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違っていて、つながっている、だからどうする

なかなかまとまらないまま書きます。

自分と違う意見、違う動機、違う行動に触れると、私は最初やや驚き、その驚いた自分の動機を探ります。

違っていると、やや不安を感じ、合わせるか、内心反発するか、自分のとりあえずの立場を決めようと焦ります。
人によっては「違って当たり前でそこは驚かない」
ということもあるでしょう。

前置き長い…。

最近、ある行動や発言に触れて、少なからず私は驚きました。
積み重なる違和感が形になりました。

動機もはっきりとすべて異なるのであれば、私の立場が決められます。
違うのだ。そういうこともある。と、そこで終わらせてよい。
それが。
動機が、遠くない。わかる気がするのです。
でもそこから起こしている発言にも行動にも、明確な矛盾を発見し違和感を覚えています。

その矛盾した行動や発言はどこからくるのだろうと、探求したくなり、相手をやや深追いしたり。
多少ムキになってる、直接自分にはたぶん関係ないこととして今は放っておこう、とも思います。

行動を起こす、前へ踏み出すだけでもそれは勇気です。
入力ばかりで出力が伴わない私が、あまりイライラしてもな。
そう。やや、イラっとくる。


私の考えるべきは、おそらく。
相手の矛盾をつくことではなく。
その動機があるとして、私ならどういう行動をとるか考え、自分がやってみることでしょう。

違っていて、つながっている。
すぐに線をひかず、そのまま受けとる。

なんだか曖昧な物言いで申し訳ない。
これを読んで下さっているあなたとは関係ない人に対する話なので、そこは気にしないで下され。

進路希望調査

子が学校からプリントを持って帰ってきました。
「進路希望調査」と書いてあります。
こないだ保護者会で
「何度か持って帰ります。納期厳守でお願いします」
と念を押されています。これか。
まずは最初の調査は、担任との面接に使います、とのこと。

冒頭。

「あなたの夢や希望は何ですか。将来の職業など決まっていることがあったら書いてください。」

子、いきなり空欄です。
いや、確かに初手から答えづらいかもしれんが。
「空欄にしてても必ず先生にきかれるから、書いておいたほうがいいんじゃないの?」
「めんどくさい。だいたい、なんで赤の他人に夢や希望を教えないかんの」
あーあーあー。それをいっちゃぁおしまいよ。

そのあと、希望学校名はひとつ。第二希望はなし。
「第二希望まで書けって書いてあるよ」
「めんどくさい。書けるとこだけでいいってかいてある」
もー。オトナの世界では、枠内はとりあえず完全記入だ。
それに何でも最初に「めんどくさい」っていうの、よくない。

夢なり希望なり、自分の考えがないわけではない。
それをまっすぐ伝える術を持たず、その機会をナナメに構えてやり過ごそうとする。
わからないでもない。私もそんなことはあったけど。

面接成立するだろうか。
最初の質問に、どう答えるだろう。

それはもちろん、大人の私であっても。

雨を静かに聴く

傘に落ちる
駅の屋根に落ちる
続く雨音
きくともなしに静かにきく

胸の奥のほうまで
ずっと静かになっていくようです。

出力

頭の中にあるときは、立派で完璧で素晴らしいものでも
出したり形にすると大したことはない、と自分で思うことがあります。

人に、理解したこと、大切だと思うことを話す時ほど、自分の口から出てくると同時に「そうじゃないのに」という、言い訳したい気持ちに揺れ、出力がますますぎごちなくなります。

入力のほうが、ナンボかマシ。楽しい。
自己完結だと安心だからか。

出力、もっと、あえて機会を作って、自分の恐れを受け止めたいです。

赤ちゃんに老成を感じる

弟に子供ができて1週間。
写真を母や姉たちにメールで送ってくれます。

顔が毎日かわるのはもちろんのこと。
目が開いている時の赤ちゃんに、完全さ、老成しているかのようなまなざしを感じます。
深遠なものをみるかのような、
ただそのままで、そのままの。

不思議です。

コカリナのコンサート

会社の先輩が入っている「東京コカリナアンサンブル」のコンサートに、横浜は関内へ。

コカリナは木をくりぬいた楽器。鳥の声と人の呼吸の間のような音色は、毎度柔らかく素晴らしいです。
さらに今日は気持ちよくうたた寝を。

今日は矢口周美さんのボーカル、鳥の歌、という曲の時に、祈りを感じました。

コカリナを携えて、先輩は忙しいけどこうして別の場所でも楽しめています。

ちなみに、今日コンサートに一緒に行ったのは、20年も同じ職場で過ごしてきた先輩。
私にはいつも、少し先に、「こうしてやっていけば大丈夫かもしれない」と先に範を示してくれる先輩がいました。
いつまでも後輩気分。
決して一人ではなかったと、再認識する今日この頃です。

横浜スタジアム横にて

横浜スタジアム横にて
おー!天気良好です。

自分の内なる声を聴く、とくに小さな声

久々に、C+F研究所のエニアグラム月例ワークショップに行ってきました。
http://www.transpersonal.co.jp/

今日のテーマは「性格のダイナミズム」

人は自分あるいは他人を、ある局面のみで捉えて理解した気になって安心しがちです。
しかし性格は本来多面的なもの。自分も他人も多くの要素と矛盾を抱えていることをそのまま受け入れられれば、器が大きくなります。
物心ついてからこれまで自分を守ってきた自分の「ねばならない」に無自覚に突き動かされず、「自動的な反応に気づき、とめる」ことで、結果としての成長につながります。

エニアグラムが「自己理解や成長のための地図」と称されるゆえんは、性格のダイナミックな動き、「ストレスがかかるとき」「安心した環境にいるとき」にどのような動きをみせるかを、中心となる気質ごとに、具体的に解説できることにあります。

<今日の学び>

「私は○○である」。
この○○に入る言葉を、たくさん書き出しました。平気で矛盾していました。例えば「やさしい」「残酷」、「つながっていたい」「一人が好き」。

そのなかで、
「(私は)根拠を求める」
「(私は)確かめない」
を読み上げて語っていたとき。

「根拠を求める」は、自他ともに認める「これが私!」、私に聞こえる、他人にも伝えたい「大きな声」です。
「確かめない」は、できれば隠しておきたい「小さな声」です。
このふたつは矛盾するようで、「根拠を求めて」答えを探し、間違っているのが怖くて「確かめない」、どちらも私の要素です。

でも、私が過去大きな失敗をしたときに共通しているのは、他人に、自分に、「根拠を求める」(大きな声)だけを聴かせ、「確かめない」(小さな声)を無視したときだ・・・!!

で、次にそうならないためには、
「確かめなくちゃ」という新たな「ねばならない」を作るのではなくて、
「確かめない」ことを認めること。
他人にわかってもいいくらい、フラットに認めることだと。
アタマがさーっとクリアになっていきます。

そのあと、別のワークを通じて、私は様々な人の「性格の発する声」を聴き、その声が生むパワーやダイナミズムを身に響かせることができました。
耳を塞がず、目をそむけず、受け止めるとき、文字通り「地に足がついて」います。まっすぐ立っています。

憑き物が落ちるようなさっぱりとした気分。

きりがないのでおしまい!

納得感が

ないときは、
自分を探るか
外を見るか

まずは
思い込みのループを抜け出て
受け止める姿勢になってみよう。

悩みの種

私は、別に関係ない人のボヤキはただ聞いていられるのに、
チームメンバーの愚痴やボヤキは、耳に入ると速攻解決に動きたくなります。

隣で顔を見合わせて「ひどい」とか「ねぇ〜?」とか口を尖らせたりヒソヒソ声を潜め始めると、ソワソワ、イライラします。
「何かあった?どうした?」って声をかけ、話を整理し、想像や伝聞であれば事実を確かめに行き、「…だったよ。じゃ、こうしようか」って策をとります。

愚痴を放っておけない。その口をふさぐように解決する。
でも私は自分の仕事が進まない。そして疲れます。

愚痴を聞いていると自分が責められているか、相手を責めたくなり
それを否定したくて「私がなんとかしてやる!」と思って動く。
でも「愚痴」は尽きない。

チームメンバーの発言を愚痴と捉え、自分が動くことで、もぐら叩きをする。
これは私の自動的な反応です。今、止められなくて悩みの種です。

私がもっとメンバーの可能性を信頼できればいいのに。

うーん。

何とかしないといけないわ

朝イチの、役員との約束を、

…ぅわっ!忘れてた!

と、超どんより起きて超どんより最寄り駅に向かい歩いていた道で突然思い出しました。

思わず小さく叫んだくらい驚いて
すぐに到着予定時間検索して役員に電話連絡。

事なきを得て、今、向かっておるのですが。

私最近、朝に気がゆるゆるに緩んでしまい、前の日の「これはやっておかなくちゃ!」を完全に忘れる。

それと、仕事が例えばカゴに積まれていったとして、上から片付け、片付けきらずに残って沈めて忘れる。

忘れてしまうことが多い!のです。
自分の覚えていること、こなせること、起きていられる時間のバランスがわるい、というか、
いや、一言でいえば

たるんどるっ!

って、ことで。
いざ、生活改善。

気候のよい時期

風も陽も空気の乾き具合もすべて私にとって適切なお昼。

建物の中にいるのはもったいない。
用事を作って、社内の別棟に行ってくるか。
座っていると煮詰まる仕事も、晴れ晴れとする、かもよ?

ただ歩くだけでいいわけですよ。
それで世界が循環します。

傘袋が戻ってきた

昨日の朝、通勤時。
最寄り駅付近の路上に、ふと目が止まりました。

あ。「私の」傘袋だ。

金曜日、いい気分で酔って帰ったみぞれの夜に落としたのでしょう。
そのあと、土日通ったのに。気づかなかった。
傘袋を拾ってカバンに納めたら、あたたかい気持ちになりました。

電車の中でも始末がよいようにと、傘袋のついた長傘を求めて、多少高かったけど購入したのが約三年前。
傘がやや長すぎるのが難儀。ただ嵐や大雨でも気にせず持てて、何せ傘袋があると何かと便利。電車、混んだスーパー、どこでも。


三日がかりで私を待っていてくれてありがとう、傘袋。
また雨の日を一緒に楽しみましょう。

本音は、そこか?

子供に「学校にさえ行ってくれればちゃんと勉強ができる公立の学校」へ進学してほしいこと、

少なくとも、子供がどういう選択をしようと社会人になるまでは支えられ、自分たちも定年後に困らない収入があること。

そのために、今の収入がたとえばどれくらい下がったところが限界なのか。どういう備えが必要か。

仕事での立場がほしい気持ち、今はそれを諦めた気持ち、かといっていい加減にやるつもりはないけど、このあと出世による増収は見込めないなか、収入は大丈夫か。

言葉にしてみると、何か、こう、人物が小さいのですが

昨日久しぶりにあった友人たちとの話で、私は結局こんなことを不安に思っていることがわかりました。

書いてみるとやや後ろ向きで、自分の夢や希望はどうしたよ?であるし、

何か、こう、うまく制御できてない感じ。

…コントロール?!

ここまで書いていてさらに驚く。
意欲や自由を狭めていくような気持ちになっていきます。
こんな私もいる。

思い込みによる課題設定をしていないか?
もっと事実をみられないか。
何が大切か。
どうなりたいのか。
そんなことも考えます。

お詫びの文章から学んだこと

予想外のことは起こりえます。
予定調和で全てが済むわけはない。
おそらく問われるのはそこでの振る舞いです。

出来事を知らされる、知らせる、二つの立場があったとき
それぞれの振る舞いで、出来事から学ぶことは違ってきます。

知らされる側からすれば
■出来事をなるべく正確に知る
■出来事に対する、知らせる側の意志がわかる
この二つは重要と思います。
知らされる側はその上で、予想外の事実と、知らせる側の意志にもとづく策に対して、自分の意志を持つことができます。

知らせる側の意志というのは
■出来事に対して、どういう判断をするか、それはなぜか
■出来事を知った時・あるいは後の相手の状況や気持ちに対してどう考えるか
ここが、自分の言葉でクリアになっている、比喩的に言えば「顔が分かる言葉」であれば、知らされる側は受け止めやすいと思います。

さらに必要なことは、知らされる文章に無駄がないことだと思います。
過剰な敬語は役割や立場を固定化することはあっても、言葉の陰に隠れて、知らせる側の顔が見えなくなり逆効果だと思います。

それと知らせる側も、知らされる側にも必要なことは、おこった出来事に対して、あるいは自分(相手)に対して、評価をしないことだと思います。
自分に対して評価をしない、というとわかりづらいようですが。
つまり、「何が○○だった」という事実に対して 「私が悪かった」(あるいは「私は悪くない」)という評価に短絡すると、事実が隠され、意志が隠され、相手にわだかまりが残ります。

こんなふうに書いてきて、私自身は詫びる文章を書くのは苦手です。特に、自分の怖れを隠そうとすれば、それが詫びることにならず、私の言い訳を聞いてくれというお願い文章だけになってしまいます。

予想外の出来事にどれだけ心を開いて事実を見られるか。
関係者の状況を見つめられるか。判断ができるか。
決まり文句や立場の陰に隠れず、自分の意志をどれだけ持てるか。
予想外の出来事から学ぶことはたくさんあります。

数日前にいただいた、お詫びの文章から、私は知らせてくださった方の心をうけとり、上記のことを学びました。

昨日から今日のこと

昨日の夜は、エニアグラムを通じて知り合った友人達とたくさん語り合っていました。
知り合ってそんな年数が経っていないのに、ずっと昔から知っているかのようにハラを割って話ができるのも、お互いの気質を尊重しあえるエニアグラムのなせる業。

めいっぱいいろいろな話をしつくしたあと、すこぶるいい気分でメールを見ると、弟のヨメさまに陣痛がはじまっていました。初産、予定日前。ヨメさまの実家は積雪してるといいます。

地元に帰ったら春のみぞれでした。あたりがうっすらと白い。おさまりきらない不思議な気持ちで帰宅しました。

それでもハタと寝てしまい、気がつくと朝で、メールではまだ陣痛が継続しているといいます。

今日は自分が中学・高校のときの部活の同窓会でした。親ぐらいのこんな上の私たちを呼んで下さって、感謝。さらに私の同級生が、上の代の方に連絡つけてくれて、まぁつながるつながる。こんな年上の人たちをたくさん見ることなぞ、ないだろうなぁ。
先輩方は永遠に先輩なので、いまだに少し緊張します。それでも様々な道を通って今に至る話を伺えました。それぞれが、それぞれに、淡々とした波乱万丈です。もちろん昔話もたくさん。

やや時空の感覚がおかしくなりながら、帰宅する途中。
弟のヨメさま、無事出産のニュース。まる二日がかり。母子ともによく頑張りました。おめでとう。

ここ数日思いがけなく様々なことが起きています。そこでまた多くを想起するため、よけいたくさん「出来事」を味わうことになります。
様々な感情、流れる時間。今は昔。昔は今。

雨天の夜にて

今日は気持ちの定まりきらないままあちこちを歩き回っています。

勤め先は今日は午前中で退勤し、午後は子供の学校の保護者会。
PTAの役員は、引き受けたら必ずしっかりやるし楽しむことはわかっているが、やらない。余計な仕事を引き受けてはいけない。
この「積極と消極」の矛盾を一人抱えるのは、ひっそりとストレスです。

役員くじ引き戦に勝ち、担任ともご挨拶をし、

やや、学校生活にユウウツなものを感じたのは、今日がきっと雨で寒いからでしょう。
自分のことならなんとでもするのだけれど。

うまくしのげ、とはいわない。
諦めず、ひねくれず、言いたいことをまっすぐに言ったなら
あとのことはそれからだ。子よ。

感情に気づき味わい尽くして手放す

事実かわからないことは事実を確かめてから、
考える、意見を持つ、
ましてや悲しんだり責めたりするのはその後だ

…と、ここまで書いて気づく。

悲しいとか、誰かを責める気持ちは、「後で」にはできない、とっさに起きるものです。
必要以上に無意識に反芻するから自分を痛めるのでしょう。

なかったことにせず、または後回しにせず、その場で気づくことが大切だと思います。

で、難しいけど、味わい切ってからその感情を「手放す。」

言いたかったことは、
頭や心で無意識に繰り返す「いつもこうなんだから」的モノローグに気づこう、で、味わい尽くして手放そう、ということです。

やや中途半端なまま、リリース。

同級生が参院選に

高校のときの同級生が参議院選に出ます。

道あゆみさんのサイト
http://michiayumi.net/
twitterでは @michiayumi

名前のとおり、
まっすぐで元気な人だったので、
驚いたけど、なるほどなぁ、とも思いました。

自分の名前で前に出ることは
もちろん大変なこともあるだろうけれど
確かな多くの支えを感じられるのだなと
twitterでのつぶやきを見ていて思います。

何か現在の状況を変えたい、成し遂げたい、貢献したい。
それぞれの場所でやるべきことをやっていきたいものです。

季節を味方に

予想外のことが起きて、必要なことができない、
「○○さんが言ったから」の○○さんにされる。

イライラさせられてるのではない、イライラしてるんだ、という自覚がありながら、売り言葉に買い言葉。

どうしてこんなにめんどくさいんだ!
自分!

と天に叫びたくなる今日この頃。

でも、空は高い、桜は華やいでいる。
気がつけば素敵な朝です。

肩を上げて、下げて。
息をゆっくりはくと。
世界が心なしか、見たまんまに、落ち着いて見えます。

季節を味方に、気分一新で。

今当たり前だと思うことを

やめてみたらどうなるか?

毎日会社に行くことを。
ご飯を三食たべることを。
インターネットにアクセスすることを。
知人に挨拶することを。


少し想像しただけで私はずいぶん足元を揺るがされた気持ちがしました。

どうでしょう。
当たり前と思っていることをやめてみたら?と想像してみると。

散歩ぐるぐる吉祥寺

昼から二十年来の先輩と吉祥寺に出ました。
南口(公園口)で待ち合わせたところ、あまりの人の多さに三人でクラっとヘタれて、北口へ回りました。

ネパールレストランでカレーとナン、サフラン入りヨーグルトをいただき、そのあとは

中道通りをぶらぶらと。

唐突に「古本屋さんかく」へ乱入。
「本に日頃触れない人はお断り」というような張り紙があり、ひるむけど入る。
確かにこれは「好きな傾向の本を愛する人たちが集う」な世界。
どきどきしながらも絶版となっている高群逸枝「お遍路」を発見、購入しました。

中道通りの果てにある
健康豆乳カフェ「はらっぱ」で豆乳アイスクリームを。
最近、ネットでよく見かける「はらドーナツ」の隣です。
ドーナツ屋さんも、カフェも、それなりに結構長い列ができてました。

言わなかったけど、カフェのお姉さん。
豆乳MIXジュースの豆乳と牛乳の量は、面倒でも目分量ではなく計量カップ等で測ったほうが結果たぶん早く作れるし余りも出ないと思う。
カフェと店頭販売を二人で頑張ってた。えらいなー。

「はらっぱ」の前は、本当に原っぱのような、吉祥寺西公園。
大きな木と原っぱしかない、遊具のない公園。ナーイス。
そこでしばし、アイス食べて休憩。

そのあとは
大正通りを、吉祥寺方面に戻ってきました。
↑商店街のwebサイトに対するスタンスが出る。
おしゃれなカフェの前で、魚屋さんが実に美味しいそうに香ばしく魚焼いてました。これはきっとカフェに匂い入ってるね。

そこはかとなく、様々な話をして、ぶらぶらしました。
こんなことを、かつては職場の周りなどでしていました。久しぶりでした。
天気よかったのでね。

機能的 登山用品の世界

お遍路さん出発まで
そうはいってもあと1ヶ月位になりました。
具体的な旅程はもう少し後に決めることにしています。

今日はまずリュックを購入しに、
登山用品のショップ「カモシカスポーツ」へ。
長く歩く旅でなるべく軽く機能的なものが欲しいな、と。

お店の人に相談して、
20リットルの中で一番軽く(660g)
背負い心地がいちばんピッタリしたシンプルなものを。

・・・20リットル、660g。
そう、登山用品は雨具から何から
重さと容積が明確です。
少しでも軽量でコンパクトに機能的に。
すがすがしいくらいです。わくわくします。

このお店はかなり専門的・本格的な品揃えで
リュックだけなんてもちろんもったいない位です。
登山やハイキングの本や雑誌、地図、
ラジオで聞き取って書くための天気図、
もう、すぐにでも山に入ってしまいたくなりますね。

登山用品で、荷物をパッキングする円柱型のバッグがあるのですが、これが実に機能的です。

本当に、道具から入るやつだなぁ・・・

というわけで、身体もすこしきたえよっと。

無事と平和を祈る

私自身は何も傷んでないこと。

この数日で他人の他人に対するあまりに酷く不健全なふるまいに驚き、憤り、
長くそれを受けながらも前に進む、私の大切な友人であり先生である人の言葉や姿勢に心をうたれています。

悲しみや裏切りを断ち切り、その人自身の道を生きる力が、大切なその人には、ある、と感じています。

大切な人とその愛する人たちの無事と平和を強く願うのみです。

子供に借金する気分

子ども手当の申請書が市役所から来ました。
必要な書類をすぐ揃えて、明日にも投函します。

お金を頂くとは大変です。
いや、手続きというより、たまたま中学生以下の子供がいるからもらえるお金なんて、子供に借金している気分です。
書類くらい、提出先に迷惑かけないようにキッチリサクサク書きます。

使い道は、月並みですが今年一年積み立てて来年以降の学費です。
悪いが、市場には出ないぞ。

気をつけないと、反省は

過去をネガティブにして、今気づいている私が優位に立とうとします。

私そのものはいつも現在に居るように、深呼吸。

怖れを動機にして、ものを言えば、聞けば、相手に伝播する、というか、相手の発言を余計怖れを持って受け入れて、転がり落ちます。

相手に、くってかかっている、あるいは受け止めていない、その最中に

まずい!まずい!
って、フラッシュしてる、その瞬間に止まりたい。
本当に。

入学式かな親子

入学式にいくらしい親子。

高校生男子とお母さん。


一組目。
何を気がついたか、お母さんさんが子供の耳の下あたりをかいがいしく拭いてあげている。
男子、されるがまま。
いいのかそれ。

二組目。
お母さん、目を閉じたり前を向いたり。
子供、ずっと携帯。
あ、高校って携帯オッケーなのか。
それにしても会話なし。
私も人のことは言えません。

二組とも、男子、黒のローファーがきれいでした。
なにがともあれ、新しい世界でファイト。

昨日の花見

地元に東川という小さな川があって、川の脇にずっと桜が続いています。

往復で約2時間、お花見を楽しみました。

町内会で提灯を出しています。商店や病院だけではなく、人の名前が多いです。
夫婦か、兄弟姉妹か。少し若い感じの名前。
親御さんたちが出しているのかな。
名前がならぶと、なんだかパワーがあります。

今年もまた桜を毎年愛でられる。
なかなかの幸せです。

…と、桜の写真を添付しようと思ったら、メモリ不足。なぜ?!

お遍路さんに行ってみようと思ったわけ

正直、思い詰めた一つの理由はなくて、複合したいくつかの背景で決めました。

ひとつは、母方の祖母の思い出です。
祖母は70歳になる前後に四国八十八ヶ所礼所をめぐりました。
交通機関を使いながらいくつかのところは徒歩で廻ったと記憶しています。もう二度とできないかもしれない、とずいぶん楽しみにして出かけ、納経軸を持って帰ってきてくれました。いまでもその軸は私の実家にあります。
当時私は中学生位で、当時の祖母の達成感や充実感をなんとなく覚えています。

ひとつは、一人旅がしたかったこと。そうすると、電話の通じる国内の旅にしたかったこと。
海外も考えてはみたのですが、やはりそこまでの勇気はなかった。

リフレッシュ休暇は来年の3月31日までに有休を14日優先的にとれるというものなのですが、考えてみると長い休みは、夏休みを過ぎたら今年はもうとれなさそうでした。今の仕事は10月から3月末までが繁忙なのに加えて、子供の受験もあります。
そうするとなるべく、6月までにはとっておきたい。6月は梅雨だ。すると5月だ。

そこで、ふと思い出したのがお遍路さんでした。
お遍路経験のある友人たちの顔が何人も浮かびました。
歩きに歩き通したら。歩き、祈る旅を続けたら。
今このときに、どんなことを感じるだろう。どういう体験になるだろう。
私は身体に確かに刻むような体験を望みました。

去年の「エ二アグラムワークショップ」や、暮の座禅会の経験から、私は自分の頭だけでなく身体や心を育てる必要を感じていました。
それはもちろん毎日の積み重ねであり、何も遠いところへいくことがその手段ではありません。ただ、今「お遍路さん」という体験で、私の身体や心はどうなるだろう。

このあと、紹介してもらった、本やサイト
菊水へんろ館
本は
「四国遍路のはじめ方」 串間洋 著
「ある日突然お遍路さん」高田京子 著
を読み、

そして今朝、C+F研究所のティム・マクリーン氏の資料を読む。
四国遍路を何度も経験し、未経験の人たちのリーダー(先達)の経験もあります。
ティムが著書に「心の道」とサインしてくれたことがあるのですが、その言葉が目の前に広がるように感じました。


・・・様々な縁に呼ばれて繋がって
私は「お四国」にいくような気がします。
家族のこと、友人知人のこと、これから縁のある人たちのこと。
歩き、祈り、体験する5月にむけて、それでも私は毎日を大切に積み重ねていこうと思います。

お遍路さんに行ってこようと思うの

リフレッシュ休暇をどう過ごすか決めました。

5月の中旬に、四国へお遍路さんにいく。
詳しいことはもう少し調べますが、
基本「歩いて」みたいです。

休みの日程を昨日上司にメールで打診しました。
来週、対面でお願いして合意できたら
8日から10日かけて、計画してみたいと思います。

だんなに3日前くらいにいったら「ふーん」。
子供に今日いったら「あら、アタシはいかないわよ」
この家族、驚きません。さすが私の家族。

さっそく先達の知人に本やwebサイトを教えていただきました。
さて身体も鍛えておかなくちゃ。
歩いて何かが見えるか、やってみなくてはわからない。

44歳の5月。想像を超える面白いことになりそうです。

ぎこちない

この春は、寒さや風の強さが記憶に残る程強い。
桜がんばれ。

昨日から社会人あるいは新しい職に就いた人たちの、ニュースが続々と入ります。
気持ちや雰囲気が新しくなります。

ただ私自身は少々動きがぎこちない。朝が遅くなり、野菜の摂取量が減り、仕事のスケジュールが整わず、スッキリ感がない。

今日はいっそ、職場で掃除の日にしてみよう!そのあとは課題洗いだしです。

風がすべてを洗うように、かなぁ。

再会

2008年から2009年にかけて社外グループ活動をともに励んだメンバーと久しぶりに再会しました。
今年も引き続き別のグループに参加した先輩が賞を取られたので、そのお祝いでした。

グループとして活動していたときは、リーダーとしての行き詰まりや苦労が沢山ありました。
立場を離れればグループのメンバーは皆さん人生の先輩。それぞれ自分の職歴ではわかり得ないような苦労も思いもある方々です。

率直に意見を言いあい、事実を確認でき、考えを文章や絵にまとめるまで、どれだけの時間と思いが必要かを、身を持って知る仲間です。

今回は、結果としてグループの成果には盛り込みきれなかった個人の思いがあったとしたら、自分はどう持ち帰り、果たしてゆくか。

そのほか、分岐点での判断で何を考えたか。
自分一人では何もできないが、自分一人で決めなきゃならない時がある。
そういう時の話をシャワーのように浴びてきました。

考えることは生きること。

これからも定期的な会合をお約束して散会しました。
また日常にパワーをもらってきました。

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