もう、その行動は目を見張るものがあります。
子である私たちは、そんなことできなかったな、と。

・・・いや、
できたかもしれない、したかもしれないのです。
覚えてないだけかもしれない。

親に思うこと、思い出。
子に思うこと、思い出。
それは今この場のことではないです。
それぞれは、変わっています。
子だった私の見ていた親は、ひとりの人の一部であったし
そのあと私の中で変容している姿のように思います。

とりとめないですが、思い出話など。

おやすみなさい、よい夢を。

一週間をかけぬける

こんばんは。

この一週間は、かけぬけた感じです。
少し、芯に近いところでの、疲れというか
ちょっとあるので

じっくり寝てみます。

おやすみなさい。

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