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急いで帰る

今日はあったかいやね〜。

コートいいや、とおもって少し厚めのジャケットで出勤したら、コートのポケットに定期券わすれちゃったし。

6ヶ月定期。なんてテッパンな。

1日儲かってるはずの一日を慌ただしく使ってしまった。惜しい。

これから家でもうひとつやりたいことがある!

ダッシュで帰る。
程よく冷えてる。

【今日の2冊】冷静と情熱のあいだ Rosso Blu

思いがけず時間が空いて、本屋さんで1冊ずつ残ってた文庫本を買って、駅ナカのカフェで一気に読みました。
単行本が出たときに両方買って読んで以来。日付を見ると1999年の秋。

 最初もRosso → Blu の順番で読みました。
 当時職場でいろんな人が読んでいて、圧倒的にRosso支持が多かった記憶があります。私もだんぜんRosso派でした。
 Rossoで語られる、自分の気持ちにうそをつけない正直さと慎重さと潔さ。淡々とした表現のひとつひとつの気持ちに全て納得して引き込まれた覚えがあります。
 逆にbluは逸話が多すぎる感じがしたのと、ネタバレにならない程度にいえば、ラストは「野暮天!」と思った。もう、ほっといてほしいのに、なんだよ~と。
 ただ、中には「Bluはすごくよくわかるけど、Rossoはぜんっぜんわからん」という人もいて、世の中いろいろだなと思った作品でした。

 今日も、Rossoから先に読みました。
 もちろんRossoは逸話も情景も気持ちもすべて腑におちて、出てくる登場人物に「わからない」人が一人もでてこない。で、今読んで心がぐらぐらくる文章は、以前と違うような気がするし、でも同じような気もする。とにかく秀逸でスペシャル。

 でも今日。
 私はBluも悪くない、むしろなかなかよいと思いました。
 いくつかの逸話の意味も、そこで語られる修復士という仕事についての興味も湧いたのかもしれない。それと、以前は説明されることで拒否感を持った「ずるさ」を今は理解できる気がしました。
 なにより、ラストの「一歩踏み込んだ」感には共感すらしました。

 今日あらためて「あとがき」を読んで、
 これはそもそも連載小説であったこと、出版社等の企画モノではなく作家の二人が意気投合して始められたということを知りました。
 お互いがお互いの才能を敬愛してやまないまま、エキサイティングに連載が進められてきたことも知りました。

「人生というのは、その人のいる場所にできるものだ、という単純な事実と、心というのは、その人のいたいと思う場所につねにいるのだ、というもう一つの単純な事実が、こういう小説になりました」(Rosso)

 二人の作家は読み手の「冷静と情熱のあいだ」に届こうと欲し、またはそれを見つめることを期待してあとがきを終えています。

あるね。それは、ある。
もちろん私の中に、絶対的に。
冷静と情熱はおのおのは別のものではなくて、いつも隣り合わせにあって、守ったり踏み込んだりするときの、それぞれの動機になっています。
時間によって、かかわる人によって、それはいつでもゆれています。

あいだにあるのは、その人の、なんか軸というかコアなのかも。
自分でつかみきれなくてどこまでも探していくような、でも、そこにうそがつけないようなもの。

・・・というわけで洗濯モノでも干してくるか。

「冷静と情熱のあいだ Rosso」  江國香織
「冷静と情熱のあいだ Blu」  辻仁成
 単行本1999年9月  文庫本2001年9月

元気にする戦略

午後、縁あって、他企業の部門トップの方に、部門活性化のとりくみについてお話を伺うことができました。

顧客は誰か、誰のために仕事をするか。
疑惑や諦めを払拭するために自ら現場へ出向き、すぐできることはすぐ解決に向かわせ、コミュニケーションの心得をロールプレイングで説き「部下の報告・連絡・相談を待たず、自ら声をかけていく」ようマネジメント層を説く部門トップ。
このトップに信頼をよせ「なんでもやってみよう」「発信しよう」と策を練るミドル。

理想形。一本スジの通ったあり方に心動かされました。

職場が活性化したことを、顧客側の声と、意識調査の定点観測で証明していくのも、そこにいる人に誇りと働く意味をもたらす、
これは、元気にする戦略。

これを自組織に、どのように持ち帰るか、
私は、どんな言葉を使って自組織の人に伝えようかと今考えています。
誰かにこうあってほしいというのは結論にはなり得ないので、
スタッフで、間接部門の、自分にできることは何だろうと考えています。

周りの人と話す、話した結果でなにか行動に起こしているプロセスを職場のなかで発信する、広げる。
仕事の中身をわかりやすく、皆にあらわす。
あらわしたものをつかって、便利になったり顧客のためによかったと思う経験を増やして、伝えていく。

私自身の感知力とフットワークの軽さを向上させて、上司・部下・同僚とつながる力をつけたい、びくびくだけど、今日この頃です。

カディスの海

アレグリアスは明るい、軽い曲調。
カディスの港町の、明るい女たちの踊りなんですって。

同じ踊りでも、空気とか雰囲気とか全然ちがえることができる。港町の感じ〜。
で、最後は、それはそれでよし〜って感じでブレリア。
by ユミママ。

海とか太陽とか、なんだかきっと朝で。
どんな色の海だろうなぁ。

カディス。

よどまないように

自分が仕事で停滞するときは、一時にいろんなことをアタマに浮かべて肝心なことを忘れてしまってさらに焦るときです。

停滞するときは、なんか恐れたり、面倒くさがったりしています。

最初から、順番に、ひとつずつ。
いろんなことを、周りをみながら順番に。

今日、明らかに仕事中よどんだのですが、
なんか知らないようで知ってて知らないことがアタマにたくさんめぐってしまって整理がつかなくなったから。

すっきりさせよう。
心配する前に、アタマのなかのことは描いてみよう。
それと、ちゃんと寝よう。

一人にならないように
まわりとつながれるように。

朝練新メンバー!

今日から朝練に新メンバー登場っす!
2/20のフェスタに来てくれて、踊りに来てくれました。
セビの足、初めてですでに3つ習得。お〜。

足を踏み入れてくれてとても嬉しいし楽しみ〜です。

彼女と私はセミナーつながりです。お互いなんだかいろいろ動いてみながらここまできましたねぇ。

海の匂い

まったくありえない場所で、海の匂いがした。

さっき通った、トラックだったかもしれない。

薬品の匂い。
塩素の匂い。
藻の匂い。
と、緑色の、少し機械油の匂いがする、そんなにきれいじゃない海の匂い。

そんな匂いがかぎたいんだけど。

【GCDF】第3回

ヘルピング 2日目

◇今日学んだこと

1
対象(何について)気持ち(どうか)はいくつでも想定できる。答えは相手の中にある。

2
相手の話す事実を応答していれば安全だけど発展しない。
推測して応答することはリスクがあるが発展する可能性はある。
相互関係だし正解はない。カウンセラーは意思決定して相手の感じたであろうことをことばで返す。

◇今日気づいたこと

クライアント役としてGCDFホルダーの方がきてくださった。
初対面で なにについて、どんな を相手の枠組みで聞きとり、相手が「自分の気持ちがわかってくれた」と思えることばを返す。

あとでふりかえりを、将棋の棋譜を振り返るみたいに再現してもらえる。
これは、初心者にはできないことなので、とてもよかった。

そこで、どんなに再現してもヒットしない経験をした。どんな応答も、クライアントにとってはただ質問されているだけのように思える、と。

もうひとつ、相手が気持ちを明らかにした(ように思えた)瞬間に、気持ちを示したことばと気持ちから、自分が逃げてしまったことがわかった。
自覚もできたし、相手からも指摘された。

じゃあ、今、その気持ちをことばで返してほしい、そうでないとこの気持ちは中途半端で終わってしまう、と言われた。

そのこと自体、今の相手の本気だと受け止めたのに、私はことばがでなかった。
「あなたの言っている今の気持ちがよくわかる。」
と言う以外になく、それはなんだか月並みでうすっぺらく思えた。

このまま中途半端な状態に相手をおいてしまうこと、
ことばを返す力がないことが、
何より、
相手の気持ちから逃げる、
相手の気持ちに触れることを恐れる自分だから
相手の気持ちに寄り添えない。
だから、ことばがでない。

はじめてだろうが、
相手がロール(役割)でこようが、
今ここでの気持ちを恐れる私は、相手が今気持ちをいっているリスクに応えられない。

そのことが申し訳なくて悔しくて、私はその場で泣いた。泣くとは思ってもみなかったけど、ごめんなさい。

◇私の課題。
・相手の言っていることをききっぱなしになること
・相手の気持ちをとらえられない(気持ちから逃げる)こと。
・相手の気持ちをことばで返せないこと。

ヘルピングはテクニックではない。スキルは必要だがそれだけではない。
相手の気持ちに触れることを恐れる私の姿勢が課題だ。

これって、越えられる課題なのか??

その後何回やってもできた実感がない。逃げないように頑張るが自信がない。

ロールプレイはテープに全部で4回分とってある。

疲れたというより、課題が越えられる私なのかが、不安。
気持ちのこともことばのことも、苦手だって、どこかで知ってたのに自分。
でも越えたい。やめたくもなければ逃げたくもない。

そうすることで、関わる人に責任果たせなくても?

私は日比谷通りで、もう一回一人でわぁわぁ泣いたあと、
それでも続けたいという自分の動機だけはいったん信じることにした。

GCDF外伝) ロールプレイ

実習で、カウンセラーとクライアントのロールプレイを行う。

この時、カウンセリングを学びたての人たちだから、クライアント役は「今現在自分が抱えている問題は題材にしないこと」という条件で行う。

そりゃそうだなと思うが、あまり過去のことは覚えてないので
1週間位前に一瞬相当ヘコんだ経験を題材にした。

大丈夫かなと思ったが、思ったより平気だった。
あの日めちゃくちゃいろいろあって、当日中に感情の問題はクリアしてたから。これは一昔前ならあり得ない立ち直りの早さ。

で、クライアント役で話していて、こうすればいい、こうしていこうという今持っている自分の答えの他に、
ついもうひとつ、選択肢が浮かんでしまった。

若干あせって立ち直ろうとしてたが、ここはちゃんと考えたほうがいいぞという選択肢だ。

ロールプレイを2回やってみて、気づいてしまった。

人に話してみるもんだな〜 まだまだ掘ってみればあるし、あわてて自己防衛して立ち直ろうとしては、問題を見失うんだなと思いました。

さて。
今日の実習は一筋縄ではイカンはず。
自分をオープンにしてチャレンジ〜

【GCDF】第2回

ヘルピング。
面談の態度と能力を実技で養う。

◇今日学んだこと
1
面談について限られた期間で学ぶにあたり、必達事項は
態度 受容・理解・誠実
能力 最初の10分で、この人なら相談できるとクライアントが思える関係を作れること。

2
クライアントがカウンセラーを受け入れるかどうかをきめる。
クライアントがカウンセラーにNG出すのは
・見下す限度や態度
・クライアントが話す前の誘導
・クライアントの言うことのみに止まっているとき。

3
クライアントと関係構築するための要素
・きく…言っていることと言いたいこと。
・話す…わかったことを返す。対象(何について)と気持ち(どうか)
・みる…相手、自分、両者の関係

4
ヘルピングで大事なこと
・考えや思い、いわゆる人の内から発することを扱うプロセス。
・まず話の内容を事実とらえて理解する。
・言ったことと言いたいことをききとる。
・相手が伝えたいことをとらえてしっかり応答する。

5
目の前の、その場にいるクライアントしか正解をもっていない。カウンセラーがちゃんと応えているかどうかはクライアントにしかわからない。
つまり、人それぞれに違うのだから、簡単にわかったりあたったりするわけがないということ。
最初の5〜10分で、相手の「正解」を当てにいこうと思わないこと。
短く返しながら、みる。相手と自分と関係を。
間違うことはある。確認して修復すればよい。

6
質問は、クライアントのためになっているか、わかったこと(対象と気持ち)を返しているかが大事。質問責めにしたり、カウンセラーの興味で訊かない。

7
クライアントに応答を返すとき自覚すべきこと
・事実を返しているか
・推測を返しているか、それはクライアントの「正解」から、近い・中間・遠いのどのレベルか

事実だけを返していると、単なるオウム返しでクライアントが話せなくなる。
相手の背景や思いを推測することは必要だが、クライアントにとっての事実や思いにどれくらいの距離があると自分が思ってるかは自覚して返す。

8
相手のことばだけではなく、話したい背景を「感じる」こと。

◇今日の気づき
・自分は相手に分かりやすく説明しようとするあまり、話を端折ることがある。
・一方で、わかってほしいことやこだわりのあることに少しでも違うことばが返ってくるとこだわってしまう。
・事実を正確にきこうとすると言葉じりをとらえてしまい、何に対するどんな気持ちかという動機が拾えなかったり、忘れてしまったりする。
・話を整理して話されると、逆にそれはその人の本当に話したいことなのかと不安になる。
・ビデオ学習では、クライアントのために、というねらいをどんな時にも外さないカウンセラーの倫理観を感じた。
・30年の経験を持つベテランでも、クライアントにとって何が問題かを明確にしないとわからない、ということ。
人の気持ちは、わからない。わからないからこそ、ことばにして、きいて、かえして、ありのままをみる。
自分にとって難しいけど、やってみたいこと。

エニアグラムのワークショップで、いまここで、ありのままを感じる・味わう経験をしているが、それと、このGCDFの学びが並行していることが私にとってはとても大事なことに思える(まだうまくリンクできてないけど)。

トップの詫び文

私には職場のデスクに保存している詫び文が2通ある。
世話になった人がトップとして書いた詫び文や報告書だ。

一昨日、その詫び文が3通になった。

その人は私のことを直接は知らないだろう。
私はその人の文章を社内報で読んでいた。ごくたまに行われた朝礼での話はいつもクリアだった。
小さな組織の枠をいつでも破り常にプロフェッショナルであれとその人はいつも語った。

その人が、組織に働く人と取引先をはじめとする関係者にあてた詫び文を記し公開した。役職と個人名で。

痛みを受けた人への、痛みを伴ったお詫び。
予兆はあったのに早期発見ができなかったこと。
何より旗印どおりのことを実現できなかったこと。
自分のこれからなすべきことは、業務のしくみを見直すほかにないこと。
だからこれからも協力をお願いしたいこと。

A4で1枚半だ。

トップ自ら退路をたった。と思う。
一般論も言い訳もミジンもない。

私はこの人の書いた追悼文も持っている。
これがまた、無駄のひとつもない、しかし悔やんでも悔やみきれないその人への思いを、そこに到る事実で綴った、この人でなければ書けない文章だった。

その文章で送られた人が書いた、詫びと報告書も改めて読んだ。

やはり言い訳なく、トップとして詫び、経過と今やっていることと課題を書いた文章だ。
この文章が課題でおわったのは、その人が途中でたおれたからだ。

その文章以前に書かれた他人の詫びてない詫び文も、
その後よく聞いた枕詞みたいな詫びも、
この文章を反面教師にしようとした別のトップの発言も
その当時、私にはひどく空疎に聞こえた。いまでも変わらない。

今、自分のできること以上にできることをやるには、多くの人達と、胸の真ん中あたりから思いを通わせていく必要がある。

言い訳ではなくて、実現したい動機の共有が必要。私の中では全てがつながっている。

ネガティブな状況に信念をもってあたる人の、ことばの力を、私は身にうけて考えて進む。

今度は自分のまわり

社外グループ活動は発表用資料も納品し終えた。この時の追い込みもなんだか各々が目を見張る活躍ぶりだった。
スライド28枚にしたことで、もっと言いたいことが結実している。

私自身は、でもまだ、このスライドや論文を自分のことばで伝えられない。

という場面が、実際今日あった。

自社でリスクを洗い出して優先順位をつけて対策を決め実務のなかに組み込む。自らできるようになるよう組織と人の意識を変え、第三者の視点での指摘や助言を受ける。第三者視点で業務を見えるようにすれば

…どんなメリットがあるのか。
そうは言っても全部できないし、やりだしたら全部やらなくてはならなくなる。
リスクの洗い出しとは、具体的にどのように行い何人月かけるのか。

指摘があったから取り組みます、ではなく、なんのリスクを防ぎたいかによって方法はちがうはず。

記録を取れ、判を押せというが、そこに意味がないと手間がふえるだけになる。

…という意見に私は納得してもらえるだけの説明ができなかった。
とてもわかる。先方の言ってることは、1年前の私も言ってたことだ。
で、相手は、引き受けるからこそ生半可では納得などしないのだ。

まだ私はことばを持たないで中途半端に聞いて反論を返していた。で、相手の話をただきいてしまった。

この期におよんで、私は論文や発表資料の中身をハラに落とせてない。引き受けてない。

どうやったら自分の組織で展開できるかは私の考えることだし引き受けること。

というようなことが今日あった。
いろんなことがありながら、まだまだで、くやしい。

フェスタ!

今日だけで書きたいことが3つあるけど、今日がもうすぐ終わるからカサアルティスタのフェスタの話にする。

今日のフェスタは、ママ以外のバイレを初めて見た機会だった。
バイレ、踊り、に自分の情熱だとか生き方のスジみたいなものをいつになったら乗せられるんだろう?
意思の強さをすごい感じた。
ああもうぜんぜんまだまだ。すごい先がいっぱいある。びっくりするくらい。
もっとできるようになりたいよ。

今日はここまで。

で、直後にびっくり

前日のような日記をかいてから、
webサイトみてびっくりする自分。

「ほぼ日刊イトイ新聞」の本で
小さいことばを歌う場所  というwebサイトでのみ購入できる本があって、その感想文を書いたら、掲載してくださいました。
http://www.1101.com/books/Je_me_souviens/2008-02-19.html

・・・これ書いたときには、気持ちが伝わったときにうけた大きな力みたいなものをリアルに思い起こしながら書いたわけですわ。

だからさー。いわんこっちゃないじゃん。
ことばはなんのためにあるんだっけかと。
昨日はきっと「批判された」というのが先にたってカチンときてしまったねと。

もいっかい、自分に言い聞かせる。
ことばは考える道具で
気持ちを伝える・気持ちが伝わるためにある。
自分の恐れを人に撒き散らすためにあるのではないし
翻って、人を攻撃するためにあるのではない。

寝ます。おやすみなさい。

いろんなことがありすぎ

変化を楽しむ とは言ってみるものの。
いろんなことがありすぎる。

反射的に反応しないように、いっぺんハラに落として、ちゃんと考えて、と思うが。

自分が論理的でないくせして、詠嘆的な作文で批判されると、証拠揃えて論理で返しちゃると思う。

返すんじゃなくて、一緒に考えるんだってば、と思い直す。

でも、だいたい公式文書に形容詞や擬音を入れて詠嘆・嘆息する趣味は、アタシにはないんだわ。
ちっとも自己批判してない、全部ヒトのせいじゃんか。

私主語で、役割ヌキで、ちゃんと言えるかな。
このまま黙ってて、周りがこの詠嘆に同調するのを見てんのはいやなんだけど、一人で逆風に吹かれちゃうのもどうしたものか。

ぐるぐる。

はぐきがいたい

歯の奥が腫れてる。
痛い(>_<)

勤務地が流転してるので、かかりつけの歯医者さんがない。
4年位前に通ってたところがマイベストだったが、そこにはもう通えない。
(T-T)

わ~いたい(>_<)
定期的に通うって何度思ったことか。
いつもなんだか忘れた頃にやってくるんだこいつは。

30歳代までは右まぶたに、なんか種があって、しっかり腫らしてから、かかりつけの眼医者さんに、ばんっと潰してもらっていたのだが。

ええもう、だめなんですよ、なんか加齢とともに、腫れ物に勢いがなくて、
んなもん、潰してしまったほうがナンボか楽…

(>_<)!

「胸の振子」からEPOまで

どういうふうに書いていいかわからないけど、とにかく書いてみます。

Ann Sally という歌手が私はとても好きです。
この人の声も、それとこの人自身が今に至るまでの物語もとても好きです。
特に最近
「Brand-New Orleans」というアルバムにある
「胸の振子」という曲にヒタヒタになって暮らしています。
昨日は何回リプレイしたかわからない位です。

「胸の振子」は
サトウハチロー作詞、服部良一作曲の昭和22年の歌です。
粋で大人で洒落てて、で、切ないです。
歌詞こちら。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND40892/index.html
曲もまたすごいの。国境越えてますよ、服部良一。

でもう少しこの曲のことが知りたくなって
googleで追いかけていったら

霧島昇がオリジナルの歌手で
ティンパンアレーが編曲して雪村いづみが1974年にカバーしたり、
キャラメルママが伴奏して誰かが歌ってる映像がYouTobeにあったり、
石原裕次郎も登場、
去年の10月に「服部良一」という
服部先生生誕100周年記念トリビュートアルバムがでていて
「胸の振子」を井上陽水が歌っていると!
(→即、amazonで購入)

・・・で、
EPOが自分のコンサートや昔の音楽番組「音楽は世界だ」で10年前くらいに歌っていた時期がある、という話がでてきました。

EPOもとてもとても好きな歌手で、特に声を愛しています。
「DownTown」等CMソングをたくさん歌ってた時期から少し後の、1987-88年位のアルバムがとても好きなのと、すこしとんで1997年位のアルバムもとても好き。

1987年位のアルバムで
「私の声によく似合う歌がほしい」という歌詞があって
そこはもう私の根源的な希望と完全にリンクしています。

でしばらくそれで満足していて、最近どうしているかをあまり知らずにいました。

で公式サイトを見たら、
http://www.eponica.net/m_d/
カウンセリングやセラピーができる人になっていました。

まだサイトを全部読みきれてないけど
コンサートだけではなく、
声が生で届く場をつくりたい希望から
居酒屋の「流し」
請われたらどこでもプライベートライブを開催
それと、以下はサイトのコピーだけど
>声を通じて、自分らしさを発見していくという試みです。
>上手に歌うことの前に、
>世界にひとつしかない自分の「声」を
>見つめ、味わい、納得し、 楽しく遊ぶ90分。
というワークショップを開くなど。

EPOがこんなにも声について、自分の生き方そのものにしてつきつめていたことを知り、ほんとうに驚きました。
私はすごく好きで愛してやまない声なんだけど、EPO自身もときにきっといとおしんで、もしかしたら苦しんで、自分の可能性に目をつぶらないでここまできているのかもしれない。

EPOの「胸の振子」は残念ながら録音されたものはないようなのだけれど、1回どこかの機会で直接声を聴きに行こうと思います。

もうひとつ。
EPOの歌を生で聴いた唯一の機会は、自分の産まれた大学病院の大学祭でした。
なにかとてもつながっているものを感じます。

東京マラソン(出てないよ)

今年は気候がよくてよかったですね~

実は2年連続で申し込みだけはするものの
抽選で落とされて(落としてもらって?)いる。
ちゃんとやっている人から見ると
マラソンなめんなよ、って感じだけど。

今年もし8月に抽選当たってたら生活変わってた。
フラメンコは、できなかったかもしれないし
たぶん破綻してたな。
そう考えると、今年はこれでよかったのだと思う。

どこでもいいというのではなく、
東京マラソンだからやってみたい。
今住んでいるところにも愛着はあるけど
東京は大好きだし、いるとほっとする。

わー、もう銀座にいるよ~

東京メトロのCM、ロングバージョン1回やったな~
もう1回くらいやらないかな。録画すればよかった。
RIP SLIME 秀逸。
このCMをつくった人も
確かすっごいプロフェッショナルだったはず。

さて、朝ごはんたべて、久しぶりにおうち仕事だ

アニー・リーボヴィッツ

アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生
http://annie.gyao.jp/

本日封切。最初の回でみた。

昨日の夜、Amazonから届いた写真集を見た。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0375505091/nifty0b5-nif1-22/ref=nosim
撮っている人の意思と、逆にそれが現れない位、撮られているほうの輪郭や物語が浮きあがっている写真が、圧倒的枚数で続いてた。

で、映画。

まず、声が好き。
それと、言葉がストレートで優しい。

呼吸するように撮る、できることはすべて尽して、被写体とその背景と世界を撮る、即ちそれが人生。
相手の世界に溶けこんで、空気のような存在になって撮る。自分を決してなくすことはない、むしろそれに全てを尽すところ、場を巻き込んで仕上げていく過程に圧倒的な意思の力がある。

有名な写真はいくつもあって、1980年のジョンとヨーコの奇跡的な写真とか、
(…ちなみに映画館でもらったポストカードがこの写真だった。すごい宝物。)
でも、どの写真もクリエイティブでありのまま。

彼女自身の物語にも引き込まれる。ドラッグ、恋人と父親の喪失、50歳過ぎてからの出産と3人の子供。

映画は彼女自身あるいは周囲のインタビューと彼女の写真と当時の私的に近いフィルムで構成される。

びりびりくる位刺激的だった。

写真がとりたくなった…?
いや、私にとってはそうじゃないかも。
呼吸するくらい自然に打ち込めるものをつかめるような気がするっていうくらい、後押しされた感じがした。

意思を抱える女性陣にオススメです。
あと、写真を撮る人にもぜひ。

ビバ、めざましテレビ。

あんまりいろいろ

一日にあったから、あんまり整理しきれないや。

でも、一番わかったことは、
いいから、やりたいし、信じたことだけは、いっぺん通してちゃんとやってみなってことだ。
で、いいからちゃんとやってみようって、関わる人を本気にさせる自分でいたいってことだ。

わかんないけど、私にはその可能性だけはある。

え〜? ホントに?

たぶん。

夜明けにチャリ飛ばす

夜明け。
どうしても朝必要なものがあり、6時頃、近所の24hスーパーまでチャリを飛ばした。

朝焼けがはっきりとする少し前の道をすっとばしていく。
耳もとでわんわん風がなって、坂道をノーブレーキで下ると心臓まで風にさらされてるみたいだ。

おはよう!みんな!

素敵な1日でありますように。

つれづれ)なんでもない1日

フラメンコの朝練で、ゴルペをベースにしての二連を2コンパス(12拍×2)→三連を2コンパス→二連を2コンパス→三連を・・・
ってずっと繰り返す練習をしてて、
(中身を説明しようと思いましたが、いいや、ごめんなさい)
途中で三連が打てなくなる~・・・なんてことを程よく繰り返したあと

仕事で2本ほど上司とメールで集中したやりとりをして
職場で同僚や先輩といっしょにチョコ(自社商品をバラして組み合せたもの)を配り、ま、こういうのはほんの気持ちですから。
なんと午前中で仕事は終わり。
即刻職場を出て、子の中学校の新入学時説明会へ。

中学校では「読めばわかる」資料を1時間かけて説明してもらう。
友達のお母さんとつれづれ話しながら帰ったら家まで45分もかかった。・・・遠いとは思っていたがここを毎日通うのかと、親のほうが暗澹たる気持ちになった。
自転車通学は許可制なので入学後すこしの間は徒歩通学だ。ラクなかばんと、歩きやすい靴を探さなくちゃ。

家に帰ったら、子がヤマのようにチョコやクッキーに囲まれていた。
子も2日前くらいに板チョコ溶かして「友チョコ」を作ってた。確か去年かおととしは、本命にあげられなかったチョコを三分割して配ってた。今はジャニヲタなので、同年代の男子には興味がない(のだろう)。手紙つきのチョコがたくさんあった。

生チョコあり、ホワイトチョコレートあり、クッキーあり。どれもちゃんとかわいい包み紙にくるまっている。
パパに残しといてね、といいながら少しつまむ。どれもおいしい。

かわいいし、おいしいよね、こういうことできる子にお嫁にきてほしいよね
と子がいうので、
そうだねと答えた。来てもらえ来てもらえ。嫁でも婿でも。

そのあとは録画したジャニーズの番組を見ながら、なんだかんだとしゃべる。あまりこういう時間がないので、ジャニーズの名前と顔は一致しないけど、楽しい。

のんびりした1日。こんな日もあっていいかぁ・・・

オムライスには、カルボナーラソースがあうぞ。

ただそこにあって、伝え・伝わる人でありたい

そのままをみるとか、ありのままにあるとか、
頭の中で言葉にしてうかべながら思いついたことがある。

言葉やまなざしや触覚をつかって
相手に伝える・相手から伝わることを繰り返すと
自分の思い込みや壁が外れていき、
より自由に楽に可能性を信じて選択や決定ができるようになる。
そういう人が増えて循環ができて、つながっていく・・・
ということを、なんとなく想像するようになった。

言葉にする技術、きちんとみる、スジを通す技術は必要だと思う。
その技術なしでは伝わるものも伝わらない。
論理やスジが通って相手のハラに落ちるならそれは必要だと思う。
通るまで考え抜く怖さとか厳しさは、
自分以外の人(もしかしたら明日の自分)に何かを伝える厳しさでもある。

加えて、今どんな場面でも
コミュニケーション「スキル」が大事、感情を理解する人間力が大事と言われる。
確かにそれは大事。
逆にそれが「ない」って言われたり、「ないんじゃないか」って自分で思うと、
アタシなんか、人としてダメなんじゃないかって大きくヘコむ。

自分は「論理的でない」というトラウマと
「人の感情を理解できない」「思いやりがない」
っていうトラウマは昔からずっと抱えてた。
今でもすこし抱えていたりもする。
でもすこしずつ手放しつつあるなぁ。

スキルの前に、
信念や思いとか、できればそれがトラワレでないようなカタチで
その人がその人であるような顔のはっきりした価値観が、まず必要じゃん。
それを伝える手段がたとえば、論理であっても、感情なり気持ちへの共感であってもさ。

思い込みを手放して、立場とか役割も横に置いて、
(ま、それは必要な時もあるけど)
あるがままでいることを恐れないで
顔を持って、相手を見て言葉をうけて、
言葉だけではなくてよく見て感じて、それを鏡のように返せれば。
そういう力が私にあれば、それが力ってよぶかどうかともかくとしても
そういうあり方でいられるよう目指していければ。

別にそれがどういう職業のどういう立場の
職業的な技術をもっても、
または家庭のなかで親であり配偶者であっても
あるいはなんらか「一人」であっても
確かに「価値観をもつひとつの存在」であることをもって、
誰かのために立っていられれば、
誰かと何かを交換できていれば、

そんなのが全部つながって、
目の前の状況に対する、何らかの力になるかもしれない。

技術やスキルや知識とか、立場や役割は、
それ自体が目的ではないが、
だからといって何もなければ何もできないから
体系的なものは、誰かのために立つための力を支えるものとして
とても必要だと思う。

目的は手段を整理する。
目的はさらに(イメージとしての)広い高い目的の手段になる。
でも目的を抽出するのが、実はすごく難しい。
人はかならず手段に走り、それも
心が弱くなったり追い詰められると
洗練された手段ではなく、単純に多さや数だけで計ったものになる。
目的であれ、もしかしたら手段であれ
もんのすごくシンプルな、一言にまで洗練できるが
その道のりの難しさだけを、私は知っている。
それを実現できる力がなくて、それで私はエンジニアになれないな、と思ってしまうが。

ただ。目的そのものだって、いつでも古びたり
トラワレや思い込みに変化する。
目的は、個人や集団にめざすところをわかりやすくすることに貢献するが
いつまでも同じであり続けるわけではない。
目的を否定はしないし、あるステップにおいて必要。
でも、目的は、いつでも手段になりえて、
手段そのものへの固執は、そこでくるくると回ってしまう。

あれ、なにいいたいんだっけ・・・
とにかく

ありのままにある、
価値観を表したひとつの存在としてそこにあって
周囲と、言葉やまなざしや触覚をつかって
伝える・伝わってくることを繰り返すこと、
そのこと自体で、周囲を楽に、可能性をもったものにできる。
つながっていける。つながっていることを信じられる。

って、この楽観ぶりってどうよ??安直すぎか??
これはあくまでも想像ですが
でも今自分のなかでは相当リアルです。

今までは違和感のあった事柄に近づいて学び、
まだまだだな・・と思い、
今まではきっと苦手に違いないと思ってたことを思い切って学び、
いまのところ楽しい。
経過でいろんなトラウマを自覚するなかで
あるときは「なにものか」の立場や職種になろうとしていたけれど
自分のやろうとしていることは、それだけではないな
と思い始めています。
立場になろうとしているのではなく、
ただそこに立てる力のある自分でありたいという。
それは相手に対する責任感もあるかもしれないです。

今学んでいるそれぞれのことは
自分の中ではつながっていて
(そのことはそれぞれいずれ書いて整理したいけど)
どのように活かしたいかは
きちんと言葉やカタチにしないと周囲には伝わらないとは思うから
近いうちにちゃんとやろうと思います。

・・・無垢であろうとしているわけでは、ないです。
過去とか若さに戻ろうとも、決して思わない。
突然なにをいうかって感じだが
赤ちゃんが笑いかけるのをみて人が幸せになるっていうけど、
みんな忘れてるだけで、赤ちゃん自身は泣いている時ってホントはホントに絶望の淵にあるかもしれないじゃん。
感受性と体力は双方なくては持たないような気がして、若いときに起きたいろんなことが今おきたら耐えられないと思う。
今のことは、今だからダイジョウブなんだと思うよ。
たとえば今つらかったら、もう時間とか場所が解決するしかないことだってあるとは思うよ。
でもそこに、ただそこにある人の存在が、ただそこで伝え・伝わりあうことがあるだけで、いいかもしれないじゃん。

ってほんとになにいってんだかですよ。
まとまらないから終わり。

連休明け 仕事を忘却

連休中に完全に仕事を離れていたら
驚くほどキレイに仕事を忘れていました。

確かに昨日の夕方少しだけ、
今日の会議の資料の確認をしたのだが
それはそれだけで独立してる仕事だから
大丈夫だったのです。

今日は世界がキラキラして見えるのに(笑)
仕事が思い出せない。
がんばって午前中かけて思い出しました。

昼前は「頭が痛くなるほど」オナカがすき
食べたらとたんにものすごく眠くなって
会社の休憩室で毛布に包まって
30分ほど爆睡しました。
あんまりないことなのでびっくり。
今日はちょっと早くねます。

皆さんおやすみなさい。

なんて原始的な日記なんだ。

エニアグラム入門2

若干、知識部分のメモを記す。

書籍については以下がある

エニアグラム-あなたを知る9つのタイプ 基礎編

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047913944/nifty0b5-nif1-22/ref=nosim

また、今回いったセミナーは以下。
「入門ワークショップ ~エニアグラムの概要」

http://www.transpersonal.co.jp/work/ennea.html

私はそもそも、自社での研修でエニアグラムを知り、その後、キャリアカウンセリングでの洞察を受けて、自分のタイプの認識を変え、とらわれからの解放を追及するに至る。

本はその後だったし、今回セミナーをうけてさらにわかったこと。
たとえば本やインターネットのテストだけではタイプがわかったようでわからない。
自分のありたい姿から選んでしまうこともある。
抑圧した自分の本質から目をそむけることもある。と思う。
探求のプロセス自体がかなり重要だと思うため、エニアグラムをよく知る人の洞察(他人からの目)をうけることや、セミナーに参加することを強く勧めたい。

■エニア(9つの)グラム(図形)の意味

○・・・すべてのものはひとつである。
△・・・物事には3つの要素がある。プラス・マイナス・ニュートラル。父と子と精霊。
(三位一体!)
変6角形・・・物事は変化する。

■人の気質について心理的な状況を、病理的に近いレベルから人の尊厳にかかわる可能性までかなりの広さで表現できるフレームワークである。

■ただし、「ワクにはめる」のではなく、気持ちと実際行動を観察することで自分に気づくことが大切。

■ワークショップでは3つのことを分かち合う
1) 自分の気質や方向性の探求
これはいいわるい、早くわかるといった問題でも
ひとつのタイプをうのみにするということではなく
どのタイプの可能性も否定しないで追求する
その過程からgift(贈り物)を得られる。
2) personality(性格の構造)を知ることで
 presense(本質)で動くことと
 reaction(反応)で動くこととの違いを知る。
3) 今ここにいる、という感覚(presense)を体得して
より、健全な選択ができるようにする。

■周囲の状況に「反応」している状態は健全ではない。

■本質で動こうと努めることは周囲との人間関係を変える。
単純に性格の解釈はしないこと。
相手のessence(存在感とか存在)
そのものを感じようとする試みなり体験を通じて
人を役割やパターンで見ることの乱暴さを知ることができる。

■自我が健全な状態であれば
超自我にとびつくことなく、
多様な可能性に自分を拓くことができる。
性格なり気質はバリアであり、
そのバリアを張るに至る意味がある。
それが無意識になっているから苦しくなる。

■気分で反応することは成長ではない。
自分でそれまでの過去を含んで(否定しないで)
選び続けることで、
ある日振り返ると、
自分の健全さのレベルを上げていることに気づく。
なお、上がることが「いい悪い」ではない。

より自由になるということ。

■自分こそが、自分を幸せにできる。

■今ここで、の感覚を味わうステップ
・いすにすわる。手はひざくらい。
・あたまのてっぺんと、尾てい骨の間をかるく伸ばす。
・それ以外は力を抜き、重力を感じるようにする。
身体それ自体の重みを感じるようにする。
・目を閉じて鼻から吸って口から出す深呼吸。
・そのあと口を閉じて、鼻で息を吸い、息を出す。
・アタマにうかぶいろんなことは否定しない。
・呼吸に意識をむける。吸うを1、はくを2くらいで数えているとよい。といってそれを意識しすぎない。吸う、出すおのおのを味わう。
・その後、目は薄くあけて焦点をあわせないようにぼんやりとさせる。

というようなことでした。

他にもあって、

もっと知的好奇心の部分では、エニアグラム9つの「3つの態度」
 楽観的 2,7,9
 合理的 1,3,5
 反応的(本気にさせる)4,6,8
の気質を持った人たちが、プロジェクトメンバーとして構成されたときの

プロジェクトのスタート(楽観的に楽しく)、
推進(合理的にぱきぱきと)、
問題がおきたとき(大変!ここが問題!このままではいけない!)という段階を経ることとそのバランスや、役割を担おうとすることでの、プロジェクトとしての成長の過程。

というあたりの追求、とても興味津々だった。

http://www.transpersonal.co.jp/work/ennea.html

どのように支えられてきましたか

エニアグラム入門のセミナーで得た、知的部分については、メモもとったし少し落ち着いて書く。
ただ、これから書くのは、セミナーでの極私的体験。
最近、極私的多くて、自分でもやんなっちゃうのだが。

「あなたは何によって支えられてきましたか。」

この質問を、5分間ずっと対面で問われる。
すぐに直感で浮かぶものを繰り返し答えていく。
相手は目をつぶってくれていて、私は遠慮なく答え続けた。

私は何によって支えられてきたか。

愛おしんで育てられたこと。
あなたはあなたのままでよいのだと言われたこと。
気持ちを分かってもらえたと分かった瞬間。
好きなように生きることを認めてもらえた瞬間。

思い浮かぶ映像や場面には、いつも信頼できる人達からの言葉があった。

そのことはすぐに過去になるが、私はその言葉やまなざしや瞬間に支えられている。
もうその場には、ないものに。
自分には、確かにある・あったと信じたいものに。

これが私の、多分一番強くて、一番弱いところだ。

今ここにはもうなくて、もしかしたら確かめようもないことだが、私は信じている。

そのことを思って、セミナーの最後の振り返りで私は不覚にも泣いてしまった。
今でも思い出すと涙がでそうだ。

もひとつ。
会話していて、人の目がみられなくて目を閉じてしまう癖があることを今日発見された。
ちゃんとみてごらんなさい、と言われて、ちゃんと見た。

いい目をしています。

ということなので、人の目はちゃんと見ようと思う。
全ての存在に感謝。

私は私の思いの強さに、依存しないで、付き合っていく。


さて。
これから仕事なんだよね〜と。まいったな。

エニアグラム入門

自分は何者であるか。
自分を深く探求してとらわれから解放したいという目的で参加したセミナー。

少し、他の気質、他の人のこともわかるかと思って参加したが、
今日は自分のことで手一杯だった。
他の人と関わる余力を、途中で失った程だ。

あらゆる知識を一回外して、全てのタイプを想定して考えてみたけれど、

私は、どうあっても
タイプ6ど真ん中。
信頼するものを求める人。

…少し冷静に記す。

エニアグラムとは旧くギリシャ哲学から流れをくむ、人の気質の類型。9つのタイプがある。
その9つを繋いで表現している図形そのものにも意味がある。
自分にまだ充分な表現力がないため不安だが、単なる性格分類や占いの類と混同されるのは全く本意ではない。

人が外界と関わるときに、どんな動機で動くか。
人間関係なり外界との関わりが安定しているときより、「こんなはずではなかった」と思うときに、理解を深める地図のようなもの。

自分のタイプがわかったからといって安心できるものではなく、そこからスタート、さらに探求、まだまだ揺れる、という感じだ。

自分がこうありたし、という理想から類型を選んだり、日本語の意味に足を取られたりするからだ。

いい悪い、正解不正解、好き嫌いではなく、探求のプロセスにおいて、全ての存在は愛しいということが実感できる。

セミナー、明日も続く。

【GCDF】第1回

キャリアカウンセラートレーニングプログラム第1回でした。

◆今日学んだこと

○GCDF-Japanでのキャリアの定義は

個人が生涯を通じた職業または職業経歴の選択にかかわる活動・態度と、「働くこと」にまつわる自由時間、余暇、学習、家族との活動などを含んだ個人の生涯にわたる生き方すなわちライフサイクルの過程。

である。

○キャリア開発支援とは、人と職業のかかわりあいの、一生涯にわたる発達を支援する行為である。

つまり、人は、生涯、変化し、発達することを前提としている。
その支援のありかたにおそらくに完成はなく、生涯かけて研鑽すべき活動。

○キャリア開発支援とは
カウンセリングおよび、個人が意思決定をするのに必要な力を身に付けるための体系的プログラムの提供も範囲となる。

○キャリアの意思決定のプロセスとは
・自己理解
・情報収集
・意思決定
・目標設定と行動
であるが、
自己理解が何よりの鍵である。

○相談にくる人とカウンセラーに関係が構築されていることが全てのスタートでありゴールまでのベースどある。

○相談にくる人自身が意思決定できる力を得ることが、キャリアカウンセリングのゴールである。

○関係構築とは信頼関係の構築であり、相手の気持ちを受け止め、よく聴き、自分の聴いたことを言葉にして返すことで成り立つ。

○カウンセリングは、
価値観:何を大事にしているか
対象:何に対する
気持ち:思考・感情・意思
の言語化を、対話を通じて繰り返すことで、
気づきを促進することである。

○質問は、自分の興味ではなく、相手に何を起こしたいか、相手のためにどんな変化を起こしたいかというねらいで発する必要がある。


◆今日の私の気づき

分析されるのではなく、きいてほしい気持ち。

相手の立場に立とうとして、思い込んでいる。

質問は自分の興味本位である。

言語化、きっとできなくて、たぶん落ち込む。

でも

こないだまでグループ研究&論文作成活動してたときに途中で気づいたし、さっきはっきりわかった。

意思をもって場に集まった人たちの中で学べる事が楽しい。
安心して意見が言える。
こういう場がほしくて、私はここまで来ているのだとわかった。

どこまでもオープンになってたくさん獲得してみたい。

すごい、わくわく。

フラメンコ)アレグリアスは最後のヤマが

アレグリアスのエスコビージャ(足ですね)。
最後の最後にきて、うまくいかない~
何度やってもうまくいかなくて、相当くやしい~
決まったら、とてもゴージャス!な、いいところなのに~

そんなことを今日は言っておわり!さ。

今日は明日からの3日間の学びのためにちゃんと健やかになっておくのさ。

2/20はcasa artistaでライブ!

今、mixiのフラメンコ コミュニティのイベント情報みてびっくりした。

おっと、やるのか。びっくりだ。

みんなcome on!!

新宿、新大久保
★カサアルティスタ企画★
みんなで歌って踊ろうFiesta~ライブもあるよ

日時:2月20日(水)
場所&問い合わせ先:CASA・ARTISTA
カサ・アルティスタ
新宿区百人町2ー17ー11
03ー3368ー7619

http://www.casa7.com/

open:18時
Fiesta:18時~
ライブ開始:20時~21時頃~
料金:4000円(1プレートフード、ハーフワイン、参加費ライブチャージ含む)

フラメンコが大好きな人が集まってみんなで歌って踊るFiestaです。教室でのレッスンや発表会、プロのライブを見る、それだけではないフラメンコを求めていたあなた、きっと、あなたが求めていたものがここにあります♪普段着でのフラメンコを楽しみましょう!\(^o^)/もちろんしっかりとライブもあります!歌って踊って見て~すべて楽しめるFiestaです。始めたばかりの方から、プロの方まで、多数参加予定です。予約優先になりますので、参加していただける方はお店まで予約のお電話をよろしくお願い致します。

くやしいミス

ミスがあった。

気づいた時点で騒げなかった私のミスだった。

事務方がしっかりすべきだった。
この手の決め事に際して
現場が脆弱で、
意思決定者が証拠を残さない事を

私は知っていた。

こんなに後手に回ったのは、黙って誰かのせいにしたからだ。

誰かのせいにするなら
口で言わなければならない。

他部署の信頼を損ねる声を受けてドロかぶったのは、今回は先輩だ。

自分、しっかりせぇよ。
と、今日は叱る。

オープン!

認めてしまおう。
認めてしまえばなんだか楽になる。

私はあまり突き詰めてモノを考えないくせに
周囲の反応をとても気にする。
もっとありのまま自分自身であればよいのだが
どこかおどおどしている。
誰に何言われても(てか言われてないし)
認めてしまえばよい。

私はけっこうあまのじゃくで
ココロの奥では批判的態度でいっぱいだ。
私は信頼できない人と仕事をするのが苦手だ。
勝手に信頼しなくなってしまうことがあるので要注意だ。
もっとオープンになろう。

本業で飛び交うメールの中身に
正直ちょっとうんざりしてパソコンを閉じて
今日は家に帰ってしまった。
気持ちで何でも反応している最近は
いつもにも増して生産性が悪い。

案外みんな気にしないで
好き勝手なことを言うもんだ。
そんなこと言ってダイジョウブかなって思うことでも
かまわず平気で言っている。
自分のやりたいようにやっている。

アタシは配慮の行き届く人が好きで
自身の顔をしっかり持って生きる人が好きだ。
だって好きなもんはしょうがないよ。
ああもう、しょうがねーなぁ!
そこは認めた!
でも好き嫌いだけで、今、いろんなことを判断してる。
まず、もっと自分をオープンにしよう。

-------------
勤め先を知るすべての人へ。
私は元気です。
いろんなことがあっても。
自分の所属する組織が
これまで方針として掲げてきたことが
不信や不安に晒されて
気持ちの底辺に重さはあっても。

朝練で新鮮な鍛錬ができて、
集中した時間がすごせるのが幸せ。
本業では、苦手な仕事は苦手で、
空気が読めなくて数字がきらいなのは
相変わらずですけど。

週末から新しい世界にもいってみます。
自分が何ができて、幸せに思えることは何かを
いくつかの学びを通して
ちゃんと見通してみます。

私は大好きな人のことが
大好きだから、それだけでいいよ。

正直ちょっとヘコむ

あまり認めたくないけど
正直ちょっとヘコんでいる。

仕事上
少々ネガティブな話をやりとりすることになり
「xxさんがこう言った」を
あちこちに聞いたり伝えているうちに
最後、超いっそがしいボスに面倒なことを言う役回り。
アタリ。あ、ハズレか。

こういうときに限って、
周囲は息を潜めて絶対口を出さない。

でももういい加減その周囲だって
いくらでも私のミスでドロかぶってるわけだし
こんなことくらい!と思ってエイヤで言ったけど
反応はもちろんよくなかった。

自分を主語にまっすぐ言えばよかったのだ。
自分の顔なり気持ちを隠すときほどろくなことはない。
結局相手を攻撃したり相手に何も伝わらなくて
かえって落ち込む。

自分のやろうとしていることが
何にも価値がないような気までしてきたり、
今日はちょっと風向きがよくないな。

気持ちはその瞬間にストレートに。
自分でちゃんと認めてしまおう。
で、私は、でモノをいおう。

始まり

始まり
最近夜明けが早くなったように思う。

一人で台所でお茶を飲みながら夜が明けるのを見ています。

必ず夜は明ける、どんな形であれ、どんな場所でも。

すごい綺麗だったから撮ったけど、携帯じゃなー てかワタシの腕か。

おはよう!

ネットでの本名

私はネットになんらか書き込む時に、別名を使わない。使えないというほうが正しい。
さすがにフルネームは判断することもあるが、名前はそのまま使う。

理由は
名乗らずにしか言えない毒はネットにあえて流さないようにしたい。
というのは多少かっこつけすぎ。

別名をつけるのが恥ずかしい。

で、おそらくもうひとつは、
自分の名前がそんなによく聞かない名前で、
小さい頃からその特徴にずっと付き合ってきたからだと思う。

名前の由来は神社でもらったからだという。
二択だか三択だったと思う。
小さい頃はかなり気にした。聞き返されるし、変わっていると言われるし、よくある名前がよかったと思って親にそう言ったこともある。

今から考えると。
小学校の高学年でついて、中学と高校のときに自分で名乗ったあだ名は、その反動だ。かなり激しく。

多分大学受験の頃か学生の時だったか、
試験のとき、楽だな
と思ったのと、
学生の時はずっと名前で呼ばれてたから慣れて馴染んでしまった。

就職してすぐは名字では呼ばれたものの、
結婚して名字が変わって
ヤヤコシイから名前で呼ばれるほうが多くなり
職場で親しい人には名前で呼ばれるほうが安心し、
どちらかといえば先輩が多かったから、
名前で呼ばれることに馴染みきっていた。

職場が拡散し、いろんな場にでるようになって、
私は公式な場ではしっかりとフルネームを名乗り、
名字を呼ばれることが多くなった。

そんな時に、
ネットの書き込みだ、掲示板だという機会が増えて
私自身を指差す文字列として、
本名しかおもいつけない自分を発見した。

それは多くの場合、信頼できる人にそう呼ばれ、
自分の中でぬきがたくある、名に対する強い思いのようなもの
がそうする。
本名以外では呼ばれたくないというような。
名乗るときに、力が出る、ような気がする。

…と、いや、別にそんな思いつめた話ではなくて、

こんなことをいいだしたのは、
今更、7年位前の実名での掲示板の書き込みを、
社外の人に発見されて
旧姓までバレてびっくりしたから!

別にバレて困ることはないが不意を突かれた。
びっくり。気を付けよう、本当に。

というか、読まれてまずいことなんて、書かなきゃいいのよ。

以上終わり。

おまけ・・・40歳代って

おまけみたいな、別にどうってことないこと。

なんとなく、20歳代とか30歳代のときは
40歳代はもうすこし落ち着いているというか
もっと揺らがなくて、
人としてしっかりしているかもしれないと思ってた。

でも困ったことに、そんなことはなかった。
ずるくもなってるし、多少かわせるようになったけど
いつでもなんだか揺らいでたり、
強い感情でどうにもならなくなったり、
こんなに不完全でいるとは思わなかった。

ただ40歳代になって、
はじめてできるようになったこともあるし、
毎日すこしずつ積み重ねていこうと思う

2月の目標

2月はこんな月だ。
◇1 本業で 新しい仕事のしくみを実務に乗せる。
◇2 他部署との間で年度〆の業務が始まる。
◇3 年度〆で、自分やチームのの本当の本業を今後どうしたいか、上司や役員と調整。
◇4 社内グループ活動の納期2/22にむけてフィニッシュかける。
◇5 組織全体の、信頼の危機に対して自分のできることは何か。
◇6 自分と人を元気にする力としての、GCDF-Japan(Global Career Development Facilitator JAPAN) キャリアコンサルタントの学習開始。
◇7 自分をありのままにするための エニアグラムの学習開始。
◇8 改めて、システム監査技術者試験の勉強開始。

・・・29日しかないのに、あんたアホか。と自分でツッコむ。

1~3はいわば本業。今自分がやりきったり、今後上司と話しながら、どうしたいか意志も出しながら進めたいこと。
4は、私がわがままでこれまでほっといたのだから最後までちゃんと通す責任がある。
5は、考える。気負わず、でも考えて言葉にする。
6~8は自分でやりたくて、やること。本業とすぐには結びつかなくて苦しい思いをするかもしれないけれど。

これだけやること、やりたいことがあるその先に
自分のあと半年先(6月末位)のイメージは:
◇チームが自分の価値観を出し合って、新しい目標に向かってとりくめること。
◇他のチームの人たちが、自分たちのチームの価値を認めてくれ、「使って」くれるようになること。
◇部門内の仕事をわかりやすく、シンプルにすることに力を注げること。
◇直近の仕事だけを見るのではなくて部門の目標にむかって周囲がコミュニケーションをとりあえるようになること。
◇「私はどんな専門性をもって力になれるか」を明確にして、他人に発信できること。

・・・んんん。

でも1月のまとめ見てみると、まだ「自分をつかむ」ことが中途半端なので、以下とする。

1 使っている時間を記録して振り返る。まず把握。
<本業の「次」のため><上司との関係やチームのため><業務課題><一般業務><社内チーム活動><自分の今と次のため><なごみ><よどみ><for Family>

2 18時に残務確認、20時に撤収。もっとやりたくなったら人に振るか、朝くる。

3 チームの仕事を確立させる。今日の指示を今日きめない。

4 1日1回アサーティブ。自分の状態をオープンにして、できることはなにかをお互いに出し合ってきめる。

5 本業の来年度について、上司と役員に機会を設けてもらい話す。聞く。

6 週末は本業を離れる。週末の新しい場と勉強に集中する。

7 自分の感情の揺れは自分で認める。

8 フラメンコは、エスコビージャを完璧に入れて、ブラソとか全体の雰囲気をくみたてられるようにする。

1月のまとめ

世間は大雪。
土日は完全に自宅にひきこもって、過去モードに浸って、お風呂に何度も入って、何度も寝て、家族としゃべって・・・さっき今日に戻ってきました。

さて、1月のまとめ、いきますわ。

文中、

A 業務課題 優先順位 1位の仕事。納期1/29。
B 社外グループ活動 論文 納期2/1。
C 業務課題 優先順位 2位。本来の自分と同僚の本業 納期2月。

1  前日に実現可能なto do listを作ってやりきる。時間を記録する。
→△
1/21まではやってたけどその後NG。
いやなことを後回しにするし、ひとつずつやるしかないことと、予定より実績が倍、ということをつかんだまで。
A,Bの納期が両方同時に来て、Aにすべて打ち込んでいて、ある日から急に上位判断になった瞬間とBに完全全力に飛び込んだタイミングはほぼ同時。1/22より後は日々状況が変わって自分を揺らしまくってしまった。

2 18時に残務を確認して20時には撤収する。自分が20時に撤収できる段取りを組んでチームの納期を達成させるのが私の仕事。
→×3つ。
自分の軸というか意思がない。というか自分ができることが何なのかをちゃんとつかんでないからこれができない。

3 1日1回、アサーティブな、つまり私もあなたも大事にするやりとりをする。自分の状態をオープンにして、なにがお互いのベストか考えて、できることを約束する。
→△
自分ができないことを表明しないまま、相手にやってもらったことが多い。ただ、ものすごくぎりぎりに追い込まれたときに、自分の現在の気持ちや状態をかなり出したことで、他人からフィードバックもらって自分の思い込みから脱せた経験を忘れないようにしたい。

4 チームで決めた納期は落とさない。そのためにはひとりよがりな完璧主義に落ちない。毎日10分でいいから手をつけて何かoutなりリアクション返す。
→△ かな・・・
AはNGだった。
Bは・・・落とさなかったんだけど、最後の追い込みのときの自分を冷静に振り返ったときに、とりまとめを引き受けてくれたサブリーダにはかなり悪いことをしたと思う。完璧主義というわけではなかったんだけど、ひとりよがりだったか否かをまだ判断できない。
Cはできるかぎりの手はつけた。

5 体重を3キロ以上、体脂肪率を3%以上落とす。
→×
体重はマイナス2キロ。体脂肪率は1%しかおちなかった。朝練でもっと軸つくって引き上げて踊るのと、あとちゃんと夕飯たべよっと。

6 フラメンコで、ブレリアの、ブラソも込みで、ながれを掴んで踊る。
→○。
ブレリアはブラソまでいってないけど、アレグリアスのエスコビージャできたからプラス。

7 本を週1冊読む。
→○
8冊。でもラスト1週は何にも読んでない。

8 新しい場所にいくか、初対面の機会を作る。
→○
恵比寿でのMegさんとのlunchも、ぎりぎりで選んで行ってよかった「ヒトのプロ」セミナーも。
とにかくアタシはもう新しいところへ行くことを怖がらない。結局そこへいくしか、何も手に入らないから。

総合的に:
私はもうすこしタフになりたい。自分を無闇に追い込まないで、ありのままでありたい。
言い訳なしで、自分の思いは全部言葉にして、書くなり言い切るなりしたい。

終わりの話(極私的論文顛末)3

2/1
サブリーダはすべての状況をうけとめ、
変更指摘を集約し、論文を修正し
16:30までに各自文言訂正、17:30納品を宣言していた。

私も文言訂正にいそしんでいた。

16:40頃。もう終わりかと思った頃。

「手伝ってください」というメールがアドバイザーからきた。
矛盾があるのを発見したというメールだ。
私にきている。

この章は私が書いているから、私の気持ちを、どういう意図なのかを確認してくれようとしている。
そこにかいてあることは言われるとおり確かに論理が通らない。
油断していた。まだ終わってなかった。
でもどうやって通せばいいか。今この状態にあることを 伝えなければ。

リーダとサブリーダにあと15分待ってくれと叫ぶようなメールをだしたあと、考えた。
サブリーダは17:00まで待つという。
考えたのに出てこない。
印刷した文章に線をひいて、前後を入れ変えて、出てこない。

いまかんがえてるから 
とだけ、リーダとサブリーダにもう1回メールをだした。

そこに書いてあることは、こうだったらいいのにという、実務での私の願いだと気づいた。
簡単には実現できそうにないし、一般論的な、ともすると評論的なところで、あんまり腹に落ちてなかった。添削というレベルではなく1回全部削除して、なかったことにしようとした小章だった。
でも、どうしても削除できなかった。願いのようなものが粒だけ残っている。
で、そう思ったのは、きっと私だけではない。

私が考えなくちゃいけない。考えないと、このまま論理通らないまま論文は審査に入ってしまう。
パソコンのキーボードを入力する手ががたがた震えた。

これなら通る、と思う、という一文が「組み合わせ」で降りてきた。
新しい文章でなく、皆で考え抜いた場の言葉だ。

これで通るかとアドバイザに確認をとり、アドバイザが文章をきれいにしてくださった。サブリーダが文章を回収し、とりまとめ、提出した。

終わった・・・

------

・・・しかしこの話もうひとつある。

提出期限 3時間後。
リーダが、
皆が思いついたイメージを説明した文章に誤字を見つけた。

私自身も誤字は、帰りの電車で見つけていた。
ああ、ここにあったかと思っていた。
もう、いい、通るし、と思っていた。

しかし、リーダはまったくそうではなく、

事務局サイドの全てに配慮したうえで
そのひとつの誤字だけはなんとか修正したいのだという意思を記し
審査終了までは無理だと思っているので、せめて世に出るときは修正させてもらえないでしょうか、身勝手だけど後悔したくないから御相談しました、申し訳ございません。
で終わるメールを事務局に出していた。

私は、このメールを忘れない。

終わりの話(極私的論文顛末)2

2/1(締切日)

代表電話の番が誰にも言われてないけど
必要に思ったし、実際誰も居なかった。
正直、論文のことも多少あり、朝練を休んだ。

この論文作成にあたっては
1グループに1名アドバイザー(その道のプロ)が
ついてくださっていた。
1/31-2/1にかけてその人が校正をいれる。
1回目(1/26夜)はすなわちこの校正が
まさに「真っ赤になって返って」来たのだった。
真っ赤になって直されているのではなく
真っ赤になって、問いが並ぶ。
これはどう意味?どうしてこう言える?根拠ある?
・・・ズタボロだった。本当に何も書けなくなった。

だから今回赤が入っているところが
自分の章だったらすぐ直さねばならない。

しかし。メールが来ないと思ってたら
私にだけ、アドバイザーからメールがきた。

「この段落のこの部分が、論理的に通らない。
どういうことを、いいたいですか?」

アドバイザからのメールで私はパニックになった。
昨日削ったところが、意味が通らなくなったのだ。
サブリーダーが(リーダではなく)
時間がないため、担当者には文言訂正のみの修正を要求してくる。
サブリーダーは託されて納期にむけて最大限の力を出している。

私はアドバイザーとサブリーダーとの間で
この時間で私がなにを「したいのか」「したくないのか」「するべきか」「しないべきか」を混乱させてしまった。
この論文の主語は「われわれ」だ。私ではない。
私が書かねばならないが、「われわれ」は合意してくれるのか。
アドバイザーはどうなんだ。
時間がないのに。

サブリーダーに自分が動揺していることを伝えた。
こんなことは、たぶんこのチーム活動中初めてだろう。
電話をして、役割分担と時間リミットを確認した。
それでもリーダーに1回電話をして、こういう方向でいいかを確認した。リーダーが忙しいからこうなったのはわかっているのに。

指摘点がもう1点メールで来た。「問いに対して答えてない箇所がある」と。
だめだ、ここは外せない言葉なのに。

私はリーダーに、自分が論理的でないことにトラウマをもっていることと、なぜアドバイザが私にだけメールをくれるのかがわからない、とほとんど泣き叫ぶようなメールを出した。

ヒトのメールをあまり公開するのもなんだけど、
速攻の返信はこうだった

「文章の気持ちが理解できるから、
ここを活かしたいということだと思います。

昨日も○○さんに、私もそういいました。
○○さんもそうだと思います」

意図を確認して、もっと通る文章にするから、手伝ってくれ、というメールだったのだ。
私は「論理的でない」と詰められているわけではなく、気持ちを正確に乗せる文章を要求されていることがわかった。
気持ちが座った。要求されている時間から5分遅れて返信できた。

実はまだある。続く。

終わりの話(極私的論文顛末)1

久しぶりに22時台のニュースを見て
世間の報道のされようを見て
そろそろ「始まり」の話を考え記さねばと思いつつ、
今日までは「終わり」のほうを書く。

グループ論文の締め切りは今日2/1の18時だった。

ある章を担当していた私は
1/29(火)の夜遅くに一度おもいきり考えて書いて削った。
6頁あったものを5頁にした。
もうそれで書ききったと思った。
あとはどうにでもしてほしいし、任せるつもりだった。

しかし、1/30。
もう一度リーダから

気持ちはわかるし、いいんだけど・・・口語体をやめること

という指摘が入った。
論文だから淡々と書いて、ここぞというときだけ言いまわそう。
という指摘だった。

事務所で一人で思わず笑った。
私の文体はもともとがかっちりしてなくてというか
こうやって書いててもそうだけど
ひらがなが多く、たらたらした文章だ。
それでもかなり「淡々と」させたつもりなのに
これ以上どうしろっていうのかなまったく。
とことん手放さないヒトだな。

もう今週は自分の仕事のすべてがずれ込んでいる上に
1/30になって事務所は空気がざわつきはじめた。
今日やってしまわねば、もうできない。
私はもう1回自分の文章の言い淀みや言い回しを取り4.5頁位にした。
これは論文全体の戦略でもある。
私の章はあまりまだ「盛り上がっては」いけない。
主張するところもあるが、
先の章のほうがもっと
「いいたいことを明確に主張する章」だ。
そういうことを考えての指摘だから応えた。
その日のうちに章を納品し終えた。
はああ。本当にもう終わった、と思った。

1/31。

午前中の外出予定をキャンセルして事務所に詰めた。
代表電話の番が、誰にも言われてないけど必要なように思ったから。
私はグループのメンバーには
以前からこの日「外出」といっていたから
あとはその日の13時まで、他の章の人ががんばればよかった。

ところが全体の頁数が事務局指定の上限よりまだ多いという。
とにかく削ろう削ろうというメールが飛び交う。
ここも削るかという中に、私の担当の章もあったし
ここは最後の章だから削れない・・・というのもあった。

当然だ、最後だもん。そこにグループの主張がある。
そんなこと言うなら私のところを今削る!とメンバーに宣言して
さらに削った。

・・・
夜中じゅうリーダーはとりまとめていた。
言葉の意味を確認する電話も入った。
こちらはもう任せた(信じている)つもりなのだが
章の担当者の意図を確認した上で自分で考え全体を通そうとする。
何度でも書くが、本当に手放さないヒトだ。

続く。

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