amazon

  • エニアグラム 自分のことが分かる本
  • エニアグラムあなたを知る9つのタイプ(基礎編)

twitter

リンク

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

学校に行かないことで

解決にはならない。
でも
つらい思いをしなくてもすむ。

どうして行きたくないのに
無理に行けっていうの?
と泣く子に
学校へはいかなくてもよい
とは言ったものの

納得いかないのは
仲間外れにされてつらいほうが
学校へ行かないことで
釈明したり不利になったり
することだ。

…待てよ。
具体的に、どう不利になる?

行きたくないのは子であって私ではない。
納得がいかないのは、私だ。
首に縄つけてでも
子を引っ張っていけないで
イライラしてるのも私だ。
学校への釈明も、報告も、
今は私がしているから
それでイライラするんだ。

子は
・つらいことがあった
・行きたくない
・行かない
だけで
何も自分からは言わない。
大人にチクって何になる、
先生にも言うなという。

わかる。
子としてはそうだろう。
言って何になる。
そのとおり。
でも
大人は心配するんだ。
そこは今わからなくてもいいけど
大人は大人の、やることがある。

担任の先生には連絡し
今日の夕方に面談を予約。
体調不良ではないこと。
つらい思いをしたこと。
クラスの全員から無視されたわけではないこと。
今は行けない気持ちが強いこと。
行けない気持ちを責めるところもある様子。
この辺を伝えて、
様子見ますと報告するつもりです。

なんだか正念場。
ただ、私は元気です。

どうか皆さま、おすこやかに。

山ハイキングのあれこれ

山ハイキングのあれこれを記します

【服装、持ち物】
初夏と晩秋と冬に、
南関東の800m位の山を歩く範囲で。

今、「山ガール」がはやりで
スパッツやトレンカ、レッグウォーマーにスカート
今日も確かにいました。かわいい。
ただ、私の見た目は年中かわりません。
クリーム色のランニング用ウィンドブレーカー
必ず着用します。

初夏には、山用の長袖シャツ
汗を通し、軽い生地です。

晩秋には、同じシャツを着ますが
下着にヒートテックを足して
フリースのジャケットを足します。
それでも途中でフリースは脱ぎました。

今日は
下着にヒートテックを2枚重ね、
その上に長袖シャツ
フリースジャケット。
下は、スパッツとトレンカを重ねて
レッグウォーマーも重ねます。
フリースのネックウォーマーも着用。
これで、途中汗をたくさんかきます。
今日、埼玉は今年一番の寒さだったとか。
でもほとんど寒さを感じませんでした。

もう少し高い山にのぼる場合は
汗をきちんと発散する
山用のジャケットがいいかなぁ。

持ち物は、
あったかいお茶と常温のお茶。
おにぎりは1合、小さめに4個。
どんなに晴れてても雨具。
周辺の2万5千分の1地形図と
ガイドブックなどのハイキング用地図。
方位磁石を首から下げて
鎖つきの時計をポケットに。
携帯はリュックのすぐとりだせるところに。
山に入る前に、
suicaや財布、家のカギなどは
目立つ色のポーチに移してリュックにしまいます。
健康保険証と運転免許もポーチに入ってます。
わりと小さめのリュックです。

靴は先輩にもらった登山靴。
これは足首をホールドして捻挫を防ぎ、
スベリドメになり、
硬い岩などでの打撲を防ぐ
怪我の防止には本当に有効です。
岩場が少ない、遊歩道が整備されている道なら
運動靴で上ることもできます。

【時間帯】
なるべく早く、できれば日の出とともに上り
(冬はあまりに寒いのですこしゆっくり)
理想は午前中、遅くとも午後2時すぎには
車道に出られるように計画します。
道に迷ったり、なにかあることを想定して。
特に冬は3時はもう風が相当冷たいです。

【出かけるときと帰ってから】
朝食は必ず摂り、
暖かい飲み物で身体を温めます。
着替えを風呂場の脱衣所に
袋にいれておいておきます。

帰宅後、まっすぐに風呂場へ。
風呂を暖め、その間に着替えて
着ていたものをすぐ洗濯。
リュックのなかを全て出して即格納、
そのまま風呂に入り
上がる頃洗濯が終了するからすぐ干します。

台所かたづけたり夕飯の仕込みしたり
身体の動くうちにすべてやります。
座るのはすべて終わった後。
座ったら最後、
もう立ち上がれないから^^;

というわけで、
今日はもう立ち上がれず・・・
おやすみなさい。

山ハイキング)旧正丸峠〜伊豆ヶ岳〜子の権現

山ハイキング、今日のルート。

07:12
西武秩父線正丸駅発。
国道を少しだけ通ってすぐ集落の間を抜けて山道へ。
07:38
かなり大きな岩の横をぬける。
唐突にそびえる不思議さ。
07:53
一度に車道出てすぐ山道。
旧正丸峠へ、の札に従う。
ここで、道なき道をつっこむ。
道しるべのようなテープもあり、丸太も相当古いが適当に渡してあったので15分ほど進んだが行き止まり。
教訓:ピンクのテープはハイカー向けの印ではない。

08:25
旧正丸峠へ、の道標まで戻る。
道が見つかった。
あ、これかー、なんだ楽勝なりー。
再び山道へ。

08:40
旧正丸峠着。古の峠の風情。
このあときつめの登り。
08:54
川越山着。
お茶とおにぎりで一服。
09:24
正丸峠。
ここには車でも来られるので、マイカーできて駐車場に置いて往復する人もいる。
急にハイカーが数名増えて驚く。
冬で枯れ木、思いがけず見通しがよい。
尾根にでると道はなだらかで、
山の稜線がくっきりしていて山が蒼い。

09:50
五輪山。
ここへは別のルートで二度来ている。
ここからまだあるぞーと軽く気合い入れる。
10:05
伊豆ヶ岳着。
今回のルートで一番標高が高い。
蒼い山のさらに向こうに、西武ドームが小さく見える。
感慨深い。
このあと、次の古御岳から降りるときにエラい岩場になっていて、足がわなわないう。
登山靴で足首をホールドしてるので怪我の心配は少ない。それでも慎重に下る。

11:00
高畑山着。
以前、ここを越えた後にルートを外れて山の中を強引に下ったことがあり、今一度地図を見直し、おにぎりで腹ごしらえ。

11:50
天目指(あまめざし)峠。
ここまでくるとほっと一息。おにぎりで一服。
しかし、ここから4、5回のアップダウンを越える。
足にコタエる。
下りはカラカラの地面で滑る、登りはそこそこの急角度。
山ハイキングは、アップダウンにあらがわず、目の前の道を受け止めて進む。
呼吸を深くして、体の力を抜いて、体幹だけ意識する。
それだけの時間。

12:45
子の権現。
やっとたどり着いた〜。
観音様に手を合わせただけで通過。
ここから軽快な下り。

13:12
浅見茶屋着
地粉の手打ちうどんで有名な茶屋。
うどんのおいしさはわかっているので、今日は自家製バニラアイスをいただく。すばらしく美味しい。
この茶屋は昔からあり、おいてある雑誌は、山雑誌に加えて昭和45年の婦人倶楽部だの主婦と生活だの。
この頃から、変わらず家庭にあるもの、もうないもの、様々。
でもベーシックなものは変わっていない気がする。

13:35に茶屋を出て14:20吾野駅着。

だいたい七時間の道のり。
すっかり一回、アタマをクリア
というか
目の前の道のことだけを考える、
と同時か、その前に体を動かして進む
心地よさに浸れました。

あたまのなかを洗いたい

金曜の夜になって
仕事で面倒なこと、発覚。
どうすればいい、なにすればいい
という意見に
いまからジタバタしてもしょうがないから
もう来週にしましょう!と
関係者を解散させて休みに入りました。

その事態になったことは
心痛い、と思っています。

休んでいてもなんとなく
自分の声は自分に入ってくるので
明日は山に行ってこようかな
と思います。

すべては週明け。

元気です、大丈夫。

おやすみなさい。

それでも今日は始まる

昨日から
だんなは喉が痛いという
子は急にクラスでハブられたという

いつも悩むけど
昨日の様子を見て
今日は学校休みを許可。

だんなは
今日は午後かえってきちゃおかな
という
勤め人には有休がある。
学校にもあればいいのに。

避難する、退却する
とりあえず、場から離れる。
それは解決ではないかもしれないけど
今日の子には必要だと、
詳しくは聴けなかったけど
そう思った。

まずは昼ご飯を置いてって
私は今日の仕事に専念。

そんな今日も
始まればかけがえのない
とある一日。

私自身は変わらず元気。
皆さま今日も、おすこやかに。

こんなことをしている、場合によって。

こんなことを、
場合によってはしています。

メールが来て
返信しようと思ったら
メーラーでメールの本文を打ち込まずに
いったん別の、テキストエディタ等を開いて
そこに打つ。
携帯、あるいは挨拶程度なら、
そこまでしないけど。

反応的に返さない。
全部一回言いたいことを書ききり
形容詞と、「いきなり」「少し」「かなり」などの修飾的ことばをとって
必要最小限にして
「詳しくは電話で(対面で)補足します」
って最後に書いて、おくります。

こみいった、あるいは
自分の感情が揺れたときほど、
こうします。
あと、夜遅くなら、
テキストのままにして、
実際に送るのは朝にします。

メールでの
時間差による
自分(相手)の思いの増幅を
極力避けるため。
ビジネスというよりも
生活全般での、
すこやかさの保持のため。

埼玉は空気カラカラです。
どなたさまも、今日もおすこやかに。

滞りは、ないか

昨日と同じだけ寝ているはずなのに
朝起きづらい
体がだるい

そんなときは
あー、つかれてるな

と、ひとまとめにする前に
エネルギーの流れが
滞ってないか
自分でブロックしているコトやモノがないか
振り返るようにしています。

長時間、椅子に座っていた
いつもしているヨガやストレッチをしなかった
…カラダのブロック。

人と会話してない
あるいはしてたけど何か我慢してた
…コミュニケーションというか気持ちのブロック

何かブロックを多く抱えてる
と思ったら
ブロックを外す、壊す
必ずしもそれは
物理的に休むだけでは
外せない、かもしれない。

今日から
年に一度の、来客対応。
しっかり勤めます

どなたさまも、どうかお健やかに

目標たてて10日目

今月16日、セミナーにて立てた実行宣言から10日。
星取表をつけてみましょう。
はっけよい、のこった!


「今年の12月31日に
学びの知恵を実践に活かせた!」と言えるために

週2回18時に仕事上がって夕飯作る…●
ブログで毎日、考えを発信…○
仕事でこれをシンプルにした!というのを2週に1回…△(でももう仕込んでおかないと間に合わない!)
バイロンケイティワークを週1回…○
聴く、語る場をつくり参加する、月1回…△(これも具体化せねば)

書き始めたときは
あー、黒星先行!
と思っていたが
書いてみたら意外にまだ、
大丈夫だった(^^;)

それでも
仕込んでおかねば黒星になる
というのもあり
急にバタバタしがちな昨今
油断大敵。

といいながら
私、どこか根本的に
油断体質なところが
あるんですよ。
仕事で、どうしてこう
毎年、毎回、
何かを起こすんだ、わたし!
というような事態にあります。
自分で落とし穴掘って
けつまづいて埋めてる感じ。

本当に自分を大切にしたいなら
もっと手放して落ち着いて
周りを見よう
早く、周りのできそうな人に
頼もう、巻き込もう

家に帰ると
何かとスムーズにはなったし
朝ご飯も充実してる
生活は変化している

いっぺんには変わらない
毎日少しずつでも
毎日、その一瞬だけでも。
本当に
私も周囲も大切なら
今日は早く帰ろう。
そのためにできることをしよう。

と、
朝、高い空に思いを放つのでした。

やや、「やろう!」モードが強すぎて押しつけがましかったら失敬。

今日も皆さん、お健やかに。

発掘、菜切り包丁

台所を片づけていたら
引き出しで箱に入ったままの
菜切り包丁を発掘。
かなり本気の、高そうな。

結婚したときと
今の家にきたときで
二回引っ越ししているのだけど
その都度大切に運ばれ
大切にしまわれてきたわけね。

家人にはやや不評だったけど
私はあらためて目にして
その本気ぶりにホレこみ
野菜を毎日切るから、と
二十年の時をこえて
包丁は日の目を見たのでした。

今朝。
白菜でもトマトでも、
いやぁもう、
野菜切るの、楽しい楽しい。
それに
切り口がすぱっとしていて
気持ち、おいしく感じます。

というわけで
朝から新鮮な気持ちにて。
今日も皆さん、お健やかに。

今週の2冊(その2) 「禅マインド ビギナーズ・マインド」

「禅マインド ビギナーズ・マインド」
鈴木俊隆著 松永太郎訳
サンガ 2010

この本はもともと英語で書かれ、日本語訳です。
著者の鈴木俊隆老師は、1959年に渡米後12年間で、アメリカにおける禅の基礎を築いた、と本の扉で紹介されています。
著書は老師の開いた「カリフォルニア禅センター」での法話を、弟子たちが繊細に編集したもので、欧米の禅修行者には教科書のような著書だそうです。

ことばの下地のないところで禅の心をどう伝えたか。
老師は初心こそが禅である、と説きます。

Zen Mind,
Beginner's Mind
It is wisdom which is seeking for wisdom
禅心、初心
それは、智慧を求める智慧である

読むと、禅は目の前の日常といつもつながっていることを感じます。
禅は特別なことをするわけではなく、ただ、「座る」行為、姿勢、日常の生活にも意味があることを、教えてくれています。
36の各章は、何度読んでも「理解した」ということはなく、その時々の私の心持しだいで新しいことが書いてあるように思えます。
対象を分け隔てることなく、いつでも新しく、初めて触れるように、どんなことにでも開かれている心を保つ。
難しいことなのだけれど、
ただできることは、
 「目の前のことをなす。
  姿勢を保ち、座る」
こと。

ただ座ることは、自分のこころの起こす作用を眺める行為だと、私は思っています。
そして日々あたらしくあることのひとつだと思っています。

私はこの本を、カリフォルニア禅センターで学び海を渡ったティム・マクリーン氏に教わりました。
そしてティムと高岡よし子さんから探求のエニアグラムやバイロンケイティワークを学んでいます。
鈴木老師が海を越え、ティムが海を越えてくれなかったら、禅にもエニアグラムにも触れることはなかった。
そう考えるととても不思議で、稀有なことに思えます。
そういう奇跡を日常に、今日も私は座ります。

禅に少しでも興味のある方、
別にそうでもない方も、きっかけにぜひ。

今週の2冊(その1) 「環状島=トラウマの地政学」

久々に。
昨年末、仲間や、こころの師匠から紹介された本です。

「環状島=トラウマの地政学」
宮地尚子 著
みすず書房 2007

著者は、精神科医、かつマイノリティ問題に関わる研究者です。
トラウマをうけた本人だけではなく、支援者、研究者も、その位置に立ち続けるために何が必要か。そのためにあらゆる関係者の立ち位置を、「環状島」というメタファーで描き解きます。

言葉にならないはずのトラウマを、なぜ言葉にできるか。
この矛盾は、当事者をはじめとする関わる者を揺るがせ、ときに防衛や距離を生みます。
「しかしトラウマの忘却、社会からの抹消は、トラウマをなかったことにしたい者たちの思うつぼ(著者)」と、著者は自身をも問い返し、思索を続けます。

環状島のメタファーは、
当事者、支援者、研究者、傍観者、加害者、
複合するあらゆる関係性を精緻に表現します。

それぞれは深くコミットするほど困難さや傷を負います。
それでも互いに近づき、困難から離れないために
人に、知性に、できることは何か。

私はこの本を読んだあと、それは
互いの関係性に固執したり過度に自分を染み渡らせず
それでも繊細で丹念な実践で裏打ちしたうえで
「目に見えるかたちにして自他に示すこと」
ではないかと思いました。

私は知性のみで何か解決できるとは決して思わない。
でも、無意識の何かと偶然と体験だけにも頼れない。
「トラウマ」「支援」という行為をめぐって
構造的に繊細に表すこのような知性に
私は感謝したいです。
姿勢を問い、居住まいを正す一冊です。

ときめくものを残す(食器・台所用品編)

家中のあらゆるものを手にとって
ときめくものだけを残す
あとは手放す。

というのを、
外出しない休みはひたすら実施。
今日は、子の受験日で私は自宅待機。
食器と台所用品を
徹底的に床やテーブルに置きまくります。

これまで
食器は割れない限り捨てられませんでした
でも今回、
使っていない、しまいこんでいた食器も
すべて出して手にとって
これ、というものだけ残しました。

どうしても捨てられなかった
私の小さいころに買ってもらったカップと
子に初めて買った陶器のカップは
玄関横のスペースに飾りました。

ちなみに、
玄関横のスペースには
自分の思い入れのある、
あるいは家族の思い出のある
様々なものを飾るスペースになりました。

シンプルな食器
よく使う食器だけ残り
あー、
これでもう食器は割れない限り買わない。
食器棚にぴたっと収まり
取り出しやすくなりました。

それと思いがけなく
シンク下からリネン類(ふきん)のストック
なんと業務用のクロスを大量に発掘。
さらに掃除に精進せよ!!とのお達しか。

これで明日、洗濯機上の
住居用洗剤だのなんだののストックや
掃除道具を全部見直せたら
「手放す」作業はいったん中締めです。
あらゆるところが風通しがよくなって
適量がそこにある気持ちよさ。

それでは皆さま、おやすみなさい。

5/21-22 バイロン・ケイティ来日ワーク 申込開始

強い思いは思い込みになり
世界をつくり、そのなかで苦しむ。
でも、大丈夫、止められる。
「現実は、あなたの考えよりずっとやさしい」から。

バイロン・ケイティの「ワーク」
シンプルな4つの問いと言い換えで
小さなことから大きなことまで
私は思いがけなく苦しみを手放し、
気持ちを楽にしてきました。

ワークについてはこちら
http://www.thework.com/nihongo/

いよいよバイロン・ケイティさんご本人
5月21日・22日に来日されます。
ご本人の存在感に直接ふれてのワーク、
さらに通訳の繊細さ、精密さも
その場で展開される「何か」も本当に楽しみ!

C+F研究所にて申し込み開始しました
http://www.transpersonal.co.jp/byronkatiework2011/

日常の、今この瞬間の、問いと探求で
日常の、あなたとわたしの息をふきかえしましょう♪
ほんと、「がらっ」「ころっ」って
こころのなかで音がするような感じを
ご一緒に、ぜひ。

出したものはしまえ、をクリア

我が家の家訓は
・出したものはしまえ
・半歩でいいから先を読め
・寝ろ
・やっちまったものはしょうがないどんと構えろ
の4つ。

私は3つ目しかできてなくて
あとはオタオタしたり家人に叱られたり
していたものだったが

今は1つ目をクリアするようになりました。
パチパチ。

モノを少なくし、定位置にしまう。
自分の身のまわりで、
できるようになって
これだけ楽になるのは感激。

ちなみに
私を力づけてくれた本
「人生がときめく片づけの魔法」は
今、私の周辺の人たちに
絶賛回遊中。

もともと片づけ上手の人でも
新たな発見や喜びがあるらしいですよ。

それでは皆さん
今日もお健やかに。

思いを砕いて真意をきく

事実はどうなっていて
それに際した関係者がどう反応し
どう伝えたか。

間に人の思いが入ると
関係者にとって望ましい循環になる場合と
必ずしもそうならないときと
あります。

時に、
自分の怖れを
伝聞のなかに無意識に乗せて
攻撃的に増幅させて伝えること
私にはあります。

私の怖れを自分で乗せたなって気づいた時は
その後の言動には気をつけます。

他人の話すときに
「いま、この人は
事実に思いを乗せたかも。」
と気づいたときは
「思い」そのもの
あるいはもう少しつっこんで
思いの壁を多少砕いて
本当にいいたいこと
「真意」を
きくように心がけます。

なかなかできない。
自分が さらに反応する。

でも、ささやかに心がけです。

空が高いと気分が晴れます。
今日も皆さん、お健やかに。

災いと再生

16年前に
西の天災の翌日に起きた
東京の地下鉄の人災を
私は忘れることはありません。

人が引き起こす、人への暴力は
得体のしれない、いわれのない暴力は
ふるわれた人の尊厳と存在を奪います。
あの事件は、直接関係を持たない人からも「信じるこころ」を遠ざけたように私は思います。

誰にもある光と影を
ヒステリックな空間ではなく
穏やかに共有できる場所を増やしたい
と私は思います。

世に人災の恐怖があるとして
そこからの再生にも
日常的な人の営みや力を必要とする
と私は思います。

今日も皆さま、お健やかに。

復興、いのちの灯

毎年テレビで観るだけの
あの日から毎年。

あの日、何気なくつけたテレビから
はじめは淡々とした声で
そのうち緊張のはしる声で
さらにヘリの映像で
決定的な衝撃が伝わってきました。

その後の映像、
少なからずいた関係者の動向
その日を境に
生き方も価値観も変わった人の話を
毎年思い出します。

16年後
街は着実に復興したように見え
ニュース映像は今朝も、
光が多く灯る夜景を写していました。

毎年、夜明け前の闇に
ろうそくを灯し、祈る人たちの映像からは
毎日の生活の影に
ぬきがたくあるであろう衝撃を思います。
復興とは、きっと
「元通り」ではないのだろう
と思います。

毎年。
その灯をともす皆さんと
関わるいのちの魂が
安らかでありますように。
今日も皆さん、お健やかに

雑感(2011年1月16日)

まとまらないので雑感で

1)私は仕事を手放さなくてはならない  の続き

年末仕事を離れて静かに思索した暮らし。
年が明けて
それとうまく合わない、ぎごちない職業生活で
周囲に対しても内心いらいらしていた
元気がない平日。

今やっている仕事について

A.私以外の人がやったほうがもっとうまくできる
B.私がやれば一番うまくできる

この矛盾する二つ、同時に私の中に成り立ち
とくにB.の執着があるのが情けなく

「仕事手放さなくてはならない」
で「バイロンケイティワーク」をやってみたと。
http://www.thework.com/nihongo/
http://bit.ly/i3yaF0

そこで気づいたことは
・すべての仕事を手放さねば、とは思ってない。
・そもそも「~しなければならない」と思うだけで
私は身体の緊張と悲しみと逃げたい気持ちを
同時に抱える。

ということでした。

このあといくつかの思い込みを解体しながら
どういう思いも一瞬うまれ、変わって、流れる。
「・・・でなくてはいけない」「・・・でなくてもよい」
陰陽魚の図のようでした。

あえての結論はないのでこのままにします。

2)
「私は・・・である」という言葉あるいは
私はこういう人生を送ってきたという物語
時によって変わります。
語れない、
語るそばから「なんとなく違うな・・・」
という感覚を、今日、私は持っています。

3)
私は、自分の強みや能力を注目しづらいです。
あえていうと「頑張る」というところか。
でもこれが「迷惑になってないか」と思うから
「強み」に思えなくなる。

ただこれも
「私は強みを注目しづらい」
  →それは本当ですか?
って解体しにいこうかと(笑)

私の強みを見いだす、
これは、今この瞬間の最大関心事です。


雑感でした。
おやすみなさい。よい夢を。

齋藤めぐみさんのキャリアプランニングセミナーに参加

齋藤めぐみさんの
キャリアプランニングセミナーに参加♪
テーマは「新年の目標を立てよう!」

昨年末に
「健やかさのためにできること」
私のこれまでと今のスタンス
文章にしてきました。

行動するためにチャンク(塊)を砕いて
具体化しようと思っていて
その、いい機会にさせてもらおうと。

今日は
・こころから実現したいことは何か。
・そのために今、日常で何をするか。
↑そうそう、これなんですよ~♪

について、初めて会った皆さんと語り聴きました。

各々の人生で起きたことや思い、
「幸せな人生」について
考え、語り、聴く機会がありました。
他人あるいは場にことばや思いを出すと
それだけでも別の観点やエネルギーを増やせます。
さらに、
世代や環境が違う皆さんに耳を傾けてもらえて
力をもらえました。

参加者の皆さんと話していて考えたこと。

私にとって幸せな人生とは
自分の大切にしたいことがわかっていて
関わる人もそれを見いだせることです。

「幸せ」を考えるときに
他人、自分、仕事、家族、様々な対象があり
精神的、物質的、などの側面もある。
でもその「ひとつ」や「どれか」を選ぶというより
「どちら(どれ)でもある」
というスタンスが、今の私にはあります。
選びきれない弱さではなく
選べないあいまいさでもなくて、
目の前のことに集中し、行動できることこそ
幸せ、かもしれない。

で、年代や性別を超えて、
ひと一人ひとりをしっかりつなぐのは
場でもパートナーでも、
たとえば物理的にそこに一人で居ても
こころ震わせる何か。
「感動」と呼ぶもの、かもしれない。

・・・
さて、私の「今年実現したいこと」
ここに宣言しておきます。
今年というよりも
もしかしたら今日であり当面の明日。

1.週に2回
 仕事を18時にあがって夕食を作る
 (家族と私の健康のため)
2.2週間にひとつ
 仕事で「シンプルにした」という事例をつくる
3.毎日
 ブログで自分の考えを発信する。
 どこかのタイミングで職場の仲間と共有する。
4.週1回
 自分の思い込みにとりくむ
 「バイロンケイティワーク」を実践する
5.月1回
 話す、聴く場をかたちにして、参加する。

・・・
場をクリエイトしてくれた、齋藤めぐみ(Meg)さんに感謝♪

同窓会~ランチデート

昨日の夜は
GCDFキャリアカウンセラー育成クラスの同窓会。
面白いことにmixiで近況は知っていたりもするので
実は久しぶりな感じがしません^^
でも。
やはり、まとまって経験や思いを聴くのは
また格別です。
人は人を支えて、
そのことで痛みを抱えたり、喜びを感じます。
双方に、変化と成長があるのだと私は思う。
そこへどっぷり足を踏み入れて行動したい。
そのように思った夜でした。

今日は同窓生のお一人、
マイミクのしまきちさまと
ちょっとはやめのランチデート。
エニアグラムの本を
持ってきてくださったしまきちさまと
エニアグラムのタイプと輝きについて
たくさん語らせていただきました。
聴いてくださって感謝です。
他にもいろいろ、さまざま。

どんなに経験を積んだとしても
立場や環境が変われば人は揺れる。
それを語れて聴けることは
いくつになっても人を自由にする。
と私は思います。

さて。
午後はしまきちさまと一緒に
齋藤めぐみさんのキャリアプランニングセミナーに参加。
 こころから実現したいことは何か
 そのために今ここで、日常で、何をするか
をブラッシュアップしてきました。

続き(そこでの気づき)はこのあとで!

このあと同窓会へ

このあと、GCDFキャリアカウンセラー育成コースのクラスメートと同窓会です。

久しぶりに会ったり
近況を聞けて嬉しいです。

様々に腹を割って
語り聴いたメンバーなので
楽しみ。

刺激を受けてきます。

私は仕事を手放せない、手放さねばならない

こんばんは。
今日は少し手短に、昨日の続き。

「私は仕事を手放せない」
それは本当ですか。

強い思いの枷を探求すべく
ひとりバイロンケイティワークをして

・私は仕事を「手放せない」
よりも
・私は仕事を「手放さねばならない」
という一文のほうが

本当ですか?
そう思うときどう感じますか?
と自分に問いかけたとき
強く胸に響きます。

私の思いは
仕事を
「手放さねばならない」
と思うとき
悲しみを引き起こしています。

手放せない
手放さなくてはならない

両方が並列して
手放せない、と思うときは
身体のこわばりや緊張感、劣等感
手放さねばならない、と思うときは
悲しみ、情けなさ
を感じます。

だから何なんだ?!

というところで
続きは冴えた明日の朝に。

おやすみなさい、よい夢を。

誰よりもできる、やりたい、やらなければ

遠距離の心の友とは

共通点なりつながりがあるのだけど
相互で
ここは違うんだよね
と認めている点は

私は仕事を抱えて、
できる、やります、やっておくね、
と言ってしまい
仕事を手放せない、人に任せないことが多い
という点です。

物理的に離れる、
たとえば休日
たとえば昨年末の休みや
昨年職場を有休で空けた機会多かった
そのときは一切考えない。

「完全にだれかのテリトリー」
になっている仕事には
それほど興味を持たないし
手も出さない。

物理的に仕事場に居て
これが今の私の仕事
と思っていることを
やっている。

まず、作業段取りがやや不明確なまま、トライアンドエラーしている。これがまず、人に渡せない理由のひとつです。
ゴールイメージをみたいために先に手を動かしていながら気が散りながら、という時間がながい。


そうこうするうち
以下のようなことがインする
・誰がやるかあいまい、あるいは、たらいがくるくるしている、で限りなく手持ちの仕事に近い仕事。
・私の仕事に近いが、抱えている人が面倒くさがったり愚痴を言っている仕事。
・これ、わからない、というお問い合わせ

拾っちゃいけない
のだと思う。
まず手持ちを完了させるか
誰かに渡せないうちに
あたらしい仕事は拾っちゃいかんですね。
実際
誰も拾わなくてもなんとかなっているから
たらいは回り続けている
とも言える。
というか
じゃ仮に私がたらいを止めても
抱えたら見えなくなったら
余計始末が悪い。

と、後から考えればそう思えるのに

たらいを止めたり、
じゃ、やっときます、こっちでなんとかします
と言ってしまう
その判断はいつも、ほんの一瞬です。

その一瞬の動機を追うと


嫌な顔をされたくない
便利な人でいたい
自分のテリトリーの仕事なら、
時間さえあれば
誰よりも辻褄あわせる仕事ができる、やりたい
という欲、執着を
私は捨てられない。

というところへ来て

さて、ここから。


私は仕事を手放せない
私はあいまいな状態を許せない
私は誰よりも自分の仕事を完璧にやりたい
○○さんは私の仕事をできない
などなど
あー、声が聞こえる。

「それは本当ですか。」

バイロンケイティワークのネタが満載になったので


続きは明日♪

ナントカしなきゃイキオイ

朝、起きて
ご飯作れてお茶飲めて
アタマも気分もすっかりクリアになっている。

この状態を
夜、
「明日までになんとかしなきゃ」
と追い込んでいるときには
気がつかない
あるいは
信じられない。

明日までにナントカ勝負を
なぜかけてしまうか。
昨日時間をはかって作業記録をとった。
問い合わせを受けて調べて応える仕事
意外に多いし、時間かけてる。

もっと人に任せないと。
もっと手放さないと。

年末、物理的に仕事を離れたときは
かなり手放せてたのに、
その場にいると
ナントカしなくちゃイキオイを
止められません。

とにかく
昨日撤収したぶんを
今日10時までにメドつけるのが
私の今日の仕事のポイント。
このガンバリはやりきるとして
次は別の形に変えよう。

朝陽が眩しいです。
防寒きっちりです。

皆さん、どうかお健やかに。

成人の日かぁ

働きはじめてから数えても
成人を超えてしまった。

あのころの私にいいたいのは
いいからまず生きてみよう
です。

二十歳は制度が決めた区切りだから
何もそこが区切りでなくったって いい。

成人の皆さん、
関係者の皆さん、
おめでとう。

皆さまどうかお健やかに。

もう少しで一段落(ときめくものを残す・学びの資料編)

今日は、「ときめくものを残す」片づけの2日目。

昨日は、玄関、押入れ、寝室の
靴、雑貨、カバン、アクセサリーを徹底的に
すべて出して、床に積み上げ
一つ一つ手にとっては手放してました。

今日はダイニングテーブルの横の棚。
ダイニングテーブルは私のプチ書斎。
ここでパソコンも資料作りも読書もします。

ダイニングテーブル近くの棚には
受講したセミナーのテキストや資料
集めたり、作成してきた資料を
幅10cmファイルボックス12個分ためてました。
これを、6個に減らしました。

昨日雑貨を手放すより、
途中でけっこう時間がかかりました。

資料は最近4年分の学びで、
つながりがないようでつながっています。
で、手放そうと思ってもうまく手放せない。
残しておいても「本当にやるのか?」
手放してしまったら「本当にもうやらないのか?」
しまいに
「私、本当に何をしたいんだ、これから??」

煮詰まって1回その場を離れて休憩。
そこで気がついたこと。

「自分の考えるカテゴリごと
まとめて手放そうとするから
うまくいかない。
全部手放す、でも、本当はいいのかもしれない
でも、今、すべてを手放すのではなく
もう一段階、細かく見て、
どうしても今手放せないものは残そう。」

それでだいぶ手が動くようになって、
資料は本当にスリムになっていきました。

自分で思ったこと、感じたこと
それはやはり残りました。

それと、この1年で着手しなかったら手放そう
というファイルボックスも作って、
あえて目に見えるところに並べました。

おんなじことをずっと言ってるなぁ・・・
「あのころの未来に」まだ立ててない気がします。
でもこれも私なので、

今年はoutputするぞー。

家中の「ときめくもの」をひたすら残す

この連休は昨年末から決めていて
自宅の片づけに集中しています。

『人生がときめく片づけの魔法』
近藤 麻理恵 著
amazonはこちら↓
http://amzn.to/eumwIO

年末に本を読んだあと、
私もシンプルなくらしがしたい。
身のまわりにいつも流れを為しておきたい。
モノへの愛情を感じてみたい。
と強く思い、
行動の日を決めて楽しみにしていました。

まずは「捨てる」
・・・というか
「全部床にならべてひとつひとつ手にとって、
ときめくものだけを残す」
という作業を
徹底的に、一気にやってしまうこと。
それもモノ別に。
服 → 本 → 書類や小物 →・・・
最後は思い出のあるもの。

と近藤さん(こんまりさん)は指南します。

「モノは私の手元に来ただけでも
その役割を果たしている」
「モノは役に立ちたがっている。
しまいこまれているくらいなら
手放したほうが生かされる」

そうすると、罪悪感というよりも
モノと対峙してこころを見つめるように
手放す作業をずっと続けられます。
手放すときには感謝します。

年末に1日、服と本に取り組んでまして
残したモノにとても愛情が湧いてます。
今日は、その他の「モノ」たちを順番に。

靴、カバン、押入れの様々なモノ・・・
今日私が手放したものは、
45Lの袋8つになりました。
自分の周りに空気が通ってきました。

ま、ただ、・・
物理的にゴミ袋に入れていく作業は
ちょっと、つかれる~
明日、また朝からお昼に続けようと思います

日々あたらしくあることについて

新年や新学期は
それを機に何かを始めたり
計画を立てること
あります。

いつ止めてもいいし
やめたらまた始めたらいい。
実は、毎日、日々あたらしい。
毎日、元旦のように。
一瞬がいつでも1月1日午前0時のように。

始めた方に、心から応援。

1月15日が休みだった頃が懐かしいのは
新成人はともかく、
そこで
年末のばたばたなり
年始のあらたまった感じから
日常に戻って
習慣を変えたり、ぎこちない感覚から
一息つけたからかなぁ。

明日のお休みが
待ち遠しいというか
早すぎるというか
ですね。

私は週末、自宅の片づけをします。
年末から予定していたので
今から楽しみです。
楽しめるためにも
今日は仕事を進めます。

ネットからは大雪の便りも届く
しかし晴天が冴える場所から
今日も皆さま、お健やかに

まだしっくりこない新年

なんとなくまだしっくりこない感覚で
新年を過ごしています。

思うに
年末に仕事を休んでいる間、
自分のペースを守り、生活を改善し
睡眠時間と時間帯を変えたのと

部屋の片づけの第一弾を終えたところで
この週末に第二弾を予定していて
なんとなく中途半端なのと

仕事はそれなりにあって
こっちはどうも進められない。
ゴールイメージをクリアにできてないまま
気を散らしてるのと。

いくつか
やらなくちゃ…
と思っているものと。

おそらく従来だと
気合い入れたり
遅くまでなんとかして
やりきろうとしてたのを
手控えています。

その動機は何だろう?
勢いづきたいが
勢いづくのを恐れている
感じとでもいいますか
勢いだけでこなそうとするだけでなく
違う手段でやってみたい
のか?

中規模よりちょい小さめの
工事中かと思います。
感覚受け止めつつ、
今日はまず今日の仕事に励みます。

冷えますね。
今日も皆さまお健やかに。

仕事進められず

肝心な、というか
重要度も緊急度も高い課題を
やや緊急度を読み違えて置き去りに。
人や状況のせいにして
簡単な、答えのでやすい課題に走った。反省。
明日までのデータ解析や会議資料、
間に合わない気配に慌ててます。

でも。
今日はいったん退却し
エネルギーチャージして
明日の朝のクリアさに
委ねることとします。

ごめんよ、明日の自分。
ちゃんとよく眠るから許して。

街や駅の工事からの雑感

駅や街が工事中になると
高い壁ができたり
回り道を余儀なくされたり
通る人はやや煩わしいです。
おそらく
街や駅は更地にはできず
従来のものと関係づけながら
壊して構築するから
よけい大変になるでしょう。

駅や街は、その工事が終わると
息をふきかえしたように流れがよくなります。

駅や街の工事には
期限も計画もある。
でも
ひとは、そうはいかない。
期限も計画も予想図もない。
いや、
持とうと思えば持てるのかもしれないし
実際、街を変えるように
自分をかえていくひとも
いるのかもしれない。

でも
正直、今の私はそうじゃない。
私がわたしに関しては
期限や計画を立てられないように思い
それでも
流れをスムーズにしたい
シンプルに、日々あたらしくありたい
というのは
ずっと強く思っています。

私が駅や街の工事から学ぶことは
その計画性よりも

もし私自身の工事なら
周りとの違和感や軋轢を
いったん厭わずにいよう
ということ
加えて
工事中の人(変だな)には
様々なことがあるし
関わる側に煩わしさも
そりゃあるよ、と認めること

です。

工事すること自体
そんなにはないかもしれないが
やるときには腹をすえて
やりたいものです。
工事ができる、
自分の力量を信じて。

それほど数は多くないけど
工事に挑む仲間を
私は無事を祈り、応援しています。
私も含めて。

今日から仕事はじめの方も多いと思います。
新年に限らず、日々あたらしく。

今日も皆さま、お健やかに。

川沿いを歩く

川沿いを歩く
多摩川の河原、川沿いの道は、私にとっては大切な道です。
空高く、長く続く砂利混じりの道を、朝陽を浴びて歩きました。

たぶん携帯で写真撮った時かなぁ
元旦に預かったお守りを落としてしまった。
失せもの注意。
それと
大切な場所に預かってもらっている
と思って
今年の無事を祈ります。

皆さま今日もお健やかに。

どちらでもある、あるいはない、について

まだ実家におりますお正月。
福袋の行列に朝から並んで
甥と姪の子供服をゲットしたり

銭湯の初風呂でも、
と張り切って向かえば
今日だけ朝風呂で
すでに営業時間を過ぎてたので
家風呂で心ゆくまで長風呂して
思いついたこと

私は特定の宗教の信者ではありません。
ただ、
お遍路に出れば般若心経や光明真言を唱え
最近は座禅を組み
神社の境内の静けさを好み
初めて出た教会のミサにいたわりや慈悲を感じ

宗教的儀式や祈りの場にあるとき
信者や宗教家の方たちの敬虔さに頭を垂れ
なるべく邪魔をしないよう、
そこにいるようにしています。
大いなる何かに祈る気持ちや思いに
つながりを感じます。

そういうことをぼんやりと思いながら。

「どちらでもある」
ということを、
しばらくは大切にしていこうかなぁ
と思っております。
あるいは「どちらでもない」でもいいのか。

何かに決める、どちらかにする
日常そういうことの連続なのですが
候補にあがったことは
それなりの理由もあり、
実はどちらでもあってもよいように思います。

決めたことにそって行動はするものの
違和感があったら、変えることを
いとわないようにしたいと思います。
「どちらでもよかった」はずだからです。

あいまいにしておく
というニュアンスとはちょっと違うのですが、
また、決めない、行動しない、
ということとも違うのですが、

決める前のすっきりしない感じ
決めた後でももやもやした感じ
言葉にできない、でも、そこにある
というような感覚とともにある
少しでもいいから、そういう間(ま)を
とりたいと思います。

自分や周囲との間や中に
いつも「流れ」をつくっておき
様々なものをいつも流しておきたい
と思います。

間(ま)と流れを大切にする
どちらでもある、あるいはない、
を持ちこたえる器を育てる
大いなる何かとつながる感覚を味わう

と、当面こころがけてみます。

皆さま、どんなお正月でしょうか。
どうか、お健やかに。

元旦の歩き初めというか

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

さて。
いつから始めたかもはや覚えてないのですが、元旦は夜明け前から歩きます。

今年はずっとは歩かず、
こんなコースをたどってみました。
パワースポットめぐりとでも、いいましょうか。

細い下弦の月、光る金星。
一人、誰もいない道を一時間程歩きました。
様々なことが浮かんでは消えました。

電車に乗り、原宿は明治神宮へ。
年越し明けの少々妙なテンションの若者たちで賑わっていました。
私はいつからかこの年代からは離れ、子のほうがこの人たちには近いんだな、と思うと、
コントロールしきれないエネルギーを受け止めよう、という気持ちになりました。

5時45分。
明治神宮の木々の合間の空に、夜明け前のうっすらとした明るさをほのかに感ずる頃。
本殿に着き、お参り。

渋谷まで歩いてから、実家の最寄り駅まで電車。
7時からカトリック教会のミサに参列。
信者ではなく申し訳ない。
この教会は崖にあって、庭から多摩川のさらに向こうに見える富士山のシルエットにおちてゆく大晦日の日の入りを観るのが私の年中行事。
ふと、元旦のミサに参列してみたくなりました。

門戸はもちろん開かれ
見よう見まねでお祈りを捧げました。
神父様の話を聴いて印象に残ったことは2点。
聖母マリアは、神の子を生んだ、しかし私たちと同じ人間であり、違うのは原罪をもたなかったことであること(原罪が、ないとは、どういうこと?)
聖母マリアは人間なので、すべてがわかっていたわけではなく、あらゆることを受け止めたことが素晴らしいということ。

礼拝全般を通じて
イエスは、突然降ってきたのではなく、人から体を通して生まれたことに意義があるように思いました。
それと「食べる、飲む」動作が神父様に多く見られ、体に取り入れるというのは神聖なことなのだと思いました。
何事も、体を通す尊さということがある、と。

このあと、多摩川を見て、等々力不動尊にお参りして、帰ってきました。


どこへいっても祈ることは
諸般安全(よく言われるのは家内安全ですよね)
商売繁盛
学業成就
そして、健やかでありますようにと。


多くの祈りの場に実際身を置いてみて
願いや思いが自我からきていても
何か、根っこでも天でも、
大いなる何かと繋がっている
そういう瞬間がある、ように思いました。


年のはじめ。
どうか皆さま、お健やかに。

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »