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たかが体重、されど体重

毎日体重計りだして4ヶ月。

着々と減る時期と
同じ位増える時期を
繰り返してる。

特にこの一ヶ月は
平日に着実に減らしたのを
休日にリセット、もとに戻してしまう。
やれやれ。

体を身軽にしたい
(少し)キレイになりたい。
そんな動機で続けるものの。

体重が、朝、前日より増えてると
ちょいと凹んで自分を責める。
気持ちまで重くなるねぇ。

ただ、そんな私も受け入れて、ですね。
もう少し運動と睡眠を立て直して、
生活の質をあげたいものです。
体重はひとつの数字で指標としても、
健康と暮らしやすさのために始めたことだし。

ちなみに。
台所と洗面所と風呂場の掃除は毎日、歯磨きみたいになりました。

図書館にて

職場が図書館に近くなったので
逃げ込んでみた。
静かで落ち着くと思ったら
意外にうるさい。

いや、音は静かで。
心奪われるのは
人の気配、
大量の背表紙。

背表紙を眺めているのがいい。
安心する。
未知なるものが順番に並んでいる。
それは
気づかず知ったかぶりしてるときの
気分に似てる。
本当に四つに組んだらシンドイから
眺めてるだけがいい。

じゃ、戻りまーす。

ユネスコ村跡地活用

ユネスコ村って
東京と埼玉の県境、多摩湖・狭山湖周辺に昔あって
世界の住宅の簡単な模型が点在しているだけ、世界はひとつ、というメッセージを静かに発する場所だったのが。

数年前に無くなったんだけど
今、西武鉄道が、この地域をどう活かすかってプロジェクト組んで、途中経過を電車の吊り広告で知らせながら進んでいます。

旧ユネスコ村の跡地利用についてのWebアンケートの結果
1位は自然環境の活用
2位は体験や学びの場
だそうで。

確かに、多摩湖狭山湖周辺の里山の自然があるし
池袋から1時間かからないで来られるロケーションのわりに静かに集中できそう。
伊豆には大負けだが^^;

子供でも、まぁいいとして、
大人の学びの場がほしい。
贅沢は要らないから、快適な宿泊とご飯が用意してもらえる異空間があるといいなぁ。
必要十分なサービスで、適切に他人の目を通して、閉鎖的にならないように気をつければ、ステキな施設になりそう。
近くにレストランあるからデリバリできそうだし。

…それにしても
学びたい、という人の潜在人数は結構いるのかも。

雨の月曜日

雨の、
とくれば
「雨のウェンズディ」
です。
大瀧詠一の逸品。

雨の御堂筋
も許容範囲です
昔、こういう歌を熱唱する小学生
いくらでもいた気がする。

いや、雨の月曜日
って、なんだか調子でない、つか
昨日があんまりクリアな天気だったからさ。

雨の、っつったら
何かな?と思ってですね。

大瀧先生の名曲を
「雨の水曜日」って記憶してて、
一応Googleで検索して確かめちゃう
あー、なんてか、検索アプリは、気が小さいアタシには便利な道具。

雨のウェンズディ
を頭の中で流したら
気分よくなってきました。
ちなみに知らない方に向けて言えば
テンションの上がる曲ではないです。

私はこの歌の登場者も
風景も音も
他人とは思えない。
なんてね。
興味のあるかたは、
何かできいてみて下され。

そいじゃ。

このかんの学び

この数日、先週の連休中のC+F研究所エニアグラムトレーニングの合宿での出来事なり、今にして思うことを書いていました。

エニアグラムを学んでいるようでいて、もちろんそれもあるけれど、
偶然その場に行き着いた仲間たちと、
聴きあい、伝えあう数日でした。

自分のことを知ることは、外を探しにさまようのではなく、既に自分の中に知らずに蓄積されたものを、ほどいて取り出すようなプロセスです。
まったく別者になることも劇的な変化もなく。
各々の持つ蓄積を、再構成する、光をあてて洗うようなことです。

私と仲間とで、お互いの底にあるものが、別々で、かつ、つながっています。
目の前の仲間も、それから、あらゆるプロセスで出会った、その場にいない仲間もです。

自分を知ることで、自分の根っことしっかりつながり、結果として他者とつながれる。と私は思います。
私は己の器と芯を育てている、そういう実感があります。

興味のあるかたはぜひ。
C+F研究所のサイトへ。

話す機会

昨日来客があって、自分の仕事にまつわる私自身の意見を話す機会になりました。
業界、自社と顧客、そもそも誰が顧客か、何をビジネスに、何をコンセプトに、この先職務とすべきか。
といった、やや視野を広げた、口幅ったい話。
日頃あまりしないのですが、話し出すといくらでも。

来客は私の二年前の師匠で、勿論今もリスペクトする方。お互い多少役割を脱いだところか。
相変わらず若輩者の私の話に耳を傾けて下さり、安心して話せました。

話すと整理されたり発見もあります。
それなりに長く携わる仕事について、自分なりの考えはあるものです。
おそらく、誰にでも。

きく、はなす
というプロセスと場は、
言い尽くせないほど
私にとっては重要です。

さて!
なんだか寒いけど
やることやっちゃうよー。

声は意外に大きな要素

低くて、わずかな雑味があるくらいの
響く、クリアな声が好きです。

女性の歌手。
矢野顕子は例外として
好きな歌手、ほとんど低音です。
男性の歌手、今キーの高い人多くて
それもいい、というところを考えると
歌なら、ある一定の音域が好みか。

でも話す声は
男性でも低いほうが聴きやすいし
間違いなく、低い声に心は動きます。

逆があって、
女性の甘えた高音の声が苦手。
少し黙っててくれないかなぁと思うとき、
相手は甲高いか、あるいは甘ったるい声で
話しています。
アニメ声がだめなのです。
声だけで胸がざわついたり疲れることがあります。

声なんてそうそう変わりようがないのに
あーごめんね、きっとわがまま。

なんでこんなことを言い出したか。

週末に、
それぞれのイメージに似つかわしくないキャラクターを
お互いに設定して寸劇を作って演じました。

私はそのとき
「グラマラスなセレブの妹、ただし甘え声」
という(私にとって)すさまじい配役を与えられ。

普段使わない声をあえて使ったときに
それはもちろん私の一部であって
切り離せないものだと思いました。
この声を使う私は確かに私の中にある(居る)。
でも、まったく認められない。
この声を普段使うことなど本当に想像もできない。
私の一部なのに。

普段の声までもが私を形づくり、枠を与える
重要な要素だと気づきました。
落ち着いていたいときは低く、ゆっくり話す。
それで、落ち着けることがある。
逆に反射的につるつるしゃべってると
気がつくと甲高くなっています。

甘え声の、アニメ声の私を
たまに解放してみるかなぁ・・・
・・・ああ、でもそれは本当に考えたくない。
やってみればそれなりにノリノリなのにね。

「ダメな声」「惹かれる声」って、
みなさんありますかねぇ?

何もない、でも両手に何かがある感覚

まとまらないですが

自分にとって確かな状態を
じっと想像して、得た感覚は

何もない、
皮膚感覚すらない空間で
浮いているような
地に足がついているような
それでも
目の前に手のひらを上向けにした
その両手に確かな何かがある感覚。

判断も考えもない、
私が私であるかすらわからない
その空間で。

そんな状態にあったら
私は確かで、満ちるように思います。

大切にしたいことは言葉にできなくても存在する

「私が大切にしていることを理解してほしい」
という思いと、同時に
「理解されないだろうから、いい」
というのもあって
私は自分にとって肝心なことを周囲にあまり説明しないところがあります。

会社員だの何だの、役割真っ只中にいるときは、自分も自身をその役割の範囲で扱うから、忘れているのですが
役割取っ払って「これはわかってほしい」と強く思うときに、同じ位の勢いで撤収してしまう。「わかってはもらえまい」と。

週末、この考えにじっくり取り組んでわかったことが2つ。

ひとつは
「わかってほしい→わかってもらえない(だろう)」の最初の記憶は、
「お姉ちゃんだから我慢しなさい」
にあったこと。
姉としての役割を負ってわがままを握りつぶしたときの身体や感情の感覚が共通していました。

もうひとつは
自分にとって大切なことは何だろう?
理解してほしいことって?
とあらためて考えたとき、自分にもよくわからない、説明できない、ということでした。
だからといって、ないわけではなくて、ある。

私はどこかで
自分にとって大切なことを見極めて形にして、そのことを生涯かけてきわめなければ、と焦る考えがしょっちゅう浮かびます。
今していることは
私の大切にしたいこととは
違う、のではないか。
このまま、大切なことについて
時間を割かないうちに
何も為さないまま終わる、んでないか。

そういう気持ちを落ち着いて眺めたときに

大切にしていることは
言葉にできない、
取り出してみせたり、自分でもみることができない。
そういう状態ではあるけれど
確かに私の中にある。
その存在だけある。

職業にするとか、活用するとか、そのために生きるとか、それよりもっと存在の中心みたいなところに、
自分にとって大切なことがある

かなり極端な言い方をするなら
私が生きているだけで
私にとって大切なこと、ものは存在する。
身体が消えた後のことはうまく想像できないけど。

というようなことを
発見した週末でした。

もちろん、言葉や形を持つものになるかもしれないし、そのほうが私自身わかりやすいからいいのだけど。
わかりやすくすることが必ずしも目的ではないような気がして。

とりとめなし、撤収。

今ここを含む経験に根ざす

経験に根ざすと確かなことが言える、伝えられる、ということを昨日書きました。
経験とは、過去だけではなく今この瞬間を含みます。

経験は、ただ何かをやったとかあったとかだけではなく、
そこに思い出があったり、
あるいは逆になんの思い入れもない
または「持たないようにした」など
私の思いや拒絶にまつわるものを差します。

経験は、思いが強い、まさに真っ只中だとよくわかりにくい。
でも、思いから少し離れたり、
あるいは、思いとか考えをいったん横に置いて、今起きている環境と心身に逃げずに身をおくと、
確かな経験になる。

その経験に根ざした
言葉、動作の一挙手一投足が、
きく人に伝わる

と思うのです。

きく側にも、思いや経験に根ざした何かがあって、それを覚ますのだろうと。


今この瞬間に、いつものパターンや思い込みに縛られず、根ざして経験できるのは実は私には難しいこと。
ただ、これからもひるまずやってみよう、とは今回思いました。

経験とは今この瞬間を含む

この週末、エニアグラムトレーニングの合宿。
師匠や仲間たちととてもたくさんのことを学んできました。

外から学ぶというより
仲間たちから
あるいは何かを伝えようとする自分自身から
あらためて多くを知りました。

自分の経験から心身に刻んで、誰にもわけあえずひっそりと抱えてきた記憶。

仲間に伝えようと、言葉にしているうちに、それは明確な形になってきました。

経験してから考え続けていたとき、あるいは拒絶していた頃から時間が経って、そのうち忘れていて
取り出したときにはずいぶん透き通った「伝えたいこと」だけになっていました。

私は、経験から根ざしたこと、それも少しだけその経験にまつわる思いが淡くなったことを、相手にこそ伝えたいとき、手応えのある確かなことを話せました。

では、何事も
経験できないとリアルに伝えられないのか?
と考えたとき

経験とは、単なる過去ではなく、今この瞬間を含む。
と考えると

今この瞬間に感じたことに
逃げずに根ざして経験すれば、
で、その経験に根ざして話せば
リアルに確かに人に伝わる、もちろん自分にも。

と今は思います。


ややまとまりませんので、
続く。

どちらでもいい

どちらでもいい
どちらか決めることは
どちらかを諦めることのように
思ってきたけど

どちらでもいい

諦めることは
捨てることではないから。
大切なことは
なくならないから。
例えばなくなったとしても
どちらでもいいから。

海岸

海岸
伊豆 赤沢海岸です

自分全体を洗って干して、と。

波の音と空気と岩。
少しずつの変化がどれほどの力になるかを教えてくれます。

南武線に乗って

府中本町から南武線に乗って登戸に向かっています。

22年前、同じ電車を逆方向に乗って、結婚前の自宅から、所沢市の東の端まで通勤していた時期があります。

入社一年目の秋。
すいた電車。
初めていく土地。
多摩川をわたりながら、
あーもー、都会のOL生活はできないんだなー
と思ってました。


それから縁あって
所沢に住んで
秩父の山並みもすっかり見慣れました。

栗の実が、大きくなったね。

いつでも、
新しいところへいくのを
おっくうがらないでいよう。
たいていはそこから
何か違う観点や広がりがあった、
と、振り返れば思うので。
その時はわからなくてもね。

今日からエニアグラムトレーニングの合宿です。
楽しみです。

あとは現実確認する勇気

人によっては勇気でもなんでもないことなのかもしれないけど
あくまで私の場合は、です。

仕事で、スケジュール表ひいたあと
なーんとなく、関係者に
動きがないのかな、と思ってたら、やはりあまり動きはなく、
あ、そうか私が確認して関係者せっつかなきゃいけなかったのか!
と気づいたときには一ヶ月以上経過。

まぁ、関係者にとっては機が熟さない感じがしたんだろう。
でも、実務担当レベルは、そろそろまずいと感じ。
水曜日にスケジュールを引き直しました。

ここまでにこれやらないと
だからここまでにこれやらないと
間に合わないです。
、的なスケジュール。

上司には相談して、
昨日は直接各所に説明しにいって、
根回ししておいてくれたボスと
急いであちこちに仁義切ってくれた大ボスに感謝。

このあと来年の春まで続くプロジェクトは、
実務担当者は去年と変わらないのだが、
実は事務局側の上司やボスが替わっている。
そうか、そうだった。
進捗と内容が、「現実どうなってますか」を点検するのは私の仕事だ。

これがまた、私には苦手な仕事だけど
私がやるんだ。
わからなければ直接相手に訊くんだ。

と腹が据わったら
昨日しっかり勇気だけは
感じたのですよ。
寝不足でカラダがついてかなかったんだけどさ。

さー。
現実確認だー
いつでも何度でもだー

ふぁいと。

大事なことは削らない

やってみなくちゃわからんことはあるさ。
でも、やはり夜10時半を超えてから映画のDVD 観るのは止めよう。
観るなら仕事を6時に切り上げて観よう。
普通に早起きすると明らかに眠いし、
深く寝た気がしないし。

…やってみなくても、わかるか、そんなこと。
睡眠は削らない。
気をつけます。

それでも、今朝は水回り、特に洗面所ピカピカに。
私の理想はホテルの水回りです。ちなみに風呂場と洗面所はだいぶ近くなってきました。

携帯を家に忘れた一日

秋めいた朝、カバンも変えて出勤したら
携帯を見事に忘れたのでした。

通勤途中にブログやtwitter見て
携帯メールでブログ更新して
昼休みとか移動中とか
おやつの時間とか(笑)
帰宅途中にも
ブログだニュースサイトだtwitterだメールだ・・・
っていう生活なので

携帯を手にしてない朝は、ややイラっとしました。

でも慣れてしまえば、
本も読めたし、電車内でのんびりできたし。
それと私、仕事では使ってないんだな携帯。
というのもよくわかりました。

たまには、持たないのもよい。
依存の具合がわかるってもので。

さて、仕事をひとつ終わらせたんで(よし!)
これからDVD見ちゃうもんね。ふふ。

愛ある対応

今朝、twitterで、フォローしてるひとのつぶやきを
さらさらと眺めていたら
フォローしている人にむけた
いいがかりに思えるつぶやきが目に入りました。
その人が大切にしていることにむけて
その、いいがかり具合があんまりだ。
と思い、腹がたちました。

ネットはたまにこういう悪意が具現化するんだよなー
とか思って、
読んでいるこっちが反論したくなったけど
でも、その憎しみのような暗い情熱に
物申す勇気がなくて、
正直、巻き込まれるのを怖がって
こんなツィートで紛らわせてしまった。


”面と向かって言えないことをツイートでぶつける人の憎悪を、ぶつけられた側は「流せ」と言ったって受け止めてしまうだろう。TL(タイムライン)で流れてるだけで胸が痛い。”

”ツイートで悪意をぶつける人は、ぶつけられた側の砂を噛むような大穴開けられるような痛みを想像して満足?それで憎悪や怒りはおさまる?おさまらないよ。繰り返すだけで不毛。ぶつけられた側に痛みが残って理不尽。”


でも、詳しくはここに書かないけど
直接言われた当人は、そのツィートに
挨拶して、うけとめて、
自分のツィートのどこにそう思うかを尋ね
自分の解釈と意見を伝えました。
140文字の中でね。

で、私には「いいがかりをつけた」ように思えた
その相手は、その人なりのけじめをつけて
やりとりを終えたのでした。

つぶやきの一連の流れを見終えて
愛ある対応だなぁ・・・としばし感動しました。

そこで気づく。
「いいがかりをつけたと感じた、悪意を感じた」のは
あくまでも私でした。
「誰もが本質は愛」 ということを踏まえて
地に足つけて言葉をそのまま受け止めれば
つまり「事実」を受け止めれば、
それは「よくあるネットでみる悪意」ではなくて
相手と自分の、一期一会の対話になる。

さらにそれは「ネットでの、ある瞬間」だけではなく
日頃の顔の見える関係でももちろんそうですね。

よくある、ありがち、やっぱりそうだ、ではない
一期一会の、その場での、思いの交換。
思いの根拠は、怖れでなくて、愛でありたい。

・・・って
そういうことを学んでいるはずなのになぁ。
私はまだまだ修行が足りないです。

水まわりを磨く

土曜日早朝に散歩した以外
休日は完全インドアだったため
やや月曜日がかったるかったのですが
朝から水まわりをキレイに整えてたら
テンション上がってきました。

水まわりは毎日拭いていればそんな面倒なことはなく、
金属部分をしっかり光らせておくと、かなりきれいに見え
水気をとっておくと、水垢がつきません。

昨日なんだか手付かずにして寝てしまったけど、
朝になると元気。
あくまで私にとって、だけど、
夜、何かやり続けるときって、
執着しているかも。
集中ではなくてね。

朝、かったるくても
ぴっっ、と起きてみて
テンションあがってからの感覚を思い出して
さくさく動いてみよう
と思いました、とさ。

今週の3冊

雑誌のバックナンバーのお取り寄せだの、DVD/CDの宅配レンタル申し込みだの、あいかわらず浮かれているけど
この週末の3冊を。

■「だれかを犠牲にする経済は、もういらない」
ウェッジ
原丈人、金児昭

企業を育て、自らも技術革新に道を拓き、事業を進める原さんと
ある会社の経理・財務を突き詰める金児さんとの
対談とインタビュー。

-経済的な豊かさだけではなく精神的な豊かさも満たし、穏やかな心で本当の「幸せ」を誰もが追い求めることができる、新しい社会を作り出すことが私たちの目標ではありませんか-
というまえがきで始まる著書は、世相の不安を背中に毎日実務に勤しむビジネスパーソンには清涼感を覚える1冊です。

~「市場万能主義」「株主至上主義」を日本こそ正そうではないかと宣言すべき。会社が儲けた利益を使って何らかの形で社会に貢献することが、経営陣と従業員の目的としてしっかり共有されており、実際に実行している会社が社会に報われる、「公益資本主義」をつくるべき~
と原さんが主張すれば、金児さんが
~会社は人間を幸せにするためにある。経理・財務・会計も人間を幸せにするためにある。~
と受け、その他雇用されているビジネスパーソンに対して言葉を尽くしておられます。

誰もが経済にかかわるなかで「自分たちと遠い」「横文字よくわからない」という人に、1回読んでみてほしいです。

■「図解 成功の9ステップ」
ジェームス・スキナー

成功とは自分の夢を自覚し実現すること。
で、そのために
・「基礎」(自分の「決断」「学習」「健康」「感情」)
・「行動」(「目的」をさだめ、Plan 、Do 、Action)
・「リーダーシップ」人を巻き込む力をつける
の具体的なありかたについて順を追って説明しています。

金曜日に友人にもらった本なのですが、
これはおそらくギラギラしたところを取ったら
毎日の身のこなしを豊かにする、
習慣づけの話だと受け取りました。
ひとつずつ、できることをふやしていきます。

■「旅をする木」 文春文庫  星野道夫

19歳のときに選んだ道をそのまま進み
アラスカに移り住み自然を写真と文章に刻んだ星野さん。
静謐な文章に、何度も読み返します。
身近な自然ではなく、
厳しく、悠久のときの流れのままにある自然も
アラスカのような土地にはあるのです。

あーよかった。面白い週末でした。

outputしていて気がついたこと

今月末、「C+F研究所」のエニアグラム月例ワークショップで タイプ6についてお話させてもらう機会をもらいました。

月例ワークショップ 9/26(日) 思考タイプ(タイプ5.6.7)

エニアグラムをともに学ぶ友人達にも、タイプ6の自覚を持つ人が多くいて、それぞれの思いや特徴、輝きがあります。
私の説明は、あくまで一例です。
ステレオタイプをなぞらないよう、真実の自分をレジュメに記そうと試みます。
以前から書き溜めているブログは、こんなときに役に立ったりします。

書いて気づいたこと。

・最近は比較的「自分を信頼できている」箇所が文章にあること。
 希望や願望だけでなく、やや確かさを感じるところがあります。
それと、
・去年の11月終わりから今年1月くらいまでは、
 けっこう追い込んでたなぁ自分を、と。
 12月なんて、相当なもので。
・・・そういう時期になってしまうのだよなぁ(やや心配)

それでも、私は、
何かを確かめながら進んでいる自覚があります。
それが、らせん状であったとしてもです。

そういう今の自分を、マナイタのコイにしてもらいます。
興味のあるかた、もしよかったらおいでくださいませ。

C+F研究所月例ワークショップ 9/26(日) 思考タイプ(タイプ5.6.7)

撤収!できた話

今日仕事中。
電話で、明らかに私自身の怖れによる逃げ腰で、相手を怒らせました。
よく、ぶつかる相手でもあるため、いつものパターンを繰り返しそうになりました。

きっかけは、契約に関する「数」の認識がずれていること。
私は、あるべき契約と違う契約をした、間違ったと怖れた。

怖れにフタして、
契約したのは私だけど数はそっちからもらった「はず」、数を決めるのはそもそもそっちで「あるべき」と思った。
相手に「やるべき」と言いそうになり、あ、実際言ったな。
相手の「そちら(私ね)こそやるべき」を引っ張り出した。

やるなら本気でカンでくれよ、と言われて一番カチンときて
本気に決まってるじゃん、何言ってんの、そっちの仕事を肩代わりして「あげてるのに」

…ってアタマの中で叫んで気がつきました。
やって「あげてる」って
これが出てきたら
もう相手の問題じゃない。
アタシに問題がある。

やや言い方が卑屈にはなったが、チカラヅクで撤収しました。
「今話していて、少しどきどきしてしまったので、いったん電話を切らせて下さい。
経緯を調べさせて下さい。
後で折り返します。
こちらの仕事なのに、先ほどは逃げ腰な言い方をしてしまって申し訳ありません。」

電話切る。
深呼吸一回。
(ため息に聞こえないように気をつける)

で、横で気配を察しまくっていた上司が
「どうしました?」
と聞きますので、事情を一気に説明。
本人は冷静に話してるつもりなのだけど、どうだったかな。怒ってたよなーきっと。
始末はつけます、大丈夫です、と上司に言い(あー、もー!抱えてるね)

根拠をしらべ
不明を詫び
再度「では、この考え方にもとづくと、あるべき数はこの数でよろしいですか」とメールを入れ
電話をして

相手も冷静に来週までに確認して対応します、ということで、決着。

撤収できたこと。
根拠を調べて相手に確認してもらえる材料を提供できたこと。
よくやった、自分。


というわけで、
予定通り勤め先から早く上がって、今日は友人とミーティング。
本を交換しあい、経緯とビジョンを話して交換しあいました。
面白そうな本なので、さっそく今週末の読書です。

本の感想は、また明日以降です。

真摯や誠実をみるとき

不誠実な仕事をした、と自分で思ってから、その後の様々な変化の中で、こうかなぁと思ったこと。

真摯さや誠実さは、誰にでもその種はあると思います。
他人との関係から引き出されたり形づくられたり
モノや事柄との関係でも引き出されるかもしれない。

自分の中に種があるから
相手のそれがわかる、ような気がする。
あるいは相手の行動や思いに自分を見るのかもしれません。

自分がまったく誠実でも真摯でもないように思えても
目指してすらいなくても
種があるから
ある瞬間、何か、誰かに対して真摯で誠実でいる自分を(うっかり)発見すれば
同時におそらく「誠実でない」「真摯でない」状態も強烈に意識できてしまう。
別に人に言われてどうこうではなく、自分ではっきりわかるのではないかと思います。


真摯も誠実も
真摯な人、とか、あなたは真摯だ、とかいうことはなくて、
時に、何かに対して真摯だ(真摯になれない)というだけ。

目の前のことと自分のことをフラットな気持ちで信頼していれば
相手にも自分にもある、真摯さや誠実さの「種」のほうに気づけると思います。
種に気づければあんまりぶれないよね。

私がこの一週間で急に俳優さんにロックオンし始めたのは
思うに、作品や役作りにかける真摯さと、それを即座に否定にかかる本人の映像を見たことも一因かと。

…あー、いやーそれはそれでもないでしょうね。
これはキレイに分析しすぎ。

未来を心配するよりも

先のことを心配しすぎると
先のことなど究極わからないから
起きてしまっている今とのギャップを見つけて
あせったり、八つ当たりしたり、フタをする。
そうしたところで
現実は変わらないのに。

起きていることに
過去の記憶からくる心配なり怖れで
評価を加えようとするから。
自分も裁くし、
内心他人も裁く。

真摯とか
誠実でもいいのだけど
でもいいのだけど

今できることをひとつずつ
それは火事場のなんとか、を妄想して、
未来の自分を追い込むようなことをせず、
抱え込まず

自分のできることと目の前のことを
信じてやりきることそのものではないかと思います。

仕事が少しずつ増えてきて
不安になってきた私に向けて。

ユルく決意

今、たまたま昔の自分のブログを、用事があって見てて、

一年前には今よりもっと入力して出力してたな、と思いました。
入力の数をそんなに絞ってないので、出力が少なくなったかもしれません。

知ったらすぐ出す!
的な勢いがあったのだけど
今は少し心身にくぐらすというか、反芻していますかね。
あるいは出力に対して多少怠惰というかユルくなってますかね。

そんなついでに
ワタシは、ふとキレイになりたくなったです。
スッキリ、キレイに、です。
今まだ続くソウジ期をワタシに向けようということです。
この数ヶ月なんとなくそんなふうには思っていましたが、ちゃんと本格的にです。

一年後ぐらいに会う皆さん、びっくりしてみてください
なーんてね。

変化を楽しむ

ともすると
ある状態のままとどまっていようとするところが私にはあるけど
何かを保とうとするためには変化すること、
ってことはわかる。

変わることを恐れない。
カラダやハートに水を流し続けるようにして。

人にあったり
学んだり
仕事に取り組んだり
やってみたいことに
足がかりを作ったり。

なにものでもない私が
なにものでなくても
とらわれず変わり続けたい。

今日も一日、大切に生きますよ。
えへ。

ブログを考える→話題はめぐる

普段、決まったサイトを 読んでいることが多いところ
この3日間ばかり、久しぶりに
googleで検索→初見サイトを追いかけ尽くして考えた。

1)
俳優さん、タレントさんのファンのサイトで
毎日最新の情報を丹念に拾って、
他の俳優さんのブログに
ちょっとだけ載る画像やコメントにも
丹念にリンクをはって、
それも、ただ引用やリンクだけではなくて
作者本人のコメントも載せていて、
それも、ただ「好きです」「素敵」だけではなくて
どうしてそう思うかを丁寧に言葉にしてるサイトがあります。

そのブログは「誰」「何」について書いてあるか
が常に明確です。とても参考になるし。
にわかファンにはありがたい存在です。

つまり、読み手にとって
・新しい情報
  時間的に、
  あるいは「知らなかった」という目新しい過去情報
  =価値ある情報 
を提示し
ひとつスジの通ったものになっている。

もちろんいろいろなサイトはあるけれど
往々にして、
自分の言いたいこと、
相手と「何をもって」つながりたいかが明確だと

(逆もあって、明確な言葉を与えてたら
 読み手のほうが、書き手と「何を持って」つながりたいかが
 明確になる)

加えてそれが「適切に好意的」であれば
成果物はクリアなものになるし、
定期購読したくなる。ということ。

あー、自分のブログのグダっぷりを反省した次第。

2)
俳優さん本人のブログ
所属事務所のブログ
などにはもちろんそれぞれ個性があり、
加えて、その俳優さんをつかっている
映画、テレビ、CMスポンサーの会社でのサイトの扱いも含めて

俳優さん個人は、「言うこと」から滲むイメージ、画像含めて、
いってみれば「商品」だから
どこまで誰が、打って出てるか・守っているかは、様々。

映画、テレビ、CMスポンサーでは、
商品は「別にある」のだから

俳優、歌手、タレントさんにとっての「商店」
所属事務所自身のキャラクターなり、
事務所サイトに対する姿勢は
意外に大事だと思いました。
デザインや雰囲気などコンテンツの中身だけではなく
定期的に更新しているか、リンク切れに気を配ってるか。
それと、いざというとき、
所属俳優・タレントを損なわない程度に毅然としているか。
いわゆる「運営問題」も大事。

ファンサイトのほうが、熱意がある分、
コンテンツそのものは充実していることもある。

大手はそれなりにシステマティックだろうけど
そうではないところは
やらなくてはならないことが他にもいろいろあるから
大変でしょうね。


3)
ただし、媒体が何であれ、どうであれ
本人と近い関係者が、
表現や成果物に対して真摯であれば、
まあ、それはおのずと滲む、っていうことも確か。


・・・ぐるっとまわって、私またしても
1週間前にふと考え始めた「誠実」に加え、
「真摯」についても思いが至り、
最終的にどうあれ
真摯、あるいは、誠実という姿勢に
今、私は惹かれています。

われながら、へんな結論だな。

どっぷりはまりこみすぎ

昨日からずっと大森南朋さんおっかけをやっています。

ネットで、本で。
合間に台所に立って
またおいかけて。
というのをずっと続けていて
われながら多少呆れるほど。

こうなるとは思わなかったなぁ。

でもわかったことがある。
私は「引き」で周囲をよく眺めていて、
あまり動じないが、立ち姿がすっくとしている
でも仲間うちで多少ぐだっとしてる
そういう人にロックオンしてしまうのねん。

・・・さ。(パッパっと裾をはらうイメージ)

明日からは立ち直ります。
こんなぐだぐだでは、南朋さんに申し訳ないさ。
(・・・もう、こういうところがつくづく、病)

驚異の集中

今日は職場が、やや「凪ぎ」の日で。
問い合わせもかからず、
朝からわれながら驚異の集中。

作業を洗い出し、時間を計りながら作業し、完了を点検し、作業段取りが見えたものから同僚に振り、来週の段取りを立てて、上司にアポとって、同僚に来週の作業の概要を伝えてガンバリマショウと言い

今週の業務、終了としました。

夕焼け、キレイ。

健康だ〜!

誠実、続く

誠実だ

誠実そうだ
が違うこと

誠実そうにみせたい人が何かに対して不誠実だったり
不誠実だと他人に評価される人が、それをうけいれるあるいは受け止める点では誠実だったり。

「誠実そうだ」は、ステレオタイプにはめるね。
て、「誠実」だと様々な発想ができそう。

誠実ではなかった話

誠実について考えたきっかけ。その1。

仕事で月一回やってきたこと。
去年は一週間以上、夜遅くまでかけてやってきた、最も苦手な仕事でした。
一年通して、やっと理屈がわかり、ツールも整い。
今年は約3日、通常勤務時間内でできるようになり、作業分担もできて順調になりました。

ただし。
月ベースではそれでよいのだけど
本来は一年での見通しを予測するのが目的の仕事なので、四回目の7月末あたりでそろそろ本気で大仕事をしなくてはいけなかった。

月単位の誤差の理由は報告できていた。
それをじゃあ年でみたらどれくらいの差になるの?というのを、およそ1000行くらいの明細ごとに根拠明記して合算して見通しをだすというのが、まだできてなかった。

で、最近やっと力業で出してみたら、
想定よりも年の予測誤差が大きい(泣)。
誤差の原因は私にはないのだけれど、把握と報告の責任は私にあった。
過去4回(4月から7月の月1回)は「年間通してだと誤差なし」と報告してきたわけなので。
傾向だけでも伝えておけばよかったのだが、「ではいくら?」といわれると出せなかったので言わなかった。

私は毎月、納期は守ってたけど、
本来の目的は果たせてなくて、
確かな数字がだせない中「問題ありません、大丈夫、ただ確定ではありません」って真剣な表情や声色で言い続けてしまった。

これは、不誠実な仕事だったと思い。
うそついたつもりはないが、うそになった。
大丈夫です、って根拠を自分で背負って、大丈夫じゃなかったと発覚するまで、誠実そうに見せてたところに不誠実があると思う。

それで
不誠実は、なにも不誠実でいようと思ってそうなるのではなくて、
何か自分の中に「みないようにすること」が多いと、
結果として自分や相手との関係において、そうなってしまうことなのかも
、などと考え始めた次第です。

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