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エニアグラムのワークショップを準備する

ひょんなきっかけからサポートを得て
5月末に
エニアグラムのワークショップをしようとしています。

A4で1枚のコンセプトは、すぐ!できて、
きていただきたい方にはお声をおかけできて

さて。
そのあとの資料づくりは、やや難。

これまで多くのinputも、ワークの体験もあって
そのつど、気づきをブログに書く、など
してきたけれど

いざ、資料にしようとすると
「(これまでのinputと)合っているか」
「オリジナリティがあるか」
の間でゆれて
資料の量や体裁のほうが気になったり

話がでてから2ヶ月は経つのですが、
資料のできは、半分くらい。
それも全部印刷してみると
モレやダブリや、「うーん・・・」という感じです。

それでも。

出力するとそこから「やはりこれは伝えたい」という
大切に思うことや、どう伝えるかが出てきます。

多少煮詰まったところから
今日はサポーターとミーティングして
具体的な準備から、場のイメージまで話して拡げて
モチベーションをエネルギーにできました。

今できる、おつたえできることをしっかりと。

励みます。

つながりをラフに描く

こんばんは。

自分でイチから
構造的につながりを組み立てるのは
あまり得意ではありません。

でも、
どうもよくわからないあいまいな事柄たちを
「こう、つながってるんじゃないですかねぇ」

もんのすごいラフな絵と曲線で描くのは
実は得意(好き)かも、と思います。

何か話をしていたり、きいたりして
「あ、それとそれは、こう、つながってるかも?」と
気がついたことを
そこらの紙に落書きのように描く。
そのときのペンはやや太め、鉛筆なら柔らかい芯。

これがパソコンだと、どうもうまく描けない。
キレイに描こうとして、そっちのほうに頑張ってしまって
あれ?なんだったっけ?となる。

で、キレイにしたところで
よーく構造的に練って整理すると
抜けやダブリがぼろっぼろでてきて、凹みます。

つながりを描くのが好きだ、得意だといっても
伝えるときには、もっとシンプルで
要素とつながりをクリアにしないとね。

それでも、ああそうか、
共通理解のためには、
絵をかくことをサボらないでいようと今週は思いました。

口頭でしゃべっていると
思いつくようでいて、つるつる逃げていくので。


おやすみなさい、また明日。

成果物を、ちゃんと。

課題は増えて
イメージ先行で
成果物の実らぬまま
手近の事務作業を手当たり次第にこなしていて

こういうときは
焦りはあるし、人に冷たいし

いかんです。

成果物にいたるまでを
アタマのなかだけにしていて
成果物をつくるのを
まだるこしく思うけど

成果物をなかだちにして
はじめてチームは協力できる。

その手間を、甘えて惜しんではいかんのだ。

ま、ファイトってことで。

おやすみなさい、また明日。

必要なのは、しないことを決めること

おはようございます。

ふだんの仕事で
もっと、すっきりした
データの流れと保存のしくみを作れば

そもそも、もっと保存の拠点を絞り込めば
早くて効率よくいくと思う。

やろう、しよう、と思うと
今は道具の性能いいから、
やれて、できてしまう。
いくらでも個々の加工と
個々の発信ができる。

ややこしいのは
システムじゃない、
なにかをつくりあげて壁をつくる
人のほうです。

やめる、やらないを
抽出するほうが
たいへんだけど、必要なこと。

さっ。
今日もそんな決意で。


日傘を開きました。

今日も皆さま、おすこやかに

お遍路の旅程を考える

こんばんは。

GWが終わったらお遍路に出ます。

さっき、およその旅程を考えて
行きの夜行バスは確保しました。
あとはもう少し練ってから
帰りの足を確保します。

考えているときはわくわくしつつ不安もあります。
歩けるかなぁ、とは考える。
実際行くとなんとかなる
というか、
行ってみないとなんともいえない。

さて
あと2週間は、
平日も休日もみっちり濃いめです。

なにより、よく寝るようにします。

おやすみなさい、また明日。

家族もかわっていく

こんばんは。

今日は、
弟の娘のお喰い初めに、
義妹のご両親も遠方よりこられて
会食でした。

義妹のご両親は
実は私や妹とあまり年が離れていないため
昔、高校生ってスカート長かったですよねとか
そんな話でつないだり。

その会食の途中で
私は弟の年齢をきいてびっくりして
母は私の年齢をきいてびっくりすると。

・・・もちろん、計算すればわかることを
普段はあまり、意識してない。

自分の弟が40の大台にのったり
自分の娘が50に足をかけようとしてたり
ピンとこないわけですよ。
いつまでたっても、ちいさい印象だと。

その目の前で、子供だ、孫だ、
さらにちいさい存在が走り回っているのにね。

そしてきっと
この、年をとっていく家族は
今日もゆるやかに形を変えている、と
思ったのでした。

おやすみなさい、また明日。

書くことは考えること

こんばんは。

いま休日にこつこつやっていることは
エニアグラムのワークショップにむけての
資料の作成です。

いや、脱線も多いが^^;

今まで学んできたメモも本もあるので
書けそうなものなのですが
これが、進まない。

「こうだから、こうだよ!」って
アタマのなかでは
つながってるつもり、だが
書いてみると、すっとつながらない。
資料やメモをひっくりかえしながら
通るように考えて書きます。

実際はワークショップは
何か実践していただく機会のほうを
重視した構成にしよう、とは思いつつ。

当日資料にするしないは別にして
1回書いてみないと、すっきりしないかも、です。

書くことは、考えること。

おやすみなさい、また明日。

ことばを少なく、切れよく

こんばんは。

ことばを多く使うときは
甘えや衝動がある、と
私にはそういうところがあります。

その瞬間に適切な、必要で十分な量の
ことばがあると思います。

こころにつながって語ることばは
それほど多くはならない。

くちをついて出たことばは
一輪の花のようでありますように。

おやすみなさい、また明日。

赤外線通信は苦手

こんばんは。

唐突ですが、私は、
意外な機器を、たまにさわれない。
ビデオとか、だめで、

あと、
携帯の赤外線通信が苦手です。
スマホでも、あるんでしょうか。

携帯ユーザーで、
それもハードは夫にオークションでおとしてもらってて
機種を交換することしょっちゅう。
ろくにトリセツを見ないまま
どこに赤外線ポートがあるかわからない、覚えない。

今日は久しぶりに、
新しい「ママ同士コミュニティ」に参加して
メアドの交換♪ 
・・・ ができなかった。

赤外線が当たり前!の人たちは
メアドを、いまや、自分で入力することも
自分のを覚えている必要すら、ないのね。

結果、名簿係をかってでて
みなさんに私のメアドを書いて配って
メールを送ってもらって、同報したのでした。

ちなみに、家に帰ってトリセツをダウンロードして
赤外線通信、ちゃんと覚えましたですよ。
自分にできることは、小さくそのつどクリア。

おやすみなさい。

お預かりするということ

おはようございます。

私は
組合員さんからお預かりした出資金を元手に
事業を行う団体に
雇用されています。

事業そのものは、
同業他社と変わらないです。
ビジネスモデルも必要なスキルも。

よく、
生協は利潤を追求しないんですよね
といわれることもあります。
そんなことはない
利潤、必要です。

それは、
組合員さんからお預かりしている出資金
そこで利用していただく事業
存続や保全のためです。

私は社会人になってから
生協でしか働いたことはなく
この
「お預かりしている」価値観を
新人のころ教わり、
今は少しあらたまった普段着のように
持っています。
たまに、うっかりすることもあるけど。

私のお給料は私のものだし
自分にできることを提供し伸ばしていくのは
私の責任と楽しみです。

でも
今日扱う、自分の手の先に展開する仕事も
使う資源も
お預かりしているもの。
組合員さんの活用できる事業のためのもの。

もちろん、生協でも人にもよるけど
私はそのような仕事観ではあります。

だからこそ
仕事は共有できる形にしておきたい。

そして
そうできない、
責任と履き違えて抱え込む
自分の衝動や行動と
「預かっている」という価値観をてらして

省みるのです。


春爛漫。

今日も皆さん、おすこやかに。

「みてみぬふり」にとりくむ

おはようございます。

唐突ですが、私は、みてみぬふりをしがちです。

みて、と
みぬ、の間に
「どうしよう、何かおかしい、でもそれもありか、間違ってると思われるといや」
を相当数、アタマに浮かべています。

みて、も、みぬ、も
どちらも認められないのです。
だから、みてみぬ「ふり」ですよね。

どうしたらいいかな、と。

まずは、
みてみぬふり、の
「みて」にどれだけ気がつけるかだと
私は思います。
瞬間は必ずある。

で、「みぬ」に決めそうになる瞬間にも気づく。

つきつめれば
「みてみぬふり」しているそのトータルを
責めすぎず、ただし、見逃さないことかと思います。

「みてみぬふり」している、したあとの苦さを
思い出そう、かな?
いや、でも
その瞬間は早いからなー。

気づいた瞬間をどれだけ信頼できるかだと、私は思います。


桜をこの世の夢のように
葉桜を、現実に根ざしているように感じます。

どうか皆さま、おすこやかに。

自分にできることを正確に伝える

おはようございます。

週末
急な話に乗っかって
お手伝いに入りました。
結果として貴重な経験で
ありがたいことでした。

想定外のことのおきたそばで
なにかを手伝うときに
自分のこころがけることは

・できるかぎり、自分の時間をフリーにする
・できることを、短く正確に伝える
です。

急だからといってバタバタしない。
そのためにも時間は思い切り空ける。
その上で、できることを正確に伝えます。
急だからこそ、
できるだけがんばります、ではなくて、
できること、です。

急な機会には、多くの学びはあるけれど
それはやはり結果です。
「自分の学びのため」だけではない
貢献の姿勢は保ちたいと思いました。


今日も皆さま、おすこやかに。

自分を主語にして、その場にかかわる

こんばんは。

どこかの誰かとか、一般論ではとか
権威のある○○さんがとか
主語を明確にしないで
物陰からモノいうような

・・・そんなこと、こういうふうに書くと
なんだか卑怯だなぁ。
でも、していること多いです。
少なくとも、私は、です。

お墨付きがほしい、
そんな衝動は常にある。
「私は、今、こう思う、こう感じる」
それを伝えるだけなのに、びくびくする。

それでも、
自分を主語にしてその場にかかわることは
本当に
その場と、自分自身を大切に思うなら
それらをもっとも安全にします。

我慢して、あえて打って出るとか乗りこえるのではなく
自らの心の姿勢で自らを支えるということかと。

おやすみなさい、また明日。

聴く、話す、探求することの可能性

こんばんは。

あちこち学びにでかけるようになって
もうすぐ5年経ちます。

あらゆる学びと表現はつながり、
あらゆる機会は探求の場となります。

すこやかさをわかちあいたい。
自らのなかにある芯を育てたい。
こうありたいという核のようなものは
わたしの胸に確かにあります。

その核を
つながりを感じる、出会った皆さんと
わかちあえたらと思います。

自分自身と、他人と、つながり、
聴く、話す、探求することは
お互いを支え、育てます。
その可能性を
私はこれからも拓いていきたいと思います。

おやすみなさい、また明日。

こうやればできそう、がまだ見えないとき

こんばんは。

仕事で。

慣れていて、よくわかっていることを
効率的に首尾よくすすめることは
面白いし、得意。

あまり詳しくない電話を受けたとき
たらい回しにしないように
担当者を探すのも
わりと、得意。

苦手なのは
こうやればできそう、が見えないときに
人に振ったり相談すること。

自分で見ようとして
答えを探そうとして
でもイメージだけは見えてて
(見えているような気がして)
そのまま抱える。

こうやればできそう、を
もったいなくて手放せない。

得意な人にハナから任せて
こういうのがほしいんだ!
とだけ言える力をつけたいです。


おやすみなさい、また明日。

新チーム Go GO!

春は職場でもメンバー変動の多い時期ですね。

私も久しぶりにメンバーの入れ替えで
新しい役割分担を推進中。
それまでのお互いの経験や視点を
ふとしたときに活かし合っている状況です。

たとえば、わたしは
各部からの問い合わせや要望を
毎日なにかしら受けているのだけれど

別の部ではすでに運用している
「おきたことと対応を記録し、共有・活用するシステム」で
記録してみてはどうでしょう?
どれくらい、日や月のうちにあるものか蓄積したら
他の人が対応できるようにもなるのでは?
と発想してくれたのは、新しい同僚。

私のほうは、
もう少し大きめ、というか
outputと目的だけ伝えてプロセスを任せるように
仕事をシェアしたいところ、
どうも「小さく」わたしがちです。
同僚に
あまり先をみずに「とりあえず」の突破に
目標を小さくあたらせてしまってないか。

仕事は、ばたばたしないで、
特に今時期、
「重要で」「緊急性のない」ものを抽出してじっくりやりたい。
そこには、
同僚や上司とどう仕事をわけあうかも含まれます。
日々「緊急性」にしがみついて自分でこなそうとする。
イカンイカン。

そうこうしているうちに
最近「職場学習」と「越境学習」というキーワードに
ふれまして、興味津々。
春を契機に、
目の前の大人たちとどう仕事で(仕事に)学ぶか
深めたいと思います。

それでは皆さま、また明日。

口内、あなどりがたし

おはようございます。

昨日、歯を抜きました。
歯周病で、歯を支える歯茎を壊してしまい。
虫歯はなくて、
抜いた歯はかなりしっかりしているのに
もったいないことです。

ふりかえれば
ほとんど歯医者さんにいったことなかったのに
35歳位から、たまに歯茎が腫れるようになりました。

炎症を薬で抑えたり
腫れをつぶしてもらったり
その時は処置してもらうんだけど
おさまると、歯医者さん行かなくなるのよね。

で。
この3年で何度も腫れるようになり
ついに2年前から断続的に何本も抜くことに。

虫歯になりにくく、歯石のつきやすい
唾液の質があって
私のは、それなんだそうで

歯石じゃ痛まないから
ってほっとくとね、
歯茎側に侵食して膿んだりしてるうちに
歯の土台が溶けてますますぐらぐら
悪循環なわけですよ。

私はかなり悪くなってから通い始めたので
結果的に2年で4本抜いて、
ブリッジというやりかたで
抜いたあとに人工の歯を入れました。

保険適用外を選んで
ブリッジの調子はすごくいいかわりに
容赦なくお金はとんで


いやーもー、何度でもいう、

腫れてからではやや遅い。
美容室でもいくつもりで
歯石除去はオススメです。

サクラ吹雪。

今日も皆さま、おすこやかに。

値段をつける

おはようございます。

自分の成すことについて
値段をどうつけるか
ということを、最近考えます。

私は雇用されてて、月給が入ります。
この月給は
私のやっていることの価値
何を生んでいるか、と
まったく関係ないとは言わないけど
直接結びつく形ではありません。

私が何かを提供するとして
そこにどういう対価をつけるか
値段をつけるのは誰か。

提供者か
受領者か
世間の相場か。

その根拠は
提供者側の生活や損益分岐点か。
受領者側の満足か

値段を決めようとすることで
しっかりするような
縛られるような
いろんな考えや感覚のわくものです。

自営の人には笑われるよなー。

サクラの愉悦。

今日も皆さまおすこやかに。

いまさら「カーネーション」をかたる3

「カーネーション」に毎朝一喜一憂していて
気がついたことは

自分のなかに既にあるドラマに
アクセスしていたのではないか
ということでした。

必ずしも万人の支持しないエピソードもセリフも
中にはあった。
やり過ぎてしまう、あきらめてしまう
それ、違うわー、となるときもあった。

それでも
つい「過ぎた」主人公の側にいて
一緒に本気になれる
他人ではなく、自分としてわかる

職業に生きる
愛に生きる
親として、老いる者として生きる。

どこに本気になるかは人によってちがっても
見ている側のなかに既にある
愛しさや許しや憎しみや諦めを
うっかり引き出していたように思うのです。

それは主人公だけでなく
周りの人物たちも
残らず日常を離れなかったからだと思います。

日常のセリフやスジのなかで
情熱や慈愛や怒り、情けなさ、
生と死の境目すら
「んなわけないやろ」的ツッコミとともに展開させる。

いわゆる感動的な場面で
だれも「改心」などせず、ぽかんとする。
いわゆる「事件」が起こる前から
日常での関係の積み重ねがあって、そこに至る。

その積み重ねにあふれるエネルギーに
すでに自分の中にあるエネルギーを
反応させていたと思うのです。

それぞれの俳優さんの表現は掛け算され、
セリフやスジには全く説明的には語られない
家族や、恋人や、隣人としての深い思いを
そのありかたで表現している。

そこに刺激をうけ
内なる自分のドラマを呼び起こし
同時に、脚本、演者、スタッフの仕事の鮮やかさにも
心動かされた半年だったわけです。

DVD出ます、レンタルってできるのかな。
興味のあるかたは、ご覧になってね。

今さら「カーネーション」を語る2

おはようございます。

「カーネーション」の話を続けます。

このドラマの秀逸さは
登場人物みな、
清濁併せ呑むというか
それぞれの思うことを話し
あるいは言いよどみ
あるいはココロにもないことをつい発してしまい
事態はそれぞれの想定とは
かなり違うほうへ転がる。
というリアルさにあると思います。

いや、
「リアルに感じられる」ということか。

ドラマを進めようとか
ここはこういう説明が必要だから
セリフで喋らせよう
という場面はほとんどありませんでした。

登場人物がいつものように
暮らしのなかで話すだけのようなドラマ。
その登場人物たちが、ときに
弱くて、強くて、
ひよってて、意地っ張りで、
明るくて、イジワルで、
ズルくて、やさしい。

キャラクターが破綻してるのではない
「だって、人は
そういえばそういうもの」
という
そこに毎日ずいぶん引き込まれたのでした。

…あー、だから語ったら長くなる。


続く。

いまさら「カーネーション」を語る

先週終わった、NHK連続テレビ小説「カーネーション」。

何度かここでも書きました。
毎日何度も見る、引き込まれっぷりでした。

魅力のひとつに、脚本の素晴らしさがあります。
実在の人物の自伝を軸にしていることでの安定感以上に
人間関係、人物のいでたちは実に豊かで、立体的でした。

登場する誰でも、
前に出過ぎる、引っ込み過ぎる、カッとなり過ぎる・・・
その人なりのつい「過ぎて」しまうことを、
そして誰もが「あまり反省しない」のです。
狭い近所で、関わり合わずにはいられない距離で
ぶつかり、許して生きていく。
人物たちから感じるのは、そのリアルさです。

92歳まで生きた女性の一代記ではありつつ
そこには何代もの親、祖父母 との関係が描かれます。
ぶつかる親子、見守る祖父母。
ぶつかる姉妹、見守る母。
ぶつかる孫、見守る祖母。
家族、あるいは多様な世代の重なりそのものに
可能性を見いだせたドラマでした。

職に生きる、道を選ぶ過程の葛藤、
家族の慈愛、引き込まれる恋愛、
なだらかな老いと死。
それが、15分のなかで、あるいは週6日のなかで
笑いと涙をかわりばんこに展開される、
とても贅沢に繊細につくられているドラマでした。

俳優の皆さんが
その世界観を充分に、あらゆる角度から演じたことも
このドラマの素晴らしさのひとつでした。

つづきます。

おやすみなさい

眠い

おはようございます。
素晴らしい青空です。
昨日、頑張って帰宅した方、
おつかれさまでした。

ここ数日、ひどく眠いです。
昨日は暴風雨をいいことに
とても早く帰宅し、寝ていました。
夕食後もそのまま。
すこしSNS触って、メールひとつ打ったのみ。

これまで1〜2日だけパタンとなることはあっても、
風邪も挟んで5日ほど続いて
やや面倒です。

ちょっと様子を見てます。
サクラも咲くしね。
うまぁく、のれるとよいですね。


今日も皆さま、おすこやかに。

風邪ひいた

おはようございます。

日曜日の夜から、
鼻水と咳と、とまらず
微熱だったけど
日曜日夜から月曜日夜まで
じっとしていました。

睡眠と栄養は重要で
今朝火曜日は、
すべてぴたっと止まりました。

無理をしないことと
身体を整えることを
自分の想定以上に心がけないと、です。

…イヤそんな無理した感じはないし
よく休んでいるつもりだったけど。
ま、基礎体力をつけないと、かな。

今朝は
歩いている人たちから
はなやかな緊張感を感じます。
新生活を始めた人たち
そうでない皆さまも
毎日、新しい。

どうか、すこやかな一日を。

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