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健やかさのために【こころ・からだ】

こころ
からだ

実は日常、
私にとって遠いものだったと
今年は特に気づくこと多く。

両方は別々で、一体で、
大切なもの。
どちらも、抑えることで疲れになる。
流れていれば、スムーズに動く。
そのように実感しています。

こころとからだの健やかさは
なるべく自分で整えようと思います。
でも、何でもそうだと思うけれど
一人で何でもやろうとしたり
何かネガティブなことがあると自分を責めたり
あるいは
ネガティブなことを見ないようにするのは
自分に対してつらい仕打ちです。

私は
底を這うような辛さを
経験したことはありません。
できればしたくない。

でも
そういうことはある。

受け止め、生きている魂と
私はともにありたいと願います。


全く比較にはならないけど
年末に突発性難聴になって
通院して、生活整える位しか
自分にできることはなかった
そのときに
委ねて生きることを
少しだけ垣間見た気がしました。


変化を見て、
受け止め、流し、委ねる。
他人の手を借りる。

今年は
おやしらず含めて歯を3本抜いて
白目の膜がちょっと飛び出してコンタクトレンズを止めたり
で、耳と。
頭の器官にいろいろあったので
来年はさらに、全身とこころのバランスを整えることに注力したいな、と思っております。

ただ、どうあれ
健やかさは
将来のため、というより
いまのためというか
いまを味わうことなんだ、
どういう状態であれ。
生きていることはギフトだから。


今年もご来訪ありがとうございました。
読んで下さる皆さんの支えあって、書いてきました。
どなたさまも
よい年をおむかえ下さい。
今年も来年も
どうか皆さま、お健やかに。

『片づけの魔法』にかかってみる

近藤麻理恵(konmari)さんの話題の著書『人生がときめく片づけの魔法』

何のために片づけるか、理想の暮らしをイメージする。
「捨てるモノ」ではなく「残すモノ」すなわち「触ったときに、ときめく」ものを選ぶ。
全て出して、ひとつひとつ手にとって選ぶ。
モノ別に片づける。
捨てる、は一気にやる。

何より、モノへの愛があふれ、ときめく人生を応援するような著作に刺激を受け、さっそく実行。
著書で指定する通り、服から始めました。
全部服を出し、ひとつひとつ手にとって選びました。

結果。私の服は

コート2
スーツ春夏3春秋2
ジャケット秋冬2
カーディガン4
チュニック3
スカート秋冬1春秋2
綿パン2、ジーンズ1
Yシャツ長袖1七分袖4
セーター3
サマーセーター1
綿シャツ 長袖1七分袖2タートル1キャミソール3
登山他向けの機能性シャツ3
礼服2
ジャージ5
フリースジャンパー1
フリースのパジャマ1
あとは下着類各5以下。
スカーフやマフラー12
手袋3

これが全て手持ちの全てになりました。
季節トータルで、です。
服は全てクローゼットと引き出し衣装ケース5つに収まり、それぞれ入れ物に対し6〜7割の容量になりました。
何より、着たい服、こんまりさん曰わく「ときめく」ものしか極力残さなかった。
ただ私の場合、多分に服は「機能」と「役割」で着てるなぁとは思いました。
ときめく、だけを純粋に考えたら、あやうくチュニック数点残して全部手放しかけました。でもすこしだけ、必要性を加味して残しました。

すっきり。
というか、必要なものがクリアになった感じです。

これから「本」です。
これがねぇ。
思い込みなり「思い」との対話です。
ここへきてくれた時点で意味があった。
だから、手放しても大丈夫。
さて、勇気を持ってダイブ。

仕事納めはパソコンの掃除

仕事納めはパソコンの掃除
仕事納めはパソコンの掃除
「健やか」ちょっと休憩。

今日は仕事納め。
本当は職場のデスクまわりをキレイにするつもりが、手がつかないまま時間切れ。
それでも、パソコンのデスクトップは掃除してきました。

職場にはファイルサーバーがあるので
ファイルそのものは全てサーバーにおいて
自分のパソコンには完全に、ショートカットしかないようにしました。
そのショートカットも実はサーバーに仕事の種類別にまとめてあります。
サーバー使えなかったら、仕事にならないよーって帰っちゃえばいいし、
自分のパソコンが壊れても他のパソコンから仕事ができます。

今この瞬間にやっている仕事と、
今日やっている仕事に使うファイルへのショートカットをひとかたまりにして
デスクトップのど真ん中に配置しました。

そこは名づけて
「いまここ」
です♪

わーい、すっきり。

ちょいテンション上げて
仕事には一応ケリつけて

でも、私には
まだ今日は家でやることがあるんだBaby。
楽しんじゃいますよ。
完了したら報告します

それでは、また。

健やかさのために【家族】

今一緒に住んでいる家族といるときは
私はあまり何もせず
一緒にご飯食べる位で
おのおの好き勝手です。
家族にあえて何かをするとしたら
衣食住を整えたいと思います。
ふだんの暮らしのベースを
自然な形でより確かにして
健やかに過ごしてもらえたらと思います。


今一緒に住んでいない家族には
心配かけないように
自分が健やかでいられるようにして
支えられている感覚を
味わいたいと思います。

どの家族にも
変わってほしくない
変わってほしい
両方の望みにしても
私は強く持っています。
今は
変化を受け止めようと思っています。

そのままでいられることに
気づかせてくれる
家族に愛を。

健やかさのために
家族にできること、でした。

皆さま今日も、お健やかに。

健やかさのために【学びと仕事】

学びと仕事について、
健やかさのためにできることを考えます。

かつての私の学びは知識を得ること、与えられた課題を解くことでした。
試験なら点数を取ればうれしかった。
新しいことを学んで、頭の中で意味がすっと通るときはおもしろかった。
言いたいこと・書くべきことが、天から降ってきて、書けることが楽しかった。
それが学びの楽しさでした。

わからないことは苦痛でした。
答えが出ない、答えを見てもわからない。そういう課題が、高校生位から増えてきました。
あるいは「人と話したり調べるなどして自分で結論を導く」課題を苦手にしてきました。
今も「これでOK?」と誰かに訊きたくなることはたくさんあります。

社会人になって、
「知識があっても課題ができなくては、
課題ができてても他人がわからなければ、
できていることにならない。」
そのように思うようになりました。
私はしかし、あまり業務成績を「あげる」努力をしてきませんでした。
他人にわかるようにすることに気後れしたり、
できて「あたりまえ」のことをひけらかすようで気が引けました。

学び。
私は業務成績をあげることより、
業務時間とは別の時間で別のこと、
自分の知りたい、学びたいことを学ぶほうに
時間とお金を使うようになりました。
私は何をしたいのか。
何かになりたかった。
知識を得れば、何かバーを超えれば、
私は「それを活かした」「別の何か」になれるような気がしました。
仕事の場面以外の、ここではない、どこかで。

偶然が重なって、業務成績の「結果」ではないタイミングで
私は思いがけなく昇進し、二つのことに気づきました。
・業務成績を自ら抑えてきたのは責任を取りたくないから。
・その役職には、実は就きたかった。
その役職だからこそ、業務上での学びの機会、多くの人に出会う機会が増えました。
好奇心や知識欲は満たされました。
一方で、責任と人間関係に、重荷を抱えるようになりました。
実は役職についた人に嫉妬して過ごしてきたところもあったのに、
いざ役職についたら、自分のやっていることに実体というか、手応えがない。
なにより「人間関係において、感情的な側面での力量が足りない」
というのがそのころの自己と他人からの評価でした。

人に共感する力の不足。
自分でそれは認めながら、管理職としてそれはどうなのかという自問自答。
知識だけで生きてきて、どこかで冷たい人間なのだから、
人に深く関わる管理職は無理なのかもしれない。

その管理職として参加した研修で、自分の性格の動機について、語り、聴く機会で自分を見つめ、他人と話した経験で私はかなり元気になりました。
その後、同様の研修に参加し、さらにそこで出会ったキャリアカウンセラーに相談したことで、
私は自分をつき動かす動機に明確に気づき、やってきたことがすべて繋がりました。

所属する組織やチームのために献身したいこと。
所属する組織の変化の激しさが、自分の動機に影響していたこと。
役割が明確であれば力を発揮するが、そうでないと不安であること。
人に踏み込むのが、予測のつかないことへ踏み出すようで怖いこと。
「共感する力がない」のではなく
「うっかり共感して動揺するのが怖い」ということ。

私は、このような気づきを自分で深めたくて、
こういう気づきが他の人にもたらせる力量をつけたくて
キャリアカウンセリングや、
「動機を発見するきっかけになった」エニアグラムを学び始めました。
キャリアカウンセリングの学びは語る喜びを感じ、
聴く力、相手に返す力の不足を痛感しました。
エニアグラムの学びは、
自己探求の楽しさや困難さ、感動と常にともにある経験でした。
知識に加えて、気持ちも身体も総動員して、
統合して「学び」を体験してきました。

まだ私は依然として、「学び」と「本業」(現在の職業や職務)との関連づけをとれないままです
(事実として今はそうなので現在形)
活かすにはどうしたらいいか、
そのために今の仕事は続けるべきかそうでないか。
そう考えた時期が、つい最近までありました。

ただ、いくつかのきっかけを通じて
私は今「本業」と「学び」を、別々に分けず、統合されたものとして捉えています。
私は「今の職場で、キャリアカウンセリングやエニアグラムの学びで得たことを、展開する」
という課題に、取り組みます。

事務の流れを円滑にするためには、関わる人のニーズを正確にとらえる必要がある。
相手の動機、自分の動機を、それぞれ大切にしてものごとにあたることで、無用な軋轢を避け、円滑に進められる。
事務あるいは間接的な業務は、それが心地いい人とモチベーションを保ちにくい人がいる。そのために自分を知って、仕事のなかでも「ここに自分は真剣に、力を尽くせそうだ」ということがわかるようになる。
グループやチームでの自分と相手の理解は、課題に集中でき、お互いの本当にやるべきこと、やりたいことをクリアにできる。
何より、どういう仕事についていても、自分の大切にしたいことを、過去の経緯や思いこみから離れて、クリアな形で取り出せたら、仕事をする、生きるうえでプラスになるに違いない(少なくとも邪魔にはならない)

まだ整理できてないところもありますが、そのために何かできそうな気がしています。

私は今年、役職から離れました。
私は、役職にも今の職務にもしがみつかない気持ちを、今、心から感じています。
荷を降ろしたがゆえに、浮ついたところがあって、ミスや失敗もしています。
やったつもりになって、確かめない、詰めの甘さ。
そういう私を認めて、毎日の仕事であたらしく学ぶ、それが今の私の学びです。
学びが、私と周囲に何かをもたらしているかに自覚的でいたいと思います。

知識も仕事のスタイルも姿勢も、業務成績も、日常のコミュニケーションも総動員です。
入力も出力も続けることで、よどみない流れをつくることで、周囲が円滑になります。
業務成績にも正面から向き合おうと思います。
私の「お客さん」は自分以外の人であり、そしてどこかで自分も含まれます。
シンプルに、円滑に、流れるためになせることを。
「健やかさのためにできること(学びと仕事)」です。

健やかさのために【仕事編】

健やかさ。
大切にしたいことを見いだし、携え
本来のありようで
シンプルに、日々あたらしくいられる様子。

私の仕事について「健やかさのためにできること」を考えます。

私の仕事は、生活協同組合の情報システム部門のスタッフです。
現在の主な職務は、コストの集計や予測、それにかかわる関わる書類の流通と保存です。
「情報システム部門」は、大きくいうと組織内のシステムを作る(買う・利用する)、動かすのが主な役割です。
他社に発注すればコストが発生します。システムをつくれば会社の資産になります。よって事前にしかるべき会議体に計画を承認してもらい、お金を払うときは妥当性を示す資料を揃えて経理部門へ渡します。払った後は記録をとり、集計し、経理資料と整合性をとります。
毎月いくら使っているか。今年はあといくら使う見込みか。
来年いくら、あと3年はいくら使うか、
どれくらいの資産を得る(増やす)か、場合によっては捨てるか。
実際に決めるのは、各プロジェクトなり役員なので、決める人が判断しやすいように報告すること、そこまでの流れをスムーズにすることが、私とチームの仕事です。
企業によっては、これを経理部門で行っているところもあると思います。また、コスト集計のためにスタッフをおくのではなく、各人が自分たちでやっているところもあるでしょう。

私は情報システム部門での職歴の多くを「システムを動かす」ことと「その他」にあたる職務で過ごしてきました。
その他、というのはたとえば、新人や、異動したての人たちに、円滑に業務にあたってもらえるように、一定期間で訓練するとか。
業務の流れや言葉、使う書式の標準を作成し浸透させ、使われているか確認するとか。
「作る」「動かす」にダイレクトに携わるのではなく、その周辺で、隙間を縫うような仕事をしてきたように思います。

この隙間を縫うような職務に、いつもどこか自分の力に自信がなく、評価もされていないように思っていました。
どういう実力があるか、資格をとることで示そうとしていた時期もあります。
自社や自分の部署ではなく、他社の人たちと研究活動に出るようにもなりました。
打ち込めるものを自社の外に求めて、楽しさも苦しさも経験する一方で、自社の仕事には、不得意な感じ、どうすすめていいかわからない、何が正解かが読めない感じを持ってきました。
私の本当にやりたいことは違う、と思った時期もありました。

ただ、最近あらためて考えるようになったこと。
本当にやりたいことは「外」にあるのではなかった。
確かに、活動の場を外に求めたけれど、熱を込めて何かをしていたとき、それは「外」ではなくて、「私とそのチーム」でした。
そこで熱を込めて語っていたことは、私のそれまでの仕事で大切に思ってきたことでした。
そして相手が大切に思うこと、熱を込めて語ることを、聴いたり生かしたりしていました。
私が大切に思うことを、くんでくれた人たちに支えられていました。
そう思えた瞬間は私にとって「外」ではなかったのです。

私なりに熱をこめた仕事になっていればそこは「外」ではない。
そこに熱をこめられるかどうかは私の意識の問題です。
それは「外」に求めたから、わかったことでもありました。

私は今、自社での仕事、
コストを集計し報告する仕事、申請などの判断経緯を残す書類を、他人にわかるように流し保存する仕事について、
「関わる人たちにとってどれだけわかりやすく、円滑になるか」
を評価軸にしようと考えています。

職場の人たちは、コストにからんで何がわかりづらく、困っているか、この仕事に何を期待しているかを、現場で、見て、訊いてみようと思っています。
一方、「数値や書類について、他人(他部署)に分かりやすく報告して残すことは、自分たちの仕事を効率よく整理できること」
という私たちのチームの主張も携えて、現場へ出ようと思います。

コスト集計と報告は、どういう単位や周期で何のために報告するか、判断のためにどう貢献できるか、ある判断の結果どういう計画や行動がなされるか、と、一連の流れの中にあります。
その流れをシンプルによどみなく流すことが、私とチームの仕事です。
そのために機能できているか。
滞る箇所を正視できるか、
私に問われています。

健やかさのためにできること

私の宣言です。
ここに公開し、皆様に読んでいただき、行動の糧と致します。

------------

健やかさのためにできることを。

変化しないものはない。
変化に翻弄されずに、受け止められます。

「何が正解だろう?」
私の得意なことは、
期待に応えて、基準を調べ、適切な着地点をを見つけだすことです。
「みんなで頑張りたい。」
私の好きなことは、目指すところを同じくする仲間と、
力を尽くして成し遂げることです。
変化の少ない、一定の枠組みの中では、有効に機能してきました。

こういう私は、環境や周囲、自分自身の変化に対応するのは苦手です。
職場が変わる。人が変わる。方針が変わる。
「そんなこと【自分で】考えなよ」
考えてもわからないことが増えます。
これって合ってる?間違ってない?今でもどきどきします。

自分から逃げて、言いたいことを飲み込んで、開き直って
誰かのせいにしてかわしてきたつもりでした。
大人になる、年をとるのは、そういうものだと思っていました。

40歳を超えていました。

どうしても私自身からは逃げられない。
なぜ、こんなに苦しいか。
自分で考える、とはどういうことか。
私は、本当は何をしたいか。
私は、何に、どんなときに、生きている実感を持つか。

私の大切にしたいことは何か。

信頼するキャリアカウンセラーに聴いてもらえた機会、
キャリアカウンセリングを仲間と学び、語り、聴いた経験
「自己理解・他者理解の地図」
探求するエニアグラムを学ぶ経験から
45歳の今、このように考えています。

変わらないものはない。
変化には翻弄されず、受け止められます。
いくつになっても、どんなときも
私の、あなたのなかに
確かな輝きがあるからです。

「大切にしたいことは何ですか」

膝をつくようなつらいとき
心が躍るような楽しいとき
こんなことがいつまで続くだろうと思うとき
これ以上の喜びはないと思うとき

生活や仕事での
出来事と感情の大きな波にのまれそうでも
私たち自身のなかに確かな輝きがあります。
大切にしたいことは胸の中にあります。

いくら目を背けても、なかったことにしても
私に、あなたに、チームに、職場に、今いる場所に
大切にしたいこと、輝きがあります。

おのおのの輝きを見いだし、
携(たずさ)えて毎日を過ごせること
シンプルに、日々あたらしく
本来のありようでそこにいられることを
私は「健やかさ」とよびます。

私が大切にしたいのは、
私自身と、関わる人たちと、
仕事と、生活と、社会の「健やかさ」です。

心を閉じた人や組織のなかでは「健やかさ」を感じにくい
と思います。
私自身、一人で何かを抱えこんでいるとき
失敗や非難、他人の評価を恐れるとき
誰より自分に厳しい声をかけるときに
健やかさとは遠く離れているのを感じます。

ただ単純に
健やかなことが「いい」のではなくて
あるいは目指すとか無理をするのではなく
離れても近づいても、どちらでもいい、
深い闇でも、大切にしたいこと、輝きは、
確かにあるから。

「大切なことは何ですか。」

過去でも未来でもなく
健やかでいられる、その一瞬があることを
伝えるあるいは見いだすために、
何かを為すこと。
それが私の行動です。

一人で抱えず誰かと分ける。
聴く、話す。
探求する。
こころ、身体、考えのバランスをとる。
自分、家族、社会、経済の調和をとる。
揺れる私を、変化する環境を、受け止める。
一人ではできなくても
他人がいるからできることがあります。
大人になった、年齢を重ねたからこそ
できることがあります。

私の、あなたの、家族の、チームの、組織の健やかさ。
今、目の前の道をともに歩けるように、
おのおのの健やかさを愛せるように
私のできることを少しでも。

今、私の持っている力は、
人と物事に関わるときの勇気です。
その勇気を、あらゆる「健やかさ」のために捧げます。

2010.12.25

お休み終わり

今日、病院に行って聴力検査。
左右差が若干あるも、耳鳴りはなく、
お医者さんOKでまして
来週より復職の運びに。

「残業は、無しでね」
お医者さん、なぜわかる。
それが私の課題なのだよ。

復職する、すなわち
生活改善を「仕事して」継続すること。
早寝早起き、充分な睡眠、バランスの取れた生活。
勤務時間、しかり。
単に時間だけじゃなくて
姿勢や計画が課題。
何事も、日々あたらしく、修行です。

それでは皆さま
今日も、どうか健やかに。

子の受験は方針決定

今日はもうひとつ私立高校の個別説明会に。
朝イチ、空いているうちに行ってきました。
相談の結果、これで受験校は決定。
あとは本人、頑張るのみでございます。

個別説明会会場にて、
本人の名前住所、出欠状況、成績等を書く紙、
親が書いてる人、いたなぁ。
たまたま一緒に居た2組とも、そうでした。
これ、本人が書けなくてどうするのかしらん。

ちなみに、我が家は昔から
ダイニングテーブルで
勉強もパソコンもやるし、テレビも見ます。
テーブルを埋めてた本や雑貨を
とにかくキャスター付メタルラックに移させ
テーブルには「今やっていること」だけを
置くことにしました。
これは私も同じルールです。

今も、テレビの番組撮ったのを見て
踊りながら数学だの国語だの解いてる。
不思議だ。
それぞれ集中のしかたがあるとはいえ。
でもまぁとにかく。何とか向かおう。
結局、自分に向かってるんでしょうねぇ。

すこしずつもあり、一気にやるのもあり

生活時間を組み替えているのと
職場ではなく自宅にいる時間が長いため
日頃やらないこともやりたくなります。

ただ「アタマのなか」で想像しただけで
やった気になってしまうため
なるべく
手や身体を動かすこと、
入力と出力をバランスよく行うこと
を心がけています。

思いがけない仕事の休みだからと
日頃できないことをまとめてやろうとすると
仕事をやり始めたら
できなくなってしまいます。

毎日やりたいことを毎日できるように。
ある瞬間に実践できることを、
その瞬間にできるように。
この数日心がけているのはベースづくりです。

ただ反するようですが
もちろんまとめて、一気にやりたいことを
すすめてもいます。
ブログのプロフィール変えてみるとか
いま「為すこと」は何か考える、とか。

「私がやるべきこと」とは違う、
「我」や「べき」が入らないカタチでの
何のために、何をするかを考えるイメージ。

バランスをとるのも、とらないのも
どちらもあり、ということで、

今日も皆さま、どうかおすこやかに。

整えて様子を見る

難聴開始から8日目。
通院して聴力検査。
中低音で1つ、30dBがあるものの、
他はほぼ復調しました。
左右バランス整うまであともう一歩。
お医者さんからも
「薬は7日分出しますけど
自覚症状なかったら自然治癒でいいですよ」
というお言葉も。

おおお。やった~

おっとここであせってはいかん。
だいたい今、7時間寝てて、
情報量もかなり絞っていてのこと。
あと数日は
とにかく生活整えて様子を見ることに集中。

とはいえ。

ちょっとうれしかったので、帰りに、
無印良品のダウンロングコート
(ベージュ)(10%off)を購入♪
ジャストサイズです、うっれしー。

午後は、読書して、夕飯作って。
今日も早寝予定。

生活習慣を整える

早寝早起きを実践中です。
よく寝る。
昼間ちゃんと起きておく。
あれもこれもやろうとしないで
やろうとすることを紙に書いて
ひとつずつやっています。

身体ばかりに贅沢をさせないように
天気のいいうちに掃除と洗濯。
食べ物は少し絞って、水分多めにとってます

聴力はずいぶん普通な感じ。
少々左右のバランスが悪いので
それだけ注意しています。

これだけの、たぶん、数日になるでしょう。
他と比べず、今の私にできることを。

皆さま今日もどうかお健やかで。

他人の目を通す経験

子と、私立高校個別相談会へ。
ほんとうに行きたいのは公立なので
併願で受験しますが、
どこをどう受けるかの絞込みに、
ここへ来て真剣。
成績が少し上向いてきたところでもあり。

相談会では
模試の成績と、学校の成績と出席状況を見せて
学校側と受ける側でお互い感触を確認する。
なるほど。
この安心にお金を払うのだな。

ただ、今日行った相談会では
相談に乗って下さった先生がとても親切で、
これまでの成績と学習傾向
これから目指すべきイメージ
について、
本人の納得のいくように解説して下さいました。

本人のたっての希望で塾には行かず
一度も出さない○研ゼミだけを地道に続け
マイペースを貫く本人に
一番不足しているのは
「自分のやっていることや成果について
他人の目を通す経験」。
納得して他人のアドバイスを受け取る経験です。

短い時間でしたが的確と思えました。
行って良かったです。

私自身は「受験は本人の努力ひとつ」と思っていて
子を見ていると正直歯がゆいし、
もっと頑張らせたいと思う。
やればできる、というのは、
やらなきゃできないってことじゃん!
とか、思う。
でも、子が納得して、
選んで望んでやらなければ
子のものにはならない。

本気で見守ることにします。
見守るのは、手を出さないってこととは違うと思う。
背中を押すとか
真正面を見るタイミングはあるかもしれない。
私が、子に対して、本気であれば。
そのときは自分で決めようと思います。

復調

右耳が突然聞こえづらくなったのが月曜日
水曜日から通院4日目。
80dBしか聞こえなかったポイントが
今朝は30dBまで聞こえるようになり、
聴力はだいぶ戻ってきました。

左右のバランスはまだなのと
右耳に、さーっという音は残ってます。
それでも今日で点滴は終わり。
明日からは内服薬のみになりました。

おっと。
これは仕事休んだの、早まったか??

と、一瞬思ったけれど
ここまで復調したのは
いつもより2~3時間長い睡眠と
休養があったから。

あと1週間、様子をみながら
じっくり大切に過ごすことにしました。

なにかを無理に「しない」ように
身体を適切に動かし
生活をシンプルにするための掃除をして
睡眠を充分にとります。

怒涛の引き渡し

午前、病院へ行き、順調な回復を確認。
45dBまでが聞こえる程に。
聞こえかたが明らかによくなりました。
バランスがへんな感じなのと
耳鳴りがあります。

午後出勤、
明日から年内お休み決定。
怒涛の業務引き渡し。
今日入った問い合わせは片っ端から結論出し
おいていくファイルの計算式のロジックを同僚と上司に全部喋りつくして、
ファイルの置き場をメモで残して
休む、ごめん、よろしくメールを関係者に出し
長欠届けを出して

帰宅中〜。

職場の各位に、本当にありがとう。

休養

突発性難聴(右)3日目。
通院して、聴力検査と、内耳の血流をよくするための副腎皮質ホルモン他の点滴をしました。
昨日の点滴、出勤時間短縮、睡眠を2時間くらい延ばした、など効果あったらしく、
昨日より全体的に10dBずつ、
小さい音でも聞こえるようになりました。
さっそく反応があったのはよいきざし、
ただしまだ全体的に40dB~50dB、
音の種類によっては70dBしか聞こえない。
(これを30dBくらいまでもっていければおよそ正常の範囲内だと)
それと、さーっという音は依然続いています。

このあと、中学・高校からの友人の耳鼻科医に話を聴きました。
点滴の長期継続による影響や、休養の程度について、
少々詳しく。

副腎皮質ホルモンの点滴は、
耳鼻科の場合2週間をめどに続けるが
その程度だと特に他に病気がなければ、
吹き出物が増えるかもしれない位であること。

大病院を紹介されたとして、
今のように聴力が好転していたり、めまいがなければ、
様子に応じて点滴の種類を変えたりしながら、
通院になる可能性が高いこと。

休養については
「突発性難聴は最初の2週間が勝負なので
できれば仕事は休むのをすすめる」と。

通院した初日に言われた、10日~2週間は休養
というのはやはり聞き間違いではなかったか。

これで気持ちは固まりました。
明日、職場にいって、上司につたえて、
休養を申し出ようと思います。
いくつか心配はあるけれども、
周囲を信頼して。

耳続報

わりと軽い気持ちで
耳鼻科に行ったところ

聴力検査したら
右が、ある周波数の領域
極端に聞こえてなーい。
グラフ明確。

突発性難聴ですね
これから時間ありますかぁ?
と先生に言われ

その場ですぐ点滴。
明日から毎日点滴。
週明けに状態変わらなければ
紹介状持って大きな病院へ。
めまいないし、高齢者じゃないから
回復早いかもしれないけど
今のところわからない。
仕事は休み。

…え?
仕事休み、ですか?

はい。
安静に。よく寝て。


げっ!それは困る!
一瞬うろたえるが

とにかく
職場の近くだったので
点滴終了後、職場に向かい
上司と同僚とで
当面来週火曜日までの作業割り振り
そうはいっても今週末と来週水曜日まで
提出物と会議メジロ押しなので
金曜日午前だけ通院帰りに寄って出勤
ということに相成りました。
その後のことは
正直今から心配しても仕方がない。

上司の上司からは
本部内で何人か経験者がいる。
まずは様子を見て、とにかく休め。
との指令。

別に具合は悪くないんだけど
安静って、なんだ??
どうすりゃいいんだ?

ただ、聞こえはさらに悪くなっていて、
右からだと声かけられても気がつかない位に。

さっきまで怒涛のメール入れと電話を終え
同僚と上司に後を託し
帰宅途中です。

自宅の大掃除でも、しますかねぇ。

突然、やや聞こえづらくなりました。

昨日、職場の忘年会で
杏酒を飲んでいる途中に
やや聞こえづらい、
と思い
帰宅して風呂に入ったら
耳の中で、
さーっ、という音が止まず

寝て起きても
今日一日すでに変化なく
むしろ右は余計聞こえなくなり
水のなかにいるよう。
遠くの音がとても遠い。

全く痛くはないけど
不思議で心配なので
明日お医者に行ってきまーす。

あと、よく寝てみて
念のため、風呂はやめておこう。

座禅

昨日はC+F研究所の「トランスパーソナル禅」に参加。
座禅会です。

座る。
呼吸に力を借りて
頭と心と身体を静めます。

気づいたことは3つ。
ひとつ。
私のアタマのなかでは人が高速でずっと喋っている。
その人がこう思ってるだろう、こういうだろう、という、
私の想像の産物なんだけど、
ありとあらゆる人のそれがアタマの中でずっと続いて
あまりにも高速で捕捉できない…と
思ったときにはどうも意識が遠のいているらしい。
こんなことが日常なら
私は私の人生を
本当に生きてるんだろうか?
人がこう思ってる「だろう」と想像する世界の中で
人がこう思ってる「に違いない」と
その人にあわせなくちゃ
と焦燥感に生きる。
それは想像の産物であって
私の人生ではない。

ふたつ。
座禅の時は、
目を薄くあけてソフトフォーカスで前方の床を見よ
という。
ソフトフォーカスなら視力ない方がいいかと、
はじめは眼鏡はずしました。
裸眼だと0.1ないから確かにソフトフォーカス。
でもそれだと、あくまで私の場合だと、
意識がぼんやりしてしまう。
ソフトフォーカスと「ぼんやり」は違うのだと認識。

みっつ。
途中、起きていることを感想で発言する時間があって
そこで言語にしてすっきりしたのがよかったのか
その後起きることを眺めるようにそのままいて
呼吸に集中していたときは
静かに全身がつながっていました。

そんな一日。

その夜のこともありますが、続きはまた。

冷たい雨の月曜日。
今日も皆さん、お健やかに。

乗換検索ツール

電車の乗り換えルートを探索するサイトがいくつかありますよね。
あ、私は、駅前探検倶楽部を愛用しています。

このテのサービスが出てからは、
もうこれなしでは過ごせないという位
活用しているのですが

昔から
約束の30分前には着いておこうとか
交通費は計画的に準備しておこうとか
サービスができる前からそうしてた人には
特に必要ないんじゃないか。
ルートをあちこち検索して
最短だの最安だの
あわてて調べなくてもいいんじゃないか。

私なんか
検索ツール持ってて
それでも
遅刻してしまうのだから。

道具は便利。
で、要は使う側のスタンスしだい。

さて、今日はこれから座禅会。
落ち着いて向かい合ってきます。

山歩き

久しぶりに奥武蔵の山を歩きました。

1時間もかからず着ける地の利もあり
朝早く出かけて午前中で歩き終わる位の距離。
今日は特に久々だから、と
遊歩道の多い、比較的近場の低山にしました。

それでも
針葉樹の深い色の林の中で
広葉樹の葉のおちた柔らかい林の中で
一人で、自分の足音だけを聞いて
リラックスして全身の神経を行き渡らせて
上りは充分呼吸して
下りは足元に気をつけて
ただ歩きます。

道が狭くなれば不安に
道が緩やかになれば穏やかに
幾分退屈になり
ゆずの黄色にひきよせられ
廃屋になった旅館に無情を思い

日頃よく思うこともたまに
くよくよと
わくわくと
思い巡らせ
そうしてると周りからふっと離れる。

そんな私も受け止めつつ
なるべく、山のなかがいい。
その道をいくことだけに集中できる
バランスよく歩ける
その時を味わいました。

今日は暖かかったせいか
10時超えると、
団体さんや家族連れも増えた、のどかな山でした。

カラダがいい具合に充実感を得て
今は家で小豆を煮てます。

どんな一日ですか。
もちろんいまからでも
皆さま今日も、お健やかに。

ミス

今日はミス発覚。
原因は私のおそれと先延ばしと、理解のつながりの欠如にありました。

同僚の厳しい指摘に感謝。
で、反応せず受け止めた自分を少しほめる。

責任感を醸し出しながら
責任ある行動がとれなかった私は
明日から
自分の手薄さや自信のなさをちゃんと見て
具体的に誰にどこを手伝ってもらいたいかを
最初に考えようと思います。
できる、やれる、大丈夫っていう前に
考えようと思います。

おやすみなさい、よい夢を。

大切なことは目の前のこと

どこか外に
どこか将来に
大切なものがあるように
今はその準備だとか
場合によっては
今はまだ我慢だとか
思いがち、
私は、です。
あなたはどうでしょう。

大切なことを伝えたい
大切なことを見いだしたい。
そういう仲間でありたい
場をつくりたい
私はそんなふうに思う。

では
大切なことって何でしょう。

私にとっていろいろあり
あなたにとってもいろいろある。
一人ひとりが違う。
それは星のように光って
夜空でつながっています。
それは遠くにあるようで
ばらばらにあるようで

わたしの、あなたの
そばにあって
目の前にあって
胸の奥にあります。

今日の仕事をやりとげる。
一本の電話で伝えあう。
目の前の、何かと、人と
自分自身と
確かにつながって
あるいはつながらない思いもかみしめ

目の前の
ことに、人に、つながる。

大切なことはいつでも
わたしの、あなたの
目の前にあります。

初冬の冴えた晴天です。
今日も皆さま、お健やかに。

平日のお休みと三者面談

日曜日に出勤したので、今日は振替の休み。
郵便局と銀行に、通帳の住所変更手続きを。

えーっと。
引越しではなくて、住所表記変更です。
それも、去年の9月の、です。
前の表記でも郵便物が問題なく届くので
1年以上も変更を延び延びにしていました。

午後は子の三者面談に。
受験校は決めたので、
あとはいつ試験をどのようにうけていくか、です。

第1志望はかなりのチャレンジです。
先生方の会議でも「難しいのではないか」
ということだったと。
親も、別の高校の可能性を尋ねたりする。
でも子は受験校を変える気はなく
「奇跡おこす」と言ってます。

確かに成績は上がってきているし
今までより勉強している形跡も見える。

では、がんばれ、ということで。

私も、がんばるよ。

私の今日の幸運は

家に12時前に帰れて
今日
ブログを更新できたこと!

幸運に感謝。

かんたんかけいぼにはワケがある

引き続き。

「かんたんかけいぼ」を選んだのには
大きくは衝動買いだけど
それなりの理由があります。

◆毎日記入する欄
・一日一行であること。
・費目を分ける欄は6つ、それも空欄になっていて自由記入できること。
・日付はいつからでも始められること
・毎日記入するページに、一日単位で記入するところとは別に、固定支出を書いておく欄があって、今月使える目安を記載しておけること。


◆月一回記入する欄(毎月の決算欄)
・収入と支出の区分けが、一日記入欄より細かくなっていていること。控除やローンや保険など、毎日じゃなくていいけど月一回は意識しておきたいことが分けて書ける
・預貯金、保険やローンについては別紙で台帳管理ができること。


◆で、パソコンのソフトや表計算ソフトではなく、紙にした理由は

古い?システム屋スピリット。
「手でできないことは
システム化できない。」
(今、あらゆるテクノロジーやシステム化は、それだけでは語れないけどね)

私は家計簿を初めてつけるし素人だから、
ある程度の枠ぐみと
自分で手を動かす作業がほしかったのです。
それと反比例するようですが、自由度とシンプルさもほしかった。

あとはクレジット支出と現金支出の記録の分け方、クレジット支出をいつ時点でどうやって記録するか。
計上は納品ベース、キャッシュ準備は支払いベースだよなぁ。

…と
家計簿つけて
体重計ると
なんだかすっきりします。
「把握」ということを
アタマでやっていたのが
体とか手でやる感じ。

それでは皆さま
今日もお健やかに。

かんたんかけいぼ

私の仕事。
月次決算と来年度予算。
決算は、今年度の見通し予測含む。
予測、行き詰まる。

あぁもーっ!
家計簿だってつけたことないのに、
なんでこんなメンドクサイことを!
今日はもう無理、ムリッ!
と、
猛然と机の周りを片付けて
ヘコミ、ヘタレ、キレ気味で帰宅途中。

立ち寄った本屋の一角で
私はふと思った。

なら
家計簿をつけてみたらどうだろう?

その場で、ごくごくシンプルな家計簿を
図書カードにて購入。
「かんたんかけいぼ」高橋書店。

なんで今まで気づかなかったんだろう。
やってみればいいのだよ。
つまりは足元から、ということで
やりますよ、あたしは。

プロフェッショナルはさりげなく

撮っておいた「プロフェッショナル仕事の流儀」佐藤卓さんの回を朝見ました。

デザイナー。
いくつものヒット商品のデザインを手掛けた人。
私としては、「ほぼ日手帳」の方眼のサイズを0.05mm単位で、顧客や、クライアントの糸井氏と突き詰めた人。

番組の中で、佐藤さんの仕事のコンセプト

機能を突き詰める
依頼以上の仕事をする。
最大限突き詰めた提案を、クライアントの意見を聴いてさらに磨いて仕上げる。
などが紹介されていました。

番組をみていて私が印象的だったのは

実際に手を動かすスタッフの方に、ですます調で話していたこと。
スタッフをパートナーとして尊重している姿勢を、私は学びました。

それと、
プロフェッショナルとは
と問われて

「さりげなく」できること。
頑張ってるとか努力するとか
そんなのはあたりまえですから。

…くうっ。
朝からため息出るし、
パワーももらいました。


「デザイン」という発想や観点や技術は
職業に携わり、顧客がいて、相手に何らかの価値を提供する人には、必要なことだと私は思っています。

デザインとは
機能をシンプルに
関わる人がやりやすく
できれば
自分たちが大切にしたいことがそこに現れているようなものに、形づくる仕事と理解しています。

それを突き詰めるのには
相手の真意を引き出せる成果物というか試作品がどれだけ作れるか、
さらにそれが磨けるかってことで

そんな過程をいくらでも踏むこと
頑張りも努力も、それがひっくり返ることも
あたりまえなんだと。

久しぶりに、別のデザイナーさんの
こんな言葉も思い出しました。


「がんばってできることは
ぜんぜんたいへんじゃない。
やればできることは
やればできるんだからね。」


今日も淡々と
しかし水かき引っ掻き回して
私の仕事に励みます。

皆さま今日も、お健やかに。

手帳の切り替えやら、書類の整理やら

整理の1日。

自宅のマイスペースにある書類を全部ひっくりかえし
「いるもの」
「いらないもの」
「わからないもの(とりあえず次の機会まで保存)」
に分けております。
まだ続けてます。

ついでに
手帳を来年用に切り替えました。
「ほぼ日手帳」は
来年の手帳に2010年12月の記入欄が
あるにはあるんだけど、
1日1ページで、「今日の一言」つきだから
2010年の手帳の12月欄も
実はもったいない・・・
2010年の手帳は日記用に自宅においておきます。

来年何を学ぶか。何を為すか。
視点は「身体」「精神(こころ)」「経済」です。

それにしても今年はいろいろ学んだ・・・

・・・と、書類をひっくり返していると
それでも毎年ちゃんと学んではいて、
自分のノートにいろいろ書いてあって
あ、ここでもちゃんと書いてある!
繰り返し書いているのに、なかなか身につかない。

私、けっこうメモ魔のつもりだったけど
メモの絶対量が少なくなってたり雑になってる。
そのぶん身体に刻んでるつもりだったけれど
それが身体なりこころから抜けてるから
ここであらためて
メモを見直し身体に刻もうと思います。

毎日、何かを為す。
毎日、少しずつ。

そう、最近「準備してからじゃないと」
っていう先延ばしを特に感じる。
私はもともとそうところがあるんだけど
その準備だって、今日やってないと
準備はしてない。
少しでもいいからやってみよう。

このかん、毎日続けているのは
■体重を測ること
■ヨガの「太陽を仰ぐポーズ」だけを9回。
■エニアグラムワークショップで習得した
「エニアモーション」
体感している各タイプの素晴らしさについて
身体でポーズをとる

です。
これは準備ではなくて実践で
で、こういうことが結局何かの準備になってる
ような気がする。
それが何かはたいてい後でわかるのだけど。

それでは皆さん、もう夜だけど、
今日も明日も、お健やかに。

深呼吸する

電車が止まったので現在迂回中です。

最近、またトゲトゲしくなってまいりまして
あれもこれもと仕事は増え
決めなきゃならない
やらなきゃならない
矛盾の発見
ミスの発覚

洗面所の鏡で
目がつり上がっちゃってるのを見て驚く。

深呼吸ぅぅぅ〜…

少しずつ、ひとつずつ。

今日もみなさま、お健やかに。

挨拶の間合いに

毎朝、自宅付近のごく小さな交差点に立ってくださる交通指導員さん。
挨拶だけして、いつも行きすぎます。

今朝はふと

お子さんはもう高校生になられましたか

と声をかけられました。

子が小学校卒業して3年。
朝、交差点を通り過ぎるだけなのに
こうして覚えていてくださるのだなぁ、と。

年明けに受験して
高校生になります。
ありがとうございます。

と、通りすぎました。

私は、関わった人を
こんなにちゃんと覚えているかしらん。

今日も皆さん、お健やかに。

同僚を朝から信頼する

あわただしく自宅を出まして
今朝の会議の資料は昨日印刷してあるのだけど
会議にギリギリに入ることになりそう。
ややどきどき。

職場に電話したら同僚が既に出社。
私の机の上の書類入れから会議資料を発掘してもらいました。

「部数分印刷してあるから
配っておけばいいのね」
電話の声が落ち着いているので
安心しました。
というより
悔しいけど(!?)
頼りになりました。

あー、ありがとう。
その力強さを
私は頼りにしているのだよ。

というわけで
気がつくと周りに支えられている
私であります

何かちゃんと準備しなきゃと思うと
「ちゃんと」がかえって体を硬くします。
私の場合はね。
だから、何でも
毎日、淡々と、少しずつ。

師走ですね。
今日も皆さん、お健やかに

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