amazon

  • エニアグラム 自分のことが分かる本
  • エニアグラムあなたを知る9つのタイプ(基礎編)

twitter

リンク

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

今年の目標ふりかえり(15週/50週)

15週というのは全体の3割。
学校でいうと「1学期終了」ってところか。

=============
この1年、「学びの知恵を行動に活かせた」といえるために

1.18:00に仕事を終えて夕食をつくる。週2…○
2.ブログで自分の考えを発信する…○
3.仕事で「これをシンプルにした」を2週に1回…●
4.自分の思い込みにとりくむ「バイロンケイティワーク」週1…○
5.話す、きく場をつくり、参加する。月1回…△(評価なし)
============

1.は、2回につき、かろうじて。

2.
「書く」ことだけは習慣化していて
で、私は何のために「ブログに書く」?
と思ったら
自分の知っていることやできることを通じて
あるいは興味深いことを知ることで
もっとオープンにシンプルに
周囲の人とつながりたいから。
そのためにもう少し発信内容も手段も整理したいです。

3.
これがいつまでも●なので
バイロン・ケイティのワーク をやってみる。
http://www.thework.com/nihongo/

「私は仕事をシンプルにすべきだ」

・・・で
私はこう思うときに、
「できなくてなさけない」と思うと同時に
「そう考えているだけならワクワクする」

「仕事をシンプルにすべき、という考えがなかったら?」
と探求すると
「おちつく」 と同時に「寂しい」。

そこから、3つの思いが拮抗しているなぁとわかった。

「シンプルになった」状態を考えるとワクワクし
「シンプルにする」ための努力を考えるとげんなりし
「シンプルにした」あとに自分の存在意義がなくなる?と怖れる。
これはつまり
 何もしないで考えてるコト自体、実は心地いい。
 シンプル、がイメージで、塊が大きい。
 3つそれぞれ(特に後ろ2つ)「思い込み」
ということ。

では、何したら、○にしよう?と考えて
来週は、仕事上で
「何でもいいから、何かやろうとしたとき
 最初考えた手順のなかで
 1つでも 私自身がやらないで済んだら
 誰かにやってもらったとしても○にする」
「私が最初にやろうとした手順のなかで
 1つでも省けたら、誰もやらなくて済んだら◎」
から始めることにしました。

4.
3のほかにも、やってみたプロセスで
本当は自分でとりくまなくては、と思っていることを
他人(子や、同僚や、上司)に望んで感情的になってる
ということを改めて実感しました。
そして、「自分でとりくまなくては?」のそれぞれに
「それは本当?」と探求していくと、
ネタはつきない^^;

==========
毎週ふりかえることで
できない、で責めるのではなく
なぜやろうと思ったんだっけ?とか
目標自体を探求のネタにできて面白いです。

愛あらわに、あふれるようでありたい

家族の何十年もの年月は
お互いの生老病死で
お互いの関係を少しずつ変えていきます。

愛をあらわにできれば。

何をも待たず
時間や距離を縮められるでしょう。

そのことが唯一なのに
そのことがなぜ難しいか。

元気でいてほしい、から
元気でいるだろう、から
あらためてとりたてて
ということをしづらい、
つい、いつもの通りに
ふるまおうとするかな。


大切な人たちに
いつでも愛あふれるように
いられたら
そのように、自分を許せたら。
と思います。

おやすみなさい、よい夢を。

むしろ、やわらかいかたち

むしろ、やわらかいかたち
生誕100年です。
岡本太郎展です。

今回初めて知ったのは
「芸術は爆発だ」
という有名なあの言葉の
「爆発」の意味は、
破壊ではなく、解放。
人間の再生、
既成のとらわれからの解放なのだ
ということでした。

展示は、岡本太郎の、
青年から晩年にいたるまでの、
あらゆるものへの「対決」を
テーマとして貫いています。
対決、直面。
絵画も彫刻も
今目の前での躍動や揺さぶりを感じます。

今日、心惹かれたのは
やわらかいかたちでした。
なだらかな、生き生きとした曲線。
うねるようなかたち。
そしてなぜか
やわらかいほほえみのようなかたちです。

岡本太郎の絵は
くっきり、はっきりとした色彩の一方
ピンク、水色などの色あいがとても優しいです。

私は岡本太郎の絵画や彫刻から
何かを突きつけられるのと同じ位の
むしろ、やわらかい
いのちのあたたかさを受け取ります。
その、どちらでもあり
再生は歓びであると。


5月8日まで、東京国立近代美術館にて。。

3分でできること

おはようございます。

4月から、お弁当を作るぶんだけ、
やや朝型になりました。
ただ、
目が覚めてから起き上がるまで、とか
だいたいのことが片付いて
出勤で家を出るまでの、とか
ぼーっとする時間もそれなりに長い。
動き出せば、これもあれもと、
時間が足りない気がするのに。

そんななか、
「3分でできること」の
いくつかで楽しんでいます。
3分とは
・マイボトルと、今飲む用の飲み物
だいたい500mlのお湯を沸かす時間
それと
・紅茶をいれてお茶の葉の開くまでの時間。

その間、キッチンタイマーをかけて
・朝食やお弁当づくりで使った食器を洗う
・ガスレンジを軽く拭く
・はみがき+洗面所を拭く
・部屋を箒で掃く
のうち、いずれかは、できます。
ちょうど3分でやりきれた時の
軽い達成感は好きです。

だからといって
3分をあまり詰めすぎると
やや追われる感になります。
その集中力は
3分だからよいのであって
集めて15分にすると
自分へのだまし討ちのようなものです。

3分でできることは
たくさんあります。
気を許す友人たちに語る3は
とても短く、足りなく感じます。

「何もしない」
呼吸を整えて一人で座っていることも
3分あればずいぶん充実です。

今日の、どこかの3分を
どのように過ごしましょうか。
今日も皆さま、おすこやかに。

学びを伝えることを考える

おはようございます

学びたいことだけを
知る、わかる、体験する、
仲間と分かち合うことは
私にはとても楽しいことです。

それを
覚えろ、使え、活かせ、
と、他人から言われたら
あるいは
自分で何か、
「ねばならない」を背負ったら
逃げたくなるかもしれません。

わかってもらわなくては
なんとかしなくては
というなかで
伝わらないことに苦しむかも。

それは、でも
何もしないうちから考えていること。
伝えたいのは私の問題、
受け取る、受け取らない、は相手の問題。
伝わらない
と思った瞬間は私のチャンスです。

…それにしても

「どんなこと学んでるの?」
あるいは
「学んで何になるの?」
という問いには

「使える」から学ぶ
他の人は思うのかな?
と思って
相手の人の「使える」ってどういう場面や動機だろう?
って勝手に想像して
答えるのだけど
自分の答えを耳で聴きながら
浅いなぁ、狭いなぁと批判する。

…いやぁ、コレハナンダカ
自分の考えのループです。
「使うために、学ばねばならない」
と「私が」考えてるから
ループする。
「学んだことは、使わねばならない」
とか。
そこから、考えのループができてる。

楽しい、面白い、心に響く
と、ある瞬間、私は感じる。
それはありのまま、そうです。
誰か、他人の問題ではない。

そういう面白さを
他人と分かち合えたらいいなと思う。
それも私の問題です。

受け取るかどうかは他人の問題です。
結果として、分かち合える仲間が増えれば嬉しいです。
伝えたいことを、伝える。
私に動機があることを大切に。
やや、とりとめないですので、リリース。

3分もあれば箒で掃ける我が家。
お茶の葉を開かせている間に、さっぱりできました。
今日も皆さま、おすこやかに。

本能その自然なるものとの関わりエニアグラム月例ワークショップ

C+F研究所
エニアグラム月例ワークショップに参加しました。

4/24は「本能のバリエーション」。
3つの本能(自己保存、性的、社会的)は個人に「生存に関わるほど切実な」動きとなって表れます。

本能は本来自然なもの。
しかし、性格からくる怖れと欲求は、感情と思考をパターン化して、本能を歪めます。
逆に、性格の衝動的な動きに気づいて受け止める、
「今ここにいる」ことで
パターン化を離れ、
「気がつけば」成長していて
本能についても、バランスが整います。

人それぞれ、3つの本能のうち、どれを優先しがちか、どれを扱いづらいか(苦手とするか)違います。
本能の違いは、お互いの日常での
「それって、常識だよね、普通だよね」を
あっさり覆すパワフルさです。
日常生活で、他人に対して、即座に何だかイラッとしたとき
本能の違いの異なることが多いようです。
(少なくとも私の場合)

昨日の学びは
…ま、昨日だけではないけど
仲間、ともに学ぶ人たちの存在です。
他人の存在感、佇まいは、自己探求の助けになります。
新しく出会う人からはもちろん
ここ数年の友人、知人からも新鮮な発見をもって接し
自分の動きもまた発見し
探求は深まるのでした。


所沢にはつばめが来てました。
今日も皆さま、おすこやかに。

今年の目標ふりかえり(14週/50週)

この1年、「学びの知恵を行動に活かせた」といえるために

1.18:00に仕事を終えて夕食をつくる。週2…△(評価なし)
2.ブログで自分の考えを発信する…○
3.仕事で「これをシンプルにした」を2週に1回…●
4.自分の思い込みにとりくむ「バイロンケイティワーク」週1…○
5.話す、きく場をつくり、参加する。月1回…△(評価なし)
============
1.と5.をどう評価するか、ですが・・・

3.を負け続けてることについて
バイロンケイティワークかなぁ(笑)

1.
残業は週トータルで6分というキレイさなんだけど
帰りに入院中の父のところに行ってたので
(今日退院です)
今週夕食は1回も作れてない。
お弁当は楽しんで作ってます。

4.は
20年近く、今まだ残り続けている思い込みを
バイロンケイティワークしてみて
相手への「こうだ、ああだ」は
私の「ああで、こうだ」であり
私の手のひらに戻ってきました。
「怖れる人に弱いところ突かれた」
と思ったときが私のチャンスだし
あわせて、相手の問題は、相手の問題。

5.は
どうあれやはり、必要だと思う。
日頃の人間関係なり役割から離れて
自分のことを語れて、
他人の語るありようにあるがまま耳を傾ける場。
流れに乗りはじめた場を慈しみたいです。

今日も皆さま、おすこやかに。

多面的であることの可能性 ~エニアグラム月例ワークショップ

今日は
C+F研究所 エニアグラム月例ワークショップに参加
http://www.transpersonal.co.jp/p/s/enneagram/monthly/kokoro1/

エニアグラムは
遠くエジプトに起源をおく、9つの数字を持つ図形。
性格・気質を関連づけて
自己探求・他者理解の明確な地図となっています。

エニアグラムの知恵を知り、
自分のこころの動きを探求できると
性格へのこだわりや、
性格が起こす無自覚な動きに気づき
落ち着いて自らの人生を生き
他人と関われるきっかけとなります。

今日は性格の多面的でダイナミックであること
その可能性を、
実践的なワークで全身で感じてきました。

以下:きょうの学び

その1)

自分は●●である、と説明できる側面は
この数年でかなり増えました。
それは年々、平気で矛盾していて、たとえば
「臆病で」「勇気があって」
「すぐ行動して」「すぐに動けない」側面があります。

落ち着いていて、身心のバランスがとれていると
「臆病でもある」「勇気もある」 と
あらゆる側面を同列に並べ、離して見られます。
でも、
気持ちに余裕のない、自分を追い詰めた状況では
たとえば「臆病さ」「勇気」をとても近いところで
くっつけて葛藤します。
矛盾を強く感じ、矛盾に苦しみます。
そのありようを今日は発見し、実感できました。

その2)

A.ある性格の側面に固執し他人を引っ張る動きや声
B.ある性格の輝きを胸に他人を支える動きや声
その両方を発する体験で

A.のときはどんなに声を大きくしても
相手に響く感じがしない
B.のときはたとえ声が小さくても
相手と自分の胸のあたりに
つながりを感じることができました。

*-*-*-*-*-*-*
多面的であること、変化しうること。
どういう困難にあっても、
それぞれ可能性は開かれていると
実感できます。
光も影もある、そこに「良い」「悪い」はないです。

どうか、皆さま、おすこやかに

恐れは壁をつくる

よけいな恐れで
私は他人との間に壁をつくる

ただし、
人と人との間の壁は
私自身に恐れがないときは
間をとりもつことができる
それは当事者間で話せばいいのに
と言いながら
メールや電話や打ち合わせに持ち込める。

私が、対象に、恐れを持つか持たないか。
話を先に進められるかはそこにかかっている
ように思います。

恐れを持っていることを素直に認めて
その先へ。
恐れを持ったままで結論を急がず
立ち止まり、正体を探求する。

読んでくださってありがとう。
どうか、皆さま、おすこやかに。

もっと、現実は現実、の続き

おはようございます。

バイロン・ケイティ著
『ザ・ワーク』
ダイヤモンド社
の話から続いています。

この本によれば
現実は、私の考えるより
もっと現実そのもの?

と感じたのは

A.○○は私に××する
だから
B.○○は私に××すべきではない。
というときの、Bに対して
「それは本当ですか?」
と探求する、
そのこたえは即「いいえ」で
「なぜなら、Aは現実なんですから。
現実がすでにそうなのだから、Bのそうすべきではない、というのはありえない」

という
現実への、あまりにもありのままさ加減、直接的であることに

私は驚いたのでした。

で、昨日。

予定していた仕事の時間に
いくつも問い合わせや、
これお願いしますという書類を積まれ
少なからずげんなりし
ああ、またやるべきことができない!
もっと私は人に仕事を渡すべきだ

まで、ふっとんでいってから、
落ち着いて、
書類の数をかぞえ
問い合わせの内容を書きとめ
4件の書類がある
3件の問い合わせがあった。
あ、今また1件入った。

「これが現実。」

それだけで、他人にどうすべぎ
わたしがどうすべき
というのはいったん置いておくことができました。

結果として
計画していたことは3件できなかったけど
できないかも?とか、焦りや怒りは思うより伴わずに
やることはやれたのです。

…少しまとまりませんが。
リリースします。

今日も皆さま、おすこやかに。

もっと、現実は現実

バイロン・ケイティ著
『ザ・ワーク』
ダイヤモンド社

一回読み終えたのち
すぐもう一回読み始めています。

読んでいて時々
自分自身抵抗したくなる、それをよくよく読むと
「その通り、現実」と思う
そういうやりとりが
文中幾つも紹介されています。

まずは読み終えたくて
読み切ったものの

もう一回読んで
今度は、抵抗したくなった箇所で
ワークしてみよう
もっともっと
私が考える以上にもっと
「現実は、現実」と、
この本では書いてあるかも。

少しひんやりしていても
明るい高い空は春の柔らかさ。

どうか皆さま、おすこやかに。

なぜ古文を学ぶのか

と、高校生の子に問われました。

予習にげんなりし始めて
「ねえ、なんでだと思う??
だって、オトナになって、古文使うかぁ?」と。

・・・「使う」ためだけに
勉強するんじゃないんだよなぁ。

と私はつぶやきながら
「高等学校学習指導要領」を
ネットで確認してみます。

国語の「古典」を学習する目標 とは
「古典としての古文と漢文を読む能力を養うとともに,
ものの見方,感じ方,考え方を広くし,
古典に親しむことによって
人生を豊かにする態度を育てる。」
だと。

ほう。いいこと言うねぇ。

「昔むかしの人の書いたものを読んで
ものの見方や考え方を広くして
人生を豊かにする、んだそうよ
・・・(テレビみてる子に)聞いてる?」

「聞いてる。えっらい抽象的だねぇ」
とは、子の感想。

「たとえばさ、
百人一首なんてほとんどみんな恋の歌で、
千年も昔の待ってるだの切ないだの
いってるのを、古文知ってれば
しみじみ味わえるわけでさ、
そういうのは別に
使うから学ぶわけじゃないよね」
と、私。

そしたら子は、
「あー、今私、千年後に行きたいな。
そしたら今しゃべってる言葉が、古文だよね。
マジ?とか超ウケル、とか。
・・・あ、でも
マジ?とヤバイとヤバクネ? はどう違うか、とか
勉強するのはめんどくさいかぁ」

千年後、ことばはどう変わってるでしょう。
ひとびとのあいだに、どんな言葉が残っているか。
そのころのひとたち、私たちの言葉や文書を学んで
「ものの見方や考え方を広くして人生を豊かに」
してくれてるといいな。

皆さんのすこやかさを、夜に祈ります。

目の前の、身の回りの

今朝、被災地の気仙町で
地域の慰霊と花見を企画した
白髪の男性をテレビで見ました。

消防団だった息子さんは
老人の避難を手伝ってて
津波にのまれたとのこと。

津波の爪痕を眼下に望む高台に
さくらがあって
その下でお経をあげ
お酒を酌み交わし
復興を誓っておられました。
命の限り、山の木を切って
高台に皆の住む家をつくると。
今度津波が来たら
家から見ていられるようにと。

助けようとか
頑張ろうとか
おこがましいかも。

起きているその目の前のことから
手の届く範囲のことから
力を尽くし手を取り合う。

それは
同じことをしようとか
やれとかいうんではなく
それぞれのできるところで
それぞれの今日のなかで
生きることに尽きる
ように思います。

つながっているという感覚は胸に。
今日も皆さま、おすこやかに。

辞書

子は初めて学校の授業の「予習」をしています。
不明な「意味」は調べておかねばならない。
初めて「辞書」を必要とするようになりました。
いままで学校の授業だけ、
受験勉強も通信教育の教材だけ。
自分で辞書をひく機会がなかったのです。

どんな辞書がいいんだろうねぇ、
と、家中の辞書をかき集めてみます。
だんなや私の、学生の時の辞書。
うーん、いかにも古い・・・
英和と国語は、ことばの新しさにおいつくよう
新しいものを買った方がいいかな。
古語辞典は、当面私のでもいいかな^^

それにしても懐かしい。
今は「皮の表紙の辞書」って、ないようですね。
近頃はついネットで検索したり翻訳サイト使うけど
辞書で様々な使い方を横目で見ながら
ことばの意味を知るのは、新鮮です。

そういえば私も最初、
国語辞典は母から
英和辞典は父から
もらったものを使っていました。
アンダーラインや折り目から
自分の知らない、学生時代の両親を
想像したりしたものです。

覚えるだけではなくて
調べて考えて意見を書く課題が増えている
大変さにちょっと凹みがちな子をみながら
こちらとしては
そうかぁ、勉強したいなぁ
と新鮮に思うのでした。

ただ、子のことは遠くで見守りたく。
過去は美しく見えるもの。
当事者は、タイヘンなんだよねぇ。
わたしのころはねぇ、なんて
やいのやいのいったらかわいそうだわ。

それでは、明日も早起きで。

今年の目標ふりかえり(13週/50週)

13週目の振り返りです。
四半期を超えたところですね。

=============
この1年、「学びの知恵を行動に活かせた」といえるために

1.18:00に仕事を終えて夕食をつくる。週2…●
2.ブログで自分の考えを発信する…○
3.仕事で「これをシンプルにした」を2週に1回…●
4.自分の思い込みにとりくむ「バイロンケイティワーク」週1…○
5.話す、きく場をつくり、参加する。月1回…△(評価なし)
============
がくっ。2勝2敗1分け。

1.はけっこう早く帰れているつもりなのに
 18:30~19:00超えることも多く。
 今週から子のお昼の弁当を作り始めて、
 きんぴらや厚揚げの煮物などの和惣菜を
 作る・食べる機会を増やしました。

2.あいかわらず「考え」とまでいくかどうか。

3.今週はやや、自分で手数を増やした仕事、
 想定より自分で抱えた仕事も多かったため、あえて●。

4.歩きながら一人でつぶやいてやったりしてたのを
 今週は バイロンケイティのワーク 日本語サイト
 http://www.thework.com/nihongo/
 からダウンロードしたワークシートでじっくりと。
 自分からわきあがる答えに驚くし、じんわりする。

5.場を「つくり」というのが、少し違うのではないか
 と思い始めた、今日この頃です。

それでは、みなさま、おすこやかに。

バイロンケイティ著『ザ・ワーク』本日発売

バイロンケイティ著
『ザ・ワーク』
今日4月15日発売

このワークには
小さなことから大きなこと
日常の些細なことから
振り返れば人生の転機まで
様々な機会で助けられています。


些細だ、とか、小さな、とか
形容詞をつけてものごとを判断している
その自分の思い込み自体を
きわめてやさしくほぐすワークだと思います。

自分の思いや考えに
4つの問いをかけ、こたえ
置き換えをして事実を思い出す

シンプルなこのワークを実際始めると
些細だと思っていたことは
意外に胸に響き
大変だ困難だもうだめだと思うことは
意外に淡々と受け止められることに驚きます。

思いもかけない
あるいは
そうかそうくるか
という答えを
自分で受け取れたりします。

ものごとやひとに振り回されてる(とおもう)
こうしなくては、こうでなくては
生きていけない(とおもう)
そんなとき、
心身を固めてることに気づき
私自身と私の周囲に、思いがけず
「支え」を発見するワークだとも思います。

「現実はあなたが考えるよりやさしい。」
とは、バイロンケイティのことばです

お手にとって、ぜひ。

※ひとりでやるときは
声にだす、紙に書く
をぜひお勧めします。

反応を自覚して受け止めて踏みとどまる

物事が起きる
…いや、違う、
起きた物事に対して解釈して生まれた自分の考えと
その物事をもたらした(と私が思う)相手への反応を
いっしょにして動揺する。
と同時にそれを押し隠す

ということを、
私はよくやります。

自分の大切に思うことに対して
特に起こることなのだけど

そういうとき
「それは相手の問題ではなく自分の問題なんだ」
と認めることは
瞬間、とても苦いことだけど
それは発見でもあります。

「私が私を
責める私、責められる私に分離する」
という、
不可思議で甘美な矛盾に陥りそうなところを
今、踏みとどまっています。

誰かに話すこと、
落ち着いて聴くこと。
それは、今ここに踏みとどまる
力のひとつです。

プロセスと、仲間に感謝。

今日も皆さま、おすこやかに。

なんだか揺れてきたけども

昨日は埼玉県内、
緊急地震速報、3回も来ました。
テレビからの不協和音と
携帯からのねじ込むようなバイブ音
胸を締め付けるから好きではない。

ああ、あの音で、
全部の余震をあの日と同じ気持ちで受け止めてしまうからなんだな、
と思いあたりました。

かつての単発の震度3は
あー、地震か、
位に受け止めていたのだから
3は、実はそんなにそんなでもないのですよ。

緊急地震速報は
地震国日本ならではのシステムだし
ないよりあったほうが準備はできます。
不快感を、緊急地震速報のせいにしたらかわいそうだわ。

というわけで、
昨日からちょっと行動を変えました。

速報がきたら、
「お、来たね!」
とウェルカムして、
ゆっくりと立ち上がります。
大きく周りを見て
一応、強震になったら潜る机の下を視野に入れつつ
とにかく立つか歩くか、する。
座ってるとモロに足腰に揺れを吸収して
地震酔いのようになってしまう。
立っているといくらか楽です。

あー、それと。
カラダとくに太ももに脂肪が多いと
体型的に揺れやすいかしらん。
…というわけで、始める
食の節制と運動。

よーし。
エネルギー効率のよいカラダにするぞ〜

今日も皆さま、おすこやかに。

寝る、片づける

昨日夕方の地震直後。
電車止まらないか。
子は大丈夫か。
自分の手も震える。
即、職場から撤収しました。
子は自転車に乗っていて気がつかなかったとのことで、何より。

私は依然、気もそぞろ。
地震の前と後の、
気持ちも目に見えるものも
違って見えることになんだかやりきれず。
最小限のことをして寝ました。

朝。
今週始まった弁当づくりに早起きして励み、
気鬱な感じはなくなっていました。
家族を送り出した後
急に思い立って
少し荒れたダイニングテーブルの不要物を捨て
がんがん片づけ始めました。
とそこへ、緊急地震速報。

一人で片づけながら
地震をやり過ごしました。
少し揺れた自分の気持ちもやり過ごせて
穏やかに。
そして、気分落ち着き。
そうか。私には
少なくとも、今の私には

睡眠と片づけは、
有効な安らぎなのか。

毎日、新しく
発見の日々。

どうか皆さま、おすこやかに。

選挙の後に

ずっと以前から考えたり
運動したりしている人たちからすれば
逆に今更なのかもしれませんが、

安定、混乱を避けるという流れからの
現職の維持という動きが
東京に起こるとは
私はあまり思っていなかったです。
甘ちゃんだったな。

被災地ならともかく
南関東は被災地じゃないのに。
我慢だ、忍耐だ、自粛だ
そのリーダーシップとやらで
どこへ持って行こうとするのか。
そのことに違和感ないのか。
怖れる源をさらに増やすことを
支持している人を選ぶことに対して
怖れる人たちはどう感じているのだろう。

望むのは、復古じゃない。
浮ついた新しさでもない。
地に足を着けた毎日の行動と
中長期的な被災地支援と

次のエネルギー源、次の暮らしを
考え実行する勇気だと
私は思います。

若さや可能性に
子供たちの(目に見えやすい)明るさに
放射能汚染を怖れる気持ちに
子供や妊婦を守ろうという動きに

私は、依存してはいないかと思います。
そこに、思考停止はないのだろうかと。

少なくとも私は
今、自分自身に
定型文やパターン化した思考に落ち着かせないよう
大震災後や放射能汚染に
日々新しく向かい合うよう
問いかけようと思います。

現状維持なんて、もうないよ。
自分のその声に
私自身が応えようと思います。

なんとなく感情的ですが。

子は今日から
制服のスカートを腰で2回折って
髪を結わずに
軽くイマドキ風にして学校に行きました。
私も、服を買おうかな。

今日も皆さま、おすこやかに。

未来と可能性で若者を縛らないで

ヘンな日本語かもしれない。

入学式で
未曽有の大災害で長い戦いになる

皆さんには未来に可能性がある。

若い皆さん、ぜひ頑張って

という挨拶を複数の方からいただくにつけ。

若い人たちに
未来も可能性も勿論あるけれど
それは震災があってもなくても
あったものではないのか。

震災の大きさ、対応の長期化。
それを若い人たちに
可能性、という言葉で
背負わせてはいけない
と思う次第です。

どういう世代も
未来も可能性も自らにある。
もっといえば年齢上のモンには
多少の責任もあるんだ
若いモンだけにおしつけたら
卑怯ってモンです。

今日も皆さま、おすこやかに。

今年の目標の振り返り(12 週目)

学びの知恵を活かしたと言えるために

1.週に2日、18時に仕事あがってご飯つくる…○
2.ブログで自分の考えを発信する…○
3.仕事でシンプルにしたといえるものを2週に1度…○
4.自分の思い込みを手放すためのバイロンケイティワークを週1…○
5.話し、聴く場を月1回…○

あ。
やった。
初めての全勝だ。

2と3はやや甘いかな。健康的な夕飯とは言い難い日もあったし。
でも3はあえて。
ウダウダせず、シンプルな手段で対応を切り抜けたことを自分でほめよう。
4では、日常的に自分を助けていることをもっと伝えられたら、と思います。

そして5は、実際の開催を今一人静かに喜んでいます。
さまざまなことはあっても
深呼吸とともに、
今ここに、地に足をつけて行動することの
難しさも可能性も確かさも感じました。

感謝!

どうか皆さま、おすこやかに。

入学式

入学式
子は高校生になりました。

古い高校で、贅沢にも校門の前に桜並木があります。
校門の前で記念写真を撮る親子の列が続きます。

新しいところへいく不安からか
不機嫌極まりなかった子は
友達を見かけて、弾けるように
学校に入っていきました。

これから、式です。
保護者は先に会場に入っていて
在校生の歌の練習を聴いています。
迎えられるというのは
柔らかい気持ちです。

暖かい花曇り。
どうか皆さま、おすこやかに。

私は結果と原因を結んで傷つける行為を怖れている

基準や数字を示されながら
やはりどうにも影響のわかりづらい、
しかし毎日、
特に妊婦や乳児への警鐘を耳にすると、
気持ち穏やかならず。

私は何を一番怖れているだろう。
怒りのようなものを感じるだろう。

このかん、長期化する事態のなか
今日あらためて考えてみると、
私は
「結果と原因を結んで傷つける行為」を
もっとも怖れている、と突きあたります。

個々の妊婦や子供に何かあった ということと
原発の事故なり放射能汚染とを結びつけられて
差別や中傷を受けることはないか。

今、避けよ、逃げよという勧め
避けよう、守ろうとする人たち
「何かあっては困る」という人たちの
その守りの気持ちにすら、
私には、
その後の差別を肯定するものにならないかと
怖れを感じます。
極端なことを言っているかもしれないけれど。

結果と原因を
特に原因を「原発」や「放射能汚染」と結びつけて
産む人、生まれた人を傷つける行為を
私は憎みます。
そのようなことのないようにと祈ります。
そのような場面にあったら声を上げたいと思います。

凹んでも新しく

埼玉県では余震はすくなくなってきました。

自然のすることは
突然ではあっても収束の方向なのに
人の為すことはなかなか収束しない。
ニュースからは復興のきざしや
感謝を交わしあう姿を受け取る一方
目に見えない、重たい、長期化、なるものの存在と対応に
気持ちは持て余しています。

ただ、いずれにしても
目の前のことに取り組む
やはりそれにつきます。
感謝、冷静、情熱、継続、
日々新しく。


誰の、何のためかを問う。

性格の動きのままに
修復作業にあたり、
計画した仕事を
全て後まわしにすることがあっても
それにやや凹んで
がっくりとふて寝しても
朝はやってくるのでした。
ちいせー、自分。

今日からマイボトルのお茶は
新しいフレーバーに。
今日も皆さま、どうかおすこやかに。

同時にいくつも

昨日。
夕方以降にいくつか
連絡を受けました。

それぞれ別の出来事で
インパクトも違うし
まだ具体的に
何かあったわけではないけど
何かあったらどうしようという気持ちと
今なら、あるいはこれからなら
乗り越えられるのではという予想と
両方並列しています。
ま、考えてもアカンな、と
昨日は寝てしまったのだけど。

目の前にきたときに
どれだけ成せるか
受け止められるかは
その場になってからわかること。
まだ具体的には
何も起きてはいないから
心配ないです。

それにしても
最近、気持ちも考えも
何だかひとつじゃない。
…あ、最近でもないか。
ずっとそうか。
「同時にいくつもある」
というのを抱えて過ごしています。
びし。と言い切れる人なり言説には
切れ味に憧れを感じます。

南関東ではサクラの勢いの増す昨今。
どうか皆さま、おすこやかに。

展望とは

ふだんの暮らしの積み重ね。

その、ふだんに
ある人は自分の夢の実現に
ある人はつつがなく穏やかに暮らせることに
ある人は周りの人の笑顔を増やすことに
様々な何かに向けて
気持ちや時間を織り込んでいるように
私は思います。
それを自覚するかしないかは
人それぞれかもしれないけれど。

あるいは将来のためでなくても
今日、目の前のことに
集中して打ち込む
その目の前のことは
自分と他者をどこかで繋いでいるように
私は思います。

ふだんの暮らしで日々織り込む何かや、
先の見える見えないに関わらず
目の前のことに集中するそのこと自体
どこか、何か、
他者や現在と、自分とを
しっかりと結ぶように
私は思います。

闇雲も高揚も、いっときだとしても
ふだんの暮らしに根ざし支えられることで、
地に足のついた
自分も他人も支える力と勇気を生む、と
私は思います。

春は
(花粉症の人には申し訳ないけど)
気候に後押しされる思い。

ささやかないつもの月曜日。
どうか皆さま、おすこやかに。

よりどころを握りしめている

ここ最近、平日の間
休日にはこれもしたい、あれもしたい
いっそ有休をとって行ってしまおうか
と思っていました。

でも
実際昨日までずっと行きたかったところを
今日になってすべてやめて
家にこもっていました。

以前こういうこもり方を
していた時期はあったにはあったけれど
ここ最近とくに半径の狭いところで
じっとしています。

職場の仕事に集中しているのも
雇用されているよりどころに
しがみついているのかもしれない
と思ってもみます。

よりどころを握り締めて離せないような
新しいところにいけない、学べないような
そういう側面を自分に見ます。

新しい発見もする、
自分を見つめてあらためて
「そういう側面もあるか」と気づく。
ただ、どうも何か
先行きに対して勝手に行き詰ったり
圧倒的なポジティブさに懐疑的になったり
それはそれで、
情報など、放っておけばいいものを。

ただ。
顔をしかめたり、眉間に皺よせることのほうが
私にとっては簡単で、ある意味怠惰です。
なので
新しい判断、いつでもクリアな気持ちにありたい。
願いのようなものを、あらためて自分にかけます。

今日は自分に言います。
どうかおすこやかに。

今年の目標ふりかえり(11週/50週)

11週目の振り返りです。

=============
この1年、「学びの知恵を行動に活かせた」といえるために

1.18:00に仕事を終えて夕食をつくる。週2…○
2.ブログで自分の考えを発信する…○
3.仕事で「これをシンプルにした」を2週に1回…●
4.自分の思い込みにとりくむ「バイロンケイティワーク」週1…○
5.話す、きく場をつくり、参加する。月1回…△(評価なし)
============

1.週2回を達成。
 今週も引き続き18:30~19:00に仕事あがれてます。
 ただ、だんなのほうが早く帰ってご飯つくってたりして
 この家族、最近けっこうそろってご飯食べてます。

2.「考え」誰に何を伝えたいか、伝わっているかを
 もっとクリアにしたい希望あり。
 おもいつきそのままというか、やや定型化している面あり。

3.今週は見つけられませんでした。
 ちなみに仕事の記録は続けています。
 5割は、計画外。もう少し近づけたい。

4.このワークには今週
 「これはないよね、普通」の「普通」について
 気づかせてもらったです。
 
5.私はこういう場を
 「職場で作る」ということを考えたとき
 自分自身の「仕事場でのキャラクター、信頼感」を
 もっと強めたいと思いました。

どうか皆さん、おすこやかに。

さらに雑感をふたつ

その1

朝の新番組のテーマとして
山下達郎の歌う「My Morning Prayer」
あまりに秀逸です。
3/11の震災のあと作り直したといいます。
言葉も音も突き抜けて広がり、そしてシンプル。
毎日フルコーラス聴きたいです。
まだyoutubeにはなかったです、残念。


その2

午前中に、わりとささいなことについて
そこいらの関係者全員
「自分でひきうけない連鎖」
というのを見て、
結局、直接頼まれてはいなかったけど
でしゃばって、始末つけてきました。

で、そのあと。

こうやって
「私は悪くない」っていうことにするのか。
それを他人が
「そうなんだぁ」って支持して
「△△さんが悪い」ってことにするのか。
「○○さんもいいって言ったから」にするのか・・・
というのを見てしまい、
少々胸のむかむかする気持ちでした。

こういう「でしゃばり」を続けてしまうと
なんでも私がやらないと、っていう
いやな連鎖になります。
別の方法を考えないとなぁ。

それにしても、自分で調べてやれば
なんでもなさそうな雑務を
人に頼もう、誰かにやってもらおうとすると
どうしてこうまでややこしくなるだろう。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »