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4月、5月

こんばんは。

近況です。

職場では:

4月はこれをやる!っていうのを
同僚といっしょにシェアするのを通じて
自分の課題も見つけつつある
あらためて、新しいチームです。

新しく:

バックアップをうけて
5月末に「探求のエニアグラム」について
ワークショップを実施する予定です。
詳細は後日、記します。

そろそろ:

5月中旬にお遍路にいきたく
来週から各方面に知らせて具体化に入る所存。

最近:

朝ドラ「カーネーション」最終回。
ここまで入れ込んで見た朝ドラは初めてでした。
これについて、語ると長い^^ あらためて別稿にて。


今日は南関東、春の嵐。

皆さま、明日もおすこやかに。

カフェペルレイ

ローカルな話で。

西武線所沢駅プロペ通りの
ちょっと奥にある
落ち着いた喫茶店です。

コーヒーはもちろん
ケーキも、トーストも、サンドイッチも
しっかりおいしい。

座り心地のいい椅子と
テーブル席のしっくりさと
カウンターの広さも
きてよかったと思える要素です。

昔はデパートの店員さんやら
休憩で使ってたし
通りに本屋のあったときは
買った本読んでた人も多かったけど
そういえば今はなくなってしまった。

この店は
二十年前に先輩に教えてもらったときと
ほぼ、佇まいも変わらず。

チェーンのコーヒー店も
行くし、いいのだけど
床のしっかり磨かれた
個人の意志の行き渡った
こういう空間は
あり続けてほしいです。

今日も皆さま、おすこやかに。

飲み会の帰り

飲み会でいいたいこと言うのもいいけど
わたしのやりたいのは
少しテンション落とした
昼間、日常での
ストレートな語りと聴きです。

伝えたいことをまっすぐに伝え
どこまでもきく。

飲み会の帰りに、
そんなことをつらつらと。

日常で実現させるには
ひとえに自分のありかたなんだろう。


おやすみなさい。

物語をかたるのをきく

そこでずっと展開される物語。

つらそうではあるけれど
ここで自らずっと語れること自体は
そんなにつらくはないのかしら。

わからない、けれど

「同じ話を繰り返している。」

というふうにきく、私の側に課題はある、きっと。

相手が物語をかたっているのではなく
私が物語のようにきいている。
どうしたらいいだろう、そうやってきくのはしんどいんだ。

やや遠回しで失礼しました。

おやすみなさい。また明日。

目は、もすこしケアしてやらんと

おはようございます。

目の上、眉の奥あたりから、
後頭部にぶつかって
首を通って
肩甲骨の裏側あたりを通って
腰まで
左右2本の線がつながって
ピキピキいってます。

線は、まるでワタシとは別の生き物だか異物のようです。
がっちりと、軋んでいます。

動く電車内で
ケータイ見てるの、よくないんだよねぇ、
わかってるんだけど

衰えの早さ、回復の遅さをみとめて
ちゃんとケアは必要なのですよね。


いい天気で風の冷たいこんな日は
着るもの、悩ましいです。

今日も皆さま、おすこやかに。

大事なものを守らなくては、と思うほど

苦しくなるように思います。

大事なもの、大事なことは
すでに守られているのではと思う。
無意識でも
サムシンググレイトでも
自分でも誰かでも
何かに守られているかはそれぞれとして。

大事な何かを
なくした、とおもうようなときも
私自身、生きている。

大事なこと、と決めて
守ろうとか
守らなくてはいけない、と
主張し始めたり
内心で声をかけ続けたり

それで、かえって
大事にしたいのに自分ごと握り潰すこと
あるんじゃないか。

大事なことは、そこにある。
当事者たちのあいだにある。
それだけで充分。


南関東は、春の勢いです。

今日も皆さま、おすこやかに。

違うところを使ってみる

違うところを使ってみる
違うところを使ってみる
こんばんは。
ふつか振りです。

今日は妹の留守番で
甥とふたりすごしました。

甥が300枚いりの折り紙を引っ張り出し
床にまいたのを
集めて並べていたら

目に
はっきりした色の
たくさん飛び込んできて。
目と脳が喜んでいるように感じました。

感覚を楽しみながら
折り紙をまとめていきました。

切り紙。
折って適当にハサミを入れて
広げて意外性を楽しんで。

小麦粉ねんども
甥よりも熱心に
色を混ぜたりのばしたり。

それだけのことなのに、
ふだん使わないところを
充分にゆっくりと使って
ほぐれる感じがありました。

オチなし。

明日も皆さま、どうぞおすこやかに。

いろんなことはあっても

まずは寝ることのできる
この幸せ。

片方からだけ、はなみづぅ出ます。
花粉症て、片方だけなんてあるのかしら。

ゆるやかでありたいです。

おやすみなさい。

頭の中だけでは、まだまだ。

今日は自宅で、

読書と。
過去資料等まとめながら
実施する予定の「エニアグラム・ワークショップ」の
資料を作ったりしていました。

・・・と書いてみて
「ワークショップ」をやりたいのか
何をやろうとしているのか??

正直、手段はまだ見つかっておらず。

伝えたいことを書き出していきます。
私は文章で書いていくほうなのですが
メモをみたり資料をみたり
「あ、これは伝えたい」というのを
断片的にでも
一回書き出してみないとよくわからないのです。

ただ、断片的だとほんっとうに断片的で
ちょっといやになる。

頭の中には、うなってるんだけどなぁ。
って、できたつもりになってしまう。
いや、頭の中だけでは、「存在しない」のです。

テーマは
 自分を支えるものとして
  「探求のエニアグラム」をきっかけのひとつにできること
です。


さ、もう少し、書いてみよう。

ま、そんなおおげさなことではないけど

おはようございます。

仕事で昨日
excelで意図せぬ悪戦苦闘。
きーっ、こんな目にあうなんて!

昨晩と今朝は
家のパソコン、突然の再起動
入力したもんが、さーっと消え
きーっ、せっかく入れたのに!

仕事の基本として

道具はシンプルに使おう。
シンプルな道具を使おう。
そして
不測の事態にそなえる
すぐにできることは

きーってなったら深呼吸。
…不測の事態て
そんな、おおげさなことではないけどね。

いいお天気で賑やかな駅。

今日も皆さま、おすこやかに。

ひととともに学ぶということ

何を学ぶにしても
ひとりではなく、ひととともに学ぶことの
豊かさを感じます。

ひとりでの気づきや深みはもちろんある。
気づきはそれぞれであるし、
道のりも違うでしょう。

ひととともに学ぶことは
気づきや理解のこれほど違うことを新鮮に感じ
違いをこえて苦しみ、哀しみをともに感じ
発見や柔らかさをともに喜ぶことでもあって

ひとの輪は祝祭のようです。

おやすみなさい。

---
C+F研究所 エニアグラム月例ワークショップ
2012/3/18 の学びを終えて。
http://www.transpersonal.co.jp/p/s/enneagram/monthly/kokoro1/

ものさしに依存しない

方向感覚をなくすときがあります。
あ、道に迷う話ではなくてね。

上か下か。
高いか低いか。
優れているか劣っているか。
いいか悪いか。

形容詞は、そこに
言い古された価値観のすり込みを感じて
たまにうまくつかえなくなります。
すくなくとも二律背反は苦しい。

さまざまなものさしをもって
はかることがあっても、
人それぞれははかり知れない。
様々な属性と、その評価で
こうもいえるし、ああもとれる。

こと、人に関して
ものさしを少なくして見やすくするとか
ある属性やものさし自体と一体になる
魅惑と危険は
いつも自覚していたいなぁと。
言葉狩りとも、違うんだけどね。

生まれながらに、
生きているだけで
身体は消えても
そこに価値はある。

…うーん。
最後、大きく出すぎて、
かえって何も言えてない感覚のままリリース。

今日も皆さま、おすこやかに。

抑圧をゆるめる「語り」のちから

C+F研究所 エ二アグラム月例ワークショップに参加しました。
今月のテーマは「自己成長」
http://www.transpersonal.co.jp/p/s/enneagram/monthly/seicho/

詳しい説明はwebサイトや
書籍「エ二アグラム 自分のことがわかる本」
http://amzn.to/d0f8VO
にゆずるとして

「こうあるべきでしょう」「当然そうでしょう」
という、ものの見方の枠組みは
愛する、尊敬する、心の支えである人と、違ってもいい。
ある瞬間、自分ひとりのなかでも、その時々で違う。
もっといえば
「こうあるべき」、で「なくてもいい」。

「こうあるべき」と思うときの自分に気づき、
「こうあるべき」にのっかって動く苦しさに気づき、
「そうでなくてもいい」を選ぶ。
ある日ふりかえると、
「こうあるべき」の壁なり枠組みが薄まっているわけです。

さて。
今日感じたのは、次のようなことでした。

「こうあるべき」と思っているときのことを
体感しながら、ただ語るだけでも
「こうあるべき」とのすきま、というか距離がとれる。
私、相手、それぞれくっきりと見える。
身体と気持ちを固めているような圧力を
ゆるめられる感覚です。

誰にもくちをはさまれず、ただ「語る」ことのちから。
それは、決まった反応というかノリでかたちづくらず
新しいゆるやかさをもたらすように思います。

おやすみなさい。

予定表づくり

仕事で。
今年の日程、
この時期までにこれ、って
当てはめていく。

どうしても、一目でみたい。
ピークとそうでない期間をを
つかみたい。

あぁ。
そのまえに。
贅沢を言わせて。

大きくて解像度の高い
クリアなディスプレイをプリーズ。
19インチ超を所望。
もちろんそんな贅沢な備品はないです。
17インチを貸与されてるだけ感謝。

…いや。
19インチでなきゃ作っててつかれちゃうような資料は
そもそも見づらいってことですよ。

いったん、きょう作り終えてはみたが、
まだ生煮えです。
やめるもんをきめなきゃ
なんだろうなー。
未来の話だといつも貪欲になってしまう。

ひとりごとでした。

おやすみなさい。

たら、ればは、ない

おはようございます。

昨日、同僚から
「あの時、あれがなければ
どうなってたか」
と話しかけられ

あれは何年前だったかなぁ
と、久々にアタマふりふり思い出し

想像してみたものの
よくわからない
と、いうか

なかったらなかったなりに
どうにかしたのかもしれない
違う形に変わったかもしれない。

それぞれの着地と状況から
毎日少しずつ変えていくし
変わっていってるのだな
とあらためて思いました。

あのとき
あれがなかったら、または
あれがあったら。

うーん。
「今となっては考えられないし
もしかしたらもっと悪いことになってたかも。
よく頑張ってきたよね」

と、答えて、きづく。

たら、ればは、ない
その人たちなりの
それぞれの尽力や奮闘のあるばかりです。
そこに光をあてて
また今日を新しく始めればよいのかと。


今日も一日、皆さまおすこやかに。

おかえし、ありがたく

1ヶ月前。
職場で、国民的行事に参加しました。

実はあまり乗り気ではなく。
お返しに気を遣わせたり、
定型業務になるのもなんだかな。

でも、やる以上は堂々と
しかし、ごくささやかに
同じフロアの40人位に
国産チョコ個別包装を
二、三とりまぜて
ビニール袋にいれて、と。

ちなみに
購入も詰め合わせも配布も全部
言い出しっぺの同僚にお任せで
私は小さいメッセージメモを作って、
割り勘でお金出しただけ。
かなりの後ろ向き。

とはいうものの。
3月に入ってからというもの
あちこちから、おいしいお菓子をいただき
あぁゴメンナサイ、うわ申し訳ない
ローコスト、ハイリターンすぎます。

ついに今日は
「みんなから」とかいって
ブーケまでいただき。

超、恐縮です。

いつからこんな
オシャレでソツなくなったかな。
素直に喜べばいいのかぁ。

で。
お子さんのお返しを買って帰るんだ、って
急いで帰った上司を見送って
暖かい職場かもな。
と思った次第でした。

感謝。

目の前の、その瞬間の、あなたとわたし

おはようございます。

「私は、○○が、苦手だ(得意)だ」
は、絶対じゃない。
瞬間に、見方によってかわるものだと、
私は思います。

わたしもあなたも
瞬間の、連続です、きっと。

立場も歴史も、
それは尊重するとして
今この瞬間にたつあなたとわたし以外に
究極、ないから

一瞬の間(ま)を、逃げずとどまれるかは
どういうことでも
たとえば人間関係でも
問われることだと思います。

風の冷たさはありつつ
日差しは柔らかいです。

今日も皆さま、おすこやかに。

大きく苦手でも小さく得意を見つける

こんばんは。

苦手なことは
自分で思うより、実はでき(てい)ることもある
と、前に書きました。

「私は、苦手だー」
と「苦手」を大きく感じると
「私は、○○が、苦手だ」
の○○が
わからなくなったり、やたら広がったり
するのでは、と思います。

○○を、より具体的に、細かくしたり
あるいは
○○が苦手だ「と思うこともある」
位にゆるませておくと
ハードルを少し下げられるかもしれません。

毎日、毎時間
苦手なことばかりやっているのか?
ときどき、得意なこと
ふと時間を忘れるようなこともしてない?

苦手な仕事、苦手な職務。
苦手な片付け、苦手な掃除。
なんでもいいのだけれど
そんなふうに思ったら
その中で小さく得意なことを探せたら、と思います。

…ただし。これは。
人に強制されたら
うまくいかないように思います。

他人からみて
もっとこんな方面もできそうだという期待や
もちろん本人とは何の関係ない事情での配置替えや

職務が変わった側からみると
「苦手なのに、何で私が」
ということもあるときに

「いや、得意かもよ、やってみようよ」
とか、言っても言われても
切り替えがたいのではないかと思います。

待つように、支えるように
「苦手だ」を
小さい塊を分けられるように
なにができるか。
そういうことを考える夜です。

おやすみなさい、また明日。

苦手は本当に苦手なのか

たまに忘れるから
ちゃんと思いだそうと思うこと。

それは
「苦手だと思ってることは本当に苦手か」
ってことです。

あ、
ホントに苦手、ってことも
あるかもしれないけども。

苦手だ、って思うのは
そのことに対して
関連した知識をなぜか持ってたり、
あるべき姿を描けてたり、
妙にスーパーな人を知ってたり

「それと比べてアタシはどうよ」。
つまり
勝手にハードル高い
ということもあるですよ。

アタマのなかで比べてるだけだと
「苦手」な理由をいくらでも並べて
手を出しづらくするわけで。

苦手だと思うから、
だからこそ
どうしてもやらねばならないときに
謙虚になれて
まっとうなoutputを出せたりする、
こともあるような。

やみくもにガンバレと言ってるのではないし
無理に得意にしようというのでもなくてね。

苦手だな、って思ってる
それってホント?
ってことなの。

いや、私の場合、
「苦手…」って考えてる時間のほうが長いから
気をつけよう。
って思って、自戒です。


おやすみなさい、また明日。

なめたらいかんぜよ

新宿、夜8時半すぎ。
一次会の店をでて
次の店を探す間もなく
すぐ、客引きの人が寄ってきました。

二時間飲み放題1500円で
一品はオーダーしてもらって
だいたい2000円位で、という話。
人数も10人いたし、オナカもいっぱい、
いいんじゃないか、とその店へ。

店に入って、飲み物をオーダー。
すると、何人も
「店のルール」を説明にくる。
アラカルトにするよりコースがやすい、とか。
いや、私たちオナカいっぱいだし、
一品頼めばいいって言われてるから、と
追い返してたら

最後の一人、なんだか粘る。
アラカルトだと、席料とサービス料がついて
なんだかんだで高くなってしまう、
特別、ここはサービスで、コースで3000円税込みで
とかいう。

だーかーらーさ、話が違う、
私らせいぜい2000円って
店の人に言われて来てるでしょ。
それ、サービスとかじゃないから。

相手の言ってること、
10人全員でまったくわからない。
こっちはゆっくり積もる話もしたいのに、
店の人は、
「サービスで3000円」の一点張りで
部屋から出ないわけですよ。

じゃあ飲み物代だけ払って帰るから、というと
いや、もうお通し作り始めてるからそれはできません。
とかいう。
休日前ですし、皆さんから3000円はいただくことに
なっておりますので。

「なっております」って、
それ聞いてたら来ないし。
どこにも書いてないし。

納得いかない。
オナカいっぱいなお客にコース出そうとするのと
3000円はいただく「ルールだ」
と引き下がらないのと。

これで、
じゃあしょうがない
とでも言うと思うか、若者よ。

事態は硬直。

そのうち、友達の一人が
これ以上ここにはいたくない、
お金はあげる。
誠実な商売をしてください。
と、バンっと払い

まて、満額はありえない、
と、別の友達、レジで再交渉。
ひとり2500円で決着。
飲み物一杯で引き上げてきました。

…えーと。
金額の問題じゃないのです。
粘れば済むだろうという
相手の手段の安直さは
始末に負えないくらい気に入らなかった。

そこを真っ当に相手に主張する、
相手に誠実さを訴える、
そのどちらにも
それぞれの友達の、
昔から知っている持ち味が滲み、
切ないやら、頼もしいやら、でした。


あ。お店は、
新宿のcitibankビルの9階です。
お気をつけあそばせ。


おやすみなさい。

生きてくことはおもしろいよ

高校のときの友達と

年に一度や二度、会ってる子や
卒業以来の子。

子、て(笑)

でもね。
みんなそれぞれに
ちゃんと経験を経て
ちゃんとそのころのままで
うれしかったり、切なかったり
しました。

まだ書きたいことがあるんだけど
ひとつ言っておきたいことを最初に。

年をとるって、おもしろいの。
今はね、少なくともね。
生きてくことは、おもしろいの。

それだけ、まず。


おやすみなさい、ありがとね。

ことばの奥にあるもののそばにいる

こんにちは。

言葉、ことば、コトバ。

昨日。
<言葉の根と幹は沈黙である。>
という吉本隆明さんの「芸術言語論」のテーマに関連して
糸井重里氏はこのようにいっていました。

=======
保存や伝達が簡単な「ことばの意味」に、
とらわれ過ぎないようにしないと、
ほんとに内臓にずしんとくるような根や幹を、
見失ってしまうことになると思うのです。

ともだちと話したいようなことを、
ここに書きはじめちゃったので、不親切だったかもね。
でも、このところ、そんなふうなことを考えています。
祈り、憎しみ、恋慕、うれしさ、切なさ‥‥
すべて、ことばになる前から、根や幹として在ります。

(2012/3/9 ほぼ日刊イトイ新聞
 今日のダーリン の最後のほうを抜粋)
=======

それにやや動かされるように書いてみます。


こういうブログだって
ツイッターだって
文字なり言葉を介してやりとりして
ずしっときたり心を動かして
様々な人たちと関われてきました。
言葉がなかったら
出会えなかった人たち。

でもきっと、
リアルで触れ合うとかいうのとまた別にして
その言葉の発する
奥というか源というか
そこに触れる瞬間があるから

私は言葉をたよりに
いろんな本やらサイトやら様々なSNSに
関わっていたいのです。
奥や源にある
私でも、誰でも、存在そのもの。


私自身が
ときに、人の言葉を曲解したり
意味を表面的にさらったり
言葉を大切にできないことを
その苦さややるせなさを感じるときに

言葉のないところ
その存在そのものに
こころをおく大切さを思い出します。


悲しみでも、つらさでも
その圧倒的なものの前に言葉を失う
そのこと自体に真実のあるように思います。

何かしようとしなくても
何か言おうとしなくても
しよう、言おう、伝えよう
その根っこのそばにいられたらと思います。

そうしたら、
自分のできることが
そこに自ずと生まれるように思います。

とりとめなくなったので
いったん終わり。

今日も皆さま、おすこやかに。

送り出す

20年近く、一緒の職場で
ここ5年ほど近くで仕事をしてきた人を
異動で送り出しました。

この1週間ほどは、
後輩と、引き継ぎ受け。
がんばりました。もちろん、双方で。

送別会は
ひっそりやりたいというのを無視して
本人以外の部内の人にbccメールを出しました。
ゆかりの人が集まりました。

この数日は
送別会には忙しくてこれなかった人が、
一人ずつ挨拶にきたり
遠くで働くひとたちもやってきたり
本人の人柄です。

いろんなところで様々な人たちが
本人に言いたいことをいってくれたから、
私は漏れなく仕事をもらって
できるようになることだけで手一杯だったから

私は結局ちゃんとした挨拶をせずじまいでした。

今日の夕方。
最後にもらった仕事を
「○○○、できた。ちゃんと数字合わした」と報告しました。
「あ、よかった、さすが」と本人。
「ありがとう、マニュアル完璧だった」と私。

ほどなく、本人は退出しました。

どんなことでも、どんな場所でも
ひとつひとつ着実にやることを
身をもって教えてくれた人。

どうもありがとう。

おやすみなさい、また明日。

どうしたのか?

帰宅すると。
ダイニングテーブルの書類やら教科書やらの山が
なくなっていました。

いや、多少積んではあるのだけれど
少なくともキレイに積んであります。

その上。
テレビも見ないで
子は勉強しているのでした。

試験は終わっています
というか、試験前には見なかった姿。

どうしたのか?????
何があったのか????

どうしたの?と訊くのも失礼なので
「片付けたの?えらいじゃん」
とだけ言って、あとは邪魔しないように。

・・・そして子は、突然、寝ました。

よくわからないけど静かな夜です。
私もオタオタと片付けたり、しています。

おやすみなさい、よい夢を。

好きでやってるんだ、結局は

おーつーかーれー。

頑張りどころを
まちがっちゃいけないかもしれないけど
まちがってるかどうかはあとで。
やるときには、やる、と。

必ず、改善しちゃる。
というか、ここまで育ててくれたレベルに
ちかいうちに、必ず、戻しちゃるぞ。

まずはあと2日。

結局は、どんなことも、好きでやってるんです。
ほんとうにできないことは、
ほんとうにできないです。

おやすみなさい、よく寝ます。

わかろうとしない

おはようございます。

お互いをわかりあおうとか
わからないことをわかろうとするときの
肝心なのは、動機だと思います。

わかりあわなくても
わからなくても
そこに居られるだけでいいし

山積する何かを少しでも崩せるか
あるいはその前で一緒に
途方にくれてもいい。

わかりあおうとか
わかろうとか
それはそうしないとそこにいられない、ような気がする
私の問題です。

わかりあおうとする
わかろうとする
不安のもう一歩先の、暖かいものを
まずは自分に向けてみよう
ということです。
誰かのために、と思うと
自分のために、が隠れます。

わかろうとする前に
わかりたいというその思いの、
ゆっくりと隣りにいましょう。

本当はわかりたくないのかもしれない。
あるいは「わかられる」ほうからすれば
見当違いの「わかられ方」は
暴力的ですらあります。

自分のために、深呼吸。

わかりあわなくても
わからなくても
むしろそこからです。


今日も皆さま、おすこやかに。

ふわふわしない

異動だの体制変更だのあるときは
先を見て落ち着かないです。

目の前のことをちゃんとやる。
ふわふわしない。


おやすみなさい、よい夢を。

ひたすら眠る

伝えることをあきらめた
砂をかむような、
それでもくやしさとかなしみだけのある、

金曜日に
ひどくつかれて、
もういいやと思いながら帰宅。

家では、まるで修行のように針を動かし
でも、何も考えないのはなんだかよかった。
真夜中に就寝。

そのまま土日を
ほんとうに、寝てすごしました。
起きられませんでした。

まー、こんなことも、あるかー。

お風呂に入って、しっかり髪を洗ったら
本当にすっきりしました。

明日からまた復活です。

おやすみなさい。

よなべ、さいほう

なんとなく、いやな予感はしていた。

2週間くらい前から、「作り方」プリントは
ダイニングテーブルにあった。

定期試験の終わり、入試で学校休み。の前日。
裁縫している娘。
部活の道具づくり。

デジャヴ。

それはいつまでに仕上げるの?ときいてみる。
土曜日提出、と娘。
今日と明日じゃん。
いつから布はあったの?
けっこう、前、と娘。

今、怒っても無駄。

それから、よなべで裁縫です。
アタマ、くらくらです。

私もひとのことは決して言えないが
この見通しの甘さは
土壇場に手を出して助けること自体を
やめなきゃなおらないのかなー。

さっ。今日もお仕事ふぁいと。


今日も皆さま、おすこやかに。

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