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再び会う

今日は、7月末に山田ズーニーさんのワークショップで会った皆さんと、韓国料理を囲んでのトーク三昧でした。

普段していることがまったく違う人たちなのですが、だからこそ、お互いの話に集中して聴けるのかも。

それぞれに今があり、背景があって、現場があって、悩みも喜びもある。
美味しいもの食べて、話したいことを語る、同じように熱のこもった話を聴く。

贅沢な時間でした。

誠実は評価ではなく姿勢

誠実の話をしたいか
一般的な性格の話をしたいか
対象があいまいなまま続けます。

誠実そうに見えることと
実際、誠実だというのは
違っている。
それと
己のいいかげんさやどうしようもなさに誠実な人もいるような気がする。

私の指す「誠実」とは
自分を超える何かに頭を垂れて
そこに自分なりの誠を尽くす、という意味に使っていますが

「自分を超える何か」が、
普段の自分の性格や
過去為してきたことや
何らかの不誠実であることも
あるように思います。

あらゆる出来事と自分の行動や気持ちをすべて見て、受け止めていたら。
いいかげんでどうしようもない「私の何か」に頭を垂れて「不誠実だ」ととらえるかもしれない。
その、すべて受け止める行為自体は「誠実」と、私はとらえるけれど。

こうなると、
誠実、というのは、
あの人は〜だ、というような断定や否定ではなくではなく、
生き方や姿勢を指す言葉に思えます


んー、なんだかどうしてこのようなことを考え出してしまったかよくわからなくなってきたけど、一回リリース。

誠実という軽さ

誠実である
ということは
何も、真面目にまっすぐにいる
だけではない。

見かけや表情だけでは
誠実そうだ、
のレベルかもしれない。

軽さや率直さやいいかげんさ
のなかにも
それを貫くその人なりの誠実がある
と思う。

誠実かそうでないかは
その人にしか
その人にすら
わからないかも。

もしかしたら
受け取る相手の問題?

そこまではいえないか。

そのどれも私であり、あなたであり

私の性格には実にさまざまな要素があります。
表に出る、出ない、ある場にでれば顕著あるいはまったく目立たない要素もあります。
見たくないもの、見せたいもの、もあります。
こうありたい、こうはなりたくない。なども。

でも、見えるもの、感じる何か、どれをとってもそこには自分のフィルターがあり、見たいように、知りたいように、見ています。

必要なのは、自分のフィルターをなくすのではなく、やわらかく育てることだと思います。

自分の中にある要素をいくらでも見つけだし、淡々と新鮮に受け止める。

どれもが私であり
そして、あなたにもおなじように様々な要素があります。

その奥にある、動機。
さらに大切に持っている輝きや可能性。

どれもがかけがえのない、私であり
あなたです。

自分に手を貸す

自分に手を貸す
というのは
人に手を借りないとか
全部自分でやるとか
そういう意味ではなくて

本当にしたいことは何かを考えるとか
今ちょっと忙しい!というときに
気がついてお茶を入れるとか
イライラしてるな、と思ったら、どうした?ときいてみるとか。

人にこうしてほしい
あるいは
誰かにこうして「あげなくちゃ」
と言ったり思ったりしたら

(私は自分が「してあげる」「してあげなくちゃ」と言い出したら要注意してます。その上から目線と義務感はどこからくる?と、あくまで私の場合。)

自分に対して、するとか。

自分で自分に手を貸す。
食べ物を規則正しく胃腸に負担かけないようにとるとか。
体を整えたり休めるのも

静謐な文章に触れるのも

仕事をする元気だけでなく断る勇気を持つのも、

仕事で作業の多さにげんなりしてる私に
手を貸すいろいろです。

子の夏休み

昨日の夜、少し驚いたこと。

韓流アイドル好きの娘は
この夏
「なんとなくだけど」ハングルが読めるようになり
動画に合わせて振りから歌から完全コピーできるようになり(韓国語で歌う、ということ)

ニコニコ動画についているひらがな字幕を頼りに覚えたとのことだけど
「ひらがなは微妙に違う」と生意気なことをいうようになっていました。

うちには韓国語の本はないから、
まさに、彼女のやや極端な韓国語の知識はインターネットのみで得られたもの。

恐るべし、インターネット。
この子、耳いいなぁ。

で。
複雑なのは
喉まで出かかる言葉は

「で、勉強は進んでいるのか?」
その力量の一割でも使って、
問題の一問でも、
宿題の一頁でも、
やったんか?そこの受験生よ。

…でも、言わない。

このかん、言うだけでは、
「わかってるよ!」
という、猛烈な反抗的眼差しと言葉が帰ってくるだけ。

というか、子はわかってる。
三年生であり、受験生であり、夏休みが勝負だと、一般的に言われていることは。
計画通り進んでないこともわかってる。
そのことを一番怖がって避けているのは本人だ。
だからあんなに怒る。
それを「勉強せよ」と口で言うだけでは解決しない。

なので、
行動をとれる環境をつくることに専念。
さりげなく整理整頓。
さりげなく三食に野菜多め。
さりげなく「全国の中学三年生はこんなことしてるね」情報。
で、
「へー、ハングル読めて話せてスゴいじゃん」
で止めておく。

どうあれ
避け続けているほうがつらいはず。
手つけたほうが楽なはず。
そのことをどのタイミングで切り出すか。

よく見て。
よく聴いて。

月を愛でる人たち

昨夜の月は、色合いといいクリアさといい、探して見とれるほど素敵でした。

より面白いと思ったのは
twitter でも、皆さんがそれぞれに、月がキレイだ情報を発信していたこと。

見上げる。
愛でる。
その瞬間が目に見えるよう。
よく知る人もそうでない人も
同じ月を見ているつながりを感じました。


小さな発見、大きな主張。
ひとつのツィートに140文字の枠があることで、強すぎず弱すぎず流れる感じも心地よいです。

まだお試しでない方
気が向いたら、ぜひ。

ためずに保つ、シンプルに機能する

沖幸子さんのドイツ式家事法の本をいくつか図書館で借りて、大まかに把握し、最近実践していること。


・掃除は、はたく、掃く、拭く、磨く。の4ステップ。
・汚れをためないうちに、はたく、掃くだけでもしておけば楽。
・はたくのは、天井、壁、照明器具。家のホコリの原因はここにある。
・一カ所なり一回に15分以上かけない。心が疲れるから。毎日少しずつ、中途半端でもいいから続けていると汚れは落ちる。
・毎日少しずつの掃除はタオル一本あればよい。(私は帚と機能性雑巾をつかってますが)
・水回りはそのつど水気がなくなるまで拭いておけば虫もカビもよらない。


これから実践したいことは
収納場所七割主義。
場所一杯にモノを詰めず、三割は空けておく。モノがよくみえて無駄がなくなるし、掃除もしやすい。

だそうで、これも少しずつ。

さて、
久しぶりに職場にでてルーティンワーク中心に肩慣らししながら、
気がつくとルーティンを丁寧に複雑にしようとするので気をつけよう、と思いました。
心がけるべきは
・よりシンプルに。
・毎日少しずつ。
・価値を生むように。

で、その価値とは
相手の時間、機能、喜びかな。
それをうけて自分も喜べるような。

暑さももうひといきです。

出勤中

乗った途端に体が緊張する位冷房がきいている電車。
ああ、本当に夏休みは終わったなと瞬間思いました。

通勤中。
車窓から川の浅瀬に立つ釣り人を見ても
それはもう遠いなぁ。
この強烈な冷房で気分はすっかり平日です。

暑いけど、今日は笑顔で。

今読んでる本で、
「感情は社会的ネットワークの中で伝染する」
という一節がありました。
そりゃ当たり前だろう、と
でも私はどうよ?が
二つ、アタマに浮かんだので
今日は仕事がたまってるだろうが
まずは笑顔でいることにします。


それにしても本当に寒い。
オナカ痛くなるくらいだ〜

夏休み)最終日のまとめ

夏休みは今日まで。
思いがけず長い夏休みを取りました。

今年(2010年度)は5月のお遍路をはじめ
エニアグラムトレーニングの合宿などで
有休の消化率が例年より高いです。
秋にむけても休みを多くとる予定です。
仕事の絶対量は多くなるけれど、そうするつもり。

休日は吸収や蓄積を多くしつつ
平日には時間切れになることを
時間を気にせずやるようにしています。
平日も休日も同じように
身体を動かし身の回りを整えているせいか
大きな落差は感じなくなりました。
そういえば「一日中ぶっ倒れている」という休日が減ったな。

この夏休みは
「死と魂」のことを比較的近くに置いて過ごしました。

14日に観た「地球交響曲第三番」での
星野道夫さんをめぐる友人達の語りや繋がり

16日に読んだ高岡よし子さんのブログ
「日本がスピリチュアルな気配に包まれる時」
齋藤めぐみさんのブログ
「ただそばにいる」

最近のだんなの実家への里帰りは
老いと死との境目やつながりを感じますし

この時期になると必ず
夕凪の街桜の国
という漫画を思います。
原爆は65年前に落とされたものだけれど
差別や痛みは現在に続くことを常に学びます。

友人のtwitterでのツィートから書名を知った
グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈上〉
グレース&グリット―愛と魂の軌跡〈下〉
からは、
魂をかけて生ききる、それを支える過程を学びます。
同じことができるかというより
この生き方と繋がっているという感覚を受けました。

---------
死に脅されず、隣において生きる。
生きることに集中して大切に生きる。
自分の為せることに集中して生きる。
心から自分の為したいことを為して生きる。
カラリと、淡々と。
---------

というのがこの夏休みの私のまとめです。

里帰り各所訪問

昨日は各所訪問の日。

最初に介護施設にいる祖母を訪ねます。
街中にあるその施設は、廊下も共有スペースもとても広くて清潔です。
祖母からはいつもからりとした明るさと大地に根ざす感じを受けます。
津軽ことばのとても短いやりとりを交わします。音で聴いて、胸で意味を把握します。
いつでも愛を受け取ります。


次にお墓参りです。
義父の妹、義父の父、義母の両親。
山裾にある墓地は広々として明るい場所です。
お墓は新しいものほど個性的な墓石が増えているように思います。

義父の父の墓石は、芝生の上にあります。芝生にたくさんの墓石が並んでいるような区画です。隣の墓石との境目がありません。
私はこのお墓のシンプルさが好きです。

今年印象的だったのは、墓石はないのだけれど卒塔婆だけあるお墓、それと、漬け物石位の大きさの石だけ置いてあるお墓でした。
墓の上に石を置くのは、もちろん墓標の役割もあるけど、魂が抜け出さないようにするためなのかと改めて思いました。

昨年の夏亡くなった義母の母宅にも行きました。
いつもちんまりと座って笑っていた人はいません。裁縫道具だけそのままです。今年はお客様がたくさんみえて、と叔母。


夕飯時に、義父と義母から、自分たちの葬儀と埋葬の仕方と、義母からは延命治療はしないでほしい旨頼まれました。
ヨメはお二人の目を見て、ハイと応えました。
随分からっとした、淡々とした会話でした。

一年に一度帰るたび、だんなの家族とその周辺が老いてゆくのですが、私には明るく淡々として見えます。
初めてお会いした頃の、何かあると寄り集まっていた人たちのまま、今は実際に寄り集まりはしないけれどつながっています。

今日、自宅に帰ります。

青森ベイブリッジの朝

青森ベイブリッジの朝
おはようございます。

港はとても静かです。
外気に触れると、
充分今満たされているなぁ
と感じます。
自分の中の水分や養分で今は充分。

昨日食べ過ぎただけか。

写真は青森ベイブリッジです

八甲田ロープウェイにて

八甲田ロープウェイにて

静かな青森港

静かな青森港
静かな青森港
静かな青森港
おはようございます

観光館アスパム、
今は観光施設になっているかつての青函連絡船八甲田丸、
見えないけどその向こうは北海道なはずの静かな海。

半袖だと寒い位です。

青森は快適

青森に来ました。

高速道路をずっと走っていると、空と雲と山の色と境目がだんだんクリアになっていくのがわかります。
雲は空に浮いています。

夜はとても快適。
歩いていて涼しい位。
それでも8月には何日も猛暑日があったそうで、熱中症での救急車の搬送者が昨年の10倍だそうです。

ニュースを見ていると。
地域振興がもちろんこの市あるいは県の大きなテーマです。

まず明日はだんなの家族と一緒に山方面へ行ってきます。
すぐ近くに八甲田山系。
爽やかな風が楽しみです。

出発〜

朝からかなり順調に準備ができ、さぁ出発。
いざ、青森へ。

…と思ってたらだんなが
ETCカードがない!
と言って自宅へ戻ってる。

あら、めずらしい。
大丈夫かっ?!

夏休み)散歩と、ラジオ体操と、こんな朝食

少し長めの散歩のあと、
公園でラジオ体操をしっかり。

この公園では昔は各自がラジオを持ち寄っていたように記憶しているけれど
今は中心にある塔のスピーカーからラジオが鳴らされるようになりました。

どこからともなく集まり、各々の場所で体操する。
顔見知りには挨拶を交わす。
どことなく入りきれないと感じていましたが、
最近ふと一緒に体操してみたら、あとは平気。
しっかりと第1、第2と体操すると、
身体がすっかりほぐれて生き生きします。
そのあとジョグです。

で、今日の朝食。
残っていて硬くなったバケットを豆乳に浸して、
豆乳と、種をとったトマトと、ニンジンもいっしょに
ミキサーにかけました。

ちなみに家族にはまったく不評。
(だんなは
「バケットは豆乳に浸したんなら
卵と砂糖を混ぜてバターで焼くんだ!
ミキサーにかけるなんて許せん!」と。)

そのまま飲んでもよさそうな気がしましたが
ミルクパンで温め塩胡椒で味を調えてスープに。
あれ?これはいわゆる「パンがゆ」??
お腹イッパイです。
そりゃそうだ豆乳は都合300ml入ってたしね。

今日はこれから読書と買い物です。

夏休み)散歩、生ジュースづくり

夏休みを過ごしております。

今朝は長い散歩に出ました。
今まで歩いたことのない地区境をいくつも越えて、
坂を登り、里山の中へ入りました。
自宅から45分も歩くと、深い林に近づける不思議。

様々な境界線を今日は歩きました。
ゴルフ場と深い雑木林の境、
公園と保護区(立ち入り禁止)の境、
都と県の境。
境目はどこも人の通る小道になっていました。

ゴルフ場と雑木林の境は
いかにも目に見えるほど違う世界なのですが
特に、都と県の境は、同じ「八国山」の中。
それでも私は「都」のほうにいかないように
注意して歩いているところが自分でも不思議です。

境を越えないようにして歩く。
そういうところが私にはあるなぁ。

里山の中に入っているときの
全身で何かを感じ取る、軽い緊張、好奇心。
そして、住宅街を歩くときの
安堵、やや退屈。
繰り返し体感しました。

さて、夏休みにはじめたことは
ジュースミキサーでの生ジュースづくりです。

掃除していて発掘したミキサーは
だんなの父からの譲られもの。
おそらく軽く15年は経っているものと思われます。
なんとなく、捨てず使わずしていたのですが、
箱から取り出したらとても状態がよかった。

そこで、
昨日は「バナナ+ヨーグルト+にんじんジュース」
今日は「バナナ+桃のカケラと皮+豆乳」
美味しい~!
これでもう駅売りのミックスジュースは飲まないわ。
そしてこの生ジュース、すっかりお腹いっぱいになります。

もう箱にはしまわずに、
台所に格納場所を決めすぐ取り出せるようにしてあります。

でも家族にはまだ不評です。
(どろどろすぎる、酸味はイヤ、など)
もっと美味しくするよう工夫することにします。

ジョグ期

新たに私に到来した、
それはジョグ期。

昨日と今日
そうとうゆっくりだけど
20分連続でジョギングができましたと。
早歩きの人に抜かれるくらいのかなりのスローで。

昨日の朝、
やたら背中が凝ってたので、
あっためて緩めてつもりでやったらできました。
脚がしっかり汗かくので
多少筋肉痛にはなるけど
だるさはとれます。

キタキタ、ジョグ期。
無理しないようにゆっくりね。

で、地球交響曲第三番を見終えて

静けさと激しさを全身で抱えています。

導きも運命も使命も
引き受けて選び取って受け止めて生きる、逝く話。
残された誰もが魂に触れた思い出を語り悼む
そんな絆を結んだ人の話。

悠久の自然、太古の部族の魂。
人はかたちのないものと、
加えて、身近な人たちと
魂で繋がることができて
信じがたいプロセスを辿ることができて
深い喜びと悲しみを等しく伴う。
それが今、私の全身にあります。

いやぁ、ちょっとホントにびっくりです。
これから星野道夫さんに大注目です。

地球交響曲第二番は

終了後に拍手が出ました。
映画よ。

あちこちで目頭押さえる人多数。
私は二度目ですが何度みても、
ダライ・ラマ法王の「ワンネス」と言う力強さと、
佐藤初女さんの「生活すなわち祈り」のありようには
心が響いて目がうるみます。

風が強い恵比寿周辺。
これから第三番です。

地球交響曲を見てます

今日は朝から恵比寿の東京都写真美術館で、
映画「地球交響曲」を見続けています。
今、第一番を見終えたところ。
生命体が強い感受性をもって環境や自らの内なる宇宙と情報交換していることが伝わってきました。
これから大好きな第二番です。

お昼は、アサイーとベリーのスムージーをいただきました。
体が生き返るようです。
ただ、ちと冷たかったんで、今温かいお茶も。

意思を持って前へ

職場で担う業務のうち、年次の仕事がいよいよ夏休み開けには本格化します。期間は次の春まで。
今年で四回目です。

苦手だ、できない、と言いながらここまできました。
ここへ来て、上司の上司が代わる、組織変えもする、事業所の引っ越しもする予定、など周囲が騒がしくなりました。
私はあまり揺らがずにいます。

今年は上司の影に隠れてもいられなさそう。
私の意思を信じて前に出る場面が増えそう。
関係者との早めの相談も、
いい意味での早めのヘルプも必要。
で、終わったら成果をまとめて報告する機会も自分で得ました。

集大成的に、しかし毎日を大切に取り組みたいです。

親を固有名でみること

今朝、掃除していて気づいたこと。

数日前に、「人」としてみることの痛さと愛について、娘のことを書いたとき、
「私の娘という属性がないとしても存在が愛しい」
と書いたのを思い出しながら

そういえば
私の父親と母親を、固有の名を持つ存在、「私の親」という属性のない存在としてに見たことがあっただろうか。

まったくない、とはいわないけれど、今、少し違った見方ができる気がします。

お盆のせいか、気持ち、電車内がすいているし、服装が柔らかいです。

掃除する毎日

毎朝、どこかしらを拭いたり掃いたりする生活は、毎日少しずつ、何かの山を崩して、平らにしていくように、私には思えます。

やらなくてはいけないことがクリアになることもあります。
いくつか思い出すこともあります。

山は、心の中にある、見えないようにしている塊のようなもの。
掃除は心まで平らにしていくようなものです。

丁寧な暮らしが突然手に入った感じ。

暑いけど、風に高さを感じます。
ファイト〜

私は何者でもなく、何者でもありうる

私は○○だ、と、いくらでもたくさん書いてみると、
自分は本当に様々な関係や属性の中にいることがわかります。
それが自分のお気に入り、生きる支えだと信じると、よけい「私は○○だ」を手放せなくなりそうです。

こと性格の話になると客体のつもりだった「属性」に、いつしか自分を合わせてしまう切なさを感じることがあります。

エニアグラムを学んでいると、自分を、誰かを、タイプに当てはめて、安心したり興味深く思うことがあります。
タイプが腑に落ちることは確かにパワフルな出来事です。探求の入り口としてはそれがまず第一歩です。

ただ、私もあなたも
タイプそのものではない。
という言葉に、真実性を感じます。

私とあなたは
私自身は
あらゆるタイプも本能も自分の中に発見できます。
違った、変わった何かを目指すのでも
あるいは、頑なに何かであることに留まるのでもなく、
自分が含み持つ様々な可能性に目を向けることで、
どれだけ花開くか。
裁かず、ありのまま、
自分の光も影も見いだして受け止めることで、
どれだけ静かでいられるか。

私は、あなたは、
何者でもないと同時に
どんなものでもあり得ます。
自分の中の、小さな声を聴くことでわかります。
怖ければ、誰かと一緒に聴くこともできます。

自分を
柔らかい生地でくるんで拭くように
あるいは水に浮かべて隅々まで洗い流すように。
自己探求と成長の、今の私のイメージです。

がっつりガールズトーク

今日は、のと家ひねもすさんと
齋藤めぐみさんとで
がっつりとガールズトークでした。

リアルでお会いするのは、
私と、のと家ひねもすさんは二度目、
めぐみさんとのと家ひねもすさんは初めて。
でもお互いブログやSNSで興味を持って触れているので
長きにわたる知り合いのようです。

ひねもすさんがキャリアカウンセリングに興味関心を持った頃
キャリアカウンセラーとしてめぐみさんが載った新聞記事を読んでいて、
その前後に私がセミナーに参加してめぐみさんと初めて会っていて
私がGCDFの勉強始めようかどうしようかと逡巡したころに
SNSで「はじめまして」とひねもすさんが後押ししてくれた
という
お互いの「ひき」で偶然つながった面白い三人です。

もうひとつ面白いと思ったのは、
それぞれが決して順風満帆に仕事をしていない頃
ナントカしなくてはと道であがいたりチェンジしたころに
お互い関わりをもったということでした。

「面白くない」「大変な」仕事でも
そのなかで次の幸運をつかむかもしれない。
好きな仕事、得意な仕事だけをやっていたら
出会わないし変化もできなかったかもしれない。

パワーを出し惜しみしない。
チャンスはとにかく前髪をつかむ。
後のことはつかんでから考える。

ガールズトークのさなか
そんな生き方を今日は学びました。
私も言い訳しないで、
何かoutputに出てみようと思いましたとさ!
(なぜビックリマーク 笑)

キャリア=生きること。
私は、「自分の価値観に触れて語る場」と
「真摯に聴く場」を増やしたい。

よし!

パワーをくれてありがとうでした♪

「人」としてみることの痛みと愛と

C+F研究所 ワークショップで「3つの本能」について、仲間と探求しました。

本能は生物があまねく持つもので、本来そこに問題はありません。
でも各々の性格がもつトラワレが本能の純粋さをゆがめます。

■自己保存的:食べる、自分を守る、休む。快適さを求める。
■性的:モノ、コト、誰かとの体験の刺激を求める、惹きつけあう、いわゆる性的関係だけを意味しない。
■社会的:コミュニティとのつながりを求める。他者をケアする。

3つの本能へは平等に目をむけておらず、「一番に優先するもの」「2番目」「盲点(日頃は無視しているもの)」があります。
一番に優先する本能は、あまりに当たり前で自覚できない場合があります。
日頃無視しがちな本能は、苦手意識、あるいは意識する自体を恐れる一方で、その本能を発揮する人からイヤな感じやイライラさせられる感じをうけることがあります。

たとえば私は、社会的>自己保存的>性的 の順で本能を優先させています。
何らかの場で、自然に目線が場の人たち全体を見回しています。
皆が幸せになってほしい、人が元気になってほしいという思いを持っています。
ここで特徴的なのは「皆」あるいは「人」という、対象が広く、ときにあいまいなことです。
「皆のニーズ」って、何?皆って誰のこと?って思う人は思うでしょう。
私にとって、社会的本能を優先させることは「当たり前」で、それを発揮できない他人に対して「信じられない!」という思う。チーム(組織、お互い)のことを考えないで自分のことばっかり!など。
でも間逆の捉え方、「皆」「社会的つきあい」という捉え方が苦手な人からみると、「自分」「惹かれあう二人」のことにまず目を向けないことが「信じられない!」のです。
まさに「私の常識はあなたの非常識(逆もあり)」です。

本能の優先順位が違う場合、行動の切実さに対して互いが理解できず、摩擦や対立を生むことがあります。エニアグラムのタイプの話にも共通しますが「私はこうだ!」というくっきりしたものにこだわるほど、対立がムキになりやすいように感じます。

この二日間で、3つの本能の優先順位の異なる人たちの話を聴き、あるいは自分の本能が発揮される瞬間を語ることで、3つの本能について目線が至るようになりました。
逆に「自分が優先する本能のことを、わかってほしいのに」という思いも強まった頃。
今日の午後は「バイロンケイティワーク」でその思いについて取り組みました。

--------
「私の○○本能は理解されない」なぜなら「---だから」。
この「---だから」は
・本当ですか?
・絶対そうだと言い切れますか
・そう思うときどんな感じがしますか?
・その考えがなかったらあなたはどうなりますか?
・---だから の内容を反転させて、具体的な例を3つあげてみます。
-------

私の場合はこうなりました。

私の社会的本能は理解されない。なぜなら
 「人や社会を大切にするばかりで
 個である私を大切にしていない」といわれるから。
人を大切にしている、つまり目の前のあなたも大切だ。
でもどうして「個としての私を大切にしていない」とか言われるだろう。
なぜ「社会も人も私もあなたも」大切にしているということを理解してくれないだろう?

最初私は、「個である私を大切にしてほしい!」と言っている特定の「誰か」を想定しないでこのワークを進めていました。

言い換え。
「私は私を大切にしていないと、私に言われる」
 それはどういうときか、具体例を挙げてください。
と考えていたとき
(※バイロンケイティワークでは
 文法的にヘンでもあえて探求・発想してみる)
アタマをがんと殴られるような言葉が降ってきました。

私が私を大切にしていないとき
それは私が私のことを「人」として見ていると。

自分を、固有名刺である私ではなく、属性なり役割などで見るときを想像したとき。
「何か」ですらない、「人」として見ること・同時に見られることの痛み。
こんなに大切にしているのに、という思いと
こんなに大切にされてない。という思いが並存して
その「どちらか一方ではない」のだと。
痛みでもあり、愛でもあると。
とても驚きました。

同じ社会的本能優先の仲間とシェアしたとき、仲間が対象を明確にしてくれました。
家族であり配偶者を想定したとき、より話がクリアになってきました。

社会(あるいは場)も、家族や配偶者も、そのどちらも大切であることは、私にとって真実です。
家族や配偶者を優先して行動できていないときも、もちろん大切にしていると私の心は訴え、でも「大切に思っているとは思ってもらえてないのではないか」という考えに、私はけっこう傷んでいる。

もっというと
娘を「中学3年」「受験生」という属性で娘を見ると、「勉強しない」「先生の言うことを少しは聴くべきだ」「いまどきの子どもはもっと意思を明確に持って生きてほしい」という「べき」があらわれます。
でもその属性がないことでみれば、「私の娘」という属性すらなくしても、名を持つ存在がそこにあるだけで愛おしい。もともと「愛おしい」という気持ちは持っていてそれがクリアになります。
属性で見るとき秘かに苦しい。

本能の話から外れてしまうようで、でも私の中ではつながっているので、かまわず書きますが、

自分が「社会的本能によって支えられている」(他は苦手、よくわからない)と思うとき、「社会的本能こそが私の基盤だ」と枠にはめています。
でも「基盤をゆるやかに広げる」私は、自己保存的本能にも、性的本能にすら(すら!)支えられている。ということを意識できていれば、
あるいは「何かを大切にすることは痛みも愛も並存する」ということが意識できていたら
私の苦手な(苦手だと思い込んでいた)こと、「自分、家族、○○さん」を明確な対象化が、より自然なありようになるのでは。

やや、きりがなくなってきたのでいったんリリース。

ソウジ期、何ゆえか

ソウジ期にだいぶリズムがついてきました。
毎日少しずつやることは本当にすぐに終わるようになりました。

以前おすぎさんかピーコさんかが、
「朝風呂に入って使ったバスタオルでそこらを全部拭いてしまう、毎日だからそれで充分」
と語ってたのを本で読んで、それは合理的だと思っていました。

今のワタシはこれができます。
少なくとも風呂場、脱衣場洗面所は今、バスタオルで拭いてます。
風呂場は体洗うタオルでついでにこすっておくし。
洗面所は使うたびに軽くスポンジでこすってバスタオルで拭くし。

毎日ちょっとだけ手をかける。そうすると毎日ラクラク。
よしよし。

さて、このソウジ期の到来は何ゆえか?
動機はどこにあるだろう?
ちと不思議。
少し前には考えられない行動。

今日はエニアグラム 3つの本能 ワークショップ。
何らかの「一瞬の」行動のもとをじっくり探求して、私の器を育てに行きます。

計るだけの10 週間

昨日で、体重を毎日計り始めてから10週間経ちました。
次にお遍路に行くとき、いかに荷物を減らすか考えて
じゃ、自重減らすか。
と。

結果として、2.3kg減ったのだけど、
パターンがわかりました。

1ヶ月に一度位、ガタッと減る。
で1ヶ月でじりじり増える。
1日位、あ、食べ過ぎたなというくらいなら、割とすぐ戻る。
便秘は敵(笑)。
散歩を長くした、あるいは欠かさないとしても、すぐ減らない。それより夜遅く食べるのが続くと増える。
ちゃんと寝ると減る。

で、じりじり増えた分を超えて
がんっと下がる。
あくまでワタシの場合。

面白い〜
かわいくて50g単位で計れる体重計、いいお買い物でした〜

いささかキリ無し

猛暑のごとき加熱するワタシのソウジ期。

どうしても気になっていたエアコンを、今朝清掃しました。
パワーが下がっているとか運転が妙だという声が家人たちから上がっており、
今効かなくなったらエラいことになります。
休日の昼は止められないから、家族の寝ている、少しでも涼しい早朝にやっておかねば。

この前掃除したのがいつかはすっかり忘れている位昔のことで、本当はエアコンクリーナーで根本的に対応したかった。
でも今朝はぐっとこらえて、拭き掃除とフィルター清掃のみです。
それでも積年の埃ははらわれ、気持ち、パワーアップしたように思います。

ソウジ期は、苦にはならないのですが、いささかキリがないところがあります。
やればやるほど、対象が目についてしまい、あれもこれもやりたくなる。

ただ、毎日のことにしようとすれば、今日はここまで、というのも必要です。

だって出勤10時になってるし(泣)

さてと。
暑いときは気持ちだけでも爽やかに。

面白いご縁

最近のご縁について。

先週、山田ズーニーさんのワークショップでお会いした方から、翌日すぐに、「ビジネス書の圧縮メモ」を頂きました。
Excelに、300冊分。
すごーい!こんなギフトを頂けるなんて。

で、それは本田直之さんの「レバレッジリーディング」のパクリだってご本人は言うのだけど、ホントにやることに意義がありますよね。
というわけで、今その本を読んでいて、私もやって、ギフトをお返ししようかと思ってます。


もう一人。
ツイッターで偶然知り合った方と、毎朝ツイッターで挨拶するようになりました。
その人がやはりお友達から仕入れた習慣「朝イチで階段を拭く」を毎朝実践して
「拭き掃除完了!」ってツィートしてくれる。
毎朝とても清々しさを感じてたので
今朝から私も掃除が終わったらツィートすることにしました。えへ。


で。
朝起きてきただんなに
「働いてんねぇ。
今回はいつまで続けるの?」
ときかれました。
はっはっは。
もちろん、いつ止めてもいいと思ってるさ〜。
また始めればいいのだし。

朝カジ

朝、散歩して
ご飯炊いてお弁当作って
洗濯して掃除して

きわめて当たり前のことを
毎日少しずつやる
朝の家事は気分がいいです。

ただ、
あと一時間早く始めたい。
なぜなら
この時間の出勤は既に酷暑だから(泣)

高い空に少しだけ、秋の気配を、
見たい。です。

今日もファイト。

母の友人

母の親友の具合が悪いとの連絡が妹から入り、
朝、母に電話できました。

東京へ来てからの友人で、あともう一人とで三人。
彼女たちがそれぞれ結婚する前、かれこれ半世紀になるおつきあいです。

母たちは、若い頃小さな子供たちを電車に乗せて連れまわし、よくお互いの家を訪問しあっていました。
子供が大きくなってからも、それぞれ何かあれば会い、たまには旅行もして。

三人は、お互いに何か大きなこと、例えば親を亡くすだの、子供が出産して孫ができたなどというとき、
「最初はご家族ご親戚が来るのだろうから」と、必ず一歩タイミングを遅らせて訪問します。
今回お友達本人が倒れたわけですが、やはり土日は避けて今日(月曜)行くんだと行っていました。

母たちが、自分たち以外の人間関係にも配慮しながら続けてきた大切な関係。
母たちが直接会えて何か伝い合えることを祈ります。

やつあたりしたのでバイロンケイティワーク

昼間。昨日から片付け三昧です。

徹底的なダイニングテーブル周辺の片付けにやや行き詰まり、つい目に付いたダイニングルームのマンガのヤマをどうにかしたくなって、だんなにやつあたり。
「なにをイライラしているんだ」といわれさらにやつあたり。
マンガを買い続けるダンナにそのマンガのヤマをどうにかしてほしい。
そこでずっとテレビとパソコン見てる受験生に勉強してほしい。

してほしいことばかりで、イライラ。
これはもう、バイロンケイティワークの時間だ!
バイロンケイティのワーク http://www.thework.com/nihongo/

以下、試みにツイッターでつぶやきました。

だんなはマンガのヤマをかたづけるべきだ。

1 それは本当でしょうか。
→はい、本当です。

2 その考えが本当であると絶対に言い切れますか
→絶対です!
・・・あ、私がかたづけてもいいので絶対ではありません
・・・いや、ここは断固、絶対だ!

3.だんなはマンガのヤマをかたづけるべきだ。
 そう考えるときあなたはどう反応しますか
→いつもあなたは買うだけじゃんとカっとなる。
 どうして片付けに協力してくれないし、
 片付け道具を買おうとすると文句いうんだとイライラする。

4.だんなはマンガのヤマをかたづけるべきだ。
その考えがないとあなたはどうなりますか 
→平和。すくなくとも文句やイライラした気持ちはなくていい。

置き換え。その1
だんなはマンガのヤマをかたづけるべきだ。
→「だんなはマンガのヤマをかたづけるべきではない。」
それを裏づける真実味のある例:
・家族みんながマンガをよめる。
・新しい本が上に積まれるので読みやすい。
・こっそり捨てることができる。

置き換え その2
→マンガのヤマはだんなをかたづけるべきだ 

??日本語が変だなぁ、でも続ける。
・ヤマになれば自然とだんなは何かに気づく。
・究極のヤマになればだんなのスペースがなくなるから
 だんながかたづく(笑。なんということを!)

置き換え その3
だんなはだんなをかたづけるべき
→でもこれだと「だんな」の問題になるから
→「私は私をかたづけるべきだ。」

その根拠を考えていたらすぐ思いついた。

あ。
マンガのヤマは今すぐの問題ではないや。
私が自分の周囲をかたづければ私のスペースができる。
私がモノを手放せば、家全体がスペースがあく。 

最後やや強引?

・・・この後、ツイッターで高岡よし子さんがつぶやいてくださる。

「この場合、ティム(注:バイロンケイティワークファシリテータ ティム・マクリーン)
によると、もうひとつ置き換えがあるといっています。
『だんなはマンガのヤマをかたづけるべきだ。』
→『私はマンガのヤマをかたづけるべきだ。』」

なるほど~。「私はだんなにマンガのヤマを片付けてほしい」からそういう置き換えができると。

再び、置き換えますね~。
「だんなはマンガのヤマをかたづけるべき。」
→「私はマンガのヤマをかたづけるべき。」
裏づけとなる真実味のあること
・ 何があるか分かりやすくなって私が楽しい
・私ならやりだせば徹底的にやる
・狭いところでずっと座って作業しても私なら邪魔にならない。

あ、そうか!
既にマンガをかたづけるのにはスペース狭くなっていて、だんなだと腰をまげて作業しなくてはならない。

というわけで、このヤマは私が手をつける。もちろん自分の周辺を片付けてからね。


小さなことから大きなことまで
枠を外して、思い込みを外して、考えの澱をなくす。

バイロンケイティのワーク http://www.thework.com/nihongo/

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