amazon

  • エニアグラム 自分のことが分かる本
  • エニアグラムあなたを知る9つのタイプ(基礎編)

twitter

リンク

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

思い出してしまうことを前に

朝のドラマにて。

「おばちゃん」を病院に毎日見舞う主人公。
残り少ない時間。
なんとか心穏やかに過ごしてほしいのに

「おばちゃん」は
25年前に戦死した息子に思いをはせます。
被害者ではなく、
加害者だったからこその衝撃ではなかったか、と。
より深く痛みつつ。

主人公はその横で
ただ泣くしかないのでした。

主人公自身も、別の場面では
20年近く前の、おそらくたった一回の、
自分で断ち切った恋を
「何度思い出したか」
「思い出す時間のほうが長くなってしまった」と
ひとり、つぶやきます。

思い出してしまうことは、
忘れられれば楽になりそうなのに
たとえば楽しいことや幸せで
上書きされるわけではないように思います。

それぞれの浮かぶ宇宙のなかに
浮かんでは瞬いていて
ふだんは見えないことも
あるとき、つながって形になる。

形を変えていくとしても
痛みはそこにある。
他人の及ばぬところ。

そういうものを抱えている
誰でも。
と、思いをはせ
お互いを尊重してそこにいることなら
他人にできる、かもしれません。

おやすみなさい、よい夢を。

予定づくり

私の勤めるところは3/21が新年度の始まり。
ここへ来て、本腰いれて、
自分まわりの業務の
新年度の、月・週・日の日程表を集中して作成。

昨年はこの日程表を5/10に作ったのだけれど
実はいつでも作れます。
月・週・日のパターンはおおよそ決まっているためです。
もしかしたら年次も作れるかもしれない。

日程表づくりは
決まった仕事はどこがピークで、
空いているのはどのあたりかを見定めるため。
なるべく空きを増やすために
抱えている仕事を定型化して同僚に振る準備をして、
日程を寄せる。
空きの日数をなるべくまとめて
月ごとの課題を割り振ります。

いつもは「少しのんびり」とおもっていた4月5月に
今年は計画的に課題をやりとげておくことで
11月からの年次業務本格化を
なるべく均して、なるべく複数の人員で、乗り切る所存。

そして、そのためにも、この3月は、当年度を仕上げる大事な月。
とくにあと2週間は、より丁寧に仕上げる大事な2週間です。

予定がつくれたら課題を淡々と。
そして、こころを平静に。


今日もみなさま、おすこやかに。

きく・はなす ちから

それはとても大きな力、
思っている以上にそれは大きな力です。

その魅力に惹かれて
私はこの4年半を生きてきました。

自分にかけることばやイメージの手厳しさを
きく・はなす ことで緩められると
私は思います。

きく・はなすことと
そこに「他人」がいることのちから。

きく・はなす ちからを
よりいっそう活かしたい、育てたい
そのように生きたいと願っています。

私にとっては、書く、もあって、
それはまさにこのブログです。
読んでくださるみなさま、ご来訪、感謝です。

今日も皆さま、おすこやかに。

受け入れきれてない

仕事で、周囲の大きな変化、
私自身は変化なし、
大丈夫、この事態をなんとか、と思って
仕事にとても集中しているけれど

事態を受け入れきれてない、ように思います。

私はとにかく、変化ないのだから
しっかりして、効率化をすすめて・・・

・・・ああああっ、もぉっどうすっかなぁぁぁっ。

だめだ、寝ます。

おやすみなさい、よい夢を

わかるということは、私の問題ということ

こんにちは。移動中です。

チェーンのコーヒーショップ。
やや混み合う店内。
途切れないお客さん。

注文を受ける人の声、
やや、頭に響きます。
声は通る、敬語も適切、淀みない。
あれ?何だ?

お客さんの私、
少しゆっくり、応対してみます。
返答、早い。
作り手への指示、早い。
お客さん、後ろにもいるし、
それはわかる。

私の感じたのは
敬語は敬語に聞こえないこと。

注文は?
ハイ、何々作って!
○○円。
番号で呼ぶから待ってて。
飲み物は出したよ!

と言われてるような。
作業指示出されてる、さばかれてる感じ。

わかるんだけど。
忙しいし、お客さん並んでるし。

で、「わかってる」最中に気づく。
注文とってるその人は、私なのねー。
だから「わかる」

「わかる」って、そのことは
私の課題、問題です。

私のことだから「わかる」んだ。

で、逆説的には、
「本当にわかってる」かはわからない。
少なくともイラっとしただけでは。

探求だなぁ。


中途半端ですが、ここでリリース。

少なくとも、私はね。

最近のたぶん、口癖。

「・・・だと思うよ(あるいは・・・かもね)
 少なくとも、私はね。」

何かと断言でききれず
でも「少なくとも、私は、そうだよ(そうじゃないよ)」
という言い方をしてます。

少なくともこれだけは言える、
・・・が、ちっとも少なくなかったり
話やメールが長かったりしてねぇ(笑)

少なくとも、私はね。
をもっと絞り込みたいです、今は。

それを相手にシンプルに伝えて、
相手の意見をききたいの。
一般論は
聞いてもぬけちゃったり、
逆に下手に有り難がったりしちゃうから。

私から、私の言える範囲をちゃんと焦点をあてて
ちゃんと言いたい。

ということなのです。
少なくとも、私はね。

皆さんは、どうでしょう?


おやすみなさい、よい夢を。

過渡(期) の危機と機会

昨日、もうひとつ行ったところでの気づき。

専門家でも身近な人でも
突然の誰かの変化や
信じられない言動に驚いたとき

たぶんあなたや私以上に
動揺し混乱しているのは
変化した(とまわりに思われている)本人。
そこを本当に、忘れてはいけない。

特に専門家を自認する人の留意点は
知っているつもりにならない、
分析やアドバイスを不用意に投げつけない。

自分自身(専門家でも、身近な人でも)の
強い動揺や衝動のパターンを自覚しておき
自分の揺れを止めるために、相手を利用しないこと。

アドバイスや分析を誰かに投げつけたとき
それが親切なり職業的立場なり、
いいことしてるとか
何らかの優越感を、
自覚できないでいるときほど
相手のせっかくの「機会」を
「危機」に突き落とす。

そんなことでした。

今日も皆さま、おすこやかに。

あえて形にする、できなくても持ち続ける、足場ゆらいでも

なーがーいわー。

ただ、今日はそんな一日でした。

勝手に「ウメサオタダオ研」
http://katte2umesao.blog.fc2.com/

昨年5月に大阪の民族学博物館で、
東京では今日まで開いていた
「ウメサオタダオ展」を見に行って
気がついたことを持ち寄って共有して深めようというとりくみ。

私の参加動機は
「面白かった展示をネタに語る場にいてみたい」
でした。

テーマにひっかかった人たちでグループくんで
みてきたものを共有し
テーマにそって再構築して発表して
パネラーの先生たちの話も伺える、という
もりだくさんのなかで

久々感じたのは、足場のゆらぎでした。

日頃なんとなく「まとまった」経験知のなかにいる。
実は「ウメサオタダオ展」に行った時点では、
自分のなかで完結している、知的好奇心の満足で
ずいぶんと心地よかったんだけど

ここへきて、初めて会った人と共有したり
グループで「よくわからない」テーマにそって
「合ってる?」「変じゃない?」とか(私は少なくとも)探りながら
形につくりあげていく、ゆらゆらやもやもやを
リアルに感じられたこと、何より新鮮でした。

「正解なんてない」のは、ビジネスの王道。
と思うでしょ。
でもね、ルーティンワークは安定の極み。
「正解がない」ところで先端でどきどきしてるビジネスピープルって
本当は、そんなにいないのかもよ???
予定調和は日常茶飯事。
このへんでまとめておこうという、くらいの毎日。
あー少なくとも、私はね。

そして、逆説的だけど
「まとめておくから」「あえて形にするから」
実はモヤっとしたものが増幅するんだと、今日思った。
どういう道具を使うにせよ、
それを他人と共有しようとすればするほど
形にならない、
自分のなかの「モヤっ」とした感覚の残りに気づく。

で、その「モヤ」を保持し続けられるか。
どんなに共有したと思っても、逃げていくような
A-HA の一歩手前の、キワキワのモヤモヤを
捨てずに保てるには、器が要る。
いつでもそれを、共有する、形にすることをあきらめない
主体者としての私の器が必要なんだー。

メディアもツールもいくら進化しても、進化するからこそ
あらゆる足場の、ますますゆらいでも、
そこに、もしかしたら、人なり、組織なり、つながりのあって
増幅のあらゆる方向性で乱反射する限り、
器はもっと育つ可能性があるってこと、かもよ。

・・・ということが、私の今日の学びでした。

グループで共有のプロセスをご一緒した方々
様々な切り口を提供して下さった参加者の皆さん
何より、
先端でのゆらぎをそのまま言語化してくださった先生方、
スタッフの学生の皆さん
感謝です。ありがとうございました。

まず入れてみるって、ないのか

就職できたことも
結果的に辞めずにこれたことも
自分だけの力ではなくて
相手あっての、周囲あってのことだった。

勤めだしてからも、
あんまり社会人ぽくもなく
しばらくは学生のしっぽをくっつけて
うろうろしていた。

何がいいたいかって
わりとずっとそう思ってるのだけど

職を求める側のほうに過剰な負荷のある就職活動
これから入る人に過度に優秀さを求めないで
入ってからなんとかする、
何でもさせるという会社なり組織でいいのに。
仕事は、みんな、やってから覚えるのに。

って、welcomeする企業、本当にないのか。
ってところに、もっと学生も入れればいいのに。

このへんのことを
もうすこし詰めた書き方をしたいです。
ちょっとふんわり書いてる、わかってない。

おやすみなさい、よい夢を。

将来を考えろというけれど

こんばんは。

ひとりごとね。

学校の先生は進学の話のときに
将来を考えろとか夢を持てということと
いわゆる受験に必要な数値のことを
同時に話す、けれど

医学部や薬学部など
そこへ行かなければその職業に就けない
というところならともかく

それ以外で
進学先をどうするか、と
職業とは直接結びつくだろうか?

並行して、職業について調べたり
そういう課題は
学校から出されてはいるようなのだけど

それと、将来就きたい職業を探すことと
今クリアにむすびつくんだろうか。

私の、先延ばしくせなんだろうか?

もっと、今このとき、
「考えること」「できることを増やすこと」に
集中しててもいいんじゃないのかなぁ。

てん、てん、てん。

まとまらないまま

2月があっという間に半分すぎて

仕事で「失敗したなぁ」と思うことがあって
考えがまとまらないまま2日間がすぎて

1回忘れることにしようか。
でもきっとよみがえってくる。

私は何を価値として生んで、これからやっていこう?

あ、これは
ひとつputput作ってから考えることにする。

・・・仕事の失敗のほうは
そんな、くちはばったいことじゃない。

私は物事を小さく刻んで、ややこしくしてる。
知ってる知ってるという勢いだけで
相手からも自分からも
シンプルさなり、まとをえてる感を引き出せない。
学んできたことを活かせず、成果に不満。

私は価値を生まず、邪魔や手間を生んでいる。

ひとしきり相手にイライラしたあと
昨日はこんなことをおもった。

・・・そうだねぇ。やはり
「それはほんとうですか?」なので、
一回ちゃんと寝ておきます。

おやすみなさい、よい夢を。

そこに何を感じる( た)かを最初に短く伝える

それは
・結論を短く、先にいう
・結論の主語は「私」だと伝える

最初に自分の顔を
相手にしっかり見せるイメージです。

相手によって、
受け取りかたはいろいろかもしれません。
あなたの意見はきいてないとか
まず最初に正確に事実を伝えてほしいとか
相手にも、自分の枠組みで
情報を受け取りたいでしょう。

ただ
相手の受け取りたいものも枠組みも
こちらから何かを伝えてからでないと
わからないです。

相手のことを先回りして
わかりやすさや伝わりやすさを考える前に
短くひとつ、
「私はそれに対して○○と感じた」
と伝えて
相手との間に、集中の関係を結ぶ。

相手に伝えたいことは
感謝、提案、願い…?
自分の感じたことにアクセスできれば
伝えたいことの根幹を凝縮して伝えられる、
のでは?という仮説です。

おやすみなさい、よい夢を。

そこに何を感じたかを最初に伝える

おはようございます。

仕事で書く文章を、
定型的で無駄のないようにするのは
しつけられてもきたし
相手の邪魔にならず判断を早めるために
必要なことだと思ってきました。

一定、いまもそうだと思ってるのだけど

意見ではなく
状況を報告せよという場合でも
事実を伝える場合でも

もしかしたら
「私はこう感じる(た)」
を最初に正直にそのまま短く伝えられたら
自分も相手も集中できるのでは
と、今日は思います。

「感情」を伝えるというのとは、
必ずしも、なくて
しっかり相手に顔を見せるようなことです。

やや中途半端になったので
(気が向いたら)つづく。

今日も皆さま、おすこやかに。

考えや動機に興味を持つ

「こうしなければ、
こうあらねば、
私が、あなたが、社会が。」

「それって素晴らしい、
それって酷い、
私が、あなたが、社会が。」

その強い気持ちや考えに
過度に沸き立つ、苦しむとき
こころの道を学ぶことで
私の得たギフトは

「ねばならない」とか
「いい、悪い」をはじめとする様々な形容詞、
私やあなたや社会に対して下す評価、など
その私自身の考えや動機に
興味を持てたことです。

断定や評価で人や自分をしばることは
なくなったとは言わないまでも
少なくとも、やりすぎると「やりすぎだ」と
自覚できるようになりました。

興味を持つ。
変わりうるその瞬間、瞬間の新しさに触れる。

考えや動機を、責めず抑えず
ただ気づく、興味をもつ

そこに居続ける。

そういうことを
ある瞬間、少しでもできるようになったのは
私にとっての大切なギフトです。

私の、あなたの、動機のその奥にある
大切なものの大切さ
それに気づく、たどる道を
関わる皆さんと分かち合えれば、と私は思います。

夜と朝にむけて、
どうか皆さま、おすこやかに。

続きの続き

自分でもややしつこいようですが、続く。

障害者自立支援法という
前の政権の作った法律を廃止し
地域のなかで誰もが隔てられず暮らせる社会をつくるために
新しい法律をつくる、
実現にむけた検討組織を内閣につくると約束し
他にも様々な約束を掲げ
支持されて政権をとった。

障害者自立支援法は生存権について違憲だと訴えた裁判に、国は和解した。

実際、検討組織はできて、
様々な、隔てられてきた側の代表を集め
組織は新しい法律実現のための提言「骨格提言」を、昨年秋にまとめた。

あらゆる人々の、
隔てられることない
個人や家族の頑張りに依存しない
地域社会での生活の実現のために
何をどのように整備するか。

ところが、新しい法律案(厚生労働省案)は
この提言の多くをスルーして
名前だけ変えたようなものだった。

「骨格提言」を検討してきた側は
もちろんおそらく、実現困難は百も承知で
それでもその第一歩を踏むために作ってきたのに
行政と政治家は
段取りだけ作ってスルーする?

福島智氏は、
理路整然と経緯と問題を指摘し
財政困難だというなら
せめて「提言」のどこまでをどのように、は触れて説明すべき、
それすらないのは
「信義にもとる、志と誠意と魂に訴える。」
という。



こういう経緯を知るにあたり
私のなかに「スルーする側」のロジックを見ます。
それは昨日書いたことです。

わたしのなかにある。
約束したけどできない。
そんな理想はハナからできない。
でもそれを正面からぶつけず
主体者をぼやかし、かわす方策を考える。
臨機応変でも、優先順位でも、不可抗力でも
言い訳はいくらでも考える。

でも
「誰も、隔てられず、そこに生きることの実現」を
検討してきた関係者のなかに
灯はあるはずなのです。

言い訳する側に、その灯はある。
だから必死に言い訳するしスルーするんだ。

私は
灯のあることに正直に生きたいのと、
この構造、スルーしてかわす生き延び方を
どうにかしたいです。
そういうことを伝えたかったです。

続き

臨機応変でも、優先順位でも
言い方はいろいろできるんだけど

何か自分で決めていいことのあるときでも
強い立場の影に隠れたり、
上のいうことだからとは
決して言わないけど
匂わす言い訳を考える

あるいは、
自分の意志以外の不可抗力をタテにする

そういうことの理屈や動機を
自分のこととしてわかるとき、
私は悔しいです。

上、とか、誰かって
本当は自分です。
自分のどこかにあることは
なかったことにはできない。
どんな言い訳も
その行動の前に無力です。

約束を守れる力量をつけ
どうしたらできるかを考える。

何かの影に隠れそうになったら
ケリをつけそうになったら
そのプロセスを一緒に大切にしてきた人や
何より自分のことをふりかえり
その場に自分の足で立ち
もの言える者でありたいです。

今日も皆さま、おすこやかに。

尊厳をかけて、誠意と魂に訴えるということ

動画を紹介するのに気が引けるのは
自分がおもに携帯からブログを見るから、なのですが
あえて。

「障害者自立支援法を廃止し、新たに障がい者総合福祉法を制定する」
と宣言した2009年民主党マニフェストや
「自立支援法」違憲裁判の和解をうけての検討と「骨格提言」、
すべて反古にしたような厚生労働省提案がでたのをうけて

検討部会の委員である福島智氏の発言。
11分、願わくばぜひ動画でごらんいただければと思います。

「なにも、障害者だけを特別扱いにしてほしいというのではありません。道路を歩いたり、周囲の人と会話をしたり、トイレに行ったり、水を飲み、ごはんを食べ、酸素を呼吸する・・・、などの人間の生存のための最低限の行為、人間が尊厳をもってこの社会で生きていくうえで、絶対に必要なことが自力ではなかなか難しい人たちに対して、社会のみんなでお互いに支えあっていきましょうと要望しているだけです。」

政治的責任はどこにあるのか、と指摘し
政治家としての誠意の魂にお願いします、と。


http://www.youtube.com/watch?v=SltreKVT0dA

春を待つ

南関東は
2月も中旬に近づくと
寒いといっても朝は早くなるし
風がなければ日差しは高く
暖かく感じます。

春を待つのもあとすこし
という気配です。

昨日強い地震のあった佐渡の映像で
雪の凄さのほうにより驚きました。

長い冬に春を待つ。

我慢だけではなく
毎日を確かに、
ひとつでも気持ちよく過ごせる瞬間を
感じられますように。

どうか足元お気をつけて

今日も皆さま、おすこやかに。

仕事を外から見えるようにする

仕事では
誰かからお金を預かってサービスや物をお渡しする
その経緯や結果の記録をとります。

仕事は正確でスムーズで
関係者の意図は伝わり確認されているか。


第三者の確認しやすいように
仕事の手順や記録を整備することは
自分たちの仕事のスムーズさ、質の向上につながる。

自分たちの、仕事の質の向上を目指す日々の経緯を
第三者に誤解なく伝えられることにつながる。

何のために
いつまでに、どこまで。

お互いに意志を伝えあう機会としての
監査対応です。

今日で半分終了。あと2日。

ふぁいとー。

雨傘から

もう5年ほど愛用している雨傘。
やや大きく、持ち歩く時に工夫のいるのと、
色は黒で、服や持ち物と異なるのと
難はありつつ、長持ちです。

まず、傘袋。
混んだ電車での気遣い要らず、
カサカサのビニール袋をもらう必要もなし。
便利です。

そして、この傘袋
過去何回か落としているのだけど
なぜか手元に戻ってくる、
ホントになぜだ。

大雨、雪、台風
大変なときに頼れる丈夫さと大きさなのも
長持ちの要因。

あと、それなりに高かったのもあるね。
なくしてはモッタイナイと、
傘を忘れない工夫はしてきました。

納得のいくものを
それなりの対価を払って
修繕しつつ長く使う。
そういうつきあいのできるものを
手元に置きたいと思う。

で、「そればかりではない」。

呼吸のように入れ替えたり
使い勝手を追求して迷いのある買い方になったり
モノとのつき合いかたは
一定ではありません。

それでも
なんとなくしっくりくるものを
身のまわりに、シンプルに
置いておきたいです。
扱えるものの範囲なり数は
そんなに多くなくていい。

これはなんだろう、年齢だろうか?
と、いうことにしておこうか。

雨の湿度でなんだか甦るなぁ。
足元、お気をつけて。

今日も皆さま、おすこやかに。

くらいつくような、の補足

親的な人、
性格形成の途中に関わった人に対する
離さないような、離れられないような
関係性の凄さを

関わった双方ともに
自覚というか見つめる機会を
大切にしてほしいと
私は思います。

相手のせいだとか
自分がいけないとか
それでは堂々めぐりで
とぐろをまいてしまいます。

親的存在、子的存在。
その相手に対する、尋常ならぬ「自分の」気持ちに
自分を大切にして、よりそいたい。

実在不在、縁故、年齢、
関係ないように思います。

尋常ならぬ何か。

どうか皆さま、おすこやかに。

子供の、くらいつくような信頼

著名デザイナー三姉妹の母親で
自分も女手ひとつで店を切り盛り、
74歳でブランド立ち上げた女性の、

一代記が今のNHK朝ドラ。
で、今日はご本人への
昔のインタビューやドキュメント番組の放映。

ご本人は仕事の切り盛り、アイディアや好奇心の常に溢れ
実に忙しく、子供に「背中しか見せない」働きぶり。
でも分岐点では三人にしっかり関わっているようでした。

デザイナー三姉妹が語る
「おかあちゃん」の思い出や人となりは
それはもう話し始めたらとまりません。

子供の側のほうが
相手のどんな忙しさも関わらず
「おかあちゃん」にくらいついているように思いました。

これはたぶん、
この三姉妹だけのエネルギーではないのです。

子供にそういうところ、というか
親にくらいつくようなエネルギー、
親に対する「無垢の信頼」のあることを
自分も含め、親御さんたちは、なめちゃいけないと思う。

それが表に出る・出ないの違いもある、
親子それぞれの性格の違いもある、

子供の心根にある「無垢の信頼」と
その信頼に応えるちからのある自分であることを
親(のような存在の人)たちは忘れちゃいけないです。

おやすみなさい、よい夢を。

風呂読書

久しぶりに本を2冊購入し、
お風呂わかして熟読。
毛色の違う本ながら堪能。

いちど、本をしっかり少なくしたあとは
毎年1回棚卸しをして、処分します。
そして、図書館を愛用するようになりました。
勤務先は「さいたま市図書館」に近くて本当に助かる。

図書館調達か購入かの基準:

3年以上前に話題になった本 →図書館
すぐ読みたいベストセラー、ビジネス本
 →購入(図書館で500人待ちとかっていつよそれ)
絶版だがとても大切なハードカバー →図書館
おもしろそうな文庫本を
 →ハードカバーで図書館 

で、「お風呂でゆっくり読みたい本」をたまに購入。
さすがに図書館の本は風呂には持ち込めず。

ああ、じんわり。あったまります。

一段落

今日、仕事で
来週の会議の資料を2本完成させて
たぶんこれで、
去年の秋からのイベント、一段落。
あとは3月末まで今期の仕上げ。

…なんだか、ほっとしています。
意外に早く、おさまりそうなので。

ほよよん、と眠いです。

すてきな週末を!

ストレッチ

昨日久しぶりに
4年くらい前の書いたのを見て
自分こんだけわからないところを
よくやってたなぁ、と
思うと同時に

わからないけど
いっそがしいけど
新しいところへ行こうとしてたなぁ
と。

今は以前より
時間も、あるいは自分のこころの姿勢も
随分楽になっている。
支えも増えているし、感じる。
そのわりに
できることだけやっているかもしれないです。

少しストレッチな
のびしろを試すようなことを
しても大丈夫な気がする。

人のモンに
あーだこーだ言ってる場合じゃない。

一瞬の、その一瞬を感じて
可動域をひろげるイメージで。


おやすみなさい、また明日。

論文の赤入れ

うっかり忘れるんだけど
4年前と3年前の今頃、
私はグループ活動の論文作成に
それこそスッタモンダのジタバタでした。

で、昨年の今頃。
同僚の論文を読ませてもらい
言いたいこと言わせてくれるというので
幸せの限り言い尽くし。

さて。
今年も、別の同僚の挑戦。
そろそろ納期かな、今年は大丈夫なのかな。
でも、ごめんなさい忘れてた、
今朝。

読んで下さい、と
そこいらの人たちに論文を配っている。
聞けば、活動は今日の午後が最終、
提出納期は来週月曜日。

ええ?今日決着つけなきゃいけないの?
タイヘンじゃん!
こっちのほうが焦る。

読む。
あー、惜しい。惜しいよー。
今言って収拾つきそうな言い方で
でもどうしても言う。

一番言いたいことはどれ?
なぜそう考えた?
こう言えるのはなぜ?
この文章、主語は誰?
自分たち以外の人や企業を主語にするなら
根拠を示すか、いっそやめよう。

解決策持ってくる前の、
「自分たちは、だからこう考えた」の章が肝だから
ダブりとって、論議のなかから生まれた言葉を使って
もっと練ろう。

一般論じゃうまくいかないって
集まって研究したんだから自分たちが誰よりも考えたことを信頼して、
ここに至る思いをのせた文章を
自分たちを主語に書けば大丈夫。

…伝わったかなぁ。
今頃、頑張ってるかなぁ。

いや、自分だったらタイヘンですよ。
よくキレないできいてくれました。

ファイト。

検討を祈る!

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »