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私の課題と考えることを

昨日、友人にきいた、年若い人たちの話を
今朝もつらつらと考えます。

誰の都合で、自分の進路や職業を決めるか。
決めるのは自分自身ではないか。

そう思う一方で

では私はずっと昔に
自分で決めてきたか。
今も決めているか
と考えると
そのとき見える、わかる範囲での価値観で
決めてきたに過ぎないです。

普段は「なんとなく」の流れに乗り
もしくは「偶然」のきっかけをつかまえ
私のキャリアは今に至ります。

私が私のキャリアについて
考え、日々できることをして
また、
いまできてなくても、やりたいことを
いつ、どうやってやるのか
透明感を持って姿を見せる
ぐだぐだでも
いいかげんでも
何か、考えて、一歩出してるところを
まわりに見せていくのがいいのかなぁ、と。


今日も皆さん、おすこやかに。

「7つの習慣」のメモを紐解く・・・目標設定のために

「7つの習慣」コヴィー著 を
私は本を所持していないのだけれど
読んだときに取ったメモを手近においています。

私の設定した今年の目標は
常に2勝3敗か3勝2敗。
もう少しなんとかならないかな、と思って
いや、守ることはもちろん大切なのだけれど

「学びの知恵を活かしたい」
「家族と自分の健康を促したい」
その動機が今もあるのか?
あるとして、
もう少し行動に移せる単位の細かさに落とせないか?
習慣化の方法を洗いなおしてみよう

・これをいつまでにやる、と周囲に宣言して退路を断つ
・できたら自分でほめる、ごほうびをあげる、すぐほめられる
・数値にして変化をはかる

と、よくいわれる継続の方法について準備したあと
「7つの習慣」のメモを久しぶりに紐解きました。

そこで印象的だったメモ
=================
効果的な「週単位の目標」とは
 1:良心に従っている
 2:重要かつ急がない 領域
 3:「生きる」「愛する」「学ぶ」「貢献する」ニーズにそう
 4:自分のミッションと一致し影響を及ぼせる範囲にある
 5:決意(行うと決める) 専念(労力を集中させる)
  どちらかがはっきりしている

目標設定のとき
 自分の良心 ミッション、原則と結びつけること
 自覚:
  「本当にそれがやりたいか」
  「そのための代償を支払えるか」
  「実行するための充分な力があるか」
  「成長することに責任がとれるか」
  「できるのに平凡なままで満足していないか」
  「達成できないことを人のせいにしていないか」

そして何か実行したときには
 判断したときの要因を振り返る
   緊急度?他人の優先順位?期待?先入観?
=================

目標は、バランスをとったつもりなのだけれど
自覚の面で「本当にそれがやりたいか」に
問いが足りないのかも。
それと
「充分な力」はあるとおもうのだけれど
行動のつど、判断について
他人に流されるところがある。

という振り返りをふまえて
明日からまた臨みます。

7つの習慣の示す考え方や概念は行動を整理するなぁ。

今年の目標ふりかえり(6週/50週)

6週目の振り返りです。

=============
この1年、「学びの知恵を行動に活かせた」といえるために

1.18:00に仕事を終えて夕食をつくる。週2…●
2.ブログで自分の考えを発信する…○
3.仕事で「これをシンプルにした」を2週に1回…●
4.自分の思い込みにとりくむ「バイロンケイティワーク」週1…○
5.話す、きく場をつくり、参加する。月1回…△(評価なし)
============

1.は「週1」からはじめて見ようかなぁ^^
 週1なら今週は○でした。

2.は、もっと、はっきりとクリアな形にしたい。

3.は、これまで「何をいつまで」がなかったのですが
 来週ひとつ仕込みます。

4.先週から今週、私は何度もワークをして
 頑なさから少し距離を置けました。

5.これは月1回。準備を毎週継続しています。

家計簿をつけたり
体重をはかったり
記録は毎日とり続けているのですが
あまり身心の健康を思いやってない数週間です。
目の前のことにしがみついて、
判断が揺れています。

さて、風呂に入ってすこし身体を緩めてきましょう。

選ぶも決めるも

大切に思うことほど
私は
選ぶにも決めるにも
混乱することが多いです。

即決してすぐ動いて微調整。
そのほうがよさそうでも
動けない。

ただ、何かのきっかけで
決めてしまうと、
プロセスを開示しないで
そのあとは頑なになることも。
組織で役割背負うと
よけい勢いづいたりして。

その、どれも、
自分のとらわれの強さで
周囲からみえなくなり
自分でもよけい混乱してゆきます。


まだうまく整理できてないけど

・選択肢を整理する
・決める
・動く
・決めたあとの波及を観察する

このステップで、
自分と周囲との関係のなかで
自分も相手も大切にして
イーブンに位置づけて
透明感ある動きを身につけたい。

お肌の透明感も大切だけど
行動の透明感もね。


それにしても
役割をぬいでのプロセスは
けっこういろいろな問いを
自分にかける。
これは、ひとりごと。

親愛なる大切な人たちへ。
今日も皆さま、おすこやかに。

憎まれるより愛されるスタッフに

って、これは甘えてるんだろうか。

ただ、今日ちょっと思いついて
くちに出してみました、仕事場で。

顧客に近い営業の現場、
その現場を支える後方スタッフ、
またさらにそのスタッフを支えるスタッフ
私の今いる部署は、後ろの後ろ。

自分たちが発信して
こうしてくれ、ああしてくれと頼むことに
伝わらない苛立ちを感じることも多い。

今日、同僚のスタッフがミーティングの場で
「憎まれ役になってもやる、そこは割り切っている」
「やるべきことをやらせる部署だから
厳しくて憎まれてもやるんだ」
と悲壮な決意を語った。

それをきいて、こんなことを初めてくちにした。

「私もかれこれ
スタッフ部門で10年近く働いている。
憎まれ役でもいいって決意したこともあったけれど
最近は、どうしたら愛されるか
って考えるようになったかも。
憎まれたら、
伝えたいことは伝わらないような気がして。
しくみをシンプルにして、愛されるとか
そういう道もあるような気がするんだ、最近は。
もっというと
現場を愛することができるか、とかね
それが今の私の課題」

どうでしょう?

おやすみなさい、よい夢を。

都合が悪いと思うことこそオープンに

何か都合が悪いことが起きたとして。

組織人なら上司に報告して
手順を踏んで復旧して、再発防止策を立てる
これ、スジ。

自分でなんとか始末しようとしたり
上司に報告するのを嫌がったり
「自分の上司って誰?」というような場合
そして
取引先なり他組織の人のほうと
パイプ太かったりすると
相手に不利益飲んでもらったり
なんとかしてもらったりできると

それは次に、やや規模を大きくした
再発につながります。

「悪い」と思う出来事ほど、早くオープンに。
早ければ早いほど
コトは大きくならない。
遅くなればなるほど
自分で自分を追い詰めます。

上司になったら
部下が早く悪い報告を上げられるよう
フトコロ深く受け止めて
再発防止を、自らの責で立てたいもの。

スタッフになったら
悪い報告ほど早くあがって
防止や発見ができるしくみを
魂こめて考えたいもの。

これ全て、自戒です。
そして、伝えたいです。

身近な不思議から3つほど

その1
子、学校に行かない件で
昨日あらためてだんなに
「あなたは心配じゃないの?」
ときいてみました。
詰問調ではなく、わりと普通に。
すると
「心配だよ」
と、普通に返ってきまして。
え?心配だったんだ。
と内心驚く私。
私がけっこう子とジダバタしてるのを見てるのに
一向にからんでこないから
特に感想はないのかと思いきや。

ただ、
驚くのも失礼か、と思い、
特に反応せずにいたら。
「高校通えんのかなー、とか」と言う。
いや、そこは大丈夫だよ、
高校へは新しい世界で
今は行く気満々で
と励ましたりする。
心配するポイントと表し方、
こんなふうに違うとは。
不思議。


その2
なぜかそれをきっかけに思い出したこと。
私の父は病院の勤務医で
勉強を教わった記憶はあまりないのだけど
小学生のときに
人体のしくみ、あたりでわからないことがあり
父が帰宅後たぶんご飯食べてて
そこにあったアジのひらきで
脳と脊髄と神経の説明をしてくれて。
内容は覚えてないのだけど
今でもなんとなく
脊髄とか神経とかきいたとき
私のアタマに浮かぶのは
やや焦げたアジのひらき、という不思議。


その3
各々の考えていることも
場面も登場人物も
全然違うのだけれど
自分のアンテナに引っかかるかぎり
昨日あたり様々なところで
プロセスの繋がりを感じます。
うまく説明できないのでしないけど、
不思議です。
私の道を歩くことと
それぞれの道をいくことの
別々であり同じであるような感覚。

さいたまはいいお天気です。
今日も皆さま、おすこやかに。

私は子に逃げてほしくない→って私は私に逃げてほしくない

唐突ですが。

昨日から今朝にかけて
私は子に対して
「行きたくないところへ行かない」って
そういうふうに逃げ続けるのかと
思って、不安になりました。

なので
「私は子に逃げてほしくない」
という考えを探求しました。

…途中、略。

で、たどり着く
「私は私に逃げてほしくない」。

なぜなら
・大切なことを後回しにするから
・ひとの(子の、先生の、だんなの、仕事の…)せいにして生きるから
・思うより、現実は優しいから

あー、そっかぁ。

子の問題と、私の問題は
分けて考える、
のでした。
子を大切に思ってるし
私は、子の
「行きたくないところへ行かない」という主張を
大切にしていればよいし
その主張があってもなくても
子を大切にしてるから
それだけでよいのでした。
ゆえに、私は私の課題に
向かうことにします。

ありがとう
見守ってくれる人たちの存在を
確かに感じてます。

どうか皆さん、おすこやかに。

英語を手放したことだけは悔やみつつ)バイロンケイティのインタビュー

私は、学生のときに投資してもらったのに
英語と数学と理系教科を
本当に使い物にならなくしてしまいました。
特に今でも悔いているのは英語です。

近年、英語圏の講師に触れる機会ありつつも
高岡よし子さんの的確で繊細な通訳に
すっかり甘えており。
昨年は特に月1回くらい、
ティム・マクリーンさんにお会いしているのに
これもまた日本語でしかお話せず。

ラス&ティムの 来日ワーク
4泊5日ほど英語の滝を浴びていると
4日目の朝くらいに突然、
アタマの中にプラグを刺されたように意味だけ入る
奇跡的瞬間があって
「ああ、英語を勉強しなおそう!」と思うのですが
なんか、こう、・・・薄れていくのでした。

なんでだろう?多分
興味ないことを言われても興味が持てない
んだよなぁ・・・ ・・・ ・・・ ・・・言い訳だな。

そんな私に久しぶりにまた、
「ちゃんとやろう、英語」の熱、復活。
今年5/21-22に来日する
バイロンケイティのインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=SLVLu9pAfJQ

来日にむけて
バイロンケイティワークのエッセンスを語っている
と思うんだけど、言葉の意味が取れない(泣)
でも、ところどころで、特に後半で
語っているその存在やフィーリングに
本当に胸打たれるところがあって
意味をとりたくてしょうがないです。
昨日から繰り返し聞いています。

胸打たれるからこそ、
ちゃんと英語で意味をとれるようになりたい。
英語分かる方はぜひ
http://www.youtube.com/watch?v=SLVLu9pAfJQ
を見てくださいましね。

5/21-22の来日のときはもちろん
日本でのワーク実践の第一人者のお二人による
素晴らしい通訳があるから、安心です。
ワークそのものを創造した本人のワーク、
今からとても楽しみです。
5/21-22 バイロンケイテイ来日ワークショップ
http://www.transpersonal.co.jp/byronkatiework2011/

神話の持つ、それでも力のようなもの

さっき「神経神話」についてアップしたあと
風呂で、写真家星野道夫さんの講演集
「魔法のことば」読んでいて
そういえば、この視点もあった、と思い出し。

神話ということばがしばしば
科学に対する反対語、
妄信なり俗説のような意味で
使われることがあるのだけれど
「3歳までに脳がつくられる」というあたりを
「神話」と呼ぶかという問題はあって

俗説、妄信よりも
もっと豊かにその地域や文化を支える、
そこに生きる人々を世界のなかに位置づける
神話は
何か根源的な力を持つのだと思います。

星野道夫さんの追った、
アラスカインディアンの神話、
そこに自らとのつながりを感じた話、
神話を伝え継ぐ星野さんの友人のインディアン。

そんなことを思い起こす夜でした。

星野道夫著 「魔法のことば」
文春文庫 2010.12

神経神話 という今日初めて知った言葉から考える

たまたま見ていた東京ローカルのテレビで
「神経神話」について特集をしていました。
初めて知る言葉だったので
なんだろう?と見てみると

Neuromythの日本語訳。
定説とされているが実は根拠に乏しい
「脳・神経」に関する通説のこと。
背景等、端的にまとめたものとして日経の記事を。

http://s.nikkei.com/dT9zIa

私の今日見た番組にも出てきた科学者
「最先端の研究の場にいる人ほど
断言できないことが多くなる」とのこと。
「脳に効果がある!」とか「脳にいい!」
というのを、すっと信じてしまうのは
「アタマ」の働きの速さゆえ、
かもしれないですね。

私も「脳」といわれると
より活性化したい、
少なくとも「脳」に悪いことはしたくないと
思います。
それはどういうところからくるかと探求すると、
「アタマの働きがなくなると、自分がなくなる不安」
があるなと思います。
認知症を本当に怖れているし。

それと
脳のことをわかったつもりになると
自分を、あるいは、人を
わかったつもりになるところもあるかな。
特に、ちょっと気持ちが弱ってるときとか
何かに頼りたくなってるときなど。

突き詰めれば突き詰めるほど
多面的立体のそれぞれの面が
どんどん細かくなって
その奥行きの深さを保持できる力量を
関係者には必要とされるかもしれないですね。

ただ、
断言しようとする人たちのなかには
もしかしたら「最先端」のなかで
「あいまいさ」の陰に隠れることを潔しとしない
という人もいるかもしれない。

・・・あ、ちょっと、ぐるぐるしましたが

神経神話、その「俗説」を見ながら
なんらかのoutputする場合
安易な引用を避けたり、
すこしゆっくりめに判断しよう
それと、
脳やアタマで何でもかたづけようとしないで
バランスを整えよう

ということを思いました。

それではゆっくりお風呂に入って、
身体のバランスを整えてきましょう。
皆さまも、どうかおすこやかに。

雨上がりに思うこと

雨上がりの空の下。
久しぶりに口について出たのは
中学生の時によく聴いた歌。

英語も数学も
使い物にならないくらい
忘れてしまったのに
どうして
歌はこんなに覚えているでしょう。

中学生の頃に
周りの大人をどうみていたか。
基本、自分のまわりしか
見ていなかったかもしれない。
一方的に言うこときいたり
反抗的気分はあっても
向かい合う相手ではなかった。
相談する相手でもなかった。

それでも
そのときの自分と今の私は
確かにつながっています。
中学生位の何かを抱えて
大人になってるんだかなぁ、
みんな。

あのときの周りの大人が
私になにを思っていたか
タイムマシンがあるのなら
それだけは聴いてみたい。
自分の人生をやり直したいとは
少しも思わないけど。


ちと、センチになりました。
通勤電車にディズニーランドに向かう女子の群れ。
なんだか、早い春だなー。

今日もみなさま、おすこやかに。

自分の見方で世界は変わる

昨日、おとといあたり。
職場で机に向かっていて
ふとパソコンの画面から目を外して、

向かいの同僚
その向こうのシマの同僚
同じ時間と場所で
違う仕事、違う役割

いや、もっと違う。
今、それぞれのみている世界は
皆違う
あたりまえだけど
ひとりとして
わたしと同じ世界を見ていない。

それはまったく当たり前だけど、
それは生き物の数だけ
世界があるってことで

もっというと、
過去と今とではまた違うようで
世界はいったいいくつあるだろう?

ことばやイメージで
歩み寄って伝えあい
同じ世界を共有したり
わかりあえたと思えるとは
どれだけの奇跡だろう?

役割やレッテルのパワーを感じる。
奇跡をショートカットするようなものだ。
間違えて使うと実は危険。

役割やレッテルを取り払い
世界を、あるがままで見て
そこに居られるなら
自分の見方で、世界は変わる。
誰の物でもない、自分の見方で。

…と、
そんなことを思いました。唐突かー、かつ、あたりまえかも。

今日もみなさま、どうかおすこやかに。

蛍光灯が切れて思ったこと

朝。
台所の蛍光灯が突然点かなくなり。

今日は子の高校入試で弁当作り。
換気扇のライトでどうにか調理。

蛍光灯を外そうとするが
どうにも外れず
確か、数年前に取り替えた時も
何かの偶然で外せたような。
しかし、だんなと私
ふたりして全く記憶なし。
それと、この蛍光灯は
確か、やや特殊な名前だったが
その記憶もなし。

台所暗いままで
週末まで我慢ならないので
タウンページで調べて
近所の照明器具店に電話する。
来てもらわねばならないか
と思ってたら
電話で形状を説明しただけで
あっさり解決。
開店前の、突然の、アワててる電話に
適切な応対、感謝。
それと、蛍光灯の名前も
「ラピットスタート型」と判明。

開店を待って店に行き
予備用含め2本購入。
次、切れた時に
覚えてるかどうかアヤシイので
蛍光灯を両端でくるんでいる
カバーの外しかたを
カバーにテプラで書いて貼っておく。

ついでに蛍光灯のまわりを
重曹で、きっれいに拭く、
と。
わーい、明るい!

よかったー
去年換気扇換えといて。
タウンページやテプラを
すぐ使える所においとけて。
素晴らしくスムーズ、自画自賛。

それにしても。
年をとったり様々なことで
暮らしや、持ち物は
シンプルでわかりやすく
しておかなくては。
扱える範囲も物量も
実は少しずつ少なくなっている、と思う。

ちなみに子は
無事に試験に出かけて行きました。
元旦にあげた御守りを
カバンにつけて。
ピンクにしてよかった。

今日も皆さま、おすこやかに。

今年の行動目標ふりかえり(1ヵ月目)

さて。
目標立てて1ヶ月。
今年の大晦日に「学びの知恵を行動に活かせた!」と言えるために
…どうでしょう?

1.週2回18時に仕事上がって夕食をつくる…●
2.ブログを毎日、自分の考えを発信する…○
3.仕事でこれをシンプルにした!2週に1回…●
4.自分の思い込みに取り組む「バイロンケイティワーク」週1回…●
5.話す、聴く場をつくり参加する…○

2勝3敗。負け越しorz

1は、自分と家族の健康のためにたてたんだが、その気持ちが薄れてきてる。なにより自分に対して薄くなった。ヨガをしなくなって間食が増えて体重が増えている。

3は、思いつきはあっても計画がないので、シンプルに「した!」にならない。

4は、アタマの中だけでやった気になる。声に出す、紙に書く、そういうふうにできてない。

これは
裏返すと1と5の勝因になっている。

1は毎朝の通勤時間を使っていて、続く条件ができている。
携帯をつかって、手軽に手を着けられる。
ある程度決められた時間内で、まずはなんでも書こう、発信しようとできている。

5は計画があって、できている。

あと、1と5は、リアクションがあるし、達成感もある
気持ちがのらない、というときは、しくみや仲間が助けてくれる。


というわけで、

まずは気持ちをリセット。
次にしくみを考えよう。
これは今日、帰宅時の課題としましょう。

なんだかあったかいなー
靴は雪対策でトレッキングシューズ。
山にいきたくなりました。

それでは
今日も皆さま、おすこやかに。

見え方の一貫性

土日、久しぶりに自宅から外に出ず。
家でパソコンはあけていたと。
メールはみるし、
SNSも、ツイッターも
それなりに入っていたのですが


土曜日にもらった携帯メールを
月曜日朝まで放置してしまいました。
たまたま携帯に電話は入ってなかったけど
電話かかっても出なかったと思います。


平日と外出時は
特に朝と晩は
携帯を必ず見ているので
連絡はそこでとれるようにしてる。
自分が携帯を、
連絡用というより
インターネットメディアとの
接続端末に使っているんだ
ということを
初めて自覚しました。

平日は
自宅のパソコン上げるの面倒で
何でも携帯ですまそうとする
でも自宅にずっといるときは
逆になる。

自分の見え方というか
連絡をとる方法や頻度に
一貫性というか
ある程度の法則性を
明らかにしておくのは
相手に対する必要な態度だなぁ、と
思う次第。

それは別に
頻度を増やすとかではなく
だいたいこういう頻度の
こういう窓口
(携帯、パソコン、家電話、いろいろ)
だということを統一しておくと
迷惑かけないな、と。

今朝は小雪がちらつきました。
低い雲。

今日も皆さま、おすこやかに。

ルールやガイドラインは何のためか

自分の職業経歴のなかで
ルールを作るとか守らせるという仕事に
幾度となく就いています。
その経験は常に自分自身の
仕事に対する思いの強さを伴っていて
達成感もあれば苦しみもありました。

その苦しみの根はどこにあるだろう、と
探求してみると

ルールを決めるそばから
そこからいかに逃れるかを策略したり
うまくいかないことをルールのせいにしたり
ルールがないかのように無視したり
妙に細かいことまで決めさせようとしたり
そういう場面に幾度となく遭遇して
自分で痛んでいたからでした。

ルールの形骸化、ルールのせいにする
そういう動きに
ルール = 自分 
と同一化していたこともあるかもしれません。

それはさておき。

監査を受ける機会が増えて
監査する側の見解は明確で、
ルールを作る、守る、形骸化させない
というのは
企業なり組織におけるリスク回避(予防)策
だということなのです。

第三者からみれば
「ルールがなくてもうまくいく」状況は相当ハッピーで
いつか「弱いところ」に不都合や疲労が集中する
システムやルールはそれを避けるために
強い立場のものに指示、承認し、
守らせる責任があることを明文化しているものだと。

ルールはリスク回避のためにある。

守れないルールはないほうがいいし
思いや気持ちを寄せようと思えば
ルールはそのチームの要員のなかに内在し
引き継がれていくと、私は思う。

しかし、それでも。

「ルールは内在する、なくてもよい」と
あるとき強い立場の者(のように見える者)が
思い込んでしまったときに
弱い立場になった者がひそやかに傷む
そういうリスクを予防して、
お互いを尊重するために
ルールはあるのだと、今は私は思います。

シンプルに構成したルールで
常に見直されるルールであるように
守る、守らせるという立場について
必要以上に強調されずに
協力の一環としてあるように。

仕事で、久しぶりにルールなり
ガイドラインを作って
それを広める時期がくるため
自分のためにもちょっと記しておきました。

おやすみなさい

インドア、インドア

今日は少し遅く起きて
ずっとインドアな生活でした。

考えたり
動いたり
また思い描いたりしていました。

集中して書き物をするとき
私は手書きとpomeraを使います。
これはパソコンを使うと
ついついwebを見に走ってしまうから。

それと
本や書類を参照しながら入力するのには
pomeraの画面の低さ・小ささは
かなり便利だからです。

いくつか形になったものもあれば
自分ではまだまだのこともあり
また明日も続けます。

明日は少し外に出てみましょう。

おやすみなさい、また明日。

反応しないという選択

ついその瞬間忘れる。

でも
少し後から振り返れば
ああ、あの地点での
あのひとりごとや、
ややカチンときて発した
あの言葉さえ止めとけば
ということは
往々にして、ある。

特に私は反応が早い
…いや、気が利くとかではなく、
キビキビ動くとかでもなく
カチンと、とか
プチッと、とか
ヒャー、とか
多い。
アタマの反応。

最近少し仕事で動揺する出来事が多発し

二週間位前はそうでもなかったのに
最近、
その出来事の修復にあたる最中
私は、関係者にやや反応的に対応した覚えがあり
もって回って
想定外のところから反応で帰ってきて
驚きました。

と同時に
反応的ネットワークのできやすい脈を
発見した、かもしれません。

反応しないことを、選ぶ。
まずは私の、深呼吸から。

今日も皆さま、おすこやかに。

3/19(土)齋藤めぐみさんの自己理解・自己分析セミナー

なんらかの節目にはもちろんのこと
どういう暮らしにあっても
様々な葛藤や喜びもあって
そこに「自分」と「他人」がいるときに

あの人は、この会社は、この家族は、
どうしてこうなんだろう?
と思うこと、しばしばあると思います。

そういうとき
まず「自分」について理解を深めることで
確かな支えになることを
私は実感しています。

「自分」についての理解や探求は、
そこに「他人」の力が加わると、
多様な観点とつながりを感じることで
さらにやさしくパワフルになります。

今回、自己理解、探求の場をひらく
齋藤めぐみさんのセミナーを
一緒に運営させてもらえることになりました。

自分も含めて
参加者の皆さんの探求に
力をつくせれば、と思います。

残席わずかとのことです

齋藤めぐみさん 夢の仕事で輝こう 〜齋藤めぐみのお仕事ブログ〜
http://ameblo.jp/megumi-saitou-career/
3/19(土)自己理解・自己分析セミナーのお知らせはこちら↓
http://ameblo.jp/megumi-saitou-career/entry-10747075708.html

興味をもたれた方、ぜひお申込みを!
当日お会いできるのを楽しみにしています

今日も皆さま、どうかおすこやかに。

疑問は対面で

話すに限る。
本当にそう。

情報量は多いし、間もとれる。
音声や文面のみでも、
なんとかなるけど
少しの芽でも摘んでおきたいときは
目的を明確にして
あるいは
しきれないなら
相手との信頼を信じて
まずは会うことだ

と私は思います。

ただ、
会うことがかなわないなら
どうしても音声も何も交わせないときは

相手と自分を信じる気持ちを
保持することかと。

今日も皆さま、おすこやかに

動機を受け止める

私はたいてい
自分の真の動機を見つけるのは
最後になる。
肝心なことに触れるのは
ずっと後になる。

ややこしいことを後にして
あっさり、ざっくり
そのほうが効率がいい、早い
ように思いがち。

でも
表面的な対応だけ数が多くても
こころから動ける対応がないと
養分が枯渇する。
結局、滞る。

こころとか、愛とか、
めんどくさいなという表現を使って
遠ざけたり、怖れたりすると
動きが鈍る

…おっと。
ネガティブに書きましたけど

今書いたことと逆の働きが、
同時に、私や仲間にあって
愛につながり
こころから繊細に関わり
一歩前に進む
そういう私でもある。

最後になりがちな動機を受け止め、
育てる力を持っている
それを信じられていることを
今日の幸福に思っています。

感謝。

すこやかさのためにできることを。
今日も皆さま、おすこやかに。

学校へ

朝。
わりと早い時刻に
リビングダイニングの部屋の方に
布団のある部屋から
頭だけちょこっと出して
「起きる意思はあります」
という意思表示をしたあと
しばらくして
子は起きてきました


ご飯食べて支度をして
カバンに自習道具を詰めて
出かけていきました。

今日は受験の出願日。
高校は午後から受付なので
午前中は授業ありますが
子は、先生に意思表示をして
教室には入らず
どこかで自習するか
相談室にいかせてもらうか
するはずです。

昨日のうちに
「学校について行こうか?」
ときいていて、
「いらん。」
とのことなので^^;
玄関で見送りました。

「言いたいことはちゃんと伝えなよ」
子はいつものとおり、
黙って出ていきました。

言いたいことはちゃんと伝えなよ。
それは私にだって言えること。

仕事がんばります。

今日も皆さま、おすこやかに。

私の領域、子の領域

あえて、まとめず、つらつら書きます。

私は自分がいろいろあって
たどり着いてきて
縁のあった大切な人たちに
本当に助けられています。


このかんの
「子が学校に行かない」ことに関して
今日初めて、面と向かって
まとまって、
子の意見を聞くことができました。
急に、子は自分から話し始めました。

子には子の意見と意志があって
「学校に行かない」選択をしていて
そのことに私は8割同意しました。

残りの2割
「人はそんなに、あなたがいうほど
バカ(※)ではないと思う」
ということを伝えることに
正面をみて力を注ぎたいと思います。

(※)ここでいうバカとは
・やるべきことをやっている人の邪魔をするとか
・ずるい行動を平気でするとか
・約束を守らないのに仕切ろうとするとか
・ハブるのをだまってみているとか
そういうのを総称している表現で
「自分も含む」のだそうです。

子をよく見て、よく聴けた結果として
つらいのは子ではない
私が自分をつらくしてる。
そのことだけしっかりわかりました。

私が子に対して思うことを伝え
子が考える、行動する。
それに対して、また私が思うことを伝える。
私が、私の気持ちや意見から逃げない、
でも相手の逃げ場は残す。
いつも、新しい気持ちと心で聴く。

それだけ、やっていきます。

わかったことがある

子供の学校行かない話を
今日初めて、
まとまった時間できいていただけました。
話していてわかったことがあります。

子に対して

学校にいってほしい、
このまま人間関係を思い込んで離れることを、
この先の解決方法にはしてほしくない
という思いと

いくのいかないのハブられるのと、
つらい思いをしているなら、
学校へは行かなくていいから、
つらい思いを少なくしてほしい、
という思いを

まさに、
いったりきたりしていること。

今こそ学びを活かしたいのに
手段に出られず
それもよけい自分を責めて

ワタシはしんどい
ということでした。
あー、ワタシつらいんだ。

で、今書いていて
明らかに再認識したのは

先に書いた
子に対する行ったりきたりする思いは
私の私に対する思い、でもある。
子は、私なのだと思う。
一緒にしてますよ、私も子も。

学校を
職場というか
日頃暮らす場に置き換えたら
ハマるんだもの。
子は(私とは違うから)
「行かない」道を選び
その道に私は納得いかない。
子はこう思ってる(だろう)は
私の考えです。


あー、それがわかるとだなー。

とスカートの砂をはらって
立ち上がってみます。

よし子さん、感謝です。
あと、今日の様々な出来事と仲間に♪

つらいなら、よかったら話して

子は自宅に居続けて今日で一週間。
出勤する前に

学校にいかなくてもいい。問題は
学校にいくとつらい、
学校にいかなくちゃと思うとつらい、
いずれにしても
つらいままでいることのほうで
そっちのほうが私はつらい。
つらい気持ちを、よかったら話して。
何があったかは話したくなければ別にいいから。
それと
学校に行かないことに
慣れてしまうのを
正直心配はしている。
昼ご飯の後、食器は洗っといてね

と言ってきました。


言いたいことを頭の中で一回全部自分に言ってみて
自分の気持ちをぶつけたいだけだなと思うことは、言うのを止めて
それでも伝えたいことだけにしました。


まぁ、できることしかできないから。

ただ、こういうとき
「性格の反応で動かない、
反応を止める
少なくとも反応を止めるようつとめる」
これを知っているだけでも
私は助かっています。

春。
通勤中、前に座っている人は
歳時記を読んでいました。
今日も皆さま、おすこやかに。

夜明けのはやさをおもう

昨日、子の数学の文章題を解けなくて
こんなだから仕事でロジックすっ飛ばすんじゃん
と、凹んで寝て。

比較的早寝だったのに
朝起きられずにぐずぐずして
諸般を儚んで
もうこのままずっといようかなぁ
と思って、
ふと気づいたのは

部屋の薄明るさでした。

6時頃、
もうこんなに明るいんだ。
何ヶ月か前とは明らかに違います。

起きて、朝ご飯作って
子を起こして、
あっという間に朝は過ぎます。

夜明けのはやさは
太陽の高さ
幾分の日差しの柔らかさを
つれてきました。
今日は起きてみたら
少し暖かいです。

子は今日も家に居ます。
少し外に出てみたら?と言ってみました。

節分で新月なんだそうですね。
ここいらでまた、気持ちを洗って。
今日も皆さま、おすこやかに。

ピンチとチャンス

よく、表裏一体だという。
なかなか実感できなかった。
でも
昨日ひとつわかりました。

ピンチには
何かきっかけがある
起こす根がある。

ただ
そのきっかけや根を持たない
うまくいった事例にも
ピンチは
実は、光をあてます。


きっかけや根を探り出して
それを根絶するのもありで
改善のチャンスとも言える。

しかし
もっとチャンスと思えるのは
ピンチがなぜおきないか
うまくいった、いっていることに
学べるということ。
場合によっては
人によっては
チームによっては
そのほうが、
チャンスなんじゃない?

体調崩す人が増えております。
睡眠、食事、手洗い、うがい。
どうか皆さま、おすこやかに。

ちょっとした新生活

昨日から決めたこと。

子は、朝起きて
学校に行くか行かないを私に伝える。
行かない場合は、
子の携帯を電源切って預かり
インターネットの接続を切る。
子はその時点で、今日一日だいたい何をするか見通しをたてる。
帰宅後、何をしたか教えてもらう。
苦手な数学も極力手をつける。
わからないところ、特に数学は、
解法そのものを、解説みてもわかりづらいところがあるので
そういうところは帰宅後、だんなが教える。

それは昨日のうちに
本人と同意し約束しました。

で、
今日は子の携帯を預かり、
だんなは朝からネットをきりました。
私は自分の帰宅時刻を伝えました。
私も真剣に帰宅しなければなりません。
携帯もネットも使えない焦燥感は
わかるもんで^^

読んで下さる方に
いつも感謝しています。
支えられて
私はまがりなりにも
親をやっている気がします。

どなたさまも、今日もお健やかに。

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